番外編 第472並行世界におけるライゼンダーの活動 前編

「ライゼンダー、話がある」

「任務ですか?」


 黒井鋼治という本名ではなく、コードネームで俺が呼ばれるときは、決まって任務が有るときだ。

 ドイツ語で旅人を意味するライゼンダーと俺を呼んだ上司は、黒いボディが目を引く機人男性だ。製造番号はIK05010で、そこから取って彼は自分の名前を五十嵐十兵衛と戸籍に登録している。


「そうだ。君には第472並行世界に行ってもらう」

「あそこは特筆する技術や知識がなく、直接現地で調査する必要はないと判断されたのでは?」

「事情が変わった。トラベラーが今遂行中の任務は知っているな」

「それはもちろん。今、並行世界調査機関で最も重要視されている案件です」


 他の並行世界から知識が流れ込むアカシックリード能力。その完全制御が可能な唯一の人物であるアカシックが本物の異世界冒険とやらを見たいがために、そのヒロイン役としてトラベラーに協力を要請した。

 協力すれば、代わりにアカシックが俺たち第2並行世界に対しても一度だけ協力してくれる。全並行世界から望む知識を取得できる彼女の協力だ。それはどんな願い事も一度だけ叶えてくれるのに等しい。

 そのまさかの好機に、並行世界調査機関はかなり緊張した雰囲気に包まれている。


「アカシックが異世界冒険の主人公役に選んだ少年の出身が、第472並行世界だ。彼女がわざわざ選んだなら、そこにはなにか特別な理由があるかもしれないと上層部の一部は考えている」

「どうもふわっとした理由ですね」

「アカシックの思考を少しでも把握するためだ。そうして彼女との交渉を有利に進め、2度目、3度目の協力を取り付けたいという考えだ。」


 そういうのは、往々にして失敗すると思うけどな。最初の利益だけで満足しておけば良いのに、欲を出して大損するなんて、よくある話じゃないか。


「ともかく仕事はやらねばならん」


 五十嵐は周囲の目を気にする素振りを見せたあと、小声でささやく。


「私個人としては、余計な事をすべきではないと考えている。任務については、ばれない範囲で適度に手を抜いて、彼女を怒らせないよう注意しろ」



 ともかく上司から任務を受領した俺は、必要な手続きや準備をすすめる。

 持っていく装備はそう多くない。第472並行世界は21世紀前半の地球だ。紛争地域でもない限り、自衛用の武器は必要ない。

 ただし絶対忘れてはならないのは、メガネ型認識阻害装置だ。


 俺と、それにトラベラーは全ての並行世界に存在する大共通点因子だ。調査任務中は、常に別の世界の自分と遭遇する可能性を考慮しなければならない。

 コードネームを使っているのだって俺とトラベラーだけだ。自分と他の世界の自分を区別する必要ない他の調査員は使っていない。

 さて、準備が整ったので格納庫へと向かおう。


「あら、ライゼンダー、これから仕事?」


 装備の整備を担当する九十九里三四子さんに声をかけられる。


「ええ。俺の次元船は出せますか?」

「もちろん。いつでも良いわよ」


 格納庫には調査員が並行世界へ旅するための乗り物があった。白くつなぎ目のない外装は流線型で、イルカやシャチを連想する。

 自分の次元船に乗り込もうとした時、普段は見ない装備が搬入されているのに気づく。


「三四子さん、あれRG用の武装ですよね。しかもウェポンフルスタックだ」

「ええ。今トラベラーがいる並行世界は、危険な大型生物が生息しているのよ。上から準備しろって言われてね」


 危険な大型生物。俺はトラベラーが心配になった。


「大丈夫よ。トラベラーは強いもの。男なら恋人のことを信じてあげなさい」


 三四子さんは俺の信条をすぐに悟って励ましてくれる。見た目は10代前半だが、機人である彼女は100歳を超えている。そういう心遣いは年配らしくて心強い。


「ええ。そうします。それじゃ俺も行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 こうして俺は調月考知郎が生まれた第472並行世界へと向かう。

 次元船の光学迷彩機能を使い、人里離れた森の中に降り立つ。誰も、別の世界から俺がやってきたとは気づかないだろう。

 それから俺は人里へと向かい、第2並行世界から持ち込んだ貴金属を売って、現地の通貨を調達する。


 ちなみに真っ当な質屋とかだと出所不明なものを買い取ってくれないので、非合法なところで交換する必要がある。

 アカシックが異世界冒険の主人公役に選んだのは、調月考知郎という日本人なので、ひとまず彼の生活圏内を中心に調査する。


 そうしてざっくり調べた限りでは、やはり事前調査の結果と同じだった。

 考知郎の身辺調査も行ってみたものの、どこにでもいる平凡な高校生で、あのアカシックがわざわざ選んだ理由が全くわからない。

 やはり特に意味など無いのだろう。そんなことを思いながら、その日の調査を終え、拠点代わりにしているビジネスホテルへ戻ろうとした時、突然バイクが殺人的な急カーブをしながら俺の前に現れた。


 バイクには「転生を受け入れよ」、「救いは異世界にあり」と狂気的文言が書かれた2本ののぼりが立てられていた。

 バイクに跨る男が穏やかな、しかし正気を失った眼差しを向ける。


「安心なさい。この轢殺は神の思し召しです」


 まいったな、あれは発狂異世界マニアックだ。この並行世界には、異世界転生こそが唯一の幸福と考えて手当り次第に轢殺している狂人が存在する。やつはその一人に間違いない。

 フルスロットルでバイクが襲いかかる!

 当然、俺もだまって轢殺されるわけにはいかない。フォースエナジーを心臓と肺に送り込み、活性心肺法で身体能力を強化しようとした。


「!?」


 どういうことだ、活性心肺法の効果がほとんど現れない!

 想定外の事態に動揺した俺は、突進してくるバイクを避け損ない弾き飛ばされる。

 アスファルトの上に叩きつけられ、骨が何本か砕ける感触が伝わってきた。

 まずいぞ、活性心肺法どころか護身用のバリア装置まで効果が低下している。


「いけませんなあ、神の救いを拒否するから無用な苦しみを受けるのです」


 男がバイクの前輪を持ち上げる。


「死ねえええ!!!」


 前輪がギロチンのように俺の頭に振り下ろされようとした瞬間、男は不可視の力によってバイクごと横にふっとばされた。


「危ないところだったわね」

「アカシック?」


 なぜ彼女がここに?


「この並行世界ではフォースエナジーに強力なジャミングがかかっているのよ。使うにはちょっとした工夫が必要ね」


 アカシックがそっと俺の体に触れると、痛みが嘘のように消えていった。立ち上がろうとしても、どこにも異常はない。砕けた骨が完璧に治癒されている。


「せっかくだし、どこかでお茶でもしない?」


 アカシックは偶然街で友人と出会ったかのように言ってきた。


●Tips

ライゼンダー

 並行世界調査機関に所属する調査員。その正体は第2並行世界における黒井鋼治。

 実はトラベラーが自分以外の男と行動をともにすると聞いて冷静さを失っていたため、第472並行世界の調査任務が来るまでは、頭を冷やすために待機命令を受けていた。

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