第17話 マルゴレッタちゃん!奮闘前ッ!!前編
馬上にて弱々しい老人が一人。アルディオスの森へと飛び去る古龍の姿を目に焼き付けながら小さく咳き込んだ。
口を塞いだ自身の手のひらには、ドス黒くなった血が広がっている。
「ふん……。儂に残された猶予は幾ばくも無し……か。だが、神よ。儂は間に合ったぞ……」
血が付着した拳を強く握り込み、そう呟く老人は己に纏わりつく死の気配から抗うべく十万という軍勢を率いアルディオスの森へと訪れた。
老人の名はイデアル・ロウ・バーゼルマン。たった一代で巨大軍事国家バーゼル帝国を築き上げた稀代の英傑である。
「やはりこの進行は間違っている!!貴重な転移術者を五十人も使い潰してまで、この地に来るべきじゃ無かったんだっ!今ならまだ間に合います。即刻、引き返すべきです!!」
豪奢な鎧を身に付けた青年が、王の周りに侍る近衛を掻き分け、声高に叫びながら近付く。
「父上も見ていたでしょう!古龍なんてバケモノが住み着く様な森ですよっ!?それに、危険な魔獣が生息しているだけじゃ無い!この森には先代の魔王と勇者が住まう禁忌の森だ!!まさか、この地に踏み入った者達の末路を知ら無いなんて言うつもりはありませんよね?」
捲し立てる勢いで叫ぶ青年に、王は落ち窪んだ眼を向ける。
病に伏せ年老いてもなお衰える事のない、父の覇気が込められた鋭い眼光に青年はたじろいでしまう。
「……この悪魔達が住まう森には、神が遣わした天使が降臨されている。我々は、どんな手を使ってでもお救いし、お迎えせねばならん……。聡明なお前なら、儂の言葉の意味が分かる筈だが?」
父王の言葉に、青年は顔を俯かせる。
今、巷を騒がせるどんな傷も一瞬で癒し、死者ですらも蘇らせてしまう幼き天使の存在。
この世界には、回復魔法というものはある。
だが、それは生物に備わっている自然治癒を促し、回復を徐々に早めるものであって一瞬で癒す類のものでは無い。ましてや、死んだ者を蘇らすなど生物の持つ力の範疇を超えてしまっている。
そんな神の如き力を持つ者を、バーゼル帝国が囲い込む事が出来たのなら、どれだけ計り知れない利が産まれるだろう。
しかしと、青年は首を横に振る。
「……それでも、私は引き返すべきだと考えます。例えどれ程の利をもたらす存在だとしても、手に入れる事が出来なければ意味が無い……。手に入れる為に、我々の冒す危険性を考えれば割に合わな過ぎるんですよ……。父上は国を滅ぼしたいのですか!?」
懇願にも近い息子の問いに、父王は心底つまらなそうなモノを見る様な冷たい瞳で一瞥すると、息子から顔を背けた。
「聡いだけでは王は勤まらん……。ロイド。やはり、お前は器では無いな……」
「貴方こそ……。国を巻き込んでまで、神の如き力を持つ幼子を囲い、まだ生きていたいですか?その、底無しの支配欲をまだ満たし足りないと?父上、人は神によって定められた生に満足するべきなんですよ……」
「貴様……。知った風な口を……」
核心をつくロイドの皮肉な言葉に、憤怒の表情を浮かべる父王。
ヒリつく様な雰囲気が周りの兵士達に伝播し、静寂が支配する。
「はい〜!はい〜!親父もロイ兄も其処までにしときなよ〜!兵士達が縮こまってるじゃ〜ん!これから、狩りを始めるんだ、愉しくヤろうぜ〜!」
ねっとりと絡みつく間延びした不快な声が静寂を破る。
首を鎖で繋がれたボロボロの半裸の女達を引き連れ、長身痩躯の軽薄そうな青年が口元をイヤらしく歪ませ、ロイドの肩へと腕を回す。
「ロイ兄も、古龍を見てビビってナイーブになっただけだよな〜?親父も図星を突かれたぐらいで、そんな目くじら立てるなよ〜」
軽薄そうな男を見やり、此れでもかと顔を顰めるロイド。
「父上。……ジロンを幽閉から解き放ったのですね。こんな悍ましいケダモノを解き放つなんて正気の沙汰じゃ無い……」
「酷い言い草だねぇ〜。大好きなロイ兄にそんな事言われると、俺の繊細な心が傷付いちゃうよ〜」
ロイドの首に回した腕を更に引き付け、額が擦れそうな程の距離でジロンは微笑む。
「俺の事を好きになれないなら、お前を壊してやろうか?」
「――っ!!?」
魂すら縛れ征圧される。
そんな、錯覚すら覚えるほどにジロンの微笑んだ瞳の奥底には、言い知れぬ恐怖と威圧が潜んでいた。
実の弟に対し、大量の汗を吹き出し震えながら立ち竦むロイド。
「……止めよ、ジロン。ロイドとじゃれ合いたいなら、貴様に与えられた仕事を片付けてからにせよ」
父王の言葉に酷薄な笑みを湛えるジロンは、震える兄の肩を気遣う様に叩いた。
「だってさ〜。まぁ、俺達がアルディオスの奴等をぶっ殺すまで、お預けみたいだしぃ〜。
「……バケモノめっ」
「ふふっ。そんなの良く知っているだろ〜」
自身の首に回した腕を解き、その場から離れていく愚弟の後ろ姿を忌々しそうに睨め付けるロイドは、父王に再び語りかける。
「父上。ジロンを解き放った事、必ず後悔しますよ……」
「…………」
父王は何も応えはしなかった。
ただ、焦がれる様にアルディオスの森を見つめるのみ。
その姿に、ロイドは奥歯を噛み締めながら、苦渋の決断をする。
どれほど進言しようが、死にかけの老人は奇跡の力に取り憑かれ、切ってはいけない札まで切ってしまっている。
もう、前へ進むしか選択肢はない。賽は既に投げられてしまっているのだから……。
「全軍、準備が整い次第、悪魔共が潜むアルディオスの森へと侵入する!!!心せよ!!幼き天使様を必ずお救いするぞ!!」
ロイドの言葉に、一斉に右拳を掲げ応える十万の兵士達。
通り風が森の枝葉を揺らし、カサカサと葉と葉が擦れ合う音を鳴らす。
まるで、これから起きるであろう侵入者達の悲惨な末路をあざ笑うかのように――
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