霧斗の伯父

 寺での仕事を終えた霧斗はその足で依頼主である伯父の神社を尋ねた。

 霧斗は伯父に育てられた。つまり、伯父の神社は霧斗が育った場所でもあった。

「あ!霧斗!」

「久しぶり」

境内に入った霧斗を見て巫女姿の女性が満面の笑顔を浮かべる。この女性は霧斗より2歳年上の伯父の長女だった。

「香澄さん、宮司はいますか?」

霧斗は仕事のときは叔父のことをあえて宮司と呼ぶ。香澄は「相変わらずね」と笑うと社務所に入った。

「お父さん!霧斗がきたわよ!」

香澄が呼ぶとすぐに小峰神社の宮司であり霧斗の伯父である小峰和真がやってきた。

「霧斗。おかえり。今回は無理を言ってすまなかったね」

「いえ、宮司からの仕事なら断りませんよ」

霧斗はにこりと笑うと靴を脱いで社務所に入った。

「仕事のほうはどうだった?」

「数日様子を見てからですが、一応依頼は完了しました」

社務所の休憩室に入り座布団に座った霧斗が答える。和真はその表情が寂しげなのに気づいて首をかしげた。

「どうした?仕事先で何かあったか?」

「あ、いえ。ただ、母親というのは、子どもを大切に思うものだなって思って…」

霧斗の言葉に和真は険しい表情をした。

 霧斗の母親は霧斗を和真に預けてから自分からは一度も会いにこなかった。母親だけではない。父親もそうだった。それでも父親は兄である和真に息子を押し付けた負い目もあり養育費を毎月振り込み半年に1度は神社にやってきた。だが、母親はそれすらしなかった。自分で腹を痛めて生んだ我が子であるはずなのに。

「すみません。困らせてしまいましたね」

和真の顔を見た霧斗は苦笑すると立ち上がろうとした。

「報告に寄っただけなんで、もう帰ります」

「あ、待ちなさい。次の仕事がもう入っていたりするのか?」

「いえ、次の仕事はまだきていませんが」

「なら、久しぶりにうちで食事をしていきなさい」

和真の言葉に霧斗は軽く目を見張り、少し考えたのちうなずいた。

「ありがとうございます。ごちそうになります」

「遠慮するなといつも言っているだろう?ここはお前の家でもあるのだから」

そう言って頭を撫でる和真に霧斗は曖昧にうなずいた。


 小峰家での食事は賑やかなものだった。和真には香澄の他にふたりの娘がいて、家族がそろうことが多い食事時はおしゃべりが絶えなかった。

「霧斗、聞いてよ。香澄ねえったら彼氏ができたのに私たちに教えてくれないのよ!」

末の娘である彩香が告げ口するように霧斗に言う。霧斗は香澄に彼氏と聞いてポカンと口を開けた。

「香澄さん、やっと彼氏ができてんですか?」

「やっとって何よ!失礼ね!」

霧斗の言葉に香澄が真っ赤になって言う。霧斗はハッとすると頭を下げた。

「すみません」

「姉さんは婿入りしてくれそうな人を探すから相手がいなかっただけよね」

次女の葉月が笑いながら言うと香澄は「そりゃあね」と言った。

「私がこの神社を継ぐんだもの。婿入りは最低条件よ」

「神社のことは気にしなくていいと言っているのに」

娘たちの話を聞きながら和真が苦笑する。和真の妻であり3人の娘の母である雪菜も苦笑していた。

「いいの。私がこの神社を継ぎたいって思ってるんだから」

「ありがとう」

長女の言葉に和真は微笑みながら礼を言った。

「霧斗、結婚式には呼ぶからきてね?」

「仕事がなければ。というか、もう結婚の話も出てるんですか?」

「姉さんは結婚前提じゃないと付き合わないわよ」

驚く霧斗に葉月が言う。霧斗はそれにも驚いてしまった。


 食事のあと、霧斗は和真の部屋に呼ばれた。

「香澄のこと、驚いたろう?」

「ええ。まさか神社のことまで考えて結婚相手を探していたとは思いませんでした」

「女性は男より現実主義だと言うけど、まさにその通りだね」

苦笑しながら言う和真は威厳ある宮司ではなく、優しい父親の顔をしていた。

「お前のほうはどうだい?恋人はできたか?」

「俺は恋人を作るつもりも結婚するつもりもありませんよ」

霧斗の言葉に和真は眉を寄せた。

「それは、親のことがあるからか?」

「そういうわけではないですが、俺自身、恋人とか結婚とかピンとこないんです。そういう感情に疎いんだと思います」

苦笑しながら肩をすくめる霧斗に和真は痛ましげな表情を浮かべた。

「もっと早く、お前を引き取るべきだった」

「気にしないでください。叔父さんのせいではないですし。それに、恋人がいなくても結婚できなくても、俺は今の生活に満足していますから」

霧斗はそう言うと小さく笑った。

「今度の正月、どうする?」

「そうですね…仕事がなければ、少し挨拶にきます」

正月と聞いて霧斗の表情が曇る。正月は親族がこの神社に集まる。それは霧斗の両親も同じで、正月にここにくるということは両親と顔を会わせるということだった。

「無理に三が日にくることもない。日をずらしてくるといいよ」

「ありがとうございます」

気遣う和真の言葉に霧斗は素直に礼を言って頭を下げた。

「すっかり長居してすみません。そろそろ帰ります」

「そうか?泊まっていってもいいんだぞ?」

「いえ、そこまでご迷惑をかけるわけにはいきません」

高校を卒業するまでずっとこの家で暮らしていたはずなのに、霧斗はどこまでも他人行儀だった。

「霧斗、ここはお前の家で、私たちは家族だ。それを忘れないでくれ」

和真が寂しそうな顔をして言うと、霧斗は「はい」とうなずいて小峰神社をあとにした。

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