第6話 影から生まれた怪物
サニーは自分の目を疑った。今、眼前で起きている事がまるで現実感を伴わず、幻か白昼夢でも見ているのではないか? と思った。
――グァアアアアア!!
そんな淡い期待を、人ならぬモノの咆哮が虚しく破り捨てる。
アングリッドを呑み込んだ影は、粘土のようにその身を変化させ、歪な輪郭を形作っていた。
肩と思しき箇所から生えた、クマのような腕。
無数に絡まった木の根のように枝分かれした下腹部。
猫のように丸まった背中には、天を衝くように突き出た瘤。
そして、両肩の間から露出する、ワニのような頭部。
最早、少年の面影は何処にも残っていなかった。
「か、怪物……!? 影が、怪物に……っ!?」
恐怖に震える声に反応したように、怪物が赤く光る双眸でサニーを捉える。
「ひっ……!?」
異形の眼光に射竦められ、サニーの身体が硬直する。自分目掛けて巨大な
「あんた、逃げな!!!」
パン屋のおばさんの叱咤が、
「――ッ!?」
反射的に身を投げ出すように横に飛ぶサニー。刹那的な差で、怪物の鋭いツメが弧を描いて振り下ろされる。
直後に、一瞬前までサニーが立っていた位置から轟音が轟く。地面に倒れ込んだサニーが慌てて身を起こしてそちらを見ると――
舗装された道路が、怪物のツメによって無残に砕かれ、穴を開けられていた。
「嘘でしょ……っ!?」
サニーは目を見開いた。少しでも反応が遅れていたら、自分があんな風になっていたのだ。目の前の怪物が夢でも幻でもなく、現実の悪意として自分を狙っているのだとはっきり理解して、生唾を呑み込んだ。
――グゥウウウウ……!
獲物を仕留め損なった怪物が、憎々しげにサニーに赤い目を向ける。そして、今度は直接喰らいかんとそのワニのような大口を開けた。
「きゃあああああ!!?」
サニーは急いで立ち上がり、目を閉じながら無我夢中でずっと握りしめていたトランクを振り回す。
「来ないでよッッ!!」
地面に倒れた時にも手放さなかったトランクを、遠心力を込めて怪物に投げつける。火事場の馬鹿力というべきか、どちらかと言えば非力な方にも関わらず、この土壇場においてサニーは驚異的な爆発力を発揮して荷物の詰まった重いトランクを勢いよく投擲出来た。
――ギッ!?
運良くそれは大きく開かれた怪物の上顎にヒットし、少しの間怯ませる事に成功した。
「あんた、こっちだよ!! 早く来な!!」
パン屋のおばさんがドアを開けてサニーを手招きする。それに気付いたサニーは一目散にそちらに駆け込んだ。
――ガァアアアアア!!!
怒りの絶叫と共に、怪物がそれを追いかける。木の根が敷き詰められたような下半身であるにも関わらず、地面の上を滑るように移動してくる。
「早く奥に行くんだよ! 早く!!」
おばさんとサニーは揃い立って店の奥へと避難する。同時に怪物がドアにぶつかり、ガラスが割れて店内に散らばった。
――グルルル……グゥ……!
怪物は店内に押し入ろうとするが、ドアの枠組みは怪物の体躯より小さく、詰まってしまって中々進めずにいる。
「あれは……あれは何なんですか!? アングリッド君は一体どうしちゃったんですか!!?」
怪物が足止めされ、僅かに余裕が生まれたからか、サニーの中で置き去りにしていた疑問が沸騰した。大きく声を張り上げて、隣で青い顔をしながら怪物を見つめるパン屋のおばさんを問い詰める。
おばさんは、呻くようにサニーの疑問に答えた。
「『
「『
続きを訊こうとしたサニーを、巨体が打つかる衝撃音が遮った。怪物の体当たりを受けて、ドアや軒がミシミシと軋む。もう一度同じ攻撃を受ければ、入り口は無残に破壊されて怪物が中に入ってくるであろう。
「話は後だよ! 付いといで! 裏口があるから、そこから逃げるよ!!」
そう言っておばさんは身体を翻す。サニーも已む無くそれに従った。
背を向けたサニーの後ろから、再びの衝撃音とそれ以上の破壊音が轟いた。怪物が店内への侵入を果たしたことは振り返らなくても分かる。
暗い店内を、おばさんの先導に従って走り抜ける。そんなに大きな店でもなかった事もあって、裏口にはすぐに辿り着いた。
急いでそこから店外に転がり出る。そこは日光を遮る路地裏だった。店内よりは幾らか明るい陰の道が左右に続いている。
「右だよ! そっちにずっと行けば……ああっ!!?」
おばさんの言葉が、途中で悲鳴に変わる。
「おばさんっ!?」
振り返ったサニーの視界に、うつ伏せになって地面に組み伏せられたおばさんの姿と、その背中に伸びているクマのような黒い腕が飛び込んできた。
なんと怪物は、開きっぱなしの裏口から自分の腕をゴムのように伸ばしておばさんを捕まえたのだ。影だからこそ出来る芸当なのか?
サニーは驚愕と恐怖で足を竦ませた。
――グォオオオオ!!!
勝利を確信したような雄叫びを上げながら、怪物が裏口を破壊しつつ路地へとその巨体を押し出してきた。おばさんを捕らえている腕にも力が入り、彼女の身体にツメが食い込んでゆく。
「うううっ!?」
おばさんが苦しそうに呻き声を上げる。それを聴いてもサニーは動けず、荒い呼吸を繰り返しながら立ち尽くすだけだ。
「(おばさんを助けなきゃ……! でも、どうやって……!? あんな怪物に、どう立ち向かえば良いって言うの……!?)」
頭の中でぐるぐると思考だけが空回りする。ついに全身を現した怪物を目の前にしても、おばさんと交互に見比べるだけで突破口は見出だせない。
「に……逃げ、な……! アタシに、かま……わず……!」
掠れたような声でおばさんがサニーを促すが、半ば思考停止に差し掛かっているサニーには、その言葉を受け取る余裕も無い。また、正しく理解したとしても素直に従ったとも限らない。
蛇に睨まれたカエルのようなサニーと、自分のツメの下で藻掻くおばさんに愉悦の念を抱いたのか、怪物が嬉しそうに赤い目を細める。
そして、逃げられないサニーを今度こそ引き裂かんと、空いたもう片方の腕を高らかに振り上げた。
万事休す。サニーの目が、絶望で暗くなろうとしたその時だ。
「そこまでです――」
薄暗い路地裏に、凛とした声音が響き渡った。
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