第38話 強襲

 「セレンさん――っ!!?」


 サニーの顔が驚愕に染まる。


 「やっぱり、生きてた……!」


 懸念が当たってしまった。やはり、セレンは死んでなどいなかったのだ。

 そして当然、レッドダイヤモンド……“アポロンの血晶”も――!


 「ウォオオオオ!! 殺ス! 殺シテヤルゥゥ!!!」


 恨みの絶叫を上げながら、セレンが極太の触手で窓を殴りつける。ただの一発でガラスが粉砕され、破片の雨がサニーの近くにまで降り注ぐ。


 「きゃっ!?」


 手で頭を庇いながら、サニーは足を引いて降りかかるガラスから逃れる。湯を浴びようと思った矢先にガラスを浴びせかけられるなんて、皮肉が利き過ぎだ。


 「シャアアアア!!!」


 割れた窓からセレンが茨の蔦を侵入させてくる。憎き仇を捕らえんと、それはサニー目掛けて真っ直ぐ伸びてきた。


 「いやっ! やめて!!」


 サニーは身を捩ってセレンの魔手を紙一重でなんとか躱してゆく。そのまま奥の方へ抜けると、脇目も振らず一目散に逃げ出した。


 「待ァァァテェェェ!!!」


 後ろからセレンの罵声が追ってくる。続いて巨体が壁を擦る音と、パリンパリンと連続して窓が割れる音。

 セレンは追ってきている。サニーを追い詰めようと、壁伝いに迫ってきているのだ。


 「はぁっ! はぁっ! シェイドさん……!」


 サニーは振り返らずにひたすら駆け続けた。とにかく早くシェイドと合流しなければ。

 呪いに終止符を打ったと確信していた彼には気の毒だが、自分の背後に居るセレンは現実だ。

 どうにかしなければならない。だが、どうやって?

 ブルー・ダイヤモンドの力は通じなかった。炭鉱のガス爆発でも斃せなかった。

 それなのに、今のセレンを止める手立てなんてあるのだろうか?


 「っ!? な、何!?」


 不意に前方の窓が割れ、サニーは思わず足を止めた。

 空洞になった窓枠から、生い茂るように茨の蔦が生えてくる。


 「そんな!? 先回り……!?」


 後ろを振り向くと、そちらの窓からも同様に蔦が根を張り巡らせ、じわじわとこっちに迫ってきていた。

 セレンは、全身を覆っていた茨の蔦を解放してサニーを捕まえる綱に使うつもりか。


 「逃サナァァイ……!」


 ぞわり、と背骨を凍りつかせるような吐息がサニーのすぐ近くから上がった。

 はっとなって自分のすぐ傍にある窓を見上げると、満月を背負ったセレンの赤い瞳が射抜くように自分を捉えていた。

 追い詰められてしまったようだ。


 「ううっ……!」


 絶望感がサニーの心を染め上げる。状況は絶体絶命だ。

 苦し紛れに、半ば自棄やけになってサニーは窓の外にそびえるセレンの巨躯に向かい声を飛ばした。


 「しつこいわよ、セレンさん!! もう何もかも明るみになったんだし、いい加減に諦めたらどうなのよ!!?」


 「諦メル……? 何イッテルノ、諦メルノハ貴女ノ方――!」


 左右から這い寄る蔦の波が、その数と速さを増した。すぐには襲いかかって来ず、サニーを嬲るように彼女の周りを取り囲んで茨のアーチを形作ってゆく。


 「マズ貴女カラヨ……! 楽ニハ殺サナイ……! 牛ノ乳ヲ絞ルヨウニ首ヲ吊ルシ、パンヲ千切ルヨウニ四肢ヲモギ取ッテヤル……! 散々苦シマセナガラ地獄ニ堕トシテヤル――!」


 サニーを囲む茨の蔦が、煽るように虚空の中で踊る。セレンの口にする処刑方法をシミュレートして、サニーに見せつけているようだ。


 「それで、あたしの次はシェイドさん!? あなた、彼のことが好きだったんじゃないの!? それなのにどうして……」


 「黙レッッ!!」


 サニーの言葉を断ち切るように、茨の蔦が一斉に動いた。

 逃げる間も無くサニーの全身が絡め取られ、踵が宙に浮く。

 

 「あっ!? や、やだっ……!」


 サニーはどうにか脱出しようとするが、藻掻けば藻掻く程に茨の棘が身体に食い込んできて苦痛がいや増す。

 猫にいたぶられるネズミ……いや、この場合はハエトリグサに捕まった蟻が正しいか?

 とにかく、サニーの生命は今や風前の灯に等しい。数秒後には先のセレンの宣告通り、残酷な死がもたらされるだろう。

 万事休す。……しかし、彼女は恐怖と諦念に塗りつぶされた心の片隅で、思い出していた。


 何度も自分を助けてくれたヒーローは、いつも絶好のタイミングで現れたくれたことを。

 だから――






 「――そこまでです!」




 


 廊下に、彼の声が響いても然程驚きはしなかった。

 むしろ、何処かで期待していた。

 そしてやはり、彼はそれに応えてくれたのだ。


 「ナッ――!?」


 青い閃光が幾筋も疾走ったかと思うと、サニーを縛っていた茨の蔦が次々と寸断され、バラバラの肉片となって地面に散らばった。

 そして、サニーを守るように正面に立つ、薄紫色の髪をした紳士。


 「シェイドさんっ!!」


 サニーの弾んだ声に、シェイドは僅かに横顔を見せて微笑んだ。その手に構えるステッキの握りの部分で、嵌め込まれたブルー・ダイヤモンドがいつもより一際青く光り輝いていた。


 「シェイド、サマ……!? 何故……!」


 突然の登場もそうだが、何よりもシェイドの持つブルー・ダイヤモンドのステッキで自分の触手が切断された事に、セレンは酷く動揺した。

 当然であろう。バース炭鉱の戦いでは、“アポロンの血晶”を取り込んだ自分に、シェイドは文字通り刃が立たなかったのだ。ブルー・ダイヤモンド……“ヘカテーの落涙”が持つ力でさえ、今の自分には通じない。その筈だった。

 それなのに、この結果はどうしたことか?


 「セレン、来ると思ってましたよ。今度こそ、決着を付けましょう」


 シェイドの声に、揺らぎは無い。決意と自信に満ち溢れており、セレンに対して迷いを見せていた時とはまるで別人のようだ。

 泰然としたシェイドの様子に、サニーも密かに確信を抱く。

 もう、彼は負けない。必ず、セレンに勝つと――。


 「エエイッ!!」


 苛立ちを露わに、セレンが巨体を窓枠に押し付けてくる。

 ミシミシ、と建物が軋む音に続いて壁面にいくつもの亀裂が走り、とうとうけたたましい音を立てて窓枠が弾け飛び、壁が崩れた。


 「ごほっ、ごほっ! 壁が……!」


 巻き上がる土埃の中、セレンが岸辺に乗り上げる大船のように中へ乗り込んでくる。

 月明かりに照らされたその黒い全身は、バース炭鉱での爆発でダメージを負ったからか、更に歪に成り果てていた。


 「コチラニトッテモ好都合ト言ウモノ――。コウナレバ、サニー様ト纏メテアノ世ニ送ッテ差シ上ゲマショウ――!」


 残りの蔦と、バース炭鉱の戦いでシェイドを圧倒した四本の触手をうねらせて威嚇するセレン。

 だが、それを見てもシェイドは動じない。僅かに腰を落とし、静かに構えている。


 「――来なさい、セレン」


 「ナラ、オ望ミ通リニ――!」


 セレンの、触手と蔦の動きが一瞬止まる。

 同時に、シェイドはステッキを逆手に持ってブルー・ダイヤモンドの部分を高く掲げてみせる。


 刹那の静寂。壊れた壁から差し込む月光が、セレンとシェイドを淡く包み込む。


 「――シャアッ!」


 機が熟したと見たセレンが、互いの間に満ちる空気ごと突き破らんとするかのように、触手と蔦を一斉にシェイドに向けて放った。

 一方のシェイドは動かない。ステッキを月に向けて掲げたまま微動だにしない。


 「(勝ッタ――!)」


 セレンの口の端が、僅かに吊り上がる。

 明確な殺意の込められた凶手が、佇むシェイドの身体に触れようとした時――






 ブルー・ダイヤモンドが、その青い光を俄に強めた。

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