第9話 メイドのニーア

「えっと……どうしているの?」



 目が覚めたら、セプトにやたら優しく微笑まれて困惑する。

 焦りすぎて、変な汗までかいてしまったのだが……いつからいたのだろうか?



「少し前からいた。何故か顔が見たくなって。そしたら、部屋にいなくて驚いたぞ?」



 きょとんとしながら、セプトの言葉を飲み込んでいく。


 私、昨日……そうだ! 本を読もうとして、1冊の本に手を伸ばして……


 そこから記憶が曖昧になった。



「床で寝てたから、ベッドに運んだ」

「また、なにかやらしいことしてないでしょうね?」

「……本を抱えたまま泣いていた」

「えっ?」



 セプトが私の頬を撫でる。されるがままだったが、寝起きで放心状態から徐々にしっかりと頭が動いてきたので少し驚いた。



「もう、大丈夫そうだな。俺、もういくわ! なんか、あったら……うーん……あぁ、これを渡しておく」



 手を出せと言われ、出した手の上に置かれたのは小さなベルであった。



「呼びたい人を思い浮かべてならせ! それだけでいい」

「……魔道具的なもの?」

「そう。魔法は使えなくても、魔道具はまだ残っている」

「そうなんだ?」



 ふいに頭をわしゃっと撫でられ、私は上を向いた。

 優しい優しい微笑みに、なんとも言えない痛みを覚える。



「そうだ! 昼から本棚を設置するから、人をよこす。そいつらは入れてやってくれ。今日、兵士が部屋から弾かれたから」

「そう、わかったわ! そのときは、魔法を解いておくことにする」

「解くまでしなくていいが、何があるかわからないから用心だけはしてくれ」



 頷くと部屋から出て行くセプト。見送り、また、一人鳥籠に取り残されてしまった。



「そういえば、昨日の本、どこに置いたかしら?」



 私は起き上がり、ペタペタと裸足で本の置いてあるところまで行く。

 1冊1冊、表紙を確認して行くが、目的の本がない。


 もしかして……持っていっちゃったの? まだ、読んでなかったのに。


 せっかく読もうとしていたのにと肩を落とす。



「ビアンカ様、あの……」そう言って入ってきたのは、昨日のメイドであった。

「どうかしたの?」と尋ねると「朝の支度と朝食を」と促される。言われるがまま準備を整えると、朝食が運ばれてきた。



「お話をよろしいですか?」



 恐る恐るというふうにメイドが声をかけてくる。それほど、怖がらなくても、とって食べたりしない。どこかの王子であるまい。



「いいわ! その前に、あなたの名前を教えてくれるかしら?」

「もちろんです。私は王宮メイドのニーアと申します」

「ニーアね! ところで、話って何かしら?」

「あの、それが……部屋に入れなくなったと他のメイドや侍女が申すのですけど……」

「そうなの? 他のメイドたちが、私への対応で何か思い当たることがあるのではなくて?」

「それは……」

「あの出入口には、魔法がかかっているの。昨日、王子の了承を得て、魔法で人の選別……私に思うところがあるかないかで部屋に入れるようにしたのよ。私によくない感情を持っているものは、ここへは入れないわ!」



「なるほど」と、ニーアは扉を振り返った。



「昨日、見せていただいたものが、その……魔法でしょうか? 夢か何かを見ていたのではないかと……その……」

「うん、そうね。日常的に使う簡単な魔法よ!」



 かちゃかちゃとお茶の用意をしてくれているニーアは、さっきよりも緊張しているように見えた。



「私のこと、怖い?」

「……いえ、そのようなことはないです」



 尻つぼみに小さくなっていく言葉に苦笑いをした。この世界では、完全なる異端者のようだ。寂しいような気がするが、それは致し方ない。誰にも見られずに使うことも可能だったとは思うが、本に没頭しすぎたせいで、うっかり使ってしまったのだから。

 これ以上、怖がられるようなことはしないでおこう。ニーアと名乗ったメイドにこっそり誓うのである。



「ニーア、午後から本棚が来ることになっているの。もし、午後からも私の部屋の当番なら、この本を片付けるの、手伝ってくれないかしら?」



 たくさん積まれた本を見やり、「申し訳ありません」と謝った。

 当番は午前中だけだったようで、仕方がないわねと微笑むと、余計に苦しそうな顔をさせてしまった。


 私はニーアに近づき、両手でニーアの両頬を挟むと私と視線を合わせた。

 少し怯えたようなニーアのブルーの目を見つめ微笑み、コツンとおでこを合わせる。

 驚いたのか、ニーアは体がビクンっとなり一歩後退る。



「あ……あの……ビアンカ様、私のようなものに、その……」

「ん? 少しだけ……昨日は、怖い思いをさせて、ごめんね。この世界に私はひとりぼっちで、友人らしい友人もいなくて寂しいの。ニーアで少し……ほんの少しだけ補わせてくれたら、嬉しいわ!」



 距離をとって微笑むと、先程の怯えた様子ではなく、ニーアは少しだけ笑ってくれた。



「聖女様にそのように言われたこと、光栄にございます」

「そんなに畏まらないで欲しいのだけど……」



 あえて迷惑そうに言うと、滅相もないと両手で手を振っている。



「お昼までは、また、本を読むことにするわ! 美味しいお茶をいれてくれるかしら?」

「もちろんです!」



 私は窓際に行き、出窓の小さなスペースに座る。

 鉄格子のはまる窓ではあるが、太陽の光が部屋に差し込むのは、気分が滅入らなくてありがたい。


 適当に本を手に取って、ページを捲る。



「あの……、ビアンカ様は、その、字が読めるのですね?」

「一応、貴族令嬢だからね! ニーアは読めない?」

「はい……読み書きができません。お城にいると、文字の読み書きができないと困ることも多いのですけど……習うところもなくて……」

「そう、じゃあ、そこのテーブルと椅子をここに持ってきて! あと、ベッドのところに紙とペンがあるからそれも」



 言われるがまま、ニーアは動く。その様子を満足気に見ていた。


 この子、本当によく働くわね!


 怪し気な私であるため、怯えることもあるが、ニーアはよく働いてくれる。



「あの、用意しました」

「じゃあ、そこの椅子に座ってちょうだい」

「はい……って、座れません!」

「そう? 座らないと、字は書きにくいから、やっぱり、座ってちょうだい」



 私は、窓際からとんっと降りて、ニーアの座る予定の反対側に立った。

 サラサラっと書いたのは、この国で使われる基本文字。

 これが読めたり書けたりしないといけないので、まず10文字だけ紙の上に書いた。そのあと、紙をやまおりたにおりにし、マス目を作って渡す。



「あの……ビアンカ様?」

「基本文字、書けるようにしましょうか? このマス目に入るように上の例を見て書いてみて!」



 私の書いた字をトントンと叩くと、目を見開いたこちらを見てきた。



「座らないと、書きにくいでしょ? ほら、座って! それに、驚くことでもないわ! 親切にしてくれたお礼ね!」



 そういうと、ありがとうございますと用意した席に座り、ペンを取る。



「じゃあ、発音を聞いていてね!」



 それぞれの発音と身近にあるものの名称を伝えると、その後、発音しながら文字を一生懸命模写していた。

 この様子なら、すぐに子ども用の絵本くらいなら、読めるようになるだろう。

 次、セプトに会うときに、絵本を頼んでみようと頭の隅にメモをとった。

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