第33話  これはウォレスは知りもしない


 ――物語は終わってしまって、それはウォレスも知っているが。これはウォレスは知りもしない。

 王女はただ抱きついていた、その胸に顔を預けていた。全てが震える迷宮の中で、彼女はじっとそのままでいた。魔王の首の斬り口から、時折垂れる血に濡れたまま。

 首のない魔王もまた、そのままでいた。王女を抱くでもなでるでもなく、ただじっとそこにいた。やがてその細腕が、王女の肩を取り、顔を胸から引き離す。

「先生……?」

 その薄い手が。叩いた、彼女の頬を。

叩いた、再び。

震える指で拳を作り、殴った、一度。


「先、生」

 頬に手をやり、つぶやく王女の。その首に魔王は手をかけた。震える両手を、絞るように絞めかけて――不意にその力が緩む。ため息をつくように肩を落とした。

そうして、片手の指を自らの首の斬り口へやり、血に浸す。それで彼女の胸に書いた、呪文の文字列を。


「先生!」

 気づいた王女はその手を振り払おうとしたが。そのときにはもう、魔王の指は終止符を打っていた。転移の呪文の文字列の。

 水面のように揺れ始める、王女の視界の中を。魔王の背中が遠ざかっていく。ないはずの首を、彼がゆっくりと横へ振る――それを王女は、見た気がした。

 その物語も終わってしまって、ウォレスは何も知りはしない。――


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る