幕間 ハウザール傭兵団長、森にて
それは、襲撃から数日を遡る日の出来事。
ハウザール傭兵団の団長、ハウザールには夢があった。
野盗まがいの行いに手を染めるしかなかったあの頃から、五年。
同じような冒険者崩れだった仲間を集めて傭兵団を名乗り、野盗の一団を退治したり、モンスターから村を守ったりを繰り返しては、コツコツと装備を調え、仲間を集めてきた。
そして少しずつ名が知れてきた今、突然に大きな仕事が舞い込んだ。
大元を辿られぬよう幾人もの仲介者を挟んでもたらされた依頼、それは――――聖皇女の暗殺。
ためらいがなかったわけではない。これでも、できるだけ人を助けるような仕事を取ろうと心がけてきた。
しかし今回は、その報酬額に心動かされた。
前金だけでも、かなり上等な装備をそろえられた。もう一つ、別の傭兵団にも依頼がなされているらしいが、そちらに先んじることができれば報酬の満額が手に入る。その暁には、実力のある冒険者や騎士だって引き入れられるだろう。
そして傭兵団としての力量が上がれば、高い身分の依頼主から来る割の良い仕事だって受けられるようになる。
そうやって実績を積んでいけば――――いずれは、これから発展しそうな街へ交渉し、衛兵兼
そうなれば、もう流浪の生活を送る必要はない。
怪しい流れ者の集団ではなく、街の一員として、仲間たちと共に残りの人生を穏やかに送ることができる。
いつまでかかるか知れない、それどころか叶うかも怪しかったハウザールの夢が、現実味を帯びて手の届きそうなところまで来ていた。
つい、先ほどまでは。
今――――その夢は、
帝都へ延びる街道からほど近い森の中で、ハウザールは背を濡らす冷たい汗を感じながら、終わりの光景を眺めていた。
「むぅ、人の戦士は
血に塗れた棍棒を手につまらなそうに呟くのは、人間をはるかに超える体躯を持つ、赤銅色の肌の
その前に倒れているのは、かつてハウザールの仲間だった者たちだ。
頭を潰されている者、胴が真横にへし折れている者、あるいは、胸が足形に陥没している者……。
かつての仲間は、今や人の膂力では為し得ないような死体となって、地面に転がっている。
ありえない死体は、他にもあった。
仲間の数人は、今や石像と化して森に佇んでいた。比喩ではない。皮膚も髪も眼球すらも灰色に硬化し、衣服や武器だけが、冗談のように元の色彩を保っている。
「お魚さん、なに食べてるの……ムニャ……それ、お星さまだよ……スゥ」
その向こうでは、小柄な女が体を丸めるようにして、闇属性魔法で浮遊していた。
森にそぐわないひらひらした服装に、長く揺らめく朽葉色の髪。口からこぼれる言葉は支離滅裂で、一切の意味がない。その両目は閉じられ、眠っているようにも見える。
だが、その額に開いた第三の眼――――仲間を石に変えた赤い邪眼だけは、ギョロギョロと蠢いて周囲を見回している。
邪眼の民である
まだ、息のある者もいる。
しかし、彼らが助からないことははっきりしていた。
呻き声を上げる仲間の体を、二頭のシャドーウルフが引っ張って遊んでいる。
鋭い牙を持ち、影に潜む能力を持つ剣呑なモンスター。その群れの中心に座り込んで笑っているのは、焦げ茶色の毛並みに長い耳を持つ、小さな獣人族の少年だ。
「あははっ、ディーもテスも元気だなぁ! ……ん、それくれるの? ありがとう! 君は良い子だね」
傍らのミノタウロスに人間の死体を差し出され、兎人の少年が嬉しそうにお礼を言う。
そのミノタウロスは、仲間の
今差し出しているのは、自らがくびり殺したかつての主人だ。
ミノタウロスの突然の裏切りに、仲間の
他人のモンスターすらも瞬く間にテイムし、従えてしまう――――兎人の少年のそれは、もはや技とも呼べない、
右方に目を向けると、仲間が火を噴いていた。
口や鼻、眼球の焼け落ちた眼窩から、橙色の炎が噴き出している。
仲間はしばらく生きてよろよろと歩いていたが、やがて胴からも腹を破るようにして火の手が上がると、膝から崩れ落ちるように倒れた。
その近くで忌々しげに舌打ちをするのは、黒い悪魔の男。
「チッ、もう死んじまった。とんだ計算違いだ……炎が強すぎた。転移させた位置もよくねぇ……クソッ、まだまだ精度が甘すぎる! こんなんじゃ、いつまで経っても兄上になんておよばねぇ……!」
黒い毛並みに、山羊のごとき巻き角を持った悪魔族の男が、表情を歪ませて吐き捨てる。
魔法の火を転移させ、対象を内部から焼く。
逸脱した技量で仲間を次々に焼死体へと変えた悪魔は、ただひたすらに自らの未熟さを憤っている。
「どうして……」
ハウザールは虚ろに呟く。
「どうして、魔族が……こんな場所にいるんだ……それも、こんな……異常な連中が……」
「貴様が頭目か」
正面に立つ一人の魔族が、ハウザールへと問いかけた。
そして、ああ、この男だ。
黒い髪に黒い目。姿形は人間に似通っているものの、死人のごとく白い肌には、入れ墨のような黒い線が走っている。
「神魔が……なぜ、ここに……」
「答えろ。この森に兵を伏せていたのは、どのような目的があってのことだ」
奈落のような瞳に射すくめられる。
ハウザールにはもはや、正直に答える以外の道がない。
「聖皇女の、暗殺だ……この先で待ち構える、はずだった……」
「ふむ……人間の政争か。ならば、我々とは無関係だったか」
「心配して損したねー、隊長」
「仕方ないっスよ。こんなとこに謎に兵がいたら誰だって警戒しますって」
「ムニャ……紛らわしい……」
兎人に悪魔、
「ガハハハ! 予期せず補給ができたのだ、かえって良かろう! しかしな、ゾルムネムよ」
豪快に笑っていた
「その人間の男も、戦士であるのだぞ。それも頭目だ。あまりにも不用意に近づきすぎではないか?」
「えー? 隊長が人間なんかに負けないよ。なんか怖じ気づいてるみたいだし、どうせ雑魚なんじゃない?」
「いや……この者は、弱くはない」
ゾルムネムと呼ばれた神魔族の男が、その暗闇のような
そして仲間にも聞こえないほどの小さな声で、独り言のように呟く。
「【
「は……はは……」
ハウザールには、この神魔族の男が何を言っているのか、まったくわからなかった。
ただ言葉尻だけで称賛されたことを感じ取り、引きつった笑いを浮かべる。
「あ、ありが……」
その首が飛んだ。
地面に転がったハウザールの視界には、自分の首から下の体が、一瞬で炎に巻かれる光景が映っていた。
剣線すら見えないほどの剣技に、完全無詠唱の魔法。
血と共に意識が流れ出ていく中、ハウザールが最期に聞いたのは、宝剣を提げたゾルムネムの冷たい呟きだった。
「――――だが、私とは比ぶべくもない」
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