第365話 父親の役目
ピンポーン。ピンポーン!
小さな豚を連れたミケ王子が、精霊樹の家に設置されたインターフォンのボタンを押した。
『だれじゃ!?』
インターフォンから、メルの不愉快そうな声がした。
「あー。メル、ボクだよ。ミケ」
ミケ王子はインターフォンのボタンを押して答えた。
『入れ』
精霊樹の家には幾つかの扉があった。
ミケ王子が開けたのは、
扉に猫の足型が刻印されていたし、横壁には
メルが精霊樹の家で引き籠るようになってから、
辛うじてケット・シーたちが使える小さな扉だから、人だと頭が
ミケ王子も、猫のように四本足で歩かないと通れなかった。
「おじゃましまーす」
「なんやミーケ。お土産かい?仔豚の丸焼きでもするんか……?生きたままでは、幾らなんでも調理でけへんぞ!」
メルはミケ王子が連れている小さな豚を見て、小首を傾げた。
「ピギー。プギーッ!」
「酷いよメル。なんてことを言うのさ。これはトンキーだよ。忘れちゃったの……?」
「はぁ?トンキーは大きくなってしまったので、エルフの里におるデショ!」
「トンキーは、戦場でメルの役に立ちたいから大きくなったんだ。ユグドラシル王国はトンキーの活躍を讃えて、小さくなれる魔法を授与したんだよ。トンキーが褒美として、それを望んだから……」
「プププッ、プギー!」
「まじ……?」
ミケ王子に
そのつぶらな瞳は、確かに記憶にあるトンキーと同じだった。
「わぁ、トンキーやん」
「ぷぷー、ぷー!」
メルとトンキーはガッツリと抱き合い、互いの頬を
「トンキーはメルの力になりたくて頑張ったのに、丸焼きですか……?」
「はーっ。わらしが悪かった。ゴメンなトンキー」
「プッ、プッ、プギー」
トンキーがメルの顔をペロペロと舐めた。
「幼児ーズの皆だって、メルが居ない間に色々と頑張ってたんだ。ただ待っているだけじゃ申し訳ないって、妖精女王陛下を支えるなら、仕事ができなくちゃダメだって」
「やめてー。耳が痛いわ」
「そうやって話を聞こうとしないのは、卑怯だと思うよ」
「わらしも、失敗したと思ってマス」
「だったら、ちゃんとしようよ」
「その、ちゃんとが分からんモン!!」
メルは成長した仲間たちと、どう向き合うべきか分からなかった。
「草むらに隠れて、泥団子をぶつけるのは有りかのー?」
「ダメに決まってるジャン!!メルはバカなの……?」
「だって、話題が思いつかんモン」
「そんなもん。おはようで、いいでしょ?」
「あとが続かんわ」
ミケ王子が呆れ顔になった。
「話題、話題、話題ですか。そうだ。稲作の話をするのは、どうでしょう?お米ですよ」
白狐が横合いから口を挟んだ。
「なんか唐突すぎて、話を切り出せない気がするわ」
「うーん。引き籠るとか宣言してしまったのが、精神的な足枷になっているとか……?」
「それな……。すごく気まずいんや。ほら。わらし、緊張すると黙ってしまうやんか。上手いこと言葉が出ぇーへん」
「うわぁー。イケイケで強気なときとの落差が、半端ないですね」
白狐は腕を組んで考え込んだ。
「内気な陛下も、かわゆらしいですね」
「アヒルは、メルの太鼓持ち。話がややこしくなるから、もう黙って……。この会議は、メルを甘やかすためのものじゃありません。メルに、ちゃんとしてもらうための会議です」
ミケ王子に睨まれた水先案内役のアヒルは、クチバシの先っぽを閉じた。
「はぁー。ミーケは『ちゃんと、ちゃんと!』と、うっさいわー。わらし、メキョメキョに
「何を言ってるんだか……。森川家のご両親も心配してたよ。『イツキはいじけると手が付けられない!』って……」
「その台詞は、お父はんやな。相も変わらず、ザクザクと心を
「ぶつくさと文句を言っていないで、森川家に行けば。メルの元気な姿を見たら、ご両親も安心すると思う」
「そうやねー。ちょっくら挨拶しに行くか」
「えっ。行くの?」
「ミーケが行けと言うたデショ?」
病弱だった樹生と違って、メルに引き籠りは難しかった。
元気すぎて、外に出ないと有り余るパワーを発散できないからだ。
「じゃけん、森川家の場所がよぉー分からん」
「ボクが案内するよ」
「ぷー、ぷー!」
メルとアニマルズは森川家を目指して、炎天下の農道を歩きだした。
夏のこの時間、メジエール村では
引き籠りを宣言したメルが、外出しても誰かに見つからない時間なのだ。
ライトニングベアを使いたいところだけれど、身体が小さすぎて運転できない。
だから、幾ら暑かろうと歩いて行くしかなかった。
ミンミンミンミーン。
ミーンミンミンミンミーン。
「アカン。脳が煮えるわ……」
セミ時雨が、やばいほど喧しかった。
「メルちゃん。いや、ここは敢えて樹生と話したい。そう心得て、耳を貸して欲しい」
「はい……」
森川家に到着し、板の間に座って父親の徹と向き合ったメルは、行儀よく
和風な家だけれど、森川家の新居には畳がなかった。
板の間に座布団である。
「ここは良い村だ。皆、親切にしてくれる。感謝に堪えんよ」
「あっちへは帰らん?」
「おまえではないが、気まずいからな」
「ブライアンを始末したから、お父はんの冤罪は証明できマス」
「私が罪を犯していないと証明されたなら、今度は職場の連中が気まずい。どうしたって、元の関係には戻れないよ。もう壊れてしまったのだ」
「そう言われたら、そうやね」
メルは母親の由紀恵が淹れてくれた茶をズズッと啜った。
ひんやりとした冷茶だ。
火照った身体に心地よい。
「幸いなことに、おまえのケースは私と違う。善悪の問題ではないし、社会性もない。ちょっとした行き違いにすぎん。気まずいだろうが、お友だちとの関係修復は
「うむっ……。それが、何故か難しいのデス」
「地に足がついていないから、おまえの姿勢も定まらんのだ。それで難しく感じるのさ」
「地に足って、なんやそれ?」
「おまえは料理店を経営していると、メールに書いていたよな。どうして店を開けない?」
「それはー。引き籠っとるから」
「おまえの仕事とは、都合が悪いと放り出してしまうようなものなのか……?遊び半分でも構わないのか……?」
「…………ッ!?」
さすがは真面目な男。
父親の徹は、嫌な角度からメルを突いた。
「お友だちから聞いたが、おまえは『戦争を終わらせないと料理に集中できん!』と言ったそうだな。皆が満腹でなければ、罪悪感なしに美味しいものを楽しめんと」
「はい。言ったような覚えがありマス」
「幼児とは思えん、立派な心構えだ。で、戦争は終わったんだよな?」
「はい」
「よぉーく考えてみなさい。村人の中には、おまえの料理を楽しみに待っている人たちも居るんじゃないか……?お友だちが知らない内に成長していたことを恨み、拗ねて店を開けないのは、果たして正当な行為だろうか……?二、三日ならまだ分からんでもないが、もう戻ってから十日になるぞ。昔からの常連客は、おまえを心配しているんじゃないかね」
「………………」
メルは徹の追及に返答できず、とても気まずかった。
自分の発言を巧妙に利用されてしまい、一言も言い返せない。
「筋の通らん真似をしていたら、思考も乱れる。そんな状態では、お友だちを納得させられるような会話などできやしない。それ以前に、おまえ自身を納得させられんだろう。おまえが、お友だちに伝えるべきなのは、先ず何より感謝の気持ちじゃないかね?あの子たちは、何年も待っていてくれたのだろう?」
幼児ーズの仲間たちに置いて行かれたような気がしたのは、メルの被害妄想である。
現実が想像と違っていても、努力すれば受け入れる方法は見つかるだろう。
それを探しもせずに拒絶したのは、間違いだった。
「ウヘーッ。お説ごもっとも」
威張りん坊のメルが、自然と頭を下げた。
前世の父は偉大だった。
◇◇◇◇
メルは精霊樹の家に戻ってコック服に着替えると、エルフさんの魔法料理店を開けた。
手慣れた開店作業に取り掛かれば、メルにも細々としたことが見えてきた。
看板や受付カウンターが、ピカピカなのだ。
「まぁまか、マルーが、ずっと掃除をしてくれたんかのー」
二人にも、アリガトウを言わねばなるまい。
いや、『ありがとう』と伝えたかった。
「ようメル。久しぶりだな」
「うおっ。おとん!?」
開業の準備をするメルに、帝都に居るはずのフレッドが話しかけてきた。
「諸悪の根源は、きっちりと退治したんか?」
「うん」
「よく頑張ったな。村に帰ってきたら、こんなになっていて
フレッドは推定年齢4才児に戻ってしまったメルの頭をグリグリと撫でた。
コック帽が潰れて、クチャクチャになった。
懐かしいガサツさである。
懐かしすぎて、鼻の奥がツンとなった。
「おとんは、帝都で仕事があるんとちゃうか?」
「ギルドマスターの仕事は、ヨルグとクルトに押し付けた。まあ、あの師弟コンビが何とかするさ。ようやっと愛する娘が帰って来たんだ、帝都なんかに居られるかヨ!」
『転送ゲートは便利すぎていかん!』と、フレッドが
娘が気になって、ちょっと様子を見に来ただけだと、言いたいのだろう。
決してズル休みではないと……。
どう取り繕おうと、それは職場放棄で間違いなかった。
メルも又、妖精女王の役目を放り投げ、フェアリー城から抜け出した口である。
「そっかー。お帰り、おとん」
「おまえもな。お帰り」
メルとフレッドが、ニカリと笑った。
「で、開業するんか?」
「そう。今日から、店、やりマス」
「最初の客になっても良いか?」
「おとんが口開けかい」
「娘の手料理が食いたいんだ。なにか拵えてくれよ」
「勿論じゃ。したっけ、わらし善きこと思いついたわ」
メルが閃いた顔になった。
「ほぉー。新しい料理でも作るのか?」
「いやいや。オードブルじゃ。料理とは言えんほど、シンプルな皿をお出ししマス」
「おいおい……。父親が客だからって、手を抜くなよ」
「実はなー。悪党の隠れ家から、宝を強奪してきたんや」
「タカラ?」
「高級珍味や。食うたら驚くでー」
「おう。そいつは楽しみだ」
メルは枝肉から良さげな部位を切り取り、丁寧にトリミングをした。
トリミングが済んだ可食部を薄くスライスすると、スーパーで見慣れた生ハムの登場だ。
だけど、こいつはスーパーで売られている生ハムじゃない。
ブライアンの食材保管庫から頂いてきた、超がつく高級品である。
「カビの生えた汚らしい肉塊から、うめー生ハムが取れる。これは感動やね」
香草とクリームチーズを熟成生ハムで巻き、オリーブオイルを垂らす。
カリッと焼いたバゲットを添え、一皿目が完成した。
オープンテラスのテーブルに、二十年は熟成された高級ウイスキーをボトルごと置いた。
「メルちゃん。あたしも良いかしら?」
「ほんなん。駄目とか言わんデショ」
「フフフッ……。礼儀よ。単なる礼儀」
アビーがフレッドの隣に座った。
二人で乾杯だ。
「なんだ、この酒!」
「香りが凄い」
「おい。この塩豚。絶品だぞ」
「ほんと……。こんな塩豚があるのね。ビックリだわ」
オードブルを摘まみながら、ショットグラスでウイスキーを楽しむ二人は、とても幸せそうだった。
ディートヘルムとマルグリットは、まだ手習い所から戻っていなかった。
途中の雑木林で、遊んでいるのかも知れない。
メルは二人にも美味しいものを用意しようと、オヤツのレシピを思い浮かべた。
頭で別の事を考えつつも、身体は手際よくペペロンチーネを拵えていく。
出来上がったペペロンチーネに、おろし器で粉末にしたカラスミを振りかける。
更に薄くスライスしたカラスミで見栄えよく飾り付ければ、カラスミパスタの完成だ。
「ああ、うまいな」
「本当に美味しいわね」
「なあメル。ちょっと
「んっ?」
フレッドに呼ばれたメルはフライパンの手入れを止めて、フレッドの正面に座った。
「オレの人生は、半分がところ敗北者の人生だった。腐った世の中や、無能な自分に対する失望の連続だ。メジエール村に辿り着いたのも、逃亡の果てさ。料理は、そんなオレにとって慰めだった。美味いもんを食えば、惨めな気分が少しばかり癒される。明日への活力も生まれるってもんだ」
「そうよね。あなたの料理には、あたしも随分と励まされたわ」
「だけど、コイツは別格だぜ。メル。まさしく勝利の味だ」
フレッドが真剣な表情でメルに告げた。
「まあ、悪党からせしめた戦利品やけー。勝利の味で間違っとらんモン」
真正面から褒められたメルは、照れ臭くなって
「帝都ウルリッヒに棲みついたダニを一掃し、ミッティア魔法王国を
「そうよフレッド。あたしたちのメルちゃんに感謝なさい」
「ありがとな、メル!」
「…………」
メルはフレッドの言葉に呆然とし、不意に零れ落ちた涙をコック服の袖で
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