第3話 青年紳士との邂逅
「う〜〜〜ん…………」
走らせていたペンを止め、サニーは手帳を見ながら考え込む。開かれた紙面には、綺麗な字で次のような文面が踊っていた。
『・アンダーイーヴズ → 影無しの街 → 日中は人通りが無い事からそう呼ばれている。 → 何故? 真相と真偽を解明する。
・バース炭鉱 → 街外れにあるという。採掘される石炭の質は“まずまず”。他の街への輸出有り。御者さん情報。 → この街の主要産業?
・アンダーイーヴズに到着。早速街中へ入ってみる。 → 本当に人気が無い。大通りの開放感が凄い。 → でも道路は結構綺麗。夜にお掃除されてる?
・ベニタというご婦人と出会う。 → とても親切で人当たりの良い人。宿屋の場所を教えてもらった。 → 街の人が昼間は表に出ないのは《しきたり》があるかららしい。詳細不明。 → ベニタさんにはもう《しきたり》に従う必要は無いらしい。何故?
・重大発見!!? ベニタさんには影が無い!!? → 見間違い? それとも、現実?』
これまでに見聞きした情報を自分なりに整理して書き出したものだ。最後の部分だけやたら筆圧が強く、一回り大きな文体で目立つように記されている。
「やっぱり、すぐに追いかけて確認するべき、だったよねぇ……」
自分の失敗をひしひしと噛み締めながら、サニーは一際長い溜め息を吐く。衝撃の光景にしばらく固まってしまい、気付けばベニタの姿は路地の奥に消えていた。慌てて後を追ったものの、既に彼女の姿は何処にも見えず、足音すらも絶えていた。そんなに長く放心してしまっていたのだろうか? あの辿々しい足取りにも関わらず、ベニタの姿はまるで霞のように消えてしまっていた。
「まさか、ベニタさんとの出会い事態が幻だった…………は、流石に無いか」
認めよう。愚図な自分が悪かったのだ。彼女との会話中だって、踏み込んで話を訊くのをつい躊躇ってしまった。貴重な機会を自ら棒に振るなんて勿体なさ過ぎる。もっとハングリーになれ、ハングリーに。
「決めた! 次こそはもっと喰らいついてやる! たとえ顰蹙を買ってでも、情報を訊き出す! それくらいしないと真実なんて手に入らない! たとえそれでインスピレーションが湧いても、そんなのただの偽物!」
鼻息荒く己を戒めると、サニーは取り敢えずベニタに教えてもらった宿に行ってみようと足をそちらに向けた。
「え〜〜っと、確かこの道を真っ直ぐ行って四つ目の角を左に……いやいや違う違う! 四つ目じゃなくて三つ目だ!」
いけない、折角教えて貰ったというのにもう頭の中から飛んでいきかけてる。いくら影を持たないベニタに驚いたからといって気が抜け過ぎである。
「しっかりしろ、サニー・サンライト!」
もう何度目になるか分からない、自分に活を入れ直してサニーは目当ての場所に向かって歩を進める。
すると、路の彼方から微かに舗装された道路を叩く小気味良い音が聴こえてきた。
「……馬蹄の音?」
耳を澄ませたサニーは、それが段々と曲がり角の向こうからこちらに近付いてくるのが分かった。リズムの間隔からして、相当の速さで駆けているようだ。
「ベニタさんの他にも、外に出ている街の人が居るの?」
サニーはそっと、角から向こうを覗いてみた。
すると今まさに、少し離れた先で大きな馬が嘶きを上げ、前脚を上げて立ち止まるところだった。背中に置かれた鐙の上に、二人の人間が跨っているのが見える。
「っと、着きましたよアングリッド。荒い走行になってしまい、申し訳ありません」
手綱を引いた方の人物が、前に座る相方に向けて声を掛ける。燕尾服を着こなし、シルクハットを目深に被った痩身の男だ。気取った服装に見合う上品な物腰で、相方に目的地への到着を教えている。
「やっとかよ! もたもたしやがって!」
だが声を掛けられた相方は、馬を走らせていたシルクハットの男に感謝するどころか、むしろ苛立ちを隠そうともしない粗暴な言葉遣いで悪態をつく。
フードで頭を包み、マントで全身を覆った、一回り小さな男である。声の感じからして少年なのかも知れない。
「すみません、これでも懸命に急いだのですが」
少年の態度を咎めるでもなく、神妙な口調で遅着を詫びるシルクハットの男。
そんな彼を無視して、フードの少年は早く馬から降りようと足を上げていた。
「気をつけて下さい、焦ると落ちますよ」
「うるせぇ! 邪魔だ!!」
下馬を手伝おうとするシルクハットの男の手を乱暴に振り払い、フードの少年は慌ただしく地面に着地する。
それから、目の前に建つ民家と思しき家の玄関まで逃げるように走り、軒下の暗がりに飛び込む。大きな影の中に自分の身を委ねた事を確認すると、安堵したように大きく息をついたが、すぐさま憤怒を復活させてキッ!と後ろを睨みつけ、未だ馬上の人であるシルクハットの男に向けて怒鳴った。
「昨日朝一で出発してりゃ良かったんだ! そうしたら昨夜の内に帰ってこられた!」
「言ったでしょう? 取引が難航して、交渉にもう少し時間を掛けなければならなかったのです。あなたには申し訳ありませんでしたが、仕方の無い事だったんですよ」
「言い訳してんじゃねェよ!!」
あくまでも穏やかに少年をなだめようとするシルクハットの男だが、当の本人は収まらない。フードとマスクで覆われた顔の奥で、目だけが剣呑な色を湛えている。軒下の影の中で、それは不気味に光っていた。
「大体、アンタが採掘分の賃金をもっと弾んでくれりゃ、オレだってこんな仕事はせずに済んだんだ! 毎回夜逃げのようにアンダーイーヴズを出て、太陽にビクビクしながら隣街で石炭売り捌いて、また夜に入ってコソ泥のように帰ってくる惨めさがアンタに分かるってのか!!?」
「分かります、十分に承知しています。何もかも申し訳無く思っています。私の力が足りないばかりに、あなた方には苦労ばかりお掛けしてしまって……本当に、お詫びの言葉もありません」
「詫びの言葉なんか要らねぇ! 口先だけの謝罪なんかじゃなくて、ちゃんと誠意を形に表せよ!!」
「私なりに努力しています。今日もこうして、他の皆さんに先駆けてあなたをこうして送って差し上げたじゃありませんか」
「んだとォ!? 結局頑張ってますアピールかァ!? 流石は街の名士サマだな! オレ達従業員なんて、所詮塵芥程度にしか思ってねェんだろ!!」
「落ち着いて下さいアングリッド。どうか怒りを抑えて、危険です。それよりも、早く家の中に……」
「うるせェッ!! 指図すんな!」
アングリッドと呼ばれた少年は一向に収まらない。慇懃に謝罪するシルクハットの男に被せるように、エゴ丸出しの醜い罵声を浴びせ続ける。
角からこっそりその様子を見ていたサニーは、ムカムカとお腹の底から怒りが湧いてくるのを抑えきれなかった。
そして、ついに我慢の限界が来て、気付いたらサニーは大声を上げて角から飛び出していた。
「ちょぉぉぉぉっと待った〜〜〜〜!!!」
突然現れた闖入者に、アングリッドもシルクハットの男も目を丸くする。
「そっちの君! いくらなんでもそんな言い方って無いんじゃない!!?」
驚く二人に構わず、喧嘩の場に乱入したサニーはアングリッドに向かって勢いよく詰め寄る。それからシルクハットの男を指差しながら厳しく言い放つ。
「この人にお世話になったんでしょう!? だったら文句言うよりも前に、まずはお礼のひとつでも言ったらどうなのよ!?」
「なんだテメェ!? いつから聴いてやがった!?」
たじろぎつつも、アングリッドは怒りの矛先をサニーに替えて居丈高に吠える。
それを物ともせず、サニーは厳然として叱声を放った。
「そんなのどうでも良いの! それよりも、さっさとこの人に身勝手な態度取った事を謝りなさいよ!!」
「何様のつもりだ!! 部外者が口を挟むな!!」
「見苦しすぎて我慢できないのよ! 君みたいな人! そりゃ自分の思い通りにならなければ腹も立つでしょうけど、そこを堪えて折り合いをつけるのが大人ってものじゃないの!?」
「オレはまだ大人じゃねェ! 子供だ!!」
「都合の良い時にだけ“子供”を主張しないの!! ワガママばかり言って、甘えないで!!」
「うるせェ!!」
ぎゃいぎゃいわーわー。サニーが加わった事で、口論の場はサニーとアングリッドの感情的な応酬に切り替わる。両方ともすっかり頭に血が上っており、冷静さを欠いている。
見苦しいやり取りがいつまでも続くと思われた時だ。
サニーの肩に、そっと乗せられる手があった。
「――ッ!!?」
突然身体に触れられた事で、サニーは驚愕のあまり言葉を止め、振り返る。
「もう、そのくらいになさって下さい。お願いします」
シルクハットの男が、哀しげな顔でサニーの後ろに立っていた。端正な顔立ちをした青年だった。
「あ……! う……!」
色んな驚きが一度に押し寄せ、サニーは顔を真赤に染めてパクパクと口を動かした。
サニーの勢いが止まった事で、アングリッドも毒気が抜かれたかのように立ち尽くしている。
『ゴホ……ッ! ゴホッ……!』
周囲が静寂を取り戻したからであろう。家の中から、誰かが咳き込むような声が微かに届いてきた。
「……ッ! 母ちゃんッ!」
アングリッドはハッと振り返り、先程まで争っていたサニーとシルクハットの青年を放置して玄関のドアを開けると、瞬く間にその中へ消えていった。
「…………」
その背中を、シルクハットの青年は痛ましげな目で見送る。
そこで、ようやくサニーは我に返った。
「……っ! あ、あの〜……。そ、そろそろ手を離して頂けると……」
顔を朱に染めたまま、たどたどしく青年に懇願する。
「ああ、これは失礼しました」
あっさりと青年はサニーの肩から手を離すと、姿勢を正して恭しく一礼する。
「勝手にお身体に触れた事、謝罪致します。そして、助けて頂いてありがとうございました」
顔を上げた青年は、儚げな微笑みを添えてサニーを見つめる。
「申し遅れました。私はシェイド。《シェイド・レインフォール》と申します。以後、お見知りおき下されば幸いです」
これが、サニー・サンライトとシェイド・レインフォールの出会いだった。
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