「囲碁の恋」書籍化構想

 十九手目を持って、小説の本編は終了である。

 本編だけでも11万文字以上あり、「応募受付期間終了時点までに本文が10万文字以上であること」の規定は余裕をもって守られたと考える。

 19歳の少年による物語で、19路盤を打つ囲碁としては、19章構成と云うのが数字的に一致していて相応しいと思ったため、このような構成にした。


 さて、この作品は、元々は日本放送作家協会とNHKが共催した「第46回創作テレビドラマ大賞」にシナリオ(脚本)として応募したものである。18歳から作家志望として小説や脚本を応募してきて、17年目で初めて一次審査を通過出来たことから、筆者にとって思い入れの深い作品となったのだ。

 今回、第7回カクヨムWeb小説コンテストに映像化されるチャンスがあると知り、改めて小説化し、二次審査で落ちた原因などを補足(捕捉)して推敲しながら、今回カクヨムにて発表するに至った。

 その上で、映画化の前に書籍化の話が持ち上がれば、筆者として「こうしたい」と云った願望や構想があるので、此処に紹介しておく。勿論、筆者の願いが叶わない形で出版されることも致し方ないと思っている。自分のこだわりを優先した結果、作品が発表されないことが一番最悪だと考えているので、筆者の希望通りにならなくても本が出版されるのであれば、それだけで感謝しなければならない。

 本来は、このような意図は門外不出にした方が適切なのかもしれないが、先行きも分からない時代において、筆者がどのようなことを考えていたのかを、ちゃんと公開した方が、これから先、小説を書いたり本を出そうとしたりしようとする作家志望の方々に少しでも参考になるのではないかと考えた。


 筆者が掲げる「書籍化される際の希望」は以下の五つである。

書籍化希望❶:表紙の写真に稲葉かりん初段(関西棋院)を起用する。

書籍化希望❷:表紙の構成を単純化する。

書籍化希望❸:日本棋院及び関西棋院に監修に入って頂く。

書籍化希望❹:フィクション制作に理解のある囲碁棋士の先生を人選する。

書籍化希望❺:囲碁プロレスの棋譜を考え、共同執筆者になって頂ける先生を探す。

 もし書籍化される流れになれば、筆者の希望をくみ取って頂ける編集者の方に担当して頂ければこの上無い幸いである。

 他にも、囲碁のルールや手筋を紹介したり、亘と実の囲碁プロレスを描写する際、碁盤の図解がある方が分かり易いので、紙数は増えてもこういった編集をする必要があるだろうし、四手目「宿命の出会い!」では21以上の黒丸(●)数字を打ち込むことが出来ないので、黒の手と白の手を分けて❶❷❸、①②③と増やしていったが、書籍化する際には現実の棋譜の通り❶②❸④❺……と白と黒の手の数を足していって表記する調整も必要だろう。校正者の協力も不可欠だが、あくまでも常識の範囲内なので特記すべきことではない。


 では、書籍化希望❶~❺について、それぞれ説明していく。


書籍化希望❶:表紙の写真に稲葉かりん初段(関西棋院)を起用する。

 筆者が『囲碁の恋』という作品を書いた理由は、かなり個人的である。

 勿論、筆者が脚本家志望であったことも影響しているが、直接的にこの作品を書く切っ掛けは、NHK Eテレビの「囲碁フォーカス」と云う番組に出演していた関西棋院の稲葉かりん初段が番組を卒業してしまうことになり、どうにか彼女の姿をもう一度テレビで見られないかと考えて、囲碁のテレビドラマを企画すれば本人も出演を承諾して、またテレビでかりんちゃんの姿を見られるんじゃないか? このような一ファンのしょうもない欲望が、この作品を書く切っ掛けになったのである。恋路亘が稲穂香織に惚れて碁を始めたように、筆者も稲葉かりん初段のファンになって囲碁に興味を持った身に過ぎない。

 だから第7回カクヨムWeb小説コンテストに合格して書籍化されることになれば、まず、関西棋院の稲葉かりん初段の顔写真で表紙を飾らせて欲しいと云うのが、作者の第一の願いである。

 勿論、プロの写真家に撮影をお願いして欲しい。例えば、囲碁界には囲碁フォトグラファーを称するわさびさんと云う方が居る。そのような囲碁や囲碁棋士の先生達にリスペクトを持って(以って)、撮影に臨めるようなプロの方が相応しい。

 また、可能であれば表紙だけでなくカラーで十数ページぐらい、稲葉かりん初段の簡素な写真集のような構成にもしたい。使われなかった写真をInstagramやTwitterに載せたりして本の宣伝を行うことも出来るだろう。


 ちなみに脚本の段階ではヒロインの名前は稲穂香織ではなく、稲穂かりんだった。

仕事を断られたり、肖像権に配慮したりすることを考えて、名前も変更した。もしもこれでも不十分なら、書籍化の際に全然違う名称に変更する次第である。


 仮に合格して、出版社を通して仕事を依頼するにしても、依頼先の関西棋院や稲葉かりん初段から断りの返事を入れれば叶う希望ではないことも承知している。

 無理ならば、説得が許されなければ、あくまで違う手段を選ぶだけである。


書籍化希望❷:表紙の構成を単純化する。

 表紙にしても、あまり多く文字を入れて雑多な印象にしたくはない。

 個人的に、『表紙に文字が多い本は売れない』イメージを抱いている。

 講談社の雑誌『FRIDAY』がリニューアルした際、タレントの南明奈さんの写真で表紙を占めて、タイトルを隅に小さく配置しただけの簡素な装丁にした結果、重版になった記憶がある。その後の『FRIDAY』は従来通り、項目を次々と表紙に書き込んで雑多な印象に戻っていったが、それで売り上げが伸びたという話は聞いたことが無い。むしろ雑誌は出版不況で一番ダメージを受けている媒体であり、現在一番売れている雑誌は表紙のシンプルな『週刊文春』ってことを考えると、小説は報道がメインではないのだから、やはり、雑多に文字を多く書き入れることには賛同出来ない。

 表紙はあまり多くの字を書かず、それこそ帯を巻いたら隠れてしまう表紙の下側にタイトルや作家名だけを小さく入れ、稲葉かりん初段の可憐さや美しさを損なわないぐらい目立たないものにして欲しい。


書籍化希望❸:日本棋院及び関西棋院に監修に入って頂く。

 これは「希望」と云うよりも、「マスト」かも分からない。


 勿論、法的なことを考えると、囲碁を題材にした小説や漫画を描くに当たり、日本棋院や関西棋院などの囲碁の関連団体に許可を得なければならない義務は無い。


 しかし、それでは個人が単に趣味で書いた領域の作品にしかならず、プロ棋士からの技術的な裏付けが一切無い、単なる俗物と化してしまう。

 例えば、囲碁のルールに関しては参考文献などを読み込んで執筆したため、囲碁の実際のルールと異なっている(間違った)描写は少ないかも分からない。

 ところが、拙作の九手目「布石の算数」などは、囲碁の教則本にも書かれていない筆者の独自の解釈が多分に含まれている。


布石のセオリー❶:隅を1とした時、辺は1.5倍、中央は2倍の石が必要

布石のセオリー❷:隅4倍(4倍+1目の場合あり)/辺2倍/中央1倍の生産性

布石のセオリー❸:隅が中央の4倍+1目(辺の2倍+1目)になるケース


 などと書いたが、これは筆者が参考文献から独自に導き出した解釈に過ぎず、このような紹介文を書いている書籍は確認出来なかった。

 さらに、九手目「布石の算数」では、

「325÷36=9と1/36目で、1子あたり約9目以上の力がある計算になる」

「現実的じゃないけど、例えば縦一列に全部石を置いて左右のどちらも地にしたら、19子で342目の地を確定させたことになるから、1子につき18目分の力を発揮出来ている計算になる」

 などと分かったようなことを書いているが、これは単純計算でそうなるだけであり(だから「布石の算数」というサブタイトルになる)、このような紹介の仕方をしている文献を筆者は見たことが無い。

 つまり、プロ棋士が読んだら「完全にデタラメ」と批判される可能性が高い文章である。

 囲碁が分からない人でも楽しめるように考えてなるべく入門者や初心者向けの本に絞って読んでいた上に、そもそも筆者自身の棋力が大したことはないために、囲碁の高度な専門書を読み解く力を筆者自身が有していなかったことも大きい。

 しかし、「なら高い棋力を得てから作品を書け」と云うのではあまりに遅過ぎる。時間が掛かる上に、筆者自身も35歳に達しており、「棋力を上げてから執筆しろ」などと云った批判を受け入れられる年齢的、時間的な余裕は無い。

 そこで、やはり囲碁の総本山である日本棋院や関西棋院を通じて、技術的な監修や裏付けが必要となってくると考えている。


 さらに、筆者は2017年の日本を舞台にした世界観を想像するに当たり、日本棋院や関西棋院と云った実在する団体だけに留まらず、井山裕太先生や藤沢里菜先生、謝依旻先生などを実名で出して紹介していた。これはあくまで世界観にリアリティを与えるためである。

 だが、事実を伝える報道機関でもないのに、実在する人物の名前をフィクションで引き合いに出すことの是非はある。よって、日本棋院を通じて、小説内で名前を出た囲碁棋士の先生達全員の承諾が、商業出版をする上では手続きとして必要である。

 だから、カクヨムにはクリエイターを支援するプログラムがあるが、この『囲碁の恋』は収益化されていない。日本棋院や監査棋院の承諾も無しに、収益化して利益を得ると云うのは、僕の中ではルール違反だからだ。

 この作業は一個人でしかない筆者の信用能力では出来ない。法人として登記されて信用能力のある大手出版社に勤めている編集者の尽力が必要な作業である。


 本人の承諾が得られなければ、架空の人物に設定し直すだけだが、こうした許可や承諾の作業を面倒に考えて、安易に全て架空の人物名や団体名に変えろと言ってくる編集者とは、筆者は組みたくない。「面倒臭い」「手抜きがしたい」「さっさと仕事を終わらせたい」「残業したくない」「定時で帰りたい」と云った、出版社の社員の個人的な言い分など、筆者も読者も知ったことではない。


書籍化希望❹:フィクション制作に理解のある囲碁棋士の先生を人選する。

 しかし、この「囲碁の恋」は実際の囲碁界とは異なるのは分かっているが、作品を面白くするために敢えて間違いと分かっていても採用して書いた箇所も数多い。

 それらは特に十七手目「棋士の覇道」に多い。


 例えば、院生や棋士採用試験の様子は非公開が原則であり、師匠が同じ場合は不正防止のためにリーグ戦でも対局の予定が早めに組み合わせられる。このことは日本棋院の冬季採用試験の要綱を読むと知られる。

 さらに、いくら主人公の恋路亘が大企業「恋路道商事」の御曹司だからと云っても恋路道商事がスポンサーになって、棋士採用試験の様子がインターネット中継されるなどと云った事態が起きるはずがない。

 また、ライバルの仁村実のような厚顔不遜で態度も悪く問題の多い人格の青年は、教育を徹底している日本棋院生には一人も居ないと主張する批判も来るだろう。


 しかし、それでは主人公の因縁のライバルである仁村実と最終決戦を行うと云ったストーリーは成立しなくなってしまう。一応、主人公は仁村博久の弟子ではなくて、仁村の弟子ではない稲穂香織から囲碁の手解きを受けたため、一応は論理的な理屈を付けてはいるのだが、筆者自身も相当苦しいことは承知している。


 また、最終決戦における主人公の勝因(ライバルの敗因)が「礼儀礼節の大切さ」にあったというテーマやメッセージへの帰結を考えても、ライバルの人格を悪役風に設定せざるを得ない事情もご理解頂きたい次第である。


 さらに原則非公開のはずの棋士採用試験の様子がインターネット中継されると云う展開は、後述する「囲碁プロレス」を行わせるためのかなり強引な設定変更である。

 実際、劇中の仁村先生も、

「院生の対局は原則非公開のはずでしょ」

「そもそも師匠が同じ場合、本来はリーグ戦の前半に対局させる手筈のはず」

 などと苦言を呈しているが、劇中の仁村先生と同じように、

「実際の棋士採用試験とあまりに違い過ぎる」

 と云う理由から、「非公開で対局させる方がリアリティがある」と苦言を呈して、この作品に対しても否定的なイメージを抱く棋士の先生は多く現れる可能性が非常に高い問題の多いシーンと云えることは、筆者も重々承知している。


 しかし、筆者はこの点を譲りたくない。


 フィクションと云うのは「リアリティ」と「レトリック」の組み合わせである。

「リアリティ」は現実味のことだが、「レトリック」とは演劇的という意味である。

 素人やフィクションを作る才能の無い人間達は「リアリティがあるか、無いか」を論じることしか出来ない。そういった観客の場合「リアリティがあるから正しい」と思うし、「リアリティが無いから不適切」と考える。しかし観客や読者として作品を享受するだけならそういった意見を持つのは自由だが、そういう人は一生プロとして作家や映画監督に成ることは出来ないだろう。

 プロは「リアリティ」と「レトリック」を使い分けられる。

 例えば「スターウォーズ」は、セットや道具を敢えて汚すことで使い古された使用感を出すことで「リアリティ」を出そうとしている。

 しかし宇宙空間の戦闘シーンでは空気の無い宇宙で大きな音を立ててビームが鳴ったり、爆発が起きたりと云った「リアリティ」に反する描写が為されている。

 これは、派手な戦闘シーンや見せ場を作って観客を楽しませたい「レトリック」の意図から行われた演出である。現実の戦争の映像を見ると意外と地味だったりもするが、アクション映画の場合、戦闘が地味だと客が満足しないので派手な映像が好まれる。これも「リアリティ」と「レトリック」の違い故である。

 小説家も漫画家も映画監督もこの「リアリティ」と「レトリック」の組み合わせを意識的にしろ無意識的にしろ、適材適所で使い分けてフィクションを創作している。


 筆者も、実際の2017年の囲碁界を再現すると云った「リアリティ」を優先して執筆した箇所と、現実に反していても「レトリック」を優先して書いた箇所が作品に入り混じっていることを承知の上で執筆している。


 それ故に、このことが理解して頂けない囲碁棋士の先生や囲碁インストラクターの先生達の反論や指摘を受け入れることは断じて出来ない。

 筆者は囲碁に関しては素人であり、囲碁については多くの助言が必要な一方、間違っているから即直せと云った苦言を安易に受け入れることも出来ないのである。

 よって、ただ囲碁が詳しければ良いと云ったものではなく、フィクションを作るに当たり、こうした「リアリティ」と「レトリック」の違い、この二つの組み合わせであると云ったフィクションの事情を加味出来た上で助言が出来る人材が求められる。

 監修に入る先生も自分の名前を出して責任を負わされる立場だから、小説の描写をただ修正するだけでなく、本編が終わった後、解説を書くページを設けて、「本編はこうなりましたが、実際の囲碁界は違います」などと、小説の描写と現実の囲碁界の違いなどを説明出来るページを作ることが、監修の先生の名誉を守るためにも必要な編集作業になってくるかもしれない。


書籍化希望❺:囲碁プロレスの棋譜を考え、共同執筆者になって頂ける先生を探す。

 書籍化希望の❸と❹は囲碁の小説を作る上で必須事項だと考えているが、この❺は下手したら、書籍の性質を根本的に変えてしまうモノになるかも分からない。


 筆者は十八手目のサブタイトルを「宿命の初手!」とした。

 これは何故かと云ったら、筆者の棋力では囲碁ファンを満足させる棋譜を制作することが出来ず、5手目までしか書けなかったからだ。

 六路盤で対局を行った四手目「宿命の出会い!」までは筆者の力だけで作れたが、プロ棋士採用試験で実際に行われるような棋譜を作成出来るまでの棋力を、筆者は持ち合わせていない。

 勿論、この状態でも作品は十分に仕上がっているとは思うものの、囲碁小説として期待して手に取る囲碁ファンからしたら、満足のいかないモノになるのは否めない。囲碁の素人には読み物として成立していると思うが、逆に、囲碁をよく知る人物から読めば、凄く物足りないものになったことは否めないだろう。


 そこで、可能であれば、実際の初手から終局までの棋譜を、実際にプロ棋士が打つようなレベルで作成したいと云うのが筆者の願いである。

 しかし、幾つかの条件がある。

1:オリジナルの棋譜であること(絶対条件)。

2:初手は天元(10の十)であること。

3:主人公(黒番)が序盤、中盤、終盤とギリギリまで一方的に苦戦すること。

4:無理に、相手の黒石を取ろうとして、ライバル(白番)が返り討ちに遭うこと。

5:最後まで拮抗した末に、主人公(黒番)が半目勝ちを収めること。

 これらの条件を満たした棋譜を作成出来る囲碁棋士の先生が求められる。


 これは正直、大変な作業であることは承知している。

 囲碁漫画「ヒカルの碁」「群舞のペア碁」では、梅沢由香里先生や藤沢里菜先生が監修に入ったが、その難度はそうした作品の監修作業の比ではないほど難しい。


 例えば「ヒカルの碁」が、実際に過去の偉大な棋士の先生達が行った棋譜を用いて作成されたことを知った時、筆者は作品として全く評価出来なくなった。

「だって、“ヒカルの碁”じゃないじゃん!」

 例えば、尊敬する山下敬吾九段と高尾紳路九段の有名な「天元⇒(5の五)」の「世紀のケンカマッチ」の棋譜が「ヒカルの碁」にも採用されている。

 だが「それは山下九段の碁や、高尾紳路九段の碁」であって、「“ヒカルの碁”ではないよな?」と、筆者はかなり作品への評価が下がったのである。

 確かに、過去の棋譜を参照すれば作業は簡単だし、面白い棋譜もいっぱいある。

 しかし、そんなものを引用して作っても、それは新しい作品を創ったことにはならないと筆者は考えるのである。


 さらに「ヒカルの碁」の問題点は、漫画を読んでも「囲碁のルール」や碁盤で何が行われているのかが全く理解出来ないといったこともあった。「巨人の星」や「あしたのジョー」を読むと、大リーグボールやクロスカウンターの描写はデタラメだが、「何が行われているのか分からない」といったことは無かった。

 そういう意味では「ヒカルの碁」には「競技をちゃんと描写していない」と云った問題点があったのも事実である。

「ヒカルの碁」はもう20年以上も昔の漫画だから仕方ないし、他人が創った作品を批判しても何の意味も無いので、「自分が創る場合は競技をちゃんと描写したい」と云った願望がある。


 だから単に囲碁の実情に則って、作品を監修するだけでなく、オリジナルで棋譜を

考えて頂ける囲碁棋士の先生を希望する。

 これは実際にプロ棋士として対局を行うよりも、下手したら難しい作業になるのは重々承知している。

 よって、もし「囲碁プロレス」のオリジナルの棋譜を作成して頂ける、稀有な囲碁棋士の先生が居れば、印税を折半して、共同執筆者として名を連ねて欲しい。

 書籍の印税は10%のルールは変えられないので、本の単価は「囲碁プロレス」が無い筆者単独で書いた場合より、高くなってしまうが、それだけの価値が筆者が提唱する「囲碁プロレス」にあると確信している。



 しかし、こうした要望は第7回カクヨムWeb小説コンテストに受かった場合の話であって、今の段階では「絵にかいた餅」に過ぎない。

 こうした筆者の希望や提案に、賛同して頂ける出版社があれば幸いである。

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