第10話

 窓を開けると周辺は静まりかえっており、警鐘は思ったよりも遠くで鳴っていた。周囲の建物を見てみてもしっかりと戸締まりをされたままで、中から様子を見に来る住民はいない。この宿屋の主人も朝まで開けないと言っていた。騒ぎが起きたときはその区画内で収めろということだろう。

 リグルの視界の端に、静まりかえった暗い路地を駆け抜ける影があった。フードを被った後ろ姿ではおおよその人物像さえ摑めないが、まっすぐに警鐘の鳴る方へと走っていく。

「エリスは部屋で──」

「行くの?」

 窓から身を乗り出したリグルの背中に、小さな声が柔らかに刺さる。続きの言葉を飲み込んで、リグルは身体ごと向き直った。

「私も行く」

 リグルの言葉を制するように、エリスは剣を佩いて漆黒の瞳を見つめた。

 幾許かの沈黙の後、

「分かった。一緒に行こう。でも決して無理はしないって約束してほしい」

 リグルの言葉にエリスが頷く。

「それから、できれば極力見て分かる魔法は使わないでほしい。ここの人達が見た目で差別しないからといって、魔法に理解があるとは限らないからね」

 言われてエリスははっとした。ドワーフの森ですっかり慣れてしまっていたが、ここではリグルの黒髪を気にする人はいなかった。

 ここはいろんな地方から商人達が集まる場所だ。下手に初対面の相手に悪印象を与えるような態度を取って、取引の機会を失うような愚は避けたいのだろう。だが未知の力に対しては別だ。ジルベールのように魔法に少なからず偏見を持った者がいるかもしれない。だがだからといってそのために危険に晒されてまで魔法を隠す必要も無い。

「うん、分かった。でもどうしようもなくなったら魔法は使うし、いざとなったら転移魔法で逃げるから」

「そうしてくれると助かるよ。じゃあ行こう」

 しっかりと弁えているエリスに軽い驚きと頼もしさを感じながら、リグルは窓に足をかけた。宿屋の主人は戸締まりをしたら朝まで開けないと言っていた。ならば窓から飛び降りるしかない。

 リグルの背にエリスの手が触れた。ふわりとした温かさを感じながら、窓を蹴って飛び降りる。そのすぐ後にエリスが飛び降りる気配を感じながら──自分の足が着地する手前で一瞬速度を緩め、羽のように軽やかに着地した。

 すぐ隣に着地したエリスを振り返れば、にこりと笑っている。

 そういうことかと頷き、リグルは警鐘の鳴る方へと走り出した。エリスもすぐ後を追う。 近づくにつれ物音や叫び声が聞こえてきた。叫び声の大きい方に向かう途中、何かが割れるような音が響く。続いて、ひときわ大きな叫び声。

「気を付けて」

 リグルの声に頷いて、エリスは彼に続いて裏路地から大通りへと出た。

 そこは商店が軒を連ねる通りなのだろう。様々な看板を掲げた店が並び、大きな一枚ガラスの窓の店もいくつかあり──その窓ガラスが外側から割られていた。駆け寄ればすでに店は荒らされた後で盗賊の姿はなく、店主は盗賊を追ったのかそこはもぬけの殻だ。

 二人が周囲を見回すよりも早く、争う声がした。革の鎧を着た男と荷物を抱えた男、それに殴り合う──否、一方的に殴る男と殴られる男だ。三人の盗賊と、先程の店の主人だろうか。一方的に殴られていた店主と思しき男は膝をつき、それでも逃がすまいと盗賊の足にしがみついた。革の鎧の男が顎で指図すると荷物を抱えた男はその場を走り去り、革の鎧の男はぎらりと剣を抜いた。

「待──」

 リグルが地を蹴るより早く、剣は革の鎧の男の手を離れて弧を描きながら空を舞って地に転がった。

「お、お前は──」

 路地から一陣の風のように現れた影は、驚愕の表情を浮かべた男に言葉を返すこともなく、男の剣を払った刃を返してそのまま革の鎧ごと男の左肩から斬り裂いた。

「騎士、団長……」

 傷口から勢いよく血を吹き出して、革の鎧の男はぐらりと傾いだ身体を地に横たえた。

「ひ、ひいいっ」

 一方的に殴っていた男はもう動かない店主と思しき男に足を摑まれたままで、逃げることも覚束ない。仲間が己の血の池に沈んでいくそのすぐ傍らで、血に濡れた長剣を下げた男が振り返るのを見た。

 目深に被っていたフードが外れ、露わになった銀色の髪は夜の闇を照らす月のようだった。冷たく深い蒼の双眸が男を見据え──蒼が紅く染まり──それが盗賊の見た最期の色彩だった。

 夜の闇を鮮血で染めた銀髪の剣士は、血を払って剣を収めリグルを振り返った。

「どうしてお前がここにいる」

 抑揚のない冷たい声を投げつけられながら、リグルは顔を輝かせた。

「ラス! やっぱり!」

 リグルの嬉しそうな声を聞きながら、エリスは困惑していた。

 ラスフィール・アルシオーネ──ジルベール国王の近衛兵でもある翡翠騎士団の団長であり、独裁の女王ロゼーヌの忠実な臣下であり、リグルの兄弟子であると同時にその師匠を──すなわちリグルの父を斬殺した仇でもある。

 先の戦いでリグルに討たれた女王の亡骸を抱いて姿を消した彼が、何故ここにいるというのか。そしてリグルがそれを予想していたのも混乱に拍車をかける。

「積もる話はまた後で。先にこっちを片付けないと」

 店主と思しき男は気を失っていたが、なお盗賊の足を離さなかった。

「エリス、回復魔法を」

 リグルの声にエリスは一旦考えを脇に置くことにした。うずくまって気を失ったままの男性に回復魔法をかける。見て分かる範囲の痣や傷はすべて消えたが、目を覚ます気配はない。

 介抱をしている時間はなく、三人は荷物を抱えた盗賊が逃げた方向へ走り出した。

 先程の様子を見た限り、盗賊は三人一組で行動している可能性が高い。三人いれば押し入った家の家主の反撃に遭ったとしても武装した二人が戦っている間にもうひとりが荷物を持って逃げ出すことができる。恐らくはその後、荷物を確実に持ち帰る手段を考えているはずだ。

 統率された盗賊で軍隊のようだったらしい──。

 カディールの言葉がよみがえる。

 抵抗も追跡も計算された上での略奪だ。素人の場当たり的な抵抗など意味を成さない。

 夜の静寂を裂く物音や声を頼りにいくつかの路地を曲がると、領地を囲う塀の前にひとだかりができていた。各々、棒であったり剣であったり、簡易的な武器を手にしているがその場に立ち尽くしている。その視線の先には塀の上に立つ男が抱える少年がいた。刃を首筋に当てられ声もなく怯えている。

「人質……!」

 歯噛みする民衆の前で、盗賊達は悠々と盗品を詰めた袋を紐に縛り付けて塀の上へと引き上げていく。よく見れば塀の上には滑車があり、塀の外側には仲間がいるであろうことが窺える。

 塀の高さは二階建ての建物より少し低い程度だ。梯子をかければ上れなくはないが、塀の上の盗賊に梯子を蹴り倒されれば終わりである。

 塀の上の盗賊は三人。ひとりは人質を取っている革の鎧を着た男、残る二人は荷物を回収する係と思われる。先程の男と同じ鎧であることが気になったが、今はそれを気にしている場合ではない。

「敵は三人。人質救出が最優先、無理に倒さなくても塀の外に蹴り落とせばいい。エリス、転移魔法で三人、塀の上に飛ばせる?」

「この距離なら問題ないわ。でもどこに?」

 盗賊達の間には距離がある。敵は三人、こちらも三人だ。一対一で戦うとして──

「私をあの人質を取っている男の正面に」

 ラスフィールが鎧の男を睨み付けたまま低い声で言った。

「じゃあ、俺をその手前の滑車のところにいる男の前に。エリスは残りのひとりを任せていいかな」

「分かった。位置がずれるからひとりずつ飛ばすわ。時間差は五秒くらい」

 リグルとラスフィールが剣を抜いた。エリスもここで初めて破邪の剣を抜いて、左手を高く掲げる。

「転移の風よ! 連れて行って!」

 一陣の風が最初にラスフィールを連れ去った。その直後にリグルが、最後にエリスがその場から消失する。

 ふと足下に不自然な風を感じて、鎧の男は視線を民衆から足下へと移動──するよりも早く、その声が耳に届いた。

「よもやこの顔を忘れた訳ではあるまいな」

 目の前に忽然と、銀髪の男が現れた。忘れるはずもない、銀色の髪に蒼い双眸、彫像のように整った顔立ちに表情らしきものはなく──

「騎士団長……っ」

 一瞬の戸惑いの隙に手にしていた剣は弾かれて空を舞い、そのまま塀の下へと落下した。

 鎧の男が「あ」と声を出すのとほぼ同時、ラスフィールの剣が革の鎧ごと男の胸を貫いた。男の腕から力が抜ける前に少年を奪い、左腕に抱えたまま剣を男の胸から引き抜く。

「お前のせいで……」

 最後まで言い残すことなく、男はがくりと膝をつき、剣の後を追うように塀から転がり落ちた。

 その様子を見下ろすラスフィールの背後で、リグルが男をひとり塀の外に蹴落として、エリスと対峙する男の背後から斬りかかる。

 ラスフィールが塀の上に転移してから十秒遅れて転移したエリスは、すでに先の異変を察知していた男の不意を突くことができず、先手を取れなかった。斬りかかられ、かろうじて躱したところにリグルが加勢する。

 塀の上で挟み撃ちにされた男は身を転じてリグルの刃を受け、バランスを崩して足をよろめかせた。今度はエリスが男の背後から斬りかかる。

 さすがに狭い場所での挟み撃ちは不利と見たか、男は塀の外側へと飛び降りようとした。逃がすまいとしたエリスが男を追おうとして体勢を崩し、それでも男の腕を斬りつけた。骨を断つほど深くもないが、二の腕に明確に傷をつけた。衣服に血が滲み、

「うわああああっ!」

 傷の深さに見合わない量の血を柱のように噴き出しながら落下した。

「え……何……どういうこと……」

 呆然とするエリスの前で、男は地表に落ちるまでの間に全身の血を噴き出したのではないかと思える程の出血をし、周囲を鮮血に染め上げた。

 塀の外側に待機していた盗賊の仲間達がざわめき、リグルとラスフィールは呆然と地に落ちる男を見守ることしかできなかった。

 エリスの脳裏に、ギズンの言葉が鮮明に甦る。


 だから間違って人間が刃に触れようもんなら、かすり傷じゃすまないよ。逆に言えば魔物にかすり傷でも負わせられれば、相手は無事じゃ済まないってことさね──

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