金貨1枚で変わる冒険者生活

天野ハザマ

人生を変える、金貨1枚(前編)

 路地に、薄汚れた少年が座り込んでいた。

 茶色の髪は汚れと汗でくすみ、簡素な布の服も汚れが激しい。

 一見して落ちぶれ者と分かる少年のそんな姿は、別に珍しくもない。

 此処、フィラード王国の中でも特に景気の良い迷宮都市エルトリアでは夢見てやってきて、そのまま夢破れる者など掃いて捨てる程にいる。


 ただ、少年の姿に他の落ちぶれ者達と違う点があるとするなら、それは。

 その髪と同じ茶色の瞳が未だ光を失っておらず。その腕に、冒険者見習いの身分を示す木製の腕輪が嵌っている事くらいだろうか?

 他には少年は何も持っていない。何も、何一つとしてだ。

 英雄譚に謳われる伝説の剣を隠し持っているわけでもなければ、その身に強い魔力を秘めているわけでもない。

 実は王家やら貴族やらの隠し子というわけでもなく、農家の四男で口減らしの為に僅かな保存食を持たせて追い出された、そんな程度の出身。


 幸運と言えば奴隷商人に売られなかった事と、無事に迷宮都市に着いた事。

 不運はその後全部。

 働いても働いても何故か全く儲からず、装備どころか宿に使う金すら捻出できない。

 仕方なく近くの建物の軒下で休めば、少し寝た隙に有り金をほとんどスられる始末。

 預ける場所など何処にもなく、仕方なく誰にも見られずに隠しても隠し場所を発見され持っていかれたりもする。


 当然だ。見られていないと思っても見られている。

 特にカモと思われた少年は常に誰かが見張っている。

 路地裏のすでに浮き上がる気すら無くした者達は、未だ魂までは自分達と同じにならぬ少年を、振れば金の湧き出る袋か何かとしか思っていない。


 衛兵も、少年の事を哀れには思っているがどうしようもない。

 そういう連中は、公権力の裏を掻く努力だけは欠かさない。

 それでも、少年は折れない。稼ぐことを、諦めていない。

 その先にある夢を、諦めていないのだ。


「……仕事、行くか」


 すきっ腹を抱えて、少年は起き上がる。

 今日も町の外で薬草採り。


 傷薬の材料となるギーネ草は、1つで5イエン。

 状態により多少値段は上下して、少年の採ってくるギーネ草は、1本8イエン。

 半日かけて30本は採取出来るから、240イエン。

 けれど、そこからギルドに仲介料で半分取られて120イエン。


 リンゴが1個70イエンな事を考えると、これでは生活費にすらならない。

 だから、メインは特殊な薬草の採取だ。

 たとえば、毒消しの材料となるアルヌ草。これなら1つで50イエン。

 麻痺消しの材料となるオルム草なら、1つで20イエン。

 各種ポーション作成の基本となるエファ草なら、1つで100イエン。

 森に入って色々な木の実を見つけてくれば更に高収入が期待できるが、そちらにはモンスターが出る。

 ナイフ1本持っていない少年では、とても太刀打ちできるような相手ではない。


「……武器だ。せめて武器さえあれば変わるんだ……」


 剣とは言わない。せめてナイフ1本。それだけであれば、命がけで挑めばゴブリン1匹くらいなら何とかなるかもしれない。

 そうすれば、もっと変わる。森の奥に行けるなら、ダンジョンに潜れるなら。

 こんな生活からは抜け出せる。その為にも稼がないといけない。

 少しでも多く、1イエンでも多く。


 そんな事を考えながら歩いて、少年は町の北門へと歩いていく。

 浮浪者一歩手前ながら真面目に働いて抜け出そうと頑張っている少年の姿を衛兵達はよく見知っており、気の毒そうに声をかけてくる。


「お、イストファ。今日も薬草採りか?」

「うん。僕には、それしか出来ないから」

「……ん」


 少年の……イストファの言葉に、衛兵の男は思わず言葉に詰まる。

 助けてやるのは簡単だ。武器屋で売っている安いナイフなり剣なりを与えてやればいい。

 あるいは、ちょっと口利きして衛兵見習いにでも採用してやればいい。


 しかし、そうする事で確実に面倒事に巻き込まれる。

 他の自分で何の努力もしない連中が我も我もとやってくるだろう。

 追い払うのは簡単だが、そうするとそういう連中の目はイストファへと向かう。


 あいつだけズルい。そうだ、奪ってしまえ。

 そうなるのは目に見えていて、そうなった時にイストファは簡単に身包み剥がれ身元不明の遺体となるだろう。

 助けるなら、その後の全てを面倒見るつもりで助けなければならない。

 そして、少なくとも。衛兵の男達にはそうする程の覚悟も義理もなかったのだ。

 だから、衛兵の男はこう声をかける。


「ま、無理しない程度にな」

「いや、多少は無理しなきゃ。そうしないと、いつまでもこんな生活を抜けられやしない」

「まあ、な」


 苦笑する少年に衛兵はバツが悪そうに頬を掻いて「ま、頑張れよ」とだけ声をかける。


「うん、行ってくる」


 イストファもそう答えて手を振ると、そのまま町の外まで走ろうとして。

 しかし、誰かにぶつかって弾き飛ばされるように尻餅をつく。


「う、わ……っ」

「げっ、なんだこの汚ぇガキ!」

「あーあ。財布確認しとけよお? スられてねえか?」


 そこに居たのは、立派な鋼の鎧を着込んだ冒険者の男。

 がっしりとしたその身体は、しっかりと食事をとって身体を動かしていなければ出来上がるようなものではない。

 もう1人は、魔導士だろうか? 抱えた杖には高そうな宝石が嵌っているのが見えた。


「ご、ごめんなさい」

「ごめんじゃねえだろうが! ったく、こんなのは駆除しとけっつーの!」

「おい、そこまでにしておけ。お前等新顔だな? あまり騒ぐようなら追い出すぞ」


 そこに衛兵がやってきて男達を睨みつけるが、男達は軽く肩をすくめ銀色の腕輪を見せつける。


「銀級冒険者……?」

「おうよ。噂の迷宮都市とやらで腕試ししてみようと思ってな。ついでに町の税収にも貢献してやろうってわけだ」

「……通れ」


 銀級冒険者。上位の冒険者の証であるその銀の腕輪をした彼等は、それなりの実力者であるということだ。

 冒険者として稼ぐということは、当然町の税収も増える。

 それは当然、優遇される材料となり得るわけだ。

 あんな態度でも許されるような……そんな生活が出来る。


 僕だって、いつかは。

 そんな想いを抱きながら、イストファは門を出る。

 広がる草原は、雑草と薬草の入り混じる採集地。

 しかしベテランであれば薬草採取などやらないし、初心者でも武器1つあればモンスター退治に挑む。


 故に、薬草採取というのは子供の小遣い稼ぎ程度の扱いなのだが……それでも、今イストファに出来る仕事はこれしかない。

 素手の取っ組み合いでゴブリンに勝てると思う程、夢見がちではない。


「……僕だって」


 そんな事を呟きながら、生えていた薬草を採取する。

 根からゆっくりと掘り起こし、土を掃って腰の袋に入れる。

 薬草といえど野に生えているだけあって生命力は雑草並みで、根から取っても残った僅かな根からまた生えてくる。

 そして、根は扱いこそ難しいが薬効は草そのものよりも高いともされている。

 故にイストファのやっている事は、すでに薬草採りのベテランと言って遜色ない。


 目についたものを掘り起こし、掘り起こした後は土を埋め戻す。

 そんな事を繰り返していると、ふとイストファの上に影が差す。


「ふーん、中々手慣れてるわね。今のそれ、エファ草よね? どうやって判別したの?」

「え?」


 言われて、振り向いて。そこに居た人物に気付き、イストファは「わっ」と声をあげる。

 驚いた。いつの間にかそこに誰かが来ていた事に。

 そして、そこに居た人物の……美しさに。

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