第5話 野良猫の追憶 キャロル対野良猫

 真っ赤な霧が叫び続ける……。


 殺せ!

 殺せ!

 殺せ!


 真っ赤な霧が叫び続ける……。


 もう殺した。

 村の外れにいた私を連れ去った男を。


 もう殺した。

 私をなぐさみ物にした男を。


 もう殺した。

 私をなぶり尽くしたあげく片目を焼き傷だらけにした男を。



 必死で逃げようやく村へ帰ったのに村人たちは傷物の私を拒絶した。

 両手を血塗れにしているような女は私たちの娘では無いと両親は言った。

 ともに育った幼なじみたちは私に石を投げた。


 殺せ!

 殺せ!

 殺せ!


 私の中の真っ赤な何かが叫び声を上げる。


 人を傷付ける技はこの村で教わった。

 絞め落とす技術もこの村で教わった

 矢を放つ技術もナイフを扱う技術もこの村で教わった。


 気がつけば村中が血の海に沈んでいた。


 嘆け!

 恨め!

 憎め!


 血塗れの村人が、両親が立ち上がり叫び声を上げる。


 私は真っ赤な霧の中に沈んでいく。


 目の前を覆い尽くす赤い霧に招かれるように私はロアンヌの街へ流れ着いた。

 この街にいると何故か満たされる気分になった。

 時折街を包む赤い霧が、私の存在を、私の全てを肯定してくれる。


 何者かが私を街から連れ出した。

 私の中の熱い物が猛り狂っている。

 心の底から血を欲する。


 赤い霧が叫んでいる。


 悲嘆を捧げよ!

 絶望を捧げよ!

 血を捧げよ!


 赤い霧が叫んでいる。


 白き者が来る。

 混沌と安寧を乱す者が来る。


 白き者を討て!

 仇なす者を討ち滅ぼし我にその血肉を捧げよ!


 眼前に白い光が飛び込んでくる。


 私はそれに向かって飛びかかった。



 ******



 砂煙舞う中、キャロルはアジトの正面を避けて建物の後方へと回り込むように走っていた。

 オアシスの門からアジトまでの最短距離上に、暗殺集団の頭領であるクレマンの姿を見たからであった。


 ――あいつの相手はクロードたちに任せてレビンの所へ急ごう……。


 砂地を避けて器用に走るキャロルであったが、アジトが見える少し開けた場所で急に立ち止まった。


 風がざわめき立ち、空気が怯えるように震え始める。

 キャロルは広場の中央に立つと足場を確かめる。砂の浮いた荒い石畳。ざらざらとした砂の感触が足裏から伝わる。オアシスを囲う外壁を超えて差し込む日差しがキャロルの肌を焼く。


 全身に意識を集中させ魔素マナを高める。

 上空を駆ける風や吹き溜まりの砂礫が崩れる音すら感じられる。


 ――近い。来る!


 視界の端で黒い影が揺らめいたかと思った瞬間、黒ローブの娘がキャロルの背後から襲いかかった。

 わずかに体をずらし鈍色の鉄爪を避けると、その腕を逃さず掴み投げ飛ばす。

 宙を舞う野良猫は体を回転させ、音もなく石畳に着地すると、その身を低く構え獣のような威嚇の叫び声を上げる。

 キャロルは腰をわずかに落とし、右拳を引き腰の位置に、左掌は野良猫に向けて構える。


「何となくだけどね。わたしの所に来ると思っていたよ。怒りに支配されたままだと辛いでしょ。わたしがその荒んだ心を和らげてあげる。でもその前に……」


 キャロルが大きく息を吐き、野良猫を見据える。


「その危ない爪を折らせてもらうよ!」


 両者が地を蹴り間合いを詰めると、広場の中央で激突する。

 野良猫の鉄爪と交差したキャロルの掌底が鳩尾みぞおちへめり込んだ。


「クハッ……」


 野良猫の口からうめき声が漏れる。

 キャロルはつま先で野良猫の顎を高々と蹴り上げると、続けざまに体を回転させ踵で頭部を蹴り飛ばす。

 回し蹴りで飛ばされた野良猫が仰向けに倒れ、砂埃が激しく舞い上がる。

 ローブを翻して半身の構えを取るキャロル。


「ミリエル格闘術がただの護身術じゃないってことを教えてあげるわ。怒りだけに身を任せた攻撃なんて、怖くもなんともない!」


 キャロルは挑発するように手招きをする。

 起き上がると同時に石畳を蹴って飛び掛かって来た野良猫の腕を取ると、円を描くように動き地面に叩きつけた。

 キャロルはそのまま右腕をめると、野良猫の手から鉄爪を取り外し投げ捨てた。鉄爪が石畳に跳ねて大きな音を響かせる。


 組み伏せられた少女は、大きく暴れて無理矢理キャロルの極め技から抜け出すと、後方へ跳ねて距離を取った。

 野良猫の右腕が力なくだらりと下がる。しかし、その片目は真っ赤に染まりキャロルのことを睨みつけていた。少女は全く痛みを感じていないようだった……。

 懐から精霊銀の小笛を取り出して剣のように構えるキャロル。


「自分が傷ついている事すら分かってないのね……。この笛の音でゆっくり眠らせてあげるわ」


 キャロルの周りに小さな風の渦が幾つも立ち上がり、風の音を奏で始める。

 野良猫が言葉にならない叫び声を上げ始めると、その全身を赤い霧が包みだした。


「許さない! 許さない! 許さない! みんな死んでしまえ!」


 少女の口から初めて溢れ出したその言葉は呪詛の言霊だった。

 キャロルには彼女を覆う真紅の霧が悲しみの涙のように見えた。

 動かない右腕と左腕を交互に振るいキャロルに迫る野良猫。その手刀は目や喉など的確に急所を狙う。キャロルは舞を踊るように攻撃をひとつひとつ丁寧に捌いて受け続ける。


 いつしか周囲は笛の音のみが響く空間となっていた。

 何度かの攻防を繰り返したのち、野良猫は膝から崩れ落ちた。少女は動く片手をつき抗うように砂を握りしめる。その顔だけはしっかりとキャロルに向け睨み続けていた。


「だいぶ精霊の力が効いてきたようね。心に安らぎと平穏を与える笛の音で、貴女を夢の世界へと送ってあげるわ。次に目を覚ましたときは怒りから開放されているはずよ」


 キャロルはうずくまる少女から距離を取ると精霊銀の小笛に唇を当てる。銀の冷たい感触が唇を通して伝わってくる。


聖音・夢想の調べエルスエニョ・ドゥルセ


 広場に荘厳な笛の音が響き渡る。笛の音とともに風が光を放ちながら渦を巻き野良猫を覆い尽くす。

 赤い霧が光の渦に巻かれ次第にその色を消していく。

 光が消えた後には黒ローブの少女が静かに横たわっていた。


 キャロルは少女に近づくとフードをめくり少女の顔を確認する。

 少女は寝息を立て深い眠りにあった。馬族特有の墨を入れた顔からは緊張が解け穏やかな寝顔を見せている。その右目は幾筋もの火傷の痕で塞がれ、激しい折檻を受けたのであろうと容易に想像できた。

 少女の体を抱き上げるとキャロルは木陰へと運び、柔らかな砂の上に横たえる。


「後で迎えに来るからゆっくり寝ていなさい」


 そう言い残すと、キャロルはアジトへ向かって走り出した。

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