第6話 塗り替えられていく本能



「つい先日定期観察に訪れた保健所の報告では血液は完全に失われたようだとありますが、痛覚の方はどうですか」


 タブレットに呼び出した保健所の報告を眺めながら真木に問いかける。

 一、二週間に一度、必要があればもっと頻繁に聴取に訪れる特事課とは別に、保健所は三ヶ月に一度の定期検査を行なっていた。

 保健所が行うのは主に人体に起こる変化の観察だ。

 対話から【嘘花】の自覚や精神状態の変化を記録する特事課に対して、保健所は医師や樹木医と連携して人体に起こる変化を記録している。

 三ヶ月に一度というのは、【嘘花】に寄生された者の平均寿命……正確には処分対象となるまでの余命が二年前後であることから算出されたタイミングであった。

 嘘は【嘘花】の養分だ。嘘をつけばつくほど体内の【嘘花】は成長を促進させる。

 逆に嘘をつかなければある程度成長速度を緩めると考えられていたが、この研究は所詮人間と嘘が不可分の存在でると証明しただけであった。

 謀るにしろ、取り繕うにしろ、相手を思いやるにしろ、他者とうまくやろうと発達したコミュニケーション。それが嘘なのだ。

 どんなに気をつけても軽微な嘘を重ねてしまい、結局皆、二年前後で【終末期】を迎えた。


「外部刺激に対する感覚はずっとあるぞ。もちろん痛みも」


 自称優等生であるところの真木が龍生の質問に答える。


「まあ、人間だった頃に感じていた感覚とはだいぶ異なる気はするが」


「どんな風に?」


 不本意にも興味深く龍生は話を掘り下げた。

 先ほどは突っぱねたが、真木の言う通り嫌われ者の特事課が【嘘花】となった者達から十分な情報を引き出すことは難しい。

 ましてやこれから処分されるというセンシティブな状況で微に入り細に入り質問に答える者など皆無に等しかった。

 真木が機嫌よく答える。


「人間の感じる痛みは衝撃に近い苦痛だな。植物が皆そうなのかは知らないが、少なくとも【嘘花】となったこの体で感じる痛みの大半は恐怖に支配されている。受けた刺激は即座に生死の危機として変換されるようだ。移動できず、縫ったり繋いだりすることのできない本来の植物の状態から考えると自然な反応だろうな」


 俺が腕を切られた時は、と真木の双眸に冷ややかな光が宿った。


「あの頃は人間としての痛覚が優先していたからなァ。痛かったぜ。痛くて、痛くて、恐ろしかった。あの恐怖はどっちの感覚だったんだろうなァ。まだ細胞も変化しきってない、人間よりマシとはいえじわじわ出血だってする段階だ。その体にチェーンソーを当てられる恐怖がお前、想像できるか。俺からしたらこいつらの方がずっと化物だ。正義と効率に支配された、気狂いの集団だ」


 真木は振り返らなかったが、明らかにあてつけた言葉に刑務官が前を見つめたまま唇を引き結んだ。


「変わったといえば本能も変わったな」


 ふと思いついたように真木がこぼす。


「どういうことです」


 龍生が尋ねると、考えるように眉を寄せて真木が言葉を探した。

 ここまで寄生が進んでも表情筋は滑らかに可動する。

 最後まで人の顔が残るのは人間の同情を引くため、声を出せるのは嘘をつくためと考察したのは、伊織の論文だったか。

 頭の端で考えていると「たぶん」と真木が口を開いた。


「蕾がつき始めてからだと思うが、種子を残さなければと思うようになった」


「種子を」


「女の体で身篭ったらこんな感じなのかもしれん。これからできる種子を血を分けた子のように感じ、守り、繋げていかなくてはと思うようになった」


 おぞましい、と刑務官が無声音で呟く。

 刑務官とは少し違う理由で、龍生も同じことを思った。

 【嘘花】は宿主の脳を支配する。それはもう長いこと言われてきたことであった。

 雌雄同株である【嘘花】は宿主である人間の性別に関わらず花を咲かせ、実を結ぶ。

 この実について宿主が、「自分の子」と発言するケースは稀なことではなかった。


 ──もし、これが母性なら。


 本能を塗り替えていく【嘘花】の侵略こそ、気味が悪くておぞましかった。


「なァ、御堂。奥さんは元気か」


 唐突に話題を切り替えて、真木が問う。

 心の一番柔い場所を予備動作なしで踏みつけられて、龍生は一瞬言葉を失った。


「ほら、あの脚の綺麗な奥さんだよ。今でも思い出すなァ。暗闇の中間男を受け入れて波打っていた白い肢体も、艶やかな嬌声も。結構ハードなパワープレイがお好きなようだったが、お前夜はちゃんと役に立っていたのか」


 ぎろり、と睨み付けると真木は笑っていた。

 どんな言葉が龍生を抉るのか分かっていての物言いなのだ。いたぶって楽しんでいる。


「……聴取の途中だぞ」


 感情的になればなるほど真木を喜ばせる。動揺を悟られぬよう声を整えたが、下手に長い付き合いの真木に通じるはずもなかった。


「ちゃあんと喋ってやるって。最後にとっておきをな。だから少しくらいこっちの話にも付き合え」


 嗜虐的な笑みを浮かべて、真木が強引に話を進める。


「お前とは数え切れないほど面会をしてきたが、あの夜のことを喋るのは初めてだな」


「俺は尋ねた。あんたが答えなかっただけだ」


 最初の頃、龍生は何度も、何度も真木に事件当夜のことを尋ねた。

 酷いことが起きたが、何か理由があったのかもしれない。認識違いがあるのかもしれない。例えば妻は襲われていただけで、自分は裏切られていないのではないか。

 そんなありもしない希望に縋ろうとして。

 真木はそんな龍生を面白そうににやにやと眺め回すばかりで何も答えなかった。

 それが龍生の想像を悪い方へと押しやっていくのを知っていたからだろう。

 やがて真木に尋ねなくなったのは諦めたからではなかった。

 膨れ上がった疑念を肯定されてしまうのが怖くなったからだ。


「今更聞くことなんてありませんよ。あの夜のあらましは警察から聞いている」


「警察ゥ?」


 あの日と同じ薄ら笑いで真木が首を傾げる。


「奥さんが不倫した。自宅で逢引をしていた。そして強盗に入られ、間男は殺された。お前が知りたかったのはそんなことじゃないだろう」


 みし、みし、と真木がこちらに頭を寄せた。


「あの夜二人の間でどんなやり取りが交わされ、どんなセックスをし、どんな裏切りでお前を嘲笑ったのか、そういうことが聞きたかったはずだ。いや、俺にそれを否定して欲しかったのかな」


 どっと嫌な汗が吹き出す。

 あの頃の柔く、甘く、傷つきやすかった自分が顔を覗かせるようで、龍生は知らず渋顔を作った。


「いい顔だなァ、御堂。俺はなァ、好物は最後にとっておくタイプなんだ。だからあの日のことは今際の際に話してやると決めていた」


 さあ! と真木が鞭打つような声を上げる。


「答え合わせだ、御堂! 二年間、お前が育て続けた疑念に答えてやるぞ!」


 喝采を浴びる役者のように胸を張って、真木が呵々と笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る