第20話 おいでませ!アルディオスの森へ!!天国と地獄編1

 アルディオスの森を我武者羅に駆ける一人の男がいた。

 男は、でっぷりと太った腹を弾ませ、恐怖に顔を歪ませる。


「はひぃ……。はひぃ。い、嫌だ!ワシは死にたくない!助け、誰か、ワシを助けてくれっ!!」


 縺れそうになる足を必死に前へ前へと進め、男は生に執着する。

 先程、自分の周りで起きた悪夢の様な惨劇が、自身の身に降り懸からぬよう神に祈りながら――






「良いか貴様等っ!天使様をお迎えするのは、我等デップゥ隊だっ!他の隊に決っして遅れを取ってはならんぞ!!」


「「「「ハッッ!!!」」」


 ふふん。ワシの檄に兵が猛っておるわ。

 隊列を組みながら行軍する精強な千人の部下を見やり、ワシは燻る欲望に火を灯す。

 たかが幼子を確保するだけで、褒賞は思いのまま。

 王の命により、この広大な森に多くの探索部隊が駆り出されてはいるが、ワシの"鼻"を持ってすれば幼子を見つけ出すなど容易い事だ。

 チョロすぎて笑いが止まらんわい。


「ぐふふ。今は千人隊長止まりだが、必ず幼子を捕らえワシは何処までも上り詰めてみせるぞ。ぐっふっふっふっふっふっ!!!」


「……デップゥ様。余り大声を上げられると魔獣供が寄り付いて来ます……。それに、此処は禁忌の森……噂に聞く死神達に勘付かれでもすれば……その、不味いのでは?」


 共に馬で行軍するワシの副官が、隣で微かな怯えを見せながら進言しおった。

 ワシはギョロリと副官に睨みを利かせる。


「貴様……栄えあるバーゼル帝国軍人が魔獣や噂の死神如きに怯えているのか?」


「い、いえ……。自分はただ、もう少し慎重に行動すべきだと考え――ぶべっ!!?」


 惰弱な言葉を吐く副官の顔面に、ワシは拳を捻じ込ませる。

 奴は不意に放たれたワシの拳に、顔面を抑えがなら落馬し、虫の様に蠢く。

 その姿に嗜虐心を煽られたワシは、馬から下馬し、何度も何度も暴行を加える。


「何が魔獣か! 何が死神かっ!! そんなもの我等デップゥ隊、バーゼル帝国にとって何の脅威にもならんわっ!! 死ね! 貴様の様な弱兵なぞ死んでしまえっ!!」


 ワシの拳を何度も打ち下ろされ、副官の顔がグチャグチャにひしゃげピクリとも動かなくなった。

 それなりに見目の良かったの悲惨な姿に、ワシの股座がいきり勃つ。

 興奮の余り、女の柔肌を嬲り痛ぶる事に快楽を見出すワシの脳裏に、幼き天使の姿を妄想する。

 噂では、幼き天使は大層美しい幼女だと聞く。

 少しぐらいのイタズラなら、陛下も多少は目を瞑ってくれるのでは無いか……。

 暗い劣情が心を満たしかけようとした瞬間、ワシの鼻が異様な臭いを嗅ぎつけた。


「なんだ……。この異常な敵意と殺意の臭いは……」


 ワシの嗅覚は特別だ。他の人間では決っして嗅ぎ取る事の出来ない遠くの微かな臭いですら嗅ぎ分け、人の感情や周りの気配すら臭いとして察知する。

 生まれ持った才能。この力のお陰で、ワシは軍内で多くの功績を挙げ、そして幾度も命の危機を脱してきた。

 そのワシの嗅覚が、これまでに嗅いだことの無い強烈な敵意と殺意の臭いを嗅ぎつけ、頭の中で警鐘を鳴らす。

 この臭いは不味すぎる。


「ぜ、全軍っ! 急いでこの場から離れる……ぞ?」


 振り返り、引き返そうとするワシの眼前には、唖然と立ち尽くす千人の部下達と地面から同じ姿形をした十体の巨人が這い出る姿があった。

 はち切れんばかりの筋肉の鎧を纏い、鎖の束を身体中に巻き付ける一つ目の化け物達は、ワシ等に向けて怖気の走る表情で破顔する。


 悪夢のような惨劇が幕を開ける瞬間だった――





「はひぃ……。はひぃ。い、嫌だ!ワシは死にたくない!助け、誰か、ワシを助けてくれっ!!」


 ワシは臭いを辿りに、他の部隊の元へと助けを求め、死に物狂いになって森を走る。

 突如現れた十体の一つ目巨人の出現に、その場はまさに阿鼻叫喚の巷と化し、千人の部下達は一矢も報いる事も出来ずに一方的な蹂躙によって壊滅した。

 奴等は、まるで紙でも千切るかのように素手で次々と部下達の体を弄び、嗤いながら辺りに血と肉と臓物をぶち撒け山のような残骸を積み上げおった。

 その悍ましい光景を見たワシの心は自分でも驚く程に容易く折れ、気がつくと部下達を置き去りにし逃げ出してしまっていた……。


「はひぃ……。こ、この近くに人の臭いがする……。ほ、ほ、他の探索部隊か!?」


 本来なら気付いて然るべき筈の臭いなのに、ワシは恐怖と絶望で頭の中が混乱し、まともな判断が出来なかったのだろう……。

 辿り着いた臭いの先には、望んだ景色とは程遠いモノが繰り広げられていた。


「こ、こんな酷い仕打ちをするなんてあんまりだ……」


 見渡す限りの木々の枝に、数え切れない人骨が吊るされ地面にはバーゼル兵士だと思われる全身の人皮が無造作に散乱していた。

 人骨には僅かな肉がこびり付き、内臓が骨の隙間から溢れ落ちる。

 この地獄を作り出したであろう人物が、気味の悪い笑顔でワシに語りかける。


「デュフフフフ。まだ生き残りがいた。少しだけ待って。コレをすぐ片すから」


 ワシの目の前で、メイド服を着た太った女がそんな事を言いながら、うつ向けになって倒れているバーゼル兵士の後頭部を片手で鷲掴みにする。

 五本の指が頭にめり込み、兵士の後頭部から不快な音を鳴らすと面白いように肉が裂け、女は勢いよく全身の骨を引き摺り出した。

 あり得ない様を見せつけられたワシは、腰が砕け穴という穴から体液を垂れ流し女に慈悲を請う。


「ワ、ワシを見逃してくれぇ。お願いだぁぁ!!」


「デュフフフフ。なんて矮小で醜い顔。私の人形コレクションにはしたく無い。まぁ、こんなのでも素材にはなる……か?」


 ワシの命乞いなど意に介さず、女はワシの元へと近付き頭部をわし掴む。


「嫌だ、嫌だ、嫌だぁ!!」


「デュフフフフ。貴方達は森に侵入し、あまつさえマルゴレッタ氏を攫うと宣った阿呆共。楽に死ねる訳がない。貴方達にあらん限りの惨劇と死を」


 ワシは悟る。

 この森には、吐き気を催す邪悪が詰め込まれている。この様な場所に神に遣わされた天使なぞ存在する筈などないのだ。この森に救いなどありはしない……。


 もし、あの噂が真実であるのならば、ワシは骨となって木に吊るされる事も無かったのだから――

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