世迷い事

一盃口

第一話 文化的に死んだ人間とは

 さっきから書いてばかりで疲れたので、書き溜めたやつのコピペ出します。はじめには次の話にしますね。予め言いますが、もの凄い適当なことを言っています。ネトウヨよりはマシだと信じたい……

以下! ではヨロシクです。


僕のだち曰く

ピクサーの映画にWALL-E/ウォーリーっていうのがあるんだけど、グローバリズムが作り出すディストピアという点で、すごい深いところをついてるから受験が終わったらぜひ見てみて欲しい。


大まかなあらすじとしては、荒廃した地球から脱出するために自給自足できるくらい巨大な宇宙船を作り、未来の人類はそこで生活してる。それで人類が去ったゴミだらけの地球に残されたロボットたちは、永遠とその片付けていて、そのうちの1台のロボットが大冒険する話。


宇宙船もロボットだらけで、やること全部ロボットに任せてるから、人類は何もしなくていいと言う状態。劇中の話では人類がみるみる太っていって、もはや自分たちで歩けないので、自動で移動するイスに座って生活をするという。とりあえず、劇中のワンシーンを見てもらうと手っ取り早い。




 共産主義と同様に良心による洗練(ソフィストケート)の結果であり、私達から見たディストピアである。

 ドラ○もんのブリキのラビリンスという映画がそれに近い。というか、全く同じネタになる。


 だが、人間はそういう注意喚起をして、ロボットが人間を乗っ取る話を教科書にまで載せて必死にその未来を避けようとしているが、未だかつてその注意を受け入れようとした国家はなかった。

 世はコンテンツ産業ばかりが隆盛して、人手があれば足りる一二次産業を低所得に貶めたためにそちらは衰退する。

 ただ、人手があれば構わないという話は封建性の中国が、産業機械の機構の発明を完成させ、精密な時計を作り上げたのに、膨大な人口で産業をカバーできたために産業化せず、結果として北清事変を起こして北京議定書を招く。産業が脆弱なヨーロッパ人がこのメカニズムを応用して様々なものを機械化したことで中国の斜陽は起こった。

『イスラームから見た世界史』

ただこれにも反論があり、その機械化自体が間違っているという考えだ。まあ、苦しい主張にはなる、多人口を用いた重労働は、病の流行や、労働者の管理の悪化等のデメリットがある。しかも、産業が脆弱で"生活必需品"(現代のスマートフォン等、物理的には必要ないものは含まれない)すらも生産できないヨーロッパは、機械化によって労働生産性と共に人民の充足を、"適切な"値に上げることができた。

 労働の機械化(ここにAIによる人間の乗っ取りが含まれるかは未来のみぞ知るが、まあ推定はできるかもしれない)は歴史の中での必然だったのかもしれない。しかし、あくまで地域的、もしくは一個人的な必然性であるかもしれない。現代でも、Future Happy Peopleはいる。ニートと、専業IT技能者(今見たらなんかもの凄い偏見だな)である。だいたい、戦後以降の男尊女卑社会(性役割分業)での既婚男性もそれに近い。文化的遊びを持っている人は違うが(ここでゲームは遊びに含まれるのか? )現実いないと思うが、ボールペンを鞘に指すだけの仕事をする人もそうなる。しかし……(略して)FHPの人々がいかにして堕落と捉えられるかも定義に悩む。言葉として定義しなければ、ただの生理的嫌悪として片付けられてしまう。人々とのコミュニケーションもとり、ゲームコンテンツという文化的遊びも取っている。

 もちろん、炭鉱夫も命を削るような肺に塵がたまる環境でコミュニティを作り上げ、炭坑節を歌う。それが現代にしてみたらどれだけ貧しいと称される文化なのかは経験していないので分からない。お家のために往路だけで行き倒れになって遭難し、亡くなるような女工、それを生き延びて現代では到底許されない就労環境にいて理不尽な叱責や妾にされるといった地位(絶対そんなに多くない)にいても、それでも奉仕を良きことだと回想する(記憶による美化の疑いもあるが、疑いと美談は互いに批判してその雰囲気を検証しなければならない。)女工もいる。

 うん、文化の定義とは関わりたくない。


 で、FHPの堕落とは何か。自立し、自律している思考を持っているが、自分の力で立って行動する力を失ってしまったこと。動物としての本能である運動を放棄した点、太っていることが人間にとって本能的に悪だと判断される点。

 同様の堕落で史実なのが、東西分裂寸断のローマ帝国の貴族たちであった。一日中洗練された宮殿(私邸)の中で飲み食いをし、ずっと食べ物の味を感じたいという理由で食っては吐き、食っては吐きを繰り返す。これを奴隷が掃除する。(学校でエピソードを聞いただけなのでよく知らない)

 

 労働の機械化がある範囲内で歴史の必然である可能性について、ラッダイトの抵抗運動が起き、人力労働への復古が訴えられたが(たぶん他にも似た話があると信じて話を進める。)誰も人力の工業に戻らなかったから。これは、日本でも同様であり、しかも、この動きが外部から影響を受けて進められたとは思えないので、これも自発的な歴史の進行である。個人生産から、問屋制家内工業、工場制手工業(マニュファクチュア)、そして、開国の擾乱を経て工場制機械工業へと進んだ。

 ただ、日欧ともに共通点がある。無職者の都市流入が、エンクロージャーと天明の飢饉。そして、ヨーロッパでは雇用者という資本家が出来て、日本では藩に用いられた。このきっかけがなく別の衝撃が起こったら歴史は別の方向に進むことも考えられる。ただ、結果として転んだ場所が現状に著しく利益を与えたために、制度が維持され改良されていった(ここまでが歴史の必然性)ので、外国に対しても利益になるのなら波及する。この時この考えが全世界に普及し、その別の可能性を潰した。

 という歴史の必然性があるので、機械化そのものが歴史の間違った道、誤った経由地であったと否定できない。これを上回る概念が必要とされる。そのためには生存率の確保など、物質的な豊かさの地位が下がることが必要となるだろう。

 もしくは、機械化の終点を設けることも、FHPを嫌悪する動きで見ればよろしい。そろそろオーバーヒートしそうなので、ここで止めておく。


 他に興味を持った点。

 玄米の籾殻を剥いで白米にする作業(で合ってるよね? )には手動で石臼を挽くことから、水車で自動化することへと変化したように、人間は、自分の手で直接制御できる部分を減らして、機械によって自分が制御しなくても生産ができるようにして、生産性を上げていった。

 この中には、生のラーメンからインスタントラーメンへと、人の手からロボットに託す(なんかロボットではないが……)ことで、製品の質を下げても、安全性を下げても、生産性を上げた品もあった。

 それが洗練された形が、FHPたちの乗る車の自動制御である。車の車間調整や、速度調整等によって、車の安全性が極限まで上がった。そして、その内に人々は自立する筋力すらも失ったが、しかし、人が車から転倒する危険性も何一つ無くなってしまったために、主人公の古ぼけた時代遅れのロボットが車線に侵入する危険性を考えなかった。そのため、転倒した人間は放置され、のたれ死ぬ想像すらも自分に与えた。ただ、事故の直後即座に車両走行レーンを変更した点があるので、人間の転倒の可能性を考えなかったとも思えないが。


 つくづくアメリカはもう既にディストピアじゃないか、といろいろ本を読んで思ってしまう。実は映画のFHPの肥満はアメリカ人にとってさしたる意味を持たなかったのではないかと思う。殆どのアメリカ人は肥満と聞くし。(あんまよく知らない)自分で立ち上がることすらできない程筋肉が失われたという属性を持って、ようやくアメリカ人に肥満の悪徳を知らしめることができたのではないだろうか。

 アメリカのZ世代のことはもう少し知りたい。オーガニック食品を食って、ファストフードを嫌い、諸権利を連邦に訴える。現代の日本人のあるべき姿がもう既にアメリカ大陸の中ではびこる。彼らは一体何者なのか、悪意がないのは知っているが、彼らは理想なのか、彼らの課題は何なのか考察せねばならない。


 たぶん分かると思うけど、脈絡がギリギリで、調子に乗っている。データは殆どゴシップ程度の小耳に入れた話なので、自分でそのデータを調べて出処を調べて下さい。違っているというご指摘があればそのもとのデータのある、ウェブリンクごと、私に下さい。

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