☆25

 …………

 目覚め。身体を起こし、籠から顔を出して、下を窺う。

 砂漠を思わせる荒地が、ひたすら広がっている。建物は存在せず、緑も生えていない。生き物など、まるで住めそうにない土地。

 積み込まれた計器を確認する。高度250メートル。花さえ飛ばない上空を、風に流されていく。

 ……アリスただ独り、気球に乗って。

 同乗しているはずのウサギの姿はない。ウサギは死んでしまった。会いたくても、もう二度と会えないのだ。

 アリスは声を上げて泣いた。泣き続けた。涙が絶えるまで。

 泣きすぎて、朦朧となり、バスケットの底にうずくまった。

(これは夢? 現実?)

 嫌なことばかり、辛いことばかりの現実世界。アリスにとって、居るのにふさわしくない世界。だから、別世界にやって来た。

 別世界は楽しく、仲間もいっぱいで、輝いて生きていける理想の場所――ではなかったか。

 それがどうして、こうなった? ファンタジーの中の別世界は、現実以上に厳しく、生きることさえ困難だった。「夢のような世界」とは、とても言えない。

 夢も、希望も、期待も、理想も、吹き飛んだ。

 現実もダメ。非現実もダメ。では一体どこへ行けばいいのか? どこで生きればいいのか? どこなら幸せになれるのか?

 気球はどちらへ向かっているのか判らない。荒野の上をただ風に流されていくだけ。

 だるい。手足が重い。起き上がりたくない。

 眠気が降りてきた。眠って停止したい。今すぐシャットダウンしよう。

 バスケットの底に身体を丸めて、眠りにつく。

 籠の中の眠り姫を、気球はどこまでも運んでゆく。

 このまま眠り続け、永久に空を飛び続ける。

 地上に降りることも、眠りから覚めることも、もうない――。

 …………

 …………

 腹に響く低い音。まぶたを開ける。音は近い。何かが気球に並んで飛行している?

 アリスはバスケットの縁に手をかけ、そうっと顔を出した。

 飛行船。巻き貝を象った気嚢。ガレー船風の船を吊り下げている。

 気球へ急激に幅寄せしてきた。舷側が迫る。

 目が合う。魚の丸い目玉と。一つきりの冷ややかな目玉。首切り役人サンソンが、右舷に仁王立ちしている。チェーンソーを振り上げ、もう逃すまいと……。

 アリスは身体をひねりながら後ろに倒れ込む。その頸を、激しく回転する刃が掠める。チェーンソーはツインテールの片方を薙いだ。

 大事な髪の片割れは、のたうつように宙を舞い、荒野へと落下していった。

 間髪をいれずチェーンソーを水平に振り回す。籠の上部。ズタズタに切り裂いた。

 風船に首の皮一枚で繋がった籠は、大きく傾く。ガスボンベが、計器が、消火器が、空中に放り出された。

 アリスも傾いたバスケットの中を転がった。咄嗟に、右手でボロボロになった籠の端をつかんだ。

 沈没寸前の気球に、アリスは右手一本でぶら下がる。

 風にあおられ、右手がぐらぐら震える。左手を添えようと、上に伸ばす。が、届かない。空をつかむのみ。

 容赦なくサンソンはチェーンソーを振り回す。右手首を狙って。気球からアリスを切り離そうと。

 ――空振り。直前に、アリスは右手を離したのだ。

 高飛び込みのように、アリスは身体を回転させながら落下する。スカートをはためかせて。一本となったツインテールをなびかせて。

 回転が止まると、頭が地上に向いた。真っ逆さま。

 死が迫り、思いもよらない言葉が口からあふれ出す。

 アリスは無意識のうちに叫んでいた――――ゲンジツセカイへ!


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