7


 夜明けとともに宿を出た。しっかり者のバーテンはもう起き出して朝飯の支度を始めている。


「よぉ、フィル、随分早いじゃないか」

「あぁ、あんたと同じで仕込みを始めるのさ」


「こんな時間からか? おまえの生業なりわいを見誤ったかな?」

バーテンが苦笑いする。


「百ダム、ここに置いてくよ」

「おぅ、今夜も部屋を空けとくぞ」

それには答えずフィルは街に出た。


 昨日、目星を付けておいた路地を張っていると、案の定、桃を欲しがっていた少女が姿を現した。思っていたよりも早い時間だ。夜明けに動き出してよかった、とフィルが胸を撫で下ろす。


 路地を抜け、少女は飲食店が立ち並ぶ方向へ進んでいく。気取られないようにやり過ごし、少女が来た方向を見るともなしに眺めると、井戸端に洗濯物を持って初老の女が出てきた。

「やぁ、朝早くから働き者だね」


まずはこの女から話を聞き出そう。どうせ少女の仕事先はすぐ判る。

「なんだい、見ない顔だね。貧乏人は朝早くから働かなきゃ、すぐ生活が立たなくなるさ」


「そうだよなぁ……今さ、女の子が出て行ったけど、あの子も働きに行ったんだろう?」

「マナの事かい?」

初老の女が胡散臭そうにフィルを見る。


「そう、黒髪の子。俺のご主人があの子にご執心でね、素性を調べろって言われたんだ。あの子、何だったっけ、レストランで働いているよね」


「北町通りの『エスカルゴ』ってレストランの事だろう? そんな事より、あんたのご主人? 娼館を経営しているとかじゃないだろうね?」


「いいや、貴族さ。たまたま、その『エスカルゴ』でマナを見かけて気に入った。うちのご主人、若い女が好きでね。で、大事にする。が、せいぜい二十歳までだ。若くなくなりゃ興味もなくなるが、お役御免と言っても、たいそうな慰労金を持たせる。店を始められるくらいは出す」


「本当かい?……」

女が少し考え込む。


「本当さ。俺の姉貴も実は世話になった。この街じゃあないが、今じゃ袋物の店を始めてそれなりに繁盛している。姉貴が世話になったときから俺の面倒も見てくれるようになって、半端仕事だけど食うに困らない程度はくれる」


「確かに半端仕事だね」

女がケラケラと笑う。


 そしてフィルをまじまじと見つめ、

「なるほど、よく見ればおニイさん、なかなか可愛い顔をしているじゃないか。あんたの姉さんなら、さぞかし男に気に入られそうだ」


何だったらわたしと遊んでくれるかい? 初老の女の冗談に一瞬、もう一つの商売を見破られたかとヒヤリとするが、フィルは笑って誤魔化した。


「あの子はね、マナと言うんだ。母親が病気でね、もう長くないかもしれない」

「そいつはいけないね」

 本心からフィルがそう言うと、女の目に涙が浮かぶ。


「結局マナも母親と同じ運命なのかもしれないね。こうなったら娼婦になるよりは貴族のお抱えのほうがいい」

「母親と同じって?」


「マナの母親は貴族の屋敷にメイドに出たのはいいものの、はらまされて帰って来たんだよ。で、マナを生んで一人で育てた。それから病気になるまで、苦労を重ねた商売人の家で働いた。あるじも女房もいい人で、でもさ、働けない女の面倒をみられるほど裕福じゃあなかった ―― 貴族様の世話になどなりたくない、それがわたしら貧乏人の本音だけれど、世話にならなきゃ、あんな子ども一人でどう生きていけっていうのかねぇ」


「貴族の世話になるのは嫌か……そりゃあそうだよな」

フィルが軽くため息を吐く。


「いや、お待ちよ。嫌だ、と言って飢えて死ぬより嫌ってわけじゃない。娼館に身売りするよりまだマシだ。しかも、あんたの話が本当なら、こんないい話はない」


「そうだろう? 俺もそう思うよ」

本当の話なら、だ。チクリとフィルの胸が痛む。そして本音が違う、と叫ぶ。


 本来なら、誰にも従属せず、蹂躙されず、そうやって人は生きるものだ。少なくとも魂の姿はそうだったはずだ。いつの間にやら貧富の差が生まれ、多く持てる者が持たざる者を従属し始める。そしてそれが日常となった。


「まぁさ、何しろマナの意向を確かめなきゃね。エスカルゴを訪ねてみるよ」


話をありがとう、そう言ってフィルは初老の女の手に小銭を握らせ路地を後にした。

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