第8話 帰還
砂漠の太陽が再び沈み、星々が天空に瞬き始める頃、キャロルたちはオロフの手下たちと入れ替わるようにオアシスを出発した。
クレマンたち暗殺団に雇われていた傭兵たちも一緒で、ちょっとした人数の集団になっている。
結局クレマンはクロードやオロフと戦わずに逃走したらしい。恐らくは野良猫と呼ばれた少女が手綱を離れ暴走した事が転機となったようだ。
その少女はレビンと一緒に馬車の中で眠りについている。
怒りの感情から開放された反動で、数日は目が覚めることもないだろうとキャロルは見立てていた。
行きと違い、徒歩の傭兵たちに合わせて馬車もゆっくりと進む。
馬車の中にはレビンと眠る少女、それにキャロルがいた。
クロードはロス、セッツとともに傭兵団を率いて馬車の後を随伴している。
精神的な疲労も濃いであろうレビンも寝息を立てている。その手にはマン・ゴージュが握られていた。
レビンの強い希望もあり、オアシスの片隅にあの男を埋葬する際にマン・ゴージュだけ手元に残した。
逆臣とは言え剣術の師であった男の死はレビンにも深い傷跡を残したようだった。
キャロルは眠り続ける少年の前髪をかき上げその表情をのぞき込む。
その顔はまだ幼いながら端正な表情をしている。
――やっぱり育ちの良さそうな顔をしているね。
キャロルは自身の生い立ちとレビンのこれからを重ね合わせていた。
――どの道を進むにしてもこの子の未来には苦難の道が待ち変えているのだろう。ロアンヌで生まれ育ったわたしにとって、未来とは必ず来ると約束されたものではないと思っていた物だけど……。
キャロルはクロードに言われた言葉を思い出していた。
『わかった。もし、お前に何かあればレビンの面倒は見てやる。ただし、それまではお前がしっかりあいつを守ってやれ』
ルドルフとの話し合いの結果次第になるだろうが、これからレビンと一緒に旅を続ける可能性もある。
――その時はわたしがレビンのことを守ってあげるのか?
キャロルはレビンとともに旅をする未来を想像してみた。
――わたしの未来か……。少しは考えてもいいのかな?
腕を上げ軽く伸びをするとキャロルも眠気を感じた。
幌の隙間から見える夜空には満天の星がきらめいている。
「わたしも少し寝るか」
敷き布の上に横たわると馬車の小気味よい振動が伝わってくる。
キャロルにとってもこれほど守られて安心できる移動は久しぶりだった。
――旅芸人の一座にいた時以来かな?。
少女はゆっくりと瞳を閉じると戦いで疲れた体を休めた。
******
一団はロアンヌの街に到着すると、傭兵たちを残しサンタローサの街へと馬車を走らせる。
――ラファの家に寄って母さんたちに無事な事だけでも報告したかったんだけどな。
キャロルは火災からの復旧が始まっている南門周辺の様子を見ながらそんな事を考えていた。
思えばレビンと二人でロアンヌへ来た時は乗合馬車だった。それが借り物とは言え自前の幌馬車に乗っている。わずか数日でここまで状況が変わるとはキャロルにも想定外だった。
南へ向かう馬車の中にはキャロル、レビン、クロードにヌルという少女がいる。
ヌルはクレマンに野良猫と呼ばれていた少女だ。
目が覚めた当初は少し混乱していたが、キャロルの魔法の効果もあってか以前のような凶暴さは全く表に出なくなった。しかし、暗殺者たちに飲まされていた薬の影響が抜けていないせいか、まだ日中も寝ている時間が多かった。いまもヌルは静かに寝息を立てている。
彼女をラファの家に預けることも話し合ったが、不測の事態を考えてキャロルたちで面倒を見ることとなった。これについてはロスが少女の能力を買っている点も影響していた。
馬車の外ではロスが御者を務め、セッツは車外の後方席で見張りについていた。二人は時折交代しながら馬車を走らせる。
自由都市ロアンヌを出発した三日後、一行はイシュア王国への入国を果たすと、さらに数日の旅程を経てサンタローサの街へと到着した。
夕暮れの迫る町中に石畳を駆ける馬車の音が響く。
程無くして馬車は立派な外壁に囲まれた屋敷の門前に到着した。
豪商ルドルフの屋敷だ。
門番に馬車を預けると下車した六人は大きな門を見上げた。
それぞれの胸に去来する思いは違う。
レビンは奴隷として囲われ逃げ出した忌々しい思い出を。
キャロルは少年を救うため忍び込み大立ち回りを演じた思い出。
クロードたちも数日前と何かが確実に変わっていると感じていた。
門が開くとルドルフの側近が出迎え屋敷内へと案内する。
応接間へとつながる来賓客用の通路を通りながら、キャロルは目ぼしい調度品などを物色していた。
前回忍び込んだときにも感じたが、決して贅を尽くした華美な調度品ではなく落ち着いた品のある美術品が多い。悪く言えば少し地味なぐらいだった。
――やはりルドルフという男はただの商人ではなく、貴族やそれに類するような知識や教養を持った人間なのかもしれない。
キャロルがそんな事を考えていると、側近はある部屋へと入る。
その応接間には絹の衣服に腹帯を巻いた壮年の男が立っていた。
先日の夜に見たルドルフ当人である。
ルドルフは全員の顔を見渡すと軽く頷き、接客用の長椅子へ座るよう促した。
全員が席に着くと側近は陶器にお茶を注ぎ振る舞う。
部屋中にバラのような香りが充満し鼻孔をくすぐった。
「さてと……何から話そうか」
「先にレビンに一言謝るのが筋だろ。レビンのあの書類を持っているか?」
キャロルは立ち上がるとルドルフの機先を制した。
レビンから小さな箱を受け取ると中の書類を取り出して皆に見せる。
「わたしが見る限り、これはレビンの正式な身元引受人としての書類だ。引受人はもちろんルドルフさん、あんただ。この子は奴隷なんかじゃない」
少女の強弁をルドルフは目を逸らさずに受け止める。
「わたしがこの子と出会った時、服は汚れ足も傷だらけだった。何故そんな酷い扱いをした!」
キャロルが掌で机の叩くと大きな音が部屋中に鳴り響く。
こくりこくりとしていたヌルがビックリしたように顔を上げ部屋の中を見回した。
「そなたの言うとおりだな。まずレビン様には数々の非礼をお詫びいたします」
ルドルフは立ち上がるとレビンに向かって頭を下げる。それを見てレビンも畏まろうとしたが、クロードがそれを制して謝罪を受け入れさせた。
「では、経緯を詳しく知らぬ者も多いであろうから順を追って説明させていただく」
改めてルドルフが説明を始めようとしたが、今度はセッツが立ち上がる。
「オレは難しい話は苦手だから席を外すぜ。オレは相棒を信頼しているんでな。おう、ガキンチョ。おメエも一緒に外で待とうな」
眠そうにしていたヌルは大きめの椅子からひらりと飛び降りるとセッツのもとへ駆け寄る。セッツは粗暴に見られ勝ちだが、誰とでも別け隔てなく接するのでヌルともすっかり打ち解けていた。
「セッツ殿には詳しく説明出来ぬまま巻き込んですまなかった。他の部屋に食事を用意させてある。そちらでゆっくりされると良い」
「オウ、金だけよろしくな」
セッツはヌルを連れて側近とともに部屋を出ていく。
二人の姿が部屋の外へと消えたのを確認するとルドルフは全員の顔を見渡す。
いまこの場にいるのはキャロル、レビン、クロード、ロスそしてルドルフの五人だった。
「では、改めて説明いたします。まず、我々の商会についてですが、現在はイシュア王国内を基盤として大陸南西部で商売をしていますが、もともとはガルギア連邦南部のモントルー公国に
「モントルー公爵の……」
レビンは表情を少し緩めルドルフを見遣る。その視線を受けルドルフは深くうなずいた。
「レビン様はお分かりだと存じますが、現オルシエール公妃シャルロッテ様。つまりレビン様の母上君のお国元でございます」
「なるほどな」
クロードが合点がいったという表情をしている。
「今回、レビン様の継承権が剥奪されると決まった時、シャルロッテ様が手配された身請先がモントルー公爵の影響下にある我々の商会だったのです。ただ、レビン様のお命が狙われていたため、この話を仲介したモントルー公と我々で一計を案じました」
ルドルフはそこまで話すとお茶を一口含み喉を潤す。
「一旦、自由都市ロアンヌのラガルド商会にて身請けをし、そこから盗賊に襲われたふりをして消息不明とすることで、身を隠したままサンタローサまでお連れする予定でした」
ロスがルドルフの説明を補足するように話を続ける。
「そこで敵に疑われないよう、我が師がロアンヌの盗賊たちを使ってラガルド商会へ乗り込んだと言う訳です。ですが……」
肩をすくめるような仕草をするロス。クロードはオロフの話を思い出しながら話をつなぐ。
「そこであの貴族が用意した暗殺集団と、運悪くかち合っちまったと言う事か……」
商会主はクロードの言葉に軽くうなずく。
「何とか死神の手でレビン様だけは救い出すことに成功しましたが、ラガルド商会の者たちには申し訳無いことをしました」
ルドルフが肩を落とす。彼にとってもラガルド商会は重要な取引先の一つであり、それなりに親交が深い相手だった。
「それで奴隷同然にサンタローサの屋敷まで運ばれたってことね」
キャロルは半ば呆れ顔でつぶやく。少女は頬杖を付きながら、その指先ではすっかり飲み干したカップをクルクルと回している。
「しばらくは屋敷の者たちにもレビン様のことを伏せることになっていましたので、大変おつらい思いをさせてしまったと反省しております」
「まさか私たちの目を盗んで逃げ出すとは思いませんでしたが」
ロスがレビンに視線を送る。レビンは少しうつむき恐縮したように身を縮めた。
「そして、わたしと出会ったわけね。それで、レビンの事をどうするつもりなの? わたしはうちの家族として受け入れるつもりだったんだけど?」
ルドルフは毒づく少女を見つめる。その目は咎める様子ではなく、少女のことを冷静に見定めようとしていた。
「クロード殿にはレビン様の護衛と、そなたの正体と目的の見極めをお願いしていた。そなたが我が屋敷に忍び込んだ翌朝、夜中の騒動について二人から詳しく説明を受けた。正直、いまも記憶は定かではなく、ややもすればあの晩のことは夢であったと思いそうになる。そのような術を使う女盗賊・
キャロルは最悪な結果を想定し、いつでも逃げ出せるように意識を集中させる。
「それで? 結局はどうなったの?」
部屋の中の空気が張り詰める。
ルドルフはひとつ軽く咳払いをするとクロードに視線を送る。
傭兵王がうなずき返すと、ルドルフは引き締まった表情をキャロル向けた。
そしてゆっくりと口を開く。
「キャロル殿。これは商人ルドルフとしての依頼ではなく、ガルギア連邦モントルー公爵とオルシエール公妃シャルロッテ様の名代としてお願い申し上げます。これからもレビン様と共に行動していただけないでしょうか」
第4節 了
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