第十話 最強の陰陽師、山の主を倒す


 それから半年ほどが経って。

 誕生日を迎え、ぼくは十二歳になった。


 こちらの文化では数え年じゃなく、生まれた日を迎えて一つ年をとる。前世で元日が祝いの日だったように、こちらでは誕生日を祝う風習があった。


 腫れ物扱いのぼくにはそういうのなかったけど。


 ルフトやグライの誕生日は食事が豪華になって贈り物とかもらってたんだけどなぁ。さすがに疎外感ある。

 妾の子は辛いぜ。どうでもいいけど。


「……」


 と、朝食の席でそんなことを思う。


 家族がみんな揃っているのに、かちゃかちゃと食器の音だけが鳴る静かな食卓。

 まるで昨日がぼくの誕生日だったことに触れないための沈黙みたいで、ちょっと可笑しかった。


 と言っても、特別話すようなこともないか。

 最近変わったこともないし。


 強いて言うなら、グライが魔法学園に行くんだと息巻いてることくらいか。

 奴ももう十五歳。そろそろ自分の行く末を決める年だ。ルフトと違って家を継げないグライは、来春の試験を受けて帝立魔法学園の高等部に編入し、魔法学の研究者としての道を進むつもりらしい。数年前からずっと言ってた。


 ただ、息巻いているだけで特別勉強したり、魔法の練習をしたりといったことはない。

 高等部の試験の内容は知らないけど、それでいいのかグライよ。

 そんな黙々とパンに齧り付いている場合なのか?


「今日は街の参事会に顔を出す。日暮れには戻るから後を頼むぞ」

「ええ、気をつけて」


 父ブレーズがそう告げると、育ての母が静かに答える。


 それが合図だったかのように、程なくして朝食の席はお開きとなった。


 なるほど。

 そう言えば今日は家庭教師もなかった。

 さて、どうするかな。



****



 屋敷の庭を、別棟の離れへと歩いていく。


 イーファに用があり、どこにいるのかメイドに聞いたところ、今は客人用の離れを掃除しているとのことだったのだ。

 人魂の様子を訊くと共に、ちょっと注意しておきたいことがあった。


「おいセイカ! 待てよ」


 離れの近くまで来たとき、急にそんな風に呼び止められる。

 振り返ると二人分の人影。


「グライ兄。ルフト兄も。どうしたの?」

「セイカ! 今日からおまえに剣を教えてやる。感謝しろよ!」


 は? なんだいきなり。

 よく見ると、二人とも練習用の木剣を手にしている。

 首を傾げるぼくに、グライがやかましい声でがなりちらす。


「おまえもう十二だろ。家を出た後のことは考えてるのか?」

「うーん……別に」

「いつまでぼんやりしてるつもりだ? おまえは家を継げないんだぞ、わかってるのか! 言っておくが、格式あるランプローグ家が役にも立たない魔力なしの、しかも妾の子をいつまでも屋敷に置いておくなんてあり得ないからな!」


 お前も家継げるわけじゃないのによくそこまで家長面できるな。


「しかもおまえの場合、おれのように魔法研究の道を歩むこともできない。となると、もはや軍にでも入る以外にない……。そこでだ、今日からおれたちがおまえを鍛えてやろうってわけだよ。ありがたく思えよ」

「……セイカも知ってる通り、僕たちは従士長のテオに剣を習ってるんだ。だから少しは教えられると思う。もちろん、セイカがよければだけど」


 ルフトがそう引き取った。

 ふうん、剣か。

 どうせグライがぼくをボコボコにしたくて言いだしたんだろうけど、ちょっと付き合ってやってもいい。


「いいよ。どこでやる?」

「ここでいい」


 グライが一振りの木剣をぼくの足下に投げて寄越す。


「素振りなんてしてもおもしろくないだろ? 早速模擬戦といこうぜ」

「グライ、ちょっと……」

「おれは春には家を出るんだ。それまでにたっぷり教えてやるよ」


 舐めた仕草で構えるグライを尻目に、ぼくは木剣を拾う。


 剣術なんて何十年ぶりだろう。

 ぼくが習ってたのは太刀の流派で、かたやこちらは片手持ちの直剣だけど、応用できるかな。


「うん、ぼくも素振りはもうやりたくないな。ルフト兄、審判やってよ」


 そう言って、ぼくも木剣を正眼に構える。


「……グライ、手加減するんだぞ。それでは、はじめ」


 とりあえず、待ちの姿勢をとることにした。

 切っ先を相手の目に向けたまま、グライの出方をうかがう。


 ……む、意外にも慎重だなこいつ。


 それから数合打ち合うも、フェイントと牽制ばかりで本格的に攻めてこない。


「グライ、どうしたんだ? いつものように攻めないのか?」

「う、うるさいっ。こいつ、隙が……っ」


 仕方ないな。

 ならぼくの方から……、


「ル、ルフト様っ、ルフト様――――ッ!!」


 と、突然響いた声に、ぼくもグライも剣を下げる。

 見ると、使用人の一人が息を切らし、ルフトの元へ駆けてくるところだった。


「どうした! 何があった」

「そ、それが、市街地の近くに大型のモンスターが出たと」


 ルフトが表情を変える。


「モンスター!? それで、どうしたんだ! 被害は?」

「ひ、被害は幸いにも、居合わせた旦那様が火の魔法で撃退されたために、大事にならずに済んだと」

「そうか。それなら……」

「し、しかし、モンスターは再び森へ逃げ込んだとのこと。もし山沿いに逃げるようなら、こちらに向かう可能性もあるのだそうです! ですから、今日明日は決して屋敷から出ないようにと旦那様から言づてが」


 そのとき。

 巨大な気配を感知し、ぼくは剣を捨てて式に意識を向ける。


「来るよ、ルフト兄」

「セイカ? 何を……?」


 大きな物体が大地を蹴る音。


 そして。


 突如現れた巨大な影が、轟音と共に近くにあった離れの壁へと激突した。


「なっ、何だ!?」


 離れに埋まる赤黒い影。

 その粘液に覆われた巨体がゆっくりと頭を起こす。


 それは、とてつもない大きさのサンショウウオだった。


「エ、エルダーニュート!? しかも、なんだこの大きさは!?」


 体長は三丈(※約九メートル)にも及ぼうか。

 そののっぺりとした頭などは見上げるほどの高さにあった。

 まるで鯨だ。山の主かな?


「う、うわああああああああっ!!」

「っ! 逃げろ、屋敷に逃げ込むんだ!!」


 情けない悲鳴を上げて真っ先に駆けだしたグライ。その後を、半泣きの使用人とルフトが続いていく。

 まあそうなるよね。


「セイカ! お前も早くっ」


 背中にかけられるルフトの言葉を聞き流す。

 ぼくはまだ引けない。


「げっ……」


 そのとき、ギョッとするような光景が目に入った。

 離れの瓦礫の傍に、数人のメイドと、イーファの姿があったのだ。


 腰を抜かしたように動けないでいるメイドの一人を、イーファが懸命に引っ張っている。

 そのちょこまかとした動きが本能に触れたのか。エルダーニュートの頭がイーファへと向いた。

 真っ黒な眼球が、獲物を見定めるようにぐりぐりと動く。


 まずい、これは……。


 突如、顎が大きく開けられる。

 それがイーファへと襲いかかる瞬間――――、


 橙色の炎の壁が、イーファを守るように立ちはだかった。


「グゥ――――――――――ッ!!」


 潰されたカエルのような声を上げ、炎に触れたエルダーニュートがのたうち回る。


 なんだ今の。人魂がイーファを守った……?

 いや。あの自然現象みたいな妖にそんな意思があるとは思えない。となると……あれはイーファ自身がやったことか。


「……いいね」


 ぼくは小さく笑い、組み上げていた即死級の呪詛を崩す。

 こっちを使わずに済んでよかった。危うく台無しになるところだった。

 イーファとメイド達はもう逃げたようだし、大丈夫だろう。


 巨大サンショウウオへ、ぼくはゆっくりと近づく。

 パニックから回復した奴は、順当にぼくを次の獲物に選んだようだった。


 迫り来る赤黒い巨体。

 ぼくはそいつに杖を向ける。

 こいつはやっぱり炎が苦手みたいだ。

 それなら火の魔法で倒して見せた方がいいだろうな。


 エルダーニュートは水属性。五行において水と火は相剋の関係にあるが、同時に強い火は水の相剋を受け付けない逆相剋の関係でもある。

 そしてサンショウウオは裸虫。裸虫は土行。土を締め付けるは木の根、すなわち木行。


 という旧来の五行思想とは無関係に組んだ術だが、図らずも沿ったものになってしまった。

 まあ。

 効くならなんでもいい。


《木火土の相――――毒鬼火の術》


 ぼくの放った青い火球が、エルダーニュートの下顎に弾けた。


 断末魔の唸り声をあげながら、またもや巨体がのたうつ。

 だが、今度はそれも長くは続かなかった。


 エルダーニュートは、次第にその動きを弱々しくしていき、やがて腹を上に向けて痙攣し始める。

 そして、ついには動かなくなってしまった。


「調伏完了、と」


 そんなに強い炎ではなかったものの、エルダーニュートは完全に息絶えていた。


 それもそのはず。

 ぼくが鬼火に混ぜていたのは毒だったからだ。


 東ローマ帝国領で栽培されていた除虫菊は、虫やカエル、蛇などに強く効く一方、人間には無害という変わった毒を持っていた。

 その成分を木気として呼び出したのが今の術だ。燐の炎で気化し、皮膚の粘膜から吸収された除虫菊の毒は、サンショウウオにはさぞよく効いたことだろう。ぼくも多少吸い込んだだろうがなんともない。


 ちなみに術として使うのは初めてだった。

 よかった。うまくいって。


「セイカが……モンスターを倒した……?」


 ルフトの声。呆気にとられた顔をしている。

 あ、まだ逃げてなかったんだ。


「今のは、セイカ様が……?」

「あ、あれほどのモンスターを、一撃で……」

「セイカ様が……セイカ様がエルダーニュートを倒されたぞ!!」


 屋敷のそこかしこから、歓声と拍手が起こる。

 どうやら、みんな騒ぎを遠巻きに見ていたらしい。


 いいね。望んだ展開だ。


 そう言えば今生でここまでの称賛を受けるのは初めてだったな、とぼくは気づく。

 なんだかむずがゆい。

 前世でも、こういうのはついぞ慣れなかったっけ。




――――――――――――――――――

※毒鬼火の術

リンの炎に除虫菊の毒であるピレスロイドを乗せる術。これは哺乳類や鳥類に対しては毒性が低いが、昆虫や両生類、爬虫類には強力に作用する。蚊取り線香の有効成分でもある。除虫菊|(シロバナムシヨケギク)の原産はセルビアで、主人公が訪れた十一世紀当時は東ローマ帝国領だった。

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