第20話 大っ嫌い!
「どういうことだ」
二度目に尋ねた向井家にて、龍生は唖然とそれを見つめた。
隠すことが億劫になったのか、Tシャツ姿になった紗良の腕にびっしりと若芽が生えている。
両腕、両足、首筋。
至る所から伸びる新芽は、たった数日の間についた嘘の数を物語っていた。
「どういうことです」
思わず険しい声で、龍生はドアの前にいる母親に問いかけた。
「発見されてからまだ二週間も経っていません。こんなに早く進行するなんて」
首筋から伸びる若芽はもう芽の域を超えて若木になろうとしている。
段階としては【中期】だ。
約三ヶ月に一段階ずつ進んでいく嘘花の寄生速度からすればこの進行は異例なほど早かった。
「分かりません」
頑なに部屋に入ろうとしない母親は、紗良を見もしない。
分からない、というよりは理解することを放棄しているのだろう。
この母親にとって紗良は家族ではなく異物となってしまったようだ。
──怒るな。
苛立ちにも似た感情を抑え込むために、龍生は一度息を吐いた。
怒るな。家族が嘘花に寄り添わないことは、将来的な観点からいっても責められるべきことではない。
それは逃亡や隠蔽の可能性を下げ、嘘花の根絶に寄与する一歩となるからだ。
母が娘に寄り添わないこととは意味が異なる。
自分自身に言い聞かせていると、ふいに隣にいた伊織が動いた。
まっすぐに伊織に近づいて、かがみ込む。
こちらの話には興味がないのか、手の中のスマホをぽちぽちと叩いていた紗良が訝しげに伊織を見上げた。
「死期を早めますよ」
聞き逃してしまいそうなほど小さな声でそう言うと、伊織が紗良の手からスマホを取り上げる。
「ちょっと!」
反射的に取り返そうとした紗良の動きを素早く躱して、伊織が龍生のところまで後退してきた。
「寄生の早さの原因はこれでしょう」
伊織が龍生にスマホの画面を見せる。
開かれていたのはライアと呼ばれるコミュニケーションアプリだ。
グループでの会話も可能で、紗良も複数人の学校の友人達とやり取りをしていたらしい。
映し出された会話を一目見て、龍生は苦々しく眉を寄せた。
『紗良、いつ学校に来るの?』
『風邪って言ってたけど本当? ずいぶん長くない?』
『まさか不登校ってやつ?』
心配と好奇心の混じったコメントの後に、紗良のコメントが続く。
『風邪は治ったんだけど、皮膚の病気に罹っちゃって。外に出られないんだ』
風邪という嘘が破綻しかけ、皮膚の病気と嘘をつく。
「お見舞いに行こうか?」というメッセージには、「感染するかもしれないから」と更に嘘を重ねていた。
「嘘とは発話だけを指すのではありません」
伊織が淡々と説明する。
「文字も、ボディーランゲージも嘘は嘘。当然、ネット上でのやり取りでも嘘があれば嘘花の養分となります」
その通りだ。
伊織の言うことは、保健所が渡すガイドブックにも記載されていることである。
しかし普通、嘘花となった者達はできるだけ嘘を避けようとするため、紗良のように著しく進行を進めるような使い方をする者はいなかった。
それどころか内容を吟味して会話できるライアやそれに類するSNSツールは、嘘を回避するために有効なツールとして推奨されてさえいたのだ。
「返して」
伊織が手にしたスマホを睨んで紗良が要求する。
首を振って、龍生は紗良を宥めようとした。
「ネットで繋がることのできる人の数は、学校に行って一日に話す人の数よりはるかに多い。つい最近発芽したばかりだったのに、二週間にも満たない期間で次の段階に移行するなんて、それだけ多く嘘をついた証拠だ。上手に使えないなら、これはご両親に預かってもらいます」
「どうせ嘘を回避できないなら同じことよ」
自暴自棄にも聞こえるその言葉に、何故だか妙な引っ掛かりを覚えた。
何が気になるのか分からずに言葉を選びあぐねていると、先に伊織が口を開いた。
「まだ何か隠していますね」
「は?」
「どうせ、と言いました。どうせ回避できない、と。確かに人が嘘をつかずにいるのは難しいことですが、それではまるであなた自身に選択肢がないように聞こえます」
うるさい、と紗良が呟く。
伊織は構わず考察を続けた。
「文脈から察するに、ライアを使ったコミュニケーションとは別のもの。同じこと、と言うからには会話の機会は多く、一方で突き通さなくてはならない嘘がある。一体誰に」
「やめて!」
突如紗良が伊織に飛びかかる。
咄嗟に割り込もうとした龍生の腕も虚しく、小柄な二人は掴み合いながら廊下に転がり出た。
「志摩さん!」
体格差で言うなら体の薄い伊織の方が不利だ。
あっという間に組み伏せられた伊織からスマホをもぎ取ると、紗良がその場から飛び退いた。
「放っておいてよ! 私の体よ!」
まるで傷つき追い込まれた動物のように紗良が吠える。
「どいつもこいつも勝手なことばっかり! 私に勝手に寄生して、私を勝手に閉じ込めて、今度はスマホを取り上げる! 教えてあげる。学校ってとこはね、あんた達が思ってるほどのんびりした場所じゃないの。誰もがみんな自分と同じものを求めてる。嗜好、言葉遣い、制服の着こなし、成績、価値観、共有している記憶。その全てが一定量一致していないと仲間じゃなくなるの。こうやって学校を休んでいる間だってみんなは同じ記憶を共有している。あの時こういうことがあったよね、こんな話したよねって語り合えなくなることは、仲間でなくなっていくことと同じよ。ましてや嘘花になったなんて、言えるわけないじゃない!」
興奮しながら、それでも紗良は泣かなかった。
龍生を選んで紗良が訴える。
「あんたの言う通りよ。嘘ならついたわ。たくさんついたわ。だけど他にどうすりゃよかったの。風邪だって嘘をついたら、ずっとその嘘をつき通さなくちゃならない。でもコミュニケーションを絶ったら、私は本当に一人ぼっち。そんなの耐えられない」
ぜえ、はあ、と息を切らせて紗良が呻く。
「嘘をつくな? 勝手なこと言わないで。あんたたちが簡単にまとめる反抗期って言葉の中で、私たちは死ぬほど苦労して生きてんのよ!」
体を打つような悲痛な叫びに、龍生はしばし動けなかった。
紗良の母も似たようなもので、息を詰めて娘を凝視している。
時が止まったかのような廊下の中で、伊織だけが冷静だった。
「なるほど上手いすり替えです」
立ち上がって、紗良と対峙する。
「論点をずらして嘘を避けましたね。賢いやり方だと思います」
「何を……」
そこでふと、紗良の目が何かを捉えて丸くなった。
視線の先を追って背後を振り返ると、開け放たれた玄関の前で敦と紫乃が立ち尽くしている。
見られた。
家族がひた隠しにした紫乃に、紗良が知られることを最も恐れた学友に。
敦が譫言のように説明する。
「大きな声がしたからどうしたのかと思って……」
ごめん、と漏らした言葉が引き金になった。
「見ないで」
震える声で沙良が言う。
「見ないで……見ないで! みんな大っ嫌い!」
沙良が部屋に走り込む。
ばたん、とドアが閉められる一瞬。
龍生は泣きじゃくる紗良の首筋からするすると若木が伸びていくのを見た。
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