第1話 地方都市アンダーイーヴズ

 ――光が在るところに、影は生まれる――


 ――光が強ければ強い程、生じる影もまた色濃くなる――


 ――影から逃げる事は出来ない――


 ――なぜなら、影とはどうしようもなくおのれの一部であるからだ――









◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






 「お嬢ちゃん、見えてきたぜ」


 馬車を駆る御者の言葉を聴いて、サニーは弾かれるように広げていた手帳から顔を上げ、窓へと背を伸ばして外の景色に目を走らせた。


 「わぁ〜〜〜! あれがそうなんですか!?」


 前方にそびえる街並みを見て、興奮遣る方無いといった様子で御者に尋ねる。


 「ああ、地方都市アンダーイーヴズさ。もうすぐ着くから、降りる支度をしておくと良い」


 御者が振り返り、車内の枠越しにニヤリと笑ってみせる。


 「しかしアンタも物好きだねぇ。なんだってわざわざあんな辺鄙な街に行こうってんだい?」


 目的地が近付いてきて気が緩んだからか、御者はそれまで抑えていた好奇心を解放してサニーに詮索する。

 それに気分を害した様子もなく、むしろ溌剌と目を輝かせながらサニーは気前よく答える。


 「取材ですよ、取材! あたし、作家になるのが夢なんです! 誰かの心を震わせられるような物語を書きたくって一生懸命頑張ってるんです! それで、あの街からインスピレーションを得られれば良いなって!」

 

 「ははっ、そりゃあ面白え。未来の大ベストセラー作家様のタマゴってワケかい。若者らしくて良いねぇ」


 滾る情熱がふんだんに込められたサニーの言葉を受けて、壮年に差し掛かった御者は眩しそうに目を細める。

 が、次の瞬間、綻んでいた口元が俄に引き締まった。


 「しかしな、お嬢ちゃん。アンタの夢に水を差そうってんじゃねぇがよ……」


 口調から軽さを消し、御者は声を落として言い含めるようにサニーに語りかける。


 「本のネタにする為にあの街の乗り込むのは危険だぜ。そいつは全然、オススメ出来ねぇよ」


 「へっ……?」


 御者の真剣な眼差しに、サニーは面食らったかのように目をパチクリさせる。


 「あの街は不気味だ。住民共はどいつもこいつも陰気で昼間は閉じ籠もってやがるし、愛想も悪ィ。街ぐるみで何かの犯罪に手を染めてるだとか、街人全員が吸血鬼だとか、やって来た旅行者は尽く連中に拐われるとか、昔からそんな不穏な噂が後を絶たねえ。挙句の果てに、ついたアダ名が『影無しの街』ときたもんだ」

 

 「……ええ、それは知っています。昨日その話を耳にして、急遽行ってみようという気になったんですから。でも、犯罪だとか吸血鬼だとか、そんな恐ろしい噂があるとまでは知りませんでした」


 硬い声で表情を強張らせるサニーを見て興が乗ったのか、御者は続けて説明する。


 「本当さ。アンダーイーヴズは呪われた街だって、俺らの間じゃ有名な話だからな。『影無しの街』の由来だって、日中には人が消えるってんでそう呼ばれるようになったんだよ。人が居なけりゃ影も動かねえ。人影の絶えた街は廃墟に等しい、ってな。まぁ勿論、建物やらの影はあるんだがな」


 わはは、と笑い飛ばす御者だが目は笑っていない。『影無しの街』などという剣呑な別名を持つアンダーイーヴズを、心の底から気味悪がっている様子だ。


「鉄道だか蒸気機関だかって便利なもんが現れて世に広まりつつあるこのご時世、吸血鬼だの呪いだのバカバカしいと思うだろ? でも本当なんだよ。科学や技術の進歩なんて関係ねぇってくらいの不気味な気配があの街にはあるんだ。悪いこたァ言わねェよ、引き返すなら今の内だぜ」


 サニーはじっと彼の目を見て、口を開いた。


 「実際に、あの街で旅行者が襲われたとかって話はあるんですか?」


 「えっ? あ、ああ……どうだったかな……」


 虚を衝かれたように目を泳がせる御者。 


 「なんだか色々と良からぬ噂が立てられているようですけど、あの街の人達って本当にそこまで言われる程排他的なんですか? 他の地域との交流とか交易とか、そういう外部との繋がりを一切持とうとしない街なんですか?」

 

 サニーは追求の手を緩めず、矢継ぎ早に次々と質問する。


 「い、いやぁ……そういうワケでも……。日中は家の中でも夜中には店を構えたりするらしいし、その際にもてなされて無事帰ってきたって話も幾つかは聴いている。街外れにはバース炭鉱もあるし、彼処で採れる石炭はまずまずの質だってちょっとした評判だしな……。ああそういや、こないだもそこの従業員達が俺の街まで売りに来てたっけ……」


 脂汗を浮かべながらたじたじと答える御者を見て、サニーはふっと身体から力を抜いた。


 「な〜んだ! 結構普通に動いている街じゃないですか! おじさんが心配しているような危険なんて無さそうに思えますけど?」


 「そっ、そうだな……ははは……。いや、つまらねぇ話を聴かせて面目ねぇ……」


 コロコロと笑うサニーを直視出来ず、御者は気まずそうに汗を拭きながら正面へと目を戻し、場を取り繕う為か「はっ!」と気合いを発して馬にムチを当てる。

 その背中に向かって、フォローを入れるようにサニーは語りかける。


 「でも、お話を聴かせてくれてありがとうございます。噂の内容は事実無根だとしても、昼間は休んで夜に活動を始めるなんて確かに奇妙な習慣ですしね。もしかすると、そこに何らかの秘密が隠されているのかも知れない。それを知る事が出来れば、きっと創作の大きな糧になるでしょう。だから、私は行きますよ。あの街、アンダーイーヴズに。行って、自分の目で確かめます。父も、そんな私の夢を応援してくれてますから」


 ふっ、と遠い目をして膝下に置いた手帳を撫でる。サニーの誕生日に父が用意してくれた特別な品だ。


 『お前の夢を応援している。焦らずゆっくりやりなさい』


 父の言葉を思い出し、サニーの表情が柔らかく緩む。

 知らずの内に偏見に囚われていた自分にはっきりと気付かされ、羞恥でサニーと向き合う勇気が出なかった壮年の御者は、そんな彼女の太陽のような微笑みを見る事が叶わなかった。






◆◆◆◆◆◆◆






 数十分後、馬車は何事もなく街の入口に辿り着いた。

 逸る心を抑え、馬車が完全に泊まるのを待ってから、サニーは車内に忘れ物がないか十分確認してドアを開けた。


 「よい、しょっ!」


 トランクを両手にありふれた掛け声を上げながら、サニーは馬車からぴょこんと地面に降り立つ。肩のところで切り揃えた亜麻色の髪とお気に入りの黄色いワンピースの裾が、彼女の動きに合わせてふわりと舞った。


 「着いた……! 此処がアンダーイーヴズ……!」


 目の前に広がる街並みに、サニーはどうしようもなく気持ちが昂ぶるのを感じていた。


 「じゃあなお嬢ちゃん。雇ってくれてありがとよ」


 「こちらこそ、此処まで乗せて下さってありがとうございました。また機会があれば宜しくおねがいします」


 料金の支払いを済ませ、サニーと御者が分かれの言葉を交わす。


 「気をつけてな。その……幸運を祈ってるぜ」


 『幸運を祈ってるぜ』の部分に様々な想いを込めて、御者はサニーに手を振る。土埃を巻き上げながら去ってゆく馬車に向けて、サニーもまたとびっきりの笑顔で大きく手を振った。

 そして、馬車が見えなくなるのを見届けてから、彼女は期待と希望に満ちた顔で街の方へと向き直る。


 「さあっ! 早速取材開始! がんばるぞーっ!!」


 一度トランクを地面に置き、両手を大きく天に突き上げて、サニーは力強く宣言するのだった。




 


 彼女は、まだ知らない。


 この街に潜む秘密が、自身の予想を遥かに超えて数奇で残酷である事を。

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