第42話

僕はどう返答しようか迷った。

しかし先生が“歴史渡り”についてあらかじめ知っているなら無駄なごまかしは必要ないかもしれない。


「僕に深い関わりがあることだからです」

 

けれど結局濁してしまった。

だけどその返答を聞いて先生は何かが腑に落ちたのか、妙に納得顔だった。


僕に真っ直ぐ向き合い、真剣に話してくれるようだ。


「私が人生で二回も関わる機会があるとはね。先生はびっくりしたよ」


「その話詳しく聞かせてもらえますか?」 


「いいですよ。ちょっとだけ待っててね」


先生は熱いお湯で淹れたコーヒーを氷の入った涼しげなグラスに注ぐ。

カラカラっと氷がぶつかる心地よい音を響かせながらグラスを二つ持ってきた。


先生からグラスを受け取り、そのまま口をつけると丁度よく冷えていて美味しい。

でもちょっぴり苦かった。


「先生の叔母さんに当たる人が昔“歴史渡り”でした。もう三十年以上も前の話で小さかった先生が叔母さんとは少ししか喋った覚えがないので、叔母がどんなことをしていたのか詳しくは聞かされてないのですけどね」

 

30年以上前? いや、アクツは明らかに150年以上前からずっと“歴史渡り”をやっていた。

アクツの後は僕であり、叔母さんと期間が被っている。

どういうことだろうか。


「先生、アクツという長身で黒髪のやる気がなさそうな男を知っていますか?」


「阿久津? いや、知らないかな」 

先生は一通り悩んだ後に首をかしげる。


“歴史渡り”を知っていて、アクツを知らない? 


先生が上手く嘘をついているのだろうか。


「先生が“歴史渡り”について知っていることは歴史を伝えるために寿命が延びるってことと、叔母さんが実際にそうだったということぐらいしか」


「“歴史渡り”の叔母さんは先生みたいに普通に生活していたんですか?」


「その頃の叔母さんは実家暮らしだったはずだから恐らくはね。このくらいしか先生が話せることはないんだけど、古久根君の役に立ったかな」 


「いいえ、十分なくらいですよ」


「そう、良かった。古久根君も色々無理しない程度に頑張ってね」


この先生とは会話で一つ“歴史渡り”について分かったかもしれない。

僕が知らなかった事実かも知れない。


ただアクツは樅山も苦しんだ、と言った。

そこが少し気になる。


「先生は何か“歴史渡り”について嫌な思い出があったりしますか?」 


先生はひとしきり悩む。

それから、あるかないかでいったらある、と応えた。

でもとても個人的なことで、もう終わったことだから話せないな、と詳しくは教えてくれなかった。


僕はある推測をする。

正しいかどうかは急いでヤマモトに確認してみるしかなかった。


僕は教室には戻らず、学校から出て、通りから少し外れた人気の無い公園に立ち寄った。


スマホを取り出して、唯一ずっと前から電話帳に登録されている番号にかける。


「ヤマモトさん、聞きたいことがある」 


少しの間沈黙が流れる。


「おや、何か分かったのですか?」 


ヤマモトの少しおっとりした声が聞こえてくる。


「“歴史渡り”っていうのは今現在僕一人しかいないのか?」 


「……。一体何が言いたいのです?」 


「僕以外にも他に“歴史渡り”をやっている人がいるんじゃないのか?」 


「……。どうしてそう思ったのですか?」


ヤマモトさんは僕の質問に応えず、僕に質問をひたすら投げかける。

怪しかった。


「それは今日アクツじゃない別の“歴史渡り”の人の話を聞いたからだ。それに“歴史渡り”が三日に二日を睡眠に費やす体質のせいで、もし大事な出来事を寝逃したらどうするんだってずっと疑問だったからな。つまりは“歴史渡り”が僕一人だけじゃないんだろ?」


「気づいちゃいましたか。オンリーワンじゃなくて失望させちゃいましたか。自分は古久根君以外の方とお会いしたことはありませんが、どうやら三人いるらしいですよ」


思った通りだった。


僕は自分の孤独を脱せられる道を見つけたかもしれないと内心飛び上がるくらい喜ぶ。

僕と同じような苦労を抱えている人が他にもいる。

それだけで心強い。


「とはいえ情報や思想や歴史が混在しないようお互いに干渉しない決まりなので、私としてもこれ以上の情報は持っていませんよ」 


「聞きたかったのはそれだけだから。じゃあな」


「急ですね、私は…………」 


僕はヤマモトからの返答を待たずに通話を切った。



これからどうしようか。他の“歴史渡り”についての情報はないが会いに行こうか。

会って話したいことはたくさんある。

僕の苦悩をわかり合えるかもしれない。

僕の孤独を共に紛らわせられる唯一の存在を見つけた。

彼らなら僕がどうすれば良いのか知っているかもしれない。


そう思うと気持ちが自然と軽くなる。

僕は一人ではない。

その事実が特別な人間でありたいという思いから、いつしか本心は普通を望んでいるのだと気づかされる。

 

先生が叔母さんと話したのは30年前とは言え、3倍に伸びた寿命があれば先生ならば叔母さんの居場所をどうにか知ることが出来るだろう。


それにだ。

僕は自分が幸せになる方法が分かってしまった。

思ってしまった。


もし他の“歴史渡り”が河井に“歴史渡り”そのものをどうにか譲渡してもらえるのなら、僕の将来はあのような夢に見た悲惨なものにはなっていないだろう。


言い方こそ悪いが、それこそ二人だけの世界の完成だ。


周りのことを気にせず、僕たちは僕たちの時間で過ごしていける。

僕の悩みは解決の糸口が見えた。


今、生きていて嬉しいとさえ感じられた。

なんだか心の底から喜べているのは珍しい気がする。

誰かと一緒にいられるかもしれないことにこんなにも喜べるとは。

普段から一人でいるから、一人には慣れているし、別に一人でいいと思っていた。


でもどうやら違っていたようだった。

脚が軽い。

心が軽い。

視界は色づき始め、思考はとても澄んでいる。


身体は自分の本当の気持ちに従順なくらい素直なのだ。


僕はもう一度樅山先生に会うべく来た道を引き返して学校に向かう。

道路では車と容赦ない速度ですれ違う。

行く先は何の不安要素も材料もなく、僕はただ信じて前へひたすらに進み続ける。

後ろを振り返る必要はないのだ。

過去は所詮過去。

僕の未来に影響はさせない。


人の成長はいつだって遅い。

いつも間違えてから気づく。

そうやって軌道修正して望んだ未来を目指す。

時間なんていくらあっても足りない。

そうやって藻掻きながら、めざましい速度で進歩を遂げる世界で、僕と河井の二人だけ。


僕たちのゆっくりとした速度で、僕たちの目線で生きていきたい。

初めは二日間寝て過ごすという生活に困惑するだろう。

知らず知らずのうちに月日が経ち、季節が変わる。

一年が実質四ヶ月になるのだから。

でも二人でいれば、同じ時間を共有できれば、怖くはない。

むしろ軽い時間旅行が出来てお得なくらい。僕たちだけしか経験できない特別な感覚。

そんな未来を想像してしまうと、いてもたってもいられなくなる。


僕が校門をくぐろうとしたとき、僕のスマホに着信が入った。

ヤマモトさんからだった。


「そういえば詳しく言い忘れたことというか、絶対古久根君が勘違いしているだろう重要なことが恐らくあります。古久根君は今、他の“歴史渡り”に会いに行こうとしていませんか?」 


「ああ、そのつもりだけど」 


「先程も言いましたが、それは不可能です」


それを聞いて固まる。思考が止まる。


うるさいはずの車の音が途端に聞こえなくなった。

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