第36話  龍と


 何度か転移の呪文を唱え、ウォレスは風の中にいた。宙を舞う龍の背――頭、もしくは首か――の上に。

 乱れ流れる風の中、龍に刀を突き立て、足を踏みしめてこらえる。足元の石は土に汚れている他はなるほど、歩き慣れたいつもの感触だ。

 首をめぐらせ、龍の頭の方を見る。魔法の一斉攻撃を喰らったはずのそこはわずかに焦げが残るのみで、大きく砕けているようには見えなかった。


「なるほど、腐っても迷宮か。そう言いたいんだな、要はお前は」


 喪失迷宮。その中でいったい何人の魔導者が、あるいは魔物も、魔法を放ってきたのか。業火や爆発、突風に雷撃、極低温の猛吹雪。いったい何度喰らってきたのか、その煽りをこの迷宮は。けれどそれで、壁や床が砕けたという話は聞かない。石の表面ぐらいならともかく。

 おそらく、魔法そのものが効き難い。迷宮の積み石――龍の体――それ自体に、そういう性質があるのだろう。


「ふむ」

 刀を突き立てたまましゃがみ、積み石の一つに手をかける。そのまま力を込め、握り砕いた。

 迷宮の一部であるあのアレシアに、ウォレスの刀は充分通った。動揺しても腕を斬り落とせるぐらいには。そして迷宮の石自体も、ウォレスの力なら問題なく砕ける。


 喉を震わせて笑った。

――龍だか何だか知らねえがよ。俺を敵に回して良かったのかい? 今の俺は岩石巨人ストーンゴーレムでさえ蹴り殺せる、その気になれば握り千切ちぎり殺せる男なんだぜ? もっともあっちには魔法も効くが――。

 とはいえ、視界を胴体の方へ戻して思う。空の遥か先を、風を散らして延々とくねる石の塊を見て思う。のみを手で潰せる男が、その蚤がくっついていた熊を殺せるかというと話は別か。


「まあ、やってみるさ」

 突き立てた刀を左手で握り、右手は大きく振りかぶる。拳を握り、体ごと打ち落とすように、足元目がけて突き抜くような拳打を放った。


 後悔した。

 確かに打撃は効いていた。思った以上に充分通った。辺り一面の石は、ウォレスの拳を中心にして深々とえぐれるように砕けた。刀を突き立てていた箇所も含めて。そして打った拳の反動で、ウォレスの体は浮き上がる。


「うおおおおっ!?」

 なぶるように吹き続ける風が、たちまちウォレスの体をつかんだ。

宙を流れるウォレスの体の下で、それ以上の速さで、石の流れが過ぎていく。それがもし軽く身をくねらせれば、ウォレスの体にぶち当たるだろう。その速度で石の塊が。もし地上でひとしきり寝返りを打てば、それだけで街の跡形もなくなるであろう巨大な質量が。


 慌てて転移の呪文を唱え――転移先の座標は龍から離れた宙に定める――、空の一角へ回避する。下に風しかない――その遥か先に小さく街が見えるが、何の慰めにもならない――足を無意味にばたつかせながら、続けて呪文を唱える。浮遊の呪文。本来は迷宮の罠を回避し、水場を渡るため地上からわずかに浮かぶ魔導だったが。今はそこに、風の呪文を併せて唱える。

 温かみさえ感じさせて意のままに巻き起こる風がウォレスの体に絡み、足元を支えて吹き上がる。魔導にそれなりの心得がある者なら、こうして宙を舞うこともできた。天井のある迷宮では全く用をなさない技術ではあったが。


 ふらつきつつも足元から風を吹き上げ、龍へと向き直る。

 龍もまた頭をウォレスへと向け、空を震わす声を上げた。

「そんなに俺を喰いたいか」


 口に出してみると、確かに手もなく喰われそうで。正直後悔した。

「……コショウぐらいはあるんだろうな。俺は実際、えぐい方だぜ」

 引きつる顔でそう言ってみる。

 龍は笑う様子もなく、風を巻いてウォレスへと迫る。


 ウォレスは宙に留まり、呪文を唱え始めた。なるほど、迷宮に魔法は効かない。殴り殺すのも難しそうだ。だが、とっておきのものがウォレスにはある。言葉どおり、取って置いたものが。この九年間、あるいは十八年間。人生の半分以上をかけて。


ストロ・ソルフォ・アン・ブロ藁を敷き飼葉を置きあるいは壁と錠・ウォル・ロクド・エント・ムーセント前に隔てた場所にそれを置くだろう――【厩倉スタブレム】!」


 ウォレスの指が星に似てひそやかに光る。空を裂くように大きく振るったその先、龍の上で、さっくりと空間が割れた。

 その向こう、歪な虹が揺らぐ別の空間には。剣が鎚が盾が槍が杖が短剣が魔法衣が魔法薬が酒瓶が、渦を巻いて無数にたゆたう。迷宮でウォレスが集め続けた戦利品が。最下層の部屋から溢れ、到底入りきらなくなった武器の類が。呪文によって接続され、荷の保管場所として利用される別空間で。


「出ろ、並の武器は全て出ろ。全てだ!」


 雨のように、ではなかった。瀧のように、星が全て流れ落ちたように、海の底が抜けたように。全ての武器は降り注いだ。龍へ向けて。


 風の呪文を唱え、大ざっぱにそれらの方向を操り、加速させながら。ウォレスは微笑んだ。

 どうだい、こいつは。俺のとっておきは。数えておいた、大体数えておいたんだぜ、集めながらな。暇だったんでな。暇だったんだよ。


 硬く突き刺さり、あるいは弾かれ、武器同士がかち合う音が空を満たす中、未だ武器が降り注ぎ続ける中、ウォレスはいっそう堅く笑った。

 どうだい、九万八千三百五十一振りの剣の味は。七万四千七百九十六丁の斧の重さは。六万三千九百三十七本の槍に刺されたことはあるかい? 四万六千二百四十三振りしかない刀だが、なかなかに斬れるだろう? 短剣と、鎚やら何やらはいくつか忘れたが……まあ、足せば剣よりずっと多いよ。

 遠慮せずに受け取れよ、お前がんだ物だろう? 


 針鼠のように海胆うにのように、武器が刺さった龍は身をくねらせる。それは苦しんでいるというより、驚き身じろぎするように見えた。


 武器が異空間から流れ尽くした後、龍へとウォレスは呪文を唱えた。炎の呪文。自らの身長の倍ほどの炎弾を次々と放つ。魔導の届く範囲、その体の上部だけであったが、龍は炎に包まれた。


 それでも炎はすぐにかき消え、変わらぬ姿で龍は吼える。


 ウォレスの表情は変わらない。――落ち着けよ、隠し芸には続きがあるんだ――。

 次に唱えたのは吹雪の呪文だった。極低温の氷の渦が、雲のように白く龍の上部を覆う。


 ウォレスの策はこうだった。迷宮の石は魔導を受けつけない、だが強度は並の石だ。ならば魔導以外ではどうだ。まず武器を突き刺した後、そこに高温と低温の温度変化をかける。これなら魔導を直接受けているのは武器だ。炎や吹雪自体ではなく、それによる急激な温度変化のみを、武器を介して石に伝える。それで石を砕けるはず。


 やがて辺りを吹く風が、氷の雲を散らし。そこには龍が身をくねらせていた。その動きごとにぼろぼろと、体の上を武器から武器へつながって走る亀裂から、石をこぼし続けていたが。変わらず身をくねらせていた。


「……思ったほどは、ウケなかったか」


 正直、これで粉々になっているという腹積もりだったが。

軽く頬を引きつらせ、ウォレスはさらに呪文を唱えた。転移の呪文を連続で使って近づいた後、風の呪文。足元から、背から風を吹き上げ、龍へと飛んだ。その体の中ほどへと。

 風を切る音を立て、手にした刀を振り上げて。急降下しながらすれ違いざまに斬る。突き刺さった武器の根元から根元、龍の体を走る亀裂に沿って。駆け抜けては斬り、行き過ぎて、別方向から駆けては斬る。その付近一帯を。


 妖刀焔正ムラマサとはいえぼろぼろになり、呪文を唱えて別の武器をんだ。さっきの魔導でも放出せず、別空間に残しておいた、特に貴重な武器。絶聖剣キャリヴァーン貴誓槍ゲッシュボルグ妖刀焔正ムラマサの替え、他。

 足して九百六十八本のそれらを縦横に振るい、打ち込み、突き入れて、使い捨てながら宙を駆けた。その一帯を、龍の周囲ぐるりと、その一帯だけを。身をくねらせ押し潰そうとする龍から、どうにか身をかわしながら。巨体が起こす風の流れに、何度も弾き飛ばされながら。


 全ての武器が折れ曲がりあるいは刃こぼれし切った後。ウォレスは曲がった剣を手にしたまま転移の呪文を続けて唱え、龍の頭上へと移る。残された魔力を絞るように、そこから風の呪文を唱え、飛んだ。上へと、可能な限りの速さで。


 吼える声を上げて龍は追う。くねらせていた身を真っすぐに、速度を上げて。


 さらにウォレスは呪文を唱え、速度を速め。それでも龍は見る間に、ウォレスへと迫っていた。ウォレスは再び速度を上げ、また龍が追い。さらに速度を上げたが、それでも龍は追い続ける。


 まだか。

 ウォレスがそうつぶやいて、その間にも龍の頭が迫る。風を押しのける音を響かせ、視界を潰すように迫り来る。


「まだかよ!」

 叫んで、曲がり切った剣を龍へ投げ、それが、かつり、と当たったとき。


 龍の体から石がこぼれた。一つ、二つ。見る間にそれはさらにこぼれ、数え切れぬほどにこぼれ。龍の体に穴が開いた、龍の体が大きく欠けた。ウォレスが斬りつけ続けていた一帯、体の中ほどが。

亀裂は亀裂とつながりさらにまたつながり体の奥深くまで食い込み、こぼれ、砕け、落ち。


 折れていた、迷宮が。乾いた音を雷鳴のように立てて。


 慌てたように龍は動きを止め、頭を亀裂に向けてめぐらせようとする。そうしていた、龍の頭の方は。上半分は。

 下半分は違った、すでにそれは折れている。止まろうとする頭とは裏腹に、それは飛び続けていた、ウォレス目がけて上へ。


 当然それらはぶち当たった、ほぼ同じ質量が。ほぼ同じ強度で、温度変化を受けたかどうかの違いはあるが、どちらにせよ並の石程度の。


 砕けた、それらはどちらも。重く轟く音を上げ、悲鳴のように響かせて。積み石の欠片を砂のように、破裂したようにまき散らして。

砕けちた、欠片となって。下半分のうち残った塊も、自重を支えきれなくなったかのようにいくつかに分かれながら墜ちていった。


 未だ痛いほどに鳴る心臓の音を聞きながら、ウォレスはゆっくりと落ちていった。ある程度風になぶられた後、最後に魔力を残していた転移の呪文を唱える。

地上へ。



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