第5話 玉座

 六人がかりで私は玉座に据えられる。実際の時間は私にはわからないが、除夜の鐘が鳴り出す前、七時くらいだろうか。私のお尻の下、玉座の真ん中には、私の便が吸い込まれる穴が開いている。私の魂さえも吸い込んでいきそうな真っ暗な穴に私は怖気を覚える。私は拘束具を着せられてベルトで玉座に固定されていて、もうその穴を見ることはできない。ひんやりとした風が私のお尻をなでると、薬で朦朧とした頭でも不思議と自分が生きていることを実感する。


 本堂には十三個の玉座があり、それぞれ一人ずつ、つまり十三人の女王が座っている。下界には百八十人の臣下が女王達を遠くから取り囲み、臣下の作る円の中に、千人の僧侶達が座っている。ここに来ている事務所の職員達は、社長の言う「選りすぐり」であって、アイドルに対する熱い信仰と、冷たいプロ意識を併せ持ったエリート達だ。そして、お坊さん達は、皆秘密を守ったまま、この寺に死ぬまで残り続ける修行僧だ。

 さっきまでの騒々しさはもうない。静けさが本堂を支配する。

 やがて、最初の除夜の鐘が鳴り、読経が始まった。

 同時に広い広い武道館に十三人のアイドルが一斉に悲鳴をあげる。一年に一度の排便が始まった。

「ああああああああああああああっ!!」

 声と共に何かが飛び出していきそうになる。私は必死でそれを押さえようとするけれど、止められない。やがて、叫び声が背景となり、すべての感覚は溶けだして、自分が何かをしているという思いはなくなる。最初はひどく恐ろしく、恐怖が全身を包み強張るが、やがて安楽がやってくる。自分が一つの管になったような錯覚に陥る。自分が、隣に浮かぶ糞尿タンクの付属物のような、そんな絶望的な気持ちがやってくる。

 私のお尻からは絶え間なくうんこが流れ出していた。激しい圧力が肛門にかかるが、改造された私の肛門はすべてを受け止める。内肛門括約筋と外肛門括約筋は最大まで肛門を広げ、外肛門括約筋は随意筋でありながら、今は私の支配を免れている。

「うっううう……ああっ! ああッ! いっ! うぅぅ! あああああ……!」

 知らず涙が流れる。薬と手術により痛みは消されているが、体は何らかの信号を受けているのだ。私ではなく、身体が泣いているのだと思おうとした。こんなものじゃない。私が、涙を流すのは。流す時は。

「ぃぃいいいいぃいっっ! っつ! ひっ! はぁっ! はぁ……はぁ……あ! ああっ! あああああっっ! うぅぅ…うっ! あはぁっ! はぁ! はぁ! ああああああああああっ! うううっっ……。ああっ! あっ! あっ! いぅっ……! ううぅう……ああああっ! はぁぁあああ!」

 

 

 永遠とも一瞬ともつかない時間が過ぎ、唐突に終わる。年はもう明けたのだろうか。この寺でも除夜の鐘が鳴っているはずだけれど、ひとつも聞こえなかった。最後の一打を除く、除夜の鐘が突き終わる頃まで、私達の糞尿は尽きない。

 私は涙も鼻水も涎も出すだけ出して、玉座で荒い息をついていた。ウォシュレットの水が私の肛門を念入りに洗っている。いつの間にか、寺山さんが一人登ってきていた。寺山さんは何も言わずに私の顔を拭いた。

 終わった。そしてまた始まるのだ。この大晦日の夜、何者でもなかった私が、再び接続されていく。

 これで、今年も私は……。

 ドォン! という大きな音が、疲れと安堵で眠りそうになった私の意識を一瞬で現実に戻した。

「何……今の?」

 寺山さんが辺りを見回す。

 今の音は……爆発音だ。

 そこからの寺山さんの行動は素早かった。まず私の座っていた便器の下についていたボタンを押すと、玉座の樽の上面の円周から透明の柵がせりあがってくる。私は寺山さんに肩を借りて、柵の側に伏せる。いつの間にか、寺山さんの手には銃がある。

 そして、私達は、信じられないものを見る。

 本堂の正面の壁、信じられないほど大きな壁が燃えていた。

 最初は少しずつ、下の方から煙が上がっていき、やがて真っ赤な火が壁を侵食していった。

「燃える……」

 それが誰の言葉かわからない。私が言ったのかもしれない。

 燃えていた。壁が凄まじい勢いで燃えていく。

 私達の世界を食い破るように。

 


 下界には混乱が広がっていた。逃げる人、それを抑える人、ただ呆然とする人、火を消そうと走り出す人、火に向かって読経を続ける人……。怒号と悲鳴とお経、パチパチと木の燃える音が本堂に溢れた。

 私はそれを何故か他人事のように見つめていた。

 それはどこか終末の景色のように思えた。映画のようだった。

 隣の寺山さんも、言葉を失ったように、それらを見つめていた。しかし、すぐに冷静さを取り戻していった。

「さくらちゃん、あと少し落ち着いたら、ここから降りて避難します。いいね」

 私は寺山さんに視線を返すことしかできない。

「さくらちゃん、返事!」

「は、はい!」

「……そう。落ち着いてね。大丈夫だから」

 そうだ。大丈夫。私のいる世界は、こんなことで壊れはしない。

 けれど、そんな仮初の安定は、簡単に破られる。

 ドォン! と二回目の爆発。今度は、前より大きい。

 音をした方を向くと、灰色の煙が晴れて、左手の壁に穴が開いているのが見える。そして次に銃声。瞬間、私の身がすくむ。

『あー、あー……』

 われた拡声器越しの声が、本堂に響いた。

『我々はスカベンジャー。突然で申し訳ないが、あなた達の腐敗した信仰をついばみにきた。そして、お姫様達に告ぐ』

 その声は冗談のようで、しかし真剣な声音で発せられた。

『君達を普通の女の子に戻してあげよう』


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