第22話

 王宮地下にある大浴場はディーンの曾祖父にあたるアープが設計し、地下水を汲み上げる過程で魔法で熱せられ、湯になった状態で水栓から出てくるようになっている。そのため湯を溜めてから沸かす必要がなく、栓を開放しておけば常に湯が供給されるため沸かし直す必要もない。水のまま出てくる水栓もあり温度調節は水と湯の流量で調整する。入浴しながら自分で調整できるため、人の手を煩わせることもない。

 いつもはディーンがひとりで入浴しているのだが、今はリグルと二人で湯船に浸かっている。

「そういえば子供の頃にこの大浴場に入ったことがあったよね。父上達と一緒に」

 にわかに塞ぎ込んだディーンの気を紛らわせようと思い出話を振ってみても、反応はいまいちだ。二、三、話題を振っても様子は変わらなかったので、リグルはそっとしておく方向に切り替えた。

 二人で入るには広すぎる浴場は静まりかえり、水栓から湯が注ぎ込む音だけが響き渡る。

「リグルはどう乗り越えたんだ」

 父を殺され、母を目の前で失った虚無感を。

「乗り越えてなんかないよ」

 意外な返答にディーンが顔を上げる。

「だってまだあれから半年かそこらで乗り越えられる訳がないよ。今でも母上を助けられる方法があったんじゃないかって何度も思う」

 父が刃を受け入れたのは、それが彼の騎士道の上にあったからだ。けれど母はどうだろう。視力を奪われ、戦いの最中に足手まといになりたくないという思いもあっただろうが、それはすなわち──自己犠牲ではないか。

 それ以外の道を母に示すことができなかった。その未熟さが何度も悔やまれる。

「……そうなのか」

「そんなに平気そうに見えるのかな。あんまり心配させないようにとは思ってるけど」

「エリスは両親……いや、母はいなかったんだな……父の姿を見てどうだった」

 封じの塔を脱出した時、ベルティーナが『アープは天に還った』と言っていた。それは明確に死亡を確認したということだ。同じ場所に居合わせたエリスもそれを見たはずだ。

「本当にリーヴおじさんかどうか確認してたよ。びっくりした」

 実際には遺書にあった粉を探して白骨化しかけたリーヴの遺体を躊躇せず探ったのだが、それを説明するのも心苦しいのでそういうことにしておく。

「でも、夜はよく泣いてたみたいだったから……」

「泣き虫は変わらないか」

「うーん。俺の前では意地張って泣かないから……」

「リグルがいなくなった後、エリスの泣きようは本当に凄かったんだぞ。泣いて泣いて、何もできない泣き虫だから置いて行かれたと結論づけたらしいからな。もう二度と置いて行かれないように必死なんだろう」

 微かにディーンが笑った。

「何でそういう結論にたどり着いちゃったのかな……」

「突然だったからな。何か理由が欲しかったんだろう。それで、エリスは迷惑をかけていないか? 剣を二本も下げていたが、何かわがままを言ったんじゃないのか」

「まさか。エリスがいてくれて良かったって思うことばかりだよ」

「そうか。それならいいんだが」

 表情を緩ませたディーンにつられて、リグルも笑った。

「ディーン、あんまり長湯すると身体に障る。背中を流すよ」

「リグルまでそんなに心配しなくても、身体くらい自分で洗える」

「ほら。子供の頃一緒にお風呂に入って、背中を流しただろ。なんか懐かしいなって」

「……ああ、そんなこともあったな。じゃあ、お願いしようか」

 子供の頃に何度かこの大浴場に入ったことがある。ルーク王とリグルの父ウュリア、リグル、ディーンの四人で一緒に入り(なお言い出したのはウュリアである)、後でディーンの父リーヴに見つかり大人二人がこってりと叱られ、一緒に入りたかったとエリスが大泣きして子供二人は機嫌を取るのに大変な目に遭っている。

 身体を洗いながらそんな思い出話をしている内に、気が紛れたのかディーンの表情が明るくなった。

「じゃあ、背中を流すから向こうを向いて」

 リグルの言葉にディーンは素直に従い、背中を見せた。元々華奢なディーンの背中にところどころ傷跡が残っている。反乱軍として戦っていた間の傷はエリスが癒やしていたはずなので、それ以前の傷なのだろう。白くて儚げな幼馴染の背中を、リグルは優しく洗い流した。


 リグルとディーンが風呂場から部屋へ戻ろうとすると、扉のすぐ横でエリスとアレクが談笑していた。気がついたエリスがディーンに駆け寄る。

「あのね兄さん、私自分で魔法を編み出したのよ」

「へえ、凄いな。今度私にも見せてもらえるのかな」

「ふふ、今見せてあげる」

 エリスがディーンの乾ききっていない髪に手を近づけると、ふわりと金色の髪が風に踊った。頭頂から毛先に向けて髪を撫でるように手を動かすと、それに合わせて髪が舞う。

「……風の魔法?」

「そう! 手の周囲を温かい風が回ってるのを想像して。その状態で髪を撫でるようにすると髪に風が当たって早く乾くのよ。夜遅くにお風呂に入ると寝るまでに髪が乾かないじゃない? だから何とかならないかなあって色々工夫して……」

 ディーンの髪を乾かしながら誇らしげに語るエリスを眺めていると、その向こうからアレクの視線が飛んできた。

 濃茶の瞳と視線がぶつかる。

 リグルが小さく首を横に振ると、濃茶の視線はすぐに逸れてエリスに向かう。

「おう、エリスも早く風呂に入れよ。今日は色々疲れただろ」

「え? うん、私はここの大浴場は使ったことがないから、どこに何があるかだけ教えてもらえる?」

「ああ、じゃあ説明だけするか。ディーン、お前は今日は早く寝ろよ」

「本当にアレクは心配性だな……」

「あーん? 何か言ったか?」

「いや、別に」

 行こうか、と歩き出したディーンの後を追うようにリグルも歩き出した。


   ***


 反乱軍最年少として後方支援に当たっていたルティナは、自室のベッドで亜麻色の髪を震わせながら縮こまっていた。

 一瞬しか見えなかった。

 けれど、確かに目が合った。

 忘れもしない銀髪は、少し伸びて後ろで小さく結わえられていた。

 自分の声に気付いて振り返り、何かを言おうとしていた。

 彼は自分を確かに認識していた。

 手が震える。息が止まるかと思った。

 もう二度と逢うことはないと思っていたのに、こんな形で再会してしまった。

 あの日──反乱軍が女王を討ち取ったあの時。歓喜に沸く中でリグルに「王の墓前に花を供えて欲しい」と頼まれた。特に何の疑問も抱かず、ルティナはリグルに言われた通りに、白い花を抱えて王宮の裏庭にあるルーク王の墓へと向かった。

 王の墓にたどり着いた時に見たものは、喉から鮮血を飛び散らせながら崩れ落ちた銀髪の翡翠騎士団長だった。

 咄嗟に駆け寄って治癒魔法をかけた。エリスと違い傷口を塞ぐのが精一杯だったが、ラスフィールは一命を取り留めた。放置することもできず、ルティナはどこか人目の着かないところに運ぼうとして──意識のない、甲冑に身を包んだ大の大人を担ぐことなどできるはずもなく、四苦八苦しているところをアレクに見つかった。

 女王の亡骸を抱えて立ち去ったラスフィールが後に復讐に現れないかと危惧したアレクは、ひとりで王宮内を探し回っていた。ようやく見つけたかと思えば仲間であるはずのルティナがラスフィールを助けているのである。血相を変えてルティナを止めた。

 お前自分が何してるか解ってんのか!?

 血の気のない顔で眠るラスフィールの首を掻き切ろうとしたアレクを、泣いてすがってやめてくれと懇願した。無我夢中だった。しばらく言い合いを続けて、それでも身体を張ってラスフィールを庇うルティナに、アレクが折れた。

 見つかったらどうなるか解ってるのか、見つかっても俺は助けない、もし助けたことで災いとなった時には責任を取れと念を押されて見逃してもらった。

 最終的にはルティナひとりでは運べないため、台車に適当な荷物と一緒にラスフィールを乗せ、上から布をかけてアレクがルティナの家まで運ぶのを手伝った。

 ラスフィールが目を覚ましたのは数日後で、夜の闇に紛れてどこへとも知れず旅立っていった。それだけ報告するとアレクは二度とこの件には触れなかった。何故助けたのかも聞かれなかった。

 復讐のために戻ってくるかも、という恐れは不思議と抱かなかった。抜け殻のようになってしまった彼はもう翡翠騎士団長ではなく──生きる気力を失った、ただ死んでいないだけの人だった。助けたところで、またどこかで同じことを繰り返すような気がしていた。もし戻ってきたとしても、ジルベールに彼の居場所はどこにもない。

 だからもう──二度と逢うことはないだろうと思っていた。

 アレクが見逃してくれたのも、恐らくここには戻らないと思ったからだろう。

 それなのに、ラスフィールは戻ってきた。

 手が震える。息が止まりそうになる。

 ラスフィールは縛られていた。彼は罪人として捕らえられたのだ。何故戻ってきたのだろう。リグルとエリスが戻ってきたことと何か関係があるのか──何も知らされていないルティナは震えるばかりだ。

「責任は取ってもらうからな」

 悲鳴を上げて逃げるように部屋を後にして、追いかけてきたアレクにそう言われた。

 背筋が凍るかと思った。戦い以外でアレクのあんな冷たい声は初めて聞いた。

 今後食事の用意はエリスに任せるから、明日の朝食の用意をする時にエリスに引き継ぐよう言われ──その後のことは明日指示するとだけ言われた。

 どうすればいいんだろう。何をさせられるのだろう。

 身体中が火傷の痕のようにひりひりする。

(どうして帰ってきたんだろう……どこか遠いところで元気にしてくれれば、それで良かったのに……)

 頭から毛布を被って目をぎゅっと閉じても、瞼の裏に焼き付いた銀髪がいつまでも離れなかった。

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