第3話 キャロルの記憶①

 北と西に広がる砂漠から吹き付ける熱風が、三基の大風車の羽を勢いよく回している。


 大風車の足元には巨大な穴、まさに大渓谷と言ってもいいほどの景色が広がっていた。

 幾層にもなる段々の街並みを経て最深部には大きな泉があり、深淵と呼ぶに相応しい深い藍色の水をたたえている。

 泉からは薄ら寒い涼気が溢れだし谷間全体を覆う。この涼気によって町全体が周囲の砂漠から吹き付ける灼熱の風から守られていた。


 風を受けた羽は、軋むような鈍い音を響かせながら大きな鉄製の歯車を回し主軸へと動力を伝えていく。主軸は角度を変えて地面付近へと降りると、途中いくつもの水車を経ながら並走する水路と共に斜めに駆け下りていく。

 泉まで到達する大風車の回転軸は、水車を回す動力と各層へ水を運ぶ動力へ変わり、泉の水を綿々と汲み上げ続ける。汲み上げられた清い水は町中に張り巡らされた水路をつたって各階層の区画へと運ばれていた。

 これらの設備は、この地を治める立場のミリエル神殿が南のドワーフ族と協力してこの巨大設備を築き上げたと言われている。


オアシスの町・自由都市ロアンヌ。


 各国から独立したこの自由都市は、イシュア王国の北側に広がるイシュア砂漠と死の砂漠の南側玄関口であり、盗賊都市の二つ名で呼ばれていた。

 砂漠を渡り北にあるベルーム公国、更には大陸中央部へ向かうためにも避けては通れない町であった。

 ロアンヌの周囲は穴のふちを巡るように石畳の外周路が囲い、その道端には多くの露天商と物売りがあふれていた。谷底まで続く狭い土地の中に多くの建物が屋根をつなげて密集しひしめき合う、その多くは貧民街の住宅で占められている。


 階層ごとに人が自由に出入り出来ぬよう高い壁や木戸によって区切られていた。区画によっては石造りの建物や高い石塀が連なり警備兵の姿が見受けられる。町の中心部、最下層である第五層では泉を囲むように多くの宿屋や酒場が軒を連ねており、その中心には美神ミリエルとその従神ラファの神殿が屹立きつりつしていた。その中心部へと続く長い下りの大坂が、それぞれ町の北、東、南の大門から真っ直ぐに伸びている。


 この町を夜の闇が支配すると雰囲気が一変する。


 夜になると人々は門戸を固く閉じ、区画ごとの木戸は固く閉じられて出歩く住人はいない。中心部の宿屋や大通り周辺ですら人影を見掛ることは稀である。何故ならば、この町では一部の例外を除きすべての犯罪が許される無法地帯であった。

 そう、殺人や人身売買であっても……。



******



 ロアンヌの南東地区、三層から四層にかけて広がる通称・盗賊市場と呼ばれる区域を仕切る分厚いレンガ造りの外壁に一人の少女が腰をかけていた。懐から固くなったパパンを取り出すとひと噛みする。先ほど店先から失敬した物だ。


 ミリエル神殿から貰った踊り用の短衣チュニックを羽織っただけの簡素な服装で靴も履いていなかった。チュニック自体もだいぶ埃で汚れている。数年間は着古したのであろう、体の成長に服が追い付いておらず、袖や裾がだいぶ短くなってきていた。


 外壁上を歩いて近づく数人の少年たちに気が付いた少女は、肩ほどの黒髪を揺らして立ち上がった。

 少年たちは各々手には小物の入った木箱を持ち、腰には布袋を巻き付けている。


「ジャン、今日の売り上げは?」


 少女はすれ違いざまに少年の癖が強い琥珀色の髪を撫でながら尋ねた。ジャンと呼ばれた少年は、その手を煩わしそうに払った。


「水と菓子が少し売れて小銅貨15枚ってとこだ。今日は商隊の数も少なかったから仕方ねぇよ」


 ジャンの後ろにいる金髪の少年と少女が賛同するように大きく頷く。

 黒髪の少女はため息をつくと肩を落とした。


「また、フェリペに嫌味を言われそうだなぁ……」

「そう言うキャロルだって、ミリエル神殿に行かなかったからジニー姉さんに怒られるぞ」


 ジャンたちは向きを変え、キャロルの後について歩く。


「わたしは、ほら。ちゃんとひと稼ぎしてきたから」


 キャロルは懐から幾つかの布袋を取り出して見せると、中から銅貨の跳ねる音が聞こえた。


「おー、さすがキャロル姉」


 と、金髪の少年が反応する。

 少年は真っ直ぐな金髪を少し伸ばした髪形をしており、ぱっと見では少女と見間違えられそうだった。


「キャロル姉さんなら当然よ、ホセ」


 くせっ毛の金髪に小さな赤いリボンを付けた少女が続く。しかし、鼻から口元にかけてはスカーフで覆いその顔を隠している。ホセと金髪の少女は少し汚れた同じ上衣を身に着けていた。同じぐらいの背丈なので兄妹と思われることも多いだろう。


「ジュリアはもう少し髪の毛を隠しなよ。目立たない方が何かと都合がいいからね」


 最近、可愛らしさが目立ってきたひとつ年下の妹のスカーフを直してあげながらキャロルが声をかけた。

 この街で生活するうえで女性が顔を隠すのには様々な意味合いがある。ひとつは砂漠からくる砂ぼこりと強い日差しから守るため。もうひとつは年齢関係無く誘拐や性暴力からその身を守るため。そしてキャロルのようにスリや置き引きを行うときに素顔を見られないようにするためだった。


「そろそろ日が陰るから早く家に戻ろう」


 すり鉢状になっているロアンヌの町は日が暮れるのも早い。夜になると各大坂に面した木戸は閉じられ、犯罪の発生率が格段に上がる。ジャンが声をかけると四人はまた歩き出した。


「あぁ、帰りがけにパパンを買ってジニー姉さんに持っていこう」


 キャロルがそう言うと四人はレンガ壁を軽やかに飛び降りて盗賊市場の雑踏に消えていった。



******



 四人は南の大坂を下って第四層の木戸をくぐると西側の市街地へと入る。

 もう辺りはだいぶ暗くなり店先や店内には明かりが灯っていた。第四層目抜き通りの右手、泉側には旅人や住人で賑わう酒場や食堂と宿屋が軒を並べる。通りの左手、山側には大きめの白亜の建物が並ぶ。建物の前には大きな松明が並び呼び込みの案内役が道行く旅人に声をかける。旅人は店先にかかる女性の看板に目をやりながら案内人の声に耳を傾けていた。


 自由都市ロアンヌ名物のラファの家だ。


 美神ミリエルの従神・女神ラファ。一瞬の燃え上がる炎のような愛を信条とする。

 ミリエルとラファの神殿が管理下に置くラファの家。それは一夜の愛を提供する場であり、公的に管理されている酒場兼売春宿であった。美しい女性たちが多く在籍し、そのステージを見るだけでも良いとロアンヌの街を訪れる人は後を絶たない。

 

 ロアンヌの街には十軒の公式に認められたラファの家があり、そこで働く女性たちは女神ラファの手厚い加護と十分な給金と得ており、遠くから自ら志願してくる女性も多い。また、ロアンヌの街角には非公式のラファの家も多く、そちらにはロアンヌの孤児や周辺の集落から売られて来たり騙されたりして連れて来られた少女たちが多数存在している。


 正式なラファの家のひとつ。『カタリーナの家』の最上階には一般の人が立ち入ることの出来ない孤児院があった。

 館の主カタリーナが手元に置く孤児院には様々な経緯で集められた子供たちがいた。ロアンヌの町で拾われた子や売られてきた子。中には在籍するラファの娘が産んだ子供もいた。


 基本的に将来は店に出せる見込みの女児が中心であった。中には男児もいるが、男手は店の裏方として働くか外での稼ぎ手として育てられる。

 キャロル達四人は店の裏口から最上階まで階段を駆け上がると古びた木のドアを開ける。


「ジャン以下全員戻りました!」


 先頭で室内に入るとジャンは奥の部屋まで聞こえるように声を上げた。

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