第9話 至極まともだ
ともかく依頼――ディオンが言うところの命令――のとおり、龍の宝珠を探す。そう決めた、アレシアのことは考えないことにした。ついでに言えば、王女のことも。
探すといって、手がかりが示されているわけでもない。とりあえずは迷宮をめぐり、宝珠を奪った者と、そいつが足を踏み入れた痕跡を探す。加えて迷宮の住人から、そうした者の情報を聞いて回ることにした。目的があることと自分から人に会おうとする以外は、これまでの毎日と同じだともいえた。
思わず舌打ちが出る。王宮からの命令としてはあまりにも大ざっぱだ。
「嫌がらせか、こいつはよ」
かもしれない。王女からの嫌がらせ、心当たりがないではない。恨みに思うべきは、むしろこっちの方ではないか――そんな風にも思えたが。言いはすまい。言ったところで仕方もない。
ただ宝珠について、魔王が遺したものだとすれば。一つは当てがなくもなかった。だがその当てがどこにいるのかが見当もつかない。それも併せて探す必要があった。王女自身から情報が聞けるのなら話は違ってくるだろうが、ないものねだりだ。
「行くか」
いつものとおり下着姿に――ズボンだけは履いた――サンダルで、剣帯に手入れの悪い剣を一振り。忘れると決めてはいたが――あくまで、何らかの関係があった場合のため――欠片はポケットの中で、ちゃりちゃりと鳴っていた。
最下四層を出た後、転移魔法を繰り返し。まずは地下五十階へ来た。いくつかの角を曲がり、突き当たった扉を叩く。逆五芒星や山羊の頭骨、悪魔とおぼしき魔物の姿、その他本来ならおどろおどろしいであろうものが、子供の落書きめいた筆跡で削り描かれた鉄扉。
「いるか、アラック。俺だ」
とたん、中から駆け寄る音がした。跳ね飛ばすような勢いで扉が開かれる。同時、フードを被った男がウォレスの足元へ、滑り込むようにひざまずく。
「おお、ウォレス神、おおお! 直接の御降臨とは、もったいのうございます!」
男は組んだ腕を顔の前へ掲げ、そして頭を下げながら床へとつける。それを繰り返しながら何か、礼拝の言葉らしきものをしきりに唱える。その後頭を下げた姿勢で言った。
「まこと、もったいのうございます我が主ウォレス! 我が家のごとき穢れた地へ御降臨などと、ああされど何か御命令ありますればなんなりと! もしや、腐れた地上をついに滅ぼすのですか! それともあの忌々しい太陽めを叩き落とし、永遠の闇を創り出されるのか! おおなんと、おおなんと!」
好きに喋らせた後ウォレスは言った。
「ああその、苦しゅうない。とりあえずおめえよ、飯の途中で来なくていい。口拭けよ」
言われて下を向いたまま、パンくずとシチューのついた口をアラックは拭う。
ウォレスは部屋の中をのぞいた。
壁に取りつけられたフックからフックへ、部屋中に紐が張り渡され、蛙か何かの干物やら薬草だか毒草だか、得体の知れないものらと共に、下着や靴下が干されている。銅板を敷いた床の上には所狭しと本が積まれ、その間に敷かれた魔方陣らしきものの上ではマグカップが倒れて染みを作り、焼き菓子の破片が散らばっていた。飼っているわけでもないだろうが、その横を素早く虫が走る。奥の炉には鍋がとろ火にかけられ、牛乳をたっぷり使ったであろうシチューの香りが漂っていた。その横では押しのけられたように、牛や山羊の頭骨や爬虫類を漬けた瓶詰めが乱雑に積み上がっている。頭骨のうちいくつかは床へ落として喪失されかけたことがあるのだろう、下半分ほどが溶けたようになくなっている。
アラックは邪神の教徒だった。本人が言うにはそうだ。かつて魔王、反逆の魔導王が異界から邪神を召喚しようとした際に――本人が主張するところでは――その知識を買われて協力を求められ、そのおかげで後に――魔王の死後だったが――召喚が成功した、ということだ。本人以外がそうだと言ったことを、聞いたことはないが。
ウォレスは片手を掲げ、厳かに言ってみる。
「まあよい、敬虔なるアラックよ、お前に聞こう。龍の宝珠、とやらについて聞いたことはあるか。かつての魔王に関するものであるのだが」
アラックは平服したまま首を横に振り、そうしながら喋った。
「いいえ、新たなる我が神よ! さしたるものについてはこれっぱかしも、いいえ魔王一の側近たるわたくしめでも、聞き及ぶところではございません」
彼と魔王が一緒にいるところや邪神と共にいるところをウォレスは見たことがないが、本人が言うにはそういうことだった。
ウォレスは隠さずため息をつく。妙にこってきた肩を回した。
アラックの理屈では、邪神を討ったウォレスこそが新たな邪神だそうだった。異界の存在である悪魔などの魔物や邪神、それらは純粋に魔力そのものの塊であって。それを殺したものはその力の一部を吸収するのだそうだった、その主張するところによれば。そうして邪神の力を得、以後も魔物を狩り続けて力を得たウォレスこそが、新たな邪神だそうだった。
アラックは顔を上げ、首を傾げる。
「しかし、龍。龍でございますか、
小山のような巨体、一枚一枚が盾のような鱗。一対の翼は飛行より、狭い迷宮内で振るうように打ち据えて、冒険者をまとめて叩き殺す用途に使われる。並みの防具はものともせず引き裂き噛み潰す爪と牙、さらに炎の吐息。
多くの冒険者にとって慎重に避けて通るべき天敵であり、ウォレスからすれば喉肉が柔らかくて旨いという印象だ。岩塩を擦ったものを振りかけてあぶり焼けば、たまらない脂を滴らせる。
「よい、その龍について知っていることを述べよ」
アラックは地に顔を向け、動きを止めた。
「は、龍。その……龍は……長い、と。とてつもなく、それこそ見たこともないほど長いと。それで、翼もなく空を」
「お前が聞いたたわ言とは? 酔っ払いとは誰だ」
その本人を探し出せば、案外まともな情報が聞けるかもしれない。素面(しらふ)のときに会えれば。
アラックは飛び込む勢いで、胸まで地べたにつけて平伏した。
「それは、お許しを! 主にお聞かせするほどの価値など――」
「いいから言えよ、言ってみろって」
平伏したままアラックは、震えながらウォレスを指差す。
そういえば。供え物だと、良い酒を持ってこられて。潰れるまでアラックの前で呑んだくれたことがあった。そのときにでも言ったのだろうが、記憶にはない。いや、言われてみれば言った気がする。迷宮に眠る幻の魔物を退治しただの、永い眠りについていた古代文明の姫を目覚めさせてものにしただの。冒険者なら誰でも一度は、言ってみたくなる類のたわ言を。
咳払いしてウォレスは言う。
「……うん。分かった、もういい。他に、龍の宝珠について知り得る者は」
「わたくしめでなければ
アミタ。彼女こそがウォレスの考える当てでもあったが。その居場所すら分からない。
ウォレスは息をついて背を向けた。
「ご苦労。では、さらば――」
そこで思い立ち、言ってみる。
「――ときに、聞いたことなどあるか。迷宮で喪失された者が、帰ってきたという噂。……あと、アレシアって女のこととか」
アラックは顔を上げ、けげんそうに眉を寄せた。
「いえ、聞いたこともございませんが。それが何か」
「いや……いいんだ、だろうな。世話かけた」
その後も住人を訪ねて回ったが、収穫はなかった。そもそも会えない者が多かった。アミタは言うに及ばず、ジェイナスもよく寝床にしている部屋に姿はなかった。
ああ見えてジェイナスはまともな部類だ、会えたならある程度の情報は期待できた。そもそも、会ったところで話にならない者も多い。残念ながらアミタもおおむねその一人だが。
しかし、とウォレスは思う。ジェイナスにこの話をしたなら、喪失された者が帰ってくると言ったら。いったい何と言うのだろうか。
食いついて根掘り葉掘り聞いてくるか? いや、何の関心もないかも知れない。何しろ彼の頭の中は、仲間を失う寸前で止まっている。彼の中で仲間は喪失されてなどいないし、魔王は誰にも倒されていない。
それとも案外関心を示すのだろうか。彼は未だ冒険の最中で、しかも冒険者の中の冒険者だった。仲間を失い悲嘆に暮れる他人のために、彼なら力を振るうだろう。
そこまで考えてふと思う。ウォレス自身もまた、彼と同じではないのだろうか。冒険は終わって、魔王も邪神も倒してしまって、それでもまだ続けている。今の今まで探すものも何もなく、それでもただ続けている。
なるほど、ジェイナスは至極まともだ。ウォレスに比べて。
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