第3話 原初のアイドル

「私がアイドルである理由……」

 私の問いに、柚子さんは直ぐに答えずに、答えを探す時の癖で髪を耳のうしろにかけてから、十分に間をとってから答えた。

「私にとってのアイドルは、やっぱり仕事」

「それって、職業とかって意味ですか」

「職業……というかもっと抽象的なものね。人間に必要なものとしての仕事。それを私はたまたまアイドルとしてるだけ。でもそれは実は、学校の先生でも良かったし、看護士でも良かった。私、実はやりたいこととかないのよ」

 私は目をぱちくりとさせる。この人ほど多方面に趣味を持つ人はいない。

「書道とかも、全部、仕事としてやってるってことですか?」

「そうじゃなくて、いや、そうなのかも……」

 柚子さんは口に手を当てて真剣に考えている。

 こんなこと人に言うの初めてなんだけど――と前置きして柚子さんは言った。

「私、何かやってないとダメなの。ダメになるのよ」

 ダメになる? ダメって言葉がこれほど似合わない人もいないけれど。

「何かをやっているときだけ、とても心が落ち着くの。やるべきことを、やるべきときに、やる。それの達成感と安心感だけが私の行動原理。何かをするって、しんどいでしょう? 私だって面倒なのは嫌い。何もやらないのが一番楽だと思う。でも、何もやっていないとき不安で不安でどうしようもなくなる。私が生きていることすら、無駄のように思えてくる。だから、私はやるべきことを探してでも、それをやるの。私のやりたいことは、やるべきことがあって、それをやること。それだけなの」

 そう言った柚子さんには気負いも卑屈さもない。きっと、ずっと前から自分で考えて、たどり着いたことなのだ。

「どうしてアイドルになったかっていうのは、私の場合、たまたま、やるべきことに『アイドルになること』があっただけ。それは私のお母さんの望みだったから」

 柚子さんのお母さんは、去年まで柚子さんのマネージャーをやっていた。とても綺麗な人だったが、柚子さんには厳しかった。たまたま番組で共演したときに、番組終わりに、柚子さんを叱りつける姿を見たことがあった。

 もしかして、今の柚子さんを作ったのは、お母さんの影響もあるのだろうか。

 私は思わず聞いた。

「苦しくないですか」

 柚子さんは、一片の曇りもない微笑みを浮かべて言った。

「全然。さくらさん、私はこれが楽しいし、これ以外のことがないの」


「さくらさんは難しいこと考えますねぇー」

 高速に腕立て伏せをしながらトーチは言う。

「でも柚子さんの話は、相当特殊な部類だと思いますよ。まあ柚子さん自体、特殊な人じゃないですか。いや、変な意味じゃなくて! すみません、あたし言葉知らなくて!」

 いいよと微笑む柚子さん。柚子さんはとても優しい。

「確かに、柚子さんは稀有な人材ですね」

「やめて、さくらさん」

「そうです。ケウな人なんですよ、柚子さんは。でも、あたしなんかアイドルになりたい理由なんて単純ですよ。可愛く着飾って、可愛い歌を歌って、みんなの前に立ちたいってそれだけです。ていうか、みんなそうなんだと思ってました」

 そう言って、トーチは不思議そうな顔をする。

 私は、そんな女の子らしいトーチの方が珍しいのではないかと思うが、何かに毒されているだけかもしれない。

「正直、トーチがそんな乙女チックな願望を持ってるなんて意外だった」

「そうねえ」

「さくらさん、ひどいッス。柚子さんまで……」

 器用に片手で涙を拭くまねをしながらも腕立て伏せのペースは変わらない。こんな鉄みたいな腕をしているからそう思われるのだ。

「あたしが体を鍛えているのはアイドルを続けるための手順ってだけです。もちろん柚子さんみたいに仕事って割り切ってるわけでもないですけど。たとえば、お風呂に入るとき、やり方が決まっているでしょう? まずは頭を洗ってとか、いや体からとか。そういう手順があって、その通りにやれば体が洗える。格闘技はあたしにとって、手順です。手順の先に、綺麗な女の子としてのあたしが現れるんです」

 それは矛盾しているようにも思うが、アイドルとしてのトーチを知っている私は、それが成立することを知っている。闘うトーチは美しい。アイドル格闘技は、キャットファイトや女子プロレスの流れを組むエンターテイメントとして始まって、徐々にマニア向けのリアルファイトに傾いていく。それはアイドルの身体能力が、通常の人間より高いからだ。暴走したファンや犯罪から身を護る為にアイドルの身体能力は改造手術で高められている。私も柚子さんも実は格闘技の鍛錬を受けているが、人体改造が公的に認められていないことと、イメージ戦略により伏せられている。でも、トーチのような格闘アイドルは基本的にリミッターはない。格闘アイドルはエンターテイメントに徹する必要なく、その身体と技で観客を魅せられる。その中で、トーチは一際輝いていた。空中を飛び、縦横無尽にリングを駆け抜けて、華麗でダイナミックな技を決める。

「あたしは可愛くて綺麗な女の子でいたい。それって、アイドルでいたいってことですよね。あれ? 違うかな。アイドルじゃなくても、可愛くて綺麗な女の子はいるけれど、あれれ。わかんなくなっちゃった」

 トーチの言うことは間違ってはいないだろう。可愛くて綺麗な女の子はアイドルじゃなくてもたくさんいるけれど、世界で一番可愛くて綺麗な女の子はアイドルだろうという確信がある。だから、トーチがアイドルを目指すのは間違ってはいない。

 柚子さんはどうかわからないけど、多分私やトーチの頭の中には既に、一人の一番可愛い女の子の姿がある。

 たった一人で第五次アイドルブームを引き起こした原初のアイドル。私達のプロトタイプにして、永遠に到達できない神の鋳型。

 蒼木イデア。

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