ひとりでに歩く人形・第5話
石段を下りきった人形はそのまま迷うような素振りも見せずに歩きだした。それは目的地をはっきり認識している証拠だった。
「ご住職、この方向、作り主のご実家のほうだったりしますか?」
霧斗の問いに住職はうなずいた。
「そうです。この先は住宅街で、あの人形を作った人のご実家、つまり人形が贈られるはずだった赤ちゃんがいる家があります」
霧斗の予想通り、母親の強い思いが詰まった人形は、愛しい子どもの元に行きたくて毎夜ひとりでに歩きだしていたのだ。住職に祓われていない時点で穢れはないが、それでも本尊の結界を抜けることはできなかった。それが、今は霧斗のおかげで外を歩いている。人形は足取りも軽く目的の家に向かって歩いていた。
人形の足が止まったのは一軒の家の前だった。時間は深夜、家に灯りはなく、家の門は固く閉められていた。
「今夜はここまでだ」
門をよじ登ろうとする人形を抱き上げて霧斗が言う。人形は今度は抵抗するようにジタバタと動いた。
「お前、今は夜中だぞ?みんな寝ている。お前が会いたがっている赤ちゃんもだ。起こしたら可哀想だろう?夜が明けたら俺がまた連れてきてやるから、今は大人しくしろ」
言い聞かせるように霧斗が言うと人形がしゅんとして大人しくなる。みるからにがっかりした様子に住職は思わず人形の頭を撫でた。
「今までずっと待っていたんです。朝を待つくらいどうということはないでしょう?」
ずっとそばで見守っていた住職のことはきちんと認識しているのか、人形は住職の顔を見上げるとこくりとうなずいて動かなくなった。
「ご住職、とりあえず今はここまでです。寺に帰りましょう」
「そうですね。このままだと私たちが不審者として通報されそうです」
深夜に住宅街を徘徊しているなど傍目には不審者以外の何者にも写らない。霧斗は苦笑すると青桐を影に戻し、住職と共に足早に寺に戻った。
住居に戻ると住職の妻と娘は眠っていたが、客間に霧斗の布団が敷いてあった。霧斗は人形を枕元に寝かせると布団に入った。「おやすみ」と言って霧斗が目を閉じる。その夜、人形は初めて本堂ではない場所で、人の布団で朝を向かえた。
翌朝、住職はほとんど寝ていなかっただろうがいつも通りの時間に起きてお勤めをしていた。霧斗もどうにかいつも通りの時間に起きる。枕元には人形が大人しく横たわっていた。
「おはよ」
人形に声をかけて軽く頭を撫でる。霧斗は着替えをして布団を畳むと人形を片手に居間に向かった。
「おはようございます」
「あら、おはようございます」
居間には住職の妻と娘がおり、娘は霧斗と霧斗の手にある人形を見ると顔色を変えて立ち上がった。
「なんでそれを持ってるのよ!?」
「え?ああ、昨夜はこいつと一緒だったから」
「はあっ!?信じらんない!お父さんも何考えてるのよっ!」
娘は怒鳴り散らすと足音も荒く居間を出ていった。
「娘がすみません」
住職の妻が申し訳なさそうな顔をして謝る。霧斗は「大丈夫です」と言って住職の妻に向き直った。
「今日、この人形を連れて作り主のご実家に行ってこようと思います。昨夜、寺の外に出してやったら作り主のご実家、この人形が贈られるはずだった赤ちゃんがいる家にまっすぐ行ったんです」
「そうなんですか。やっぱり、子どものことが心配なんでしょうか?」
「この人形は子どものために作られたものですから、そばにいたいと思うのは本能のようなものです」
霧斗の言葉に住職の妻は複雑な表情をして霧斗の手にある人形の頭を優しく撫でた。
「早く赤ちゃんに会えるといいわね」
そう言った住職の妻は「すぐに食事の準備をしますね」と言って台所に戻っていった。
「霧斗さん、おはようございます」
「ご住職、おはようございます。お勤めご苦労さまです」
居間のテーブルの前に座って人形をあちこち見ていると住職が入ってくる。互いに挨拶をすると住職は自分の席についた。
「その人形、あれからどうでした?」
「大人しかったですよ」
そう言った霧斗は人形の腹に硬いものを感じて首をかしげた。
「何か入ってる」
「え?綿以外に何か入っているんですか?」
住職と、ちょうど食事を持ってきた住職の妻が霧斗の呟きに反応する。霧斗は目を閉じると意識を集中させた。
「…指輪?ちょっと大きい石がついた指輪、かな」
「見えるんですか?」
霧斗の言葉に住職が驚いたように尋ねる。霧斗がうなずくと、住職の妻がもしかしたら、と口を開いた。
「もしかして、婚約指輪かしら?結婚指輪は大きな石はつかないし。婚約指輪は普段使いはしないから、結構派手な石がついてたりするし」
「何か聞いていることはありますか?」
霧斗の問いかけに住職の妻は首をかしげた。
「そうねえ。子どもを守ってくれるようにお願いするっていうのは何度も言ってたけど」
「お守り…なるほど。とりあえず食事のあとに作り主のご実家に行ってみましょう」
「では食事にしましょう」
住職の言葉にうなずいて霧斗は朝食をごちそうになった。
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