第351話 麻酔の効かない体質デス



江藤が眺めている間に巨木へと育った精霊樹から、一斉にオーブが飛び立った。

火と風の妖精たちだ。

真っ暗な山の夜空に舞う、無数のオーブ。


遅れて水と土の妖精たちが、次々と周囲に展開していく。


「なんかスゲェー。あっという間に苗が育ったのもスゲェーけど、光の粒々が綺麗だぁー」

「ほう、見えるんかい?どうやらユグドラチルが、エトーはんにチート能力を与えたようじゃな。現状を考えるなら、チートの前渡しは好都合じゃ。さっそくオーブを呼んでみ」

「オーブって、あの光の粒か?」

「ほうじゃ。あれらは妖精さんたちデス。上手いこと仲良くすれば、魔法が使えるようになるで……」

「マジか!?」


目的地に到着して暇になった江藤は、夢中でオーブに呼びかけた。

魔法が使えるようになると聞けば、やらずにおれまい。


「おいでー。こっちへおいでー、妖精さんたち。飴ちゃんあげるよー」


いささかヤケクソ気味なところもあるけれど、江藤の順応力は見上げたものだった。

怖ろしげな屍呪之王しじゅのおうをチラ見して、ブツブツとのろいごとを呟くのは、江藤が半生をかけてつちかった鈍感力のなせる業と言えよう。

普通であれば、腰を抜かして逃げだすはず。


江藤はブラックかつ理不尽な職場でも、やれる男なのだ。

事の善し悪しは、別として……。


「これで結界強度の不安が解消されマシタ。すべて、ラビーはんのおかげデス。こんだけ妖精さんがおれば、相手がゴッツイ天狗だろうと負けしまへんで」

「すごいでしょ。わたしが育てた精霊樹!」

「さすがデス。精霊樹の守り役は、いっつも良い仕事をなさいます。頭が下がるな、もぉー」

「えへへ……」


メルに褒められて、ラヴィニア姫は上機嫌だ。


「見て見てメルちゃん。新しい魔法具をユグドラシルから貰ったんだよ。妖精女王陛下の護衛任務で使うようにって……」

「素敵なブレスレットですね」

「変身ブレスレットだよ」

「……………変身?何に変身するですか!?」

「それは……。ヒ・ミ・ツ」


メルの胸がざわついた。

どうせ、碌なものではあるまい。


「ユグドラチル魔法兵呪開発局のアホどもは、常識に欠けよる。一回、どつかなアカンな」


自分のムチャ振りを棚上げして、密かに独り言ちるメルであった。




◇◇◇◇




「隊長、ターゲットを発見しました」

「時間通りだな。斥候の役目、ご苦労。初弾は私が受け持とう」


アルファー隊のクォン・ギュチョル隊長は、理性と慈悲の男だった。

今回のターゲットが幼女であると知ったとき、自己判断で装備に麻酔銃ダーツガンを追加した。

実弾を幼い娘に撃ち込むなんて、クォンの良心が許さなかったからだ。


「少し痛いが、辛抱してくれ」


的を外さない距離までジリジリと接近し、樹木を縫うように射線を確保したクォンは、ターゲットの臀部に狙いを定め、麻酔銃ダーツガンのトリガーを引いた。




◇◇◇◇




パシュッ!とくぐもった発射音がして、メルの尻に麻酔弾が突き立った。


「ギャン!!」


メルが尻を押さえて仰け反った。


「敵襲ーっ!メルちゃん、大丈夫!?」

「わらしの尻に、なんぞ刺さっとるヨ。ヒィーン」

「うわぁー。ホントだ。結界を張らなきゃ」


ラヴィニア姫が慌てだす。


ここは地球。

精霊や妖精が住む異世界と違い魔素も不足気味だから、常に広域結界を張ってはおけない。

自分の身さえ守れるならよいと考え、防御は妖精任せにしていた。

だが、妖精たちはライフル弾の速度を知らなかった。

弾速の遅い麻酔銃ダーツガンでさえ、この始末である。


妖精たちが、こちらの兵器に慣れるまで、まだ何発かは喰らう危険性があった。


運が良かったのは、クォン・ギュチョル隊長が麻酔の効果を待って、アルファー隊に発砲を禁じたことだ。

その間にラヴィニア姫は、神社の敷地を結界で覆った。


「大変だ大変だぁー」

「撃たれたのか?今のは銃撃だよな!?」


白狐と江藤は、狼狽えて騒ぎ立てるばかりだ。

基本、戦力外である。


「メルちゃん。動ける?」

「ウムッ。メッチャ痛いけど、動けマス」


メルがカボチャダンスの要領で、お尻を振った。

麻酔弾の針が、尻から抜けて飛んだ。


何のことはない。

無病息災のスキルを持つメルに、麻酔弾は効果がなかった。

クォンが用意した幼児にも安心安全な麻酔薬は、メルの体内ですみやかに無力化された。

そのせいで、メルの尻はいつまでもズキズキと痛むのだ。




◇◇◇◇




ターゲットが倒れるのを待つアルファー隊の中で、銃声が轟いた。

フルオートの射撃である。


「誰だ!発砲を許可した覚えはないぞ!!」

「た、隊長。怪物だ。神社の社よりデカイ!黒くて巨大な犬だ!!」

「なんだと……。それは確かか、ソムサック?」

「冗談で命令違反はできませんぜ」


聖なる鷲セイントイーグルのメンバーには、魔法装備を多用するせいか精神に影響を受けて、怪異を目にする者がチラホラと存在した。

ブラックメイスとの遭遇を報告してきたチャーリー隊のマイケル・タナカ副隊長も、その一人だった。


ソムサック・パームワンは、アルファー隊に所属する唯一の霊能力者だ。

その発言を無視することはできない。


「それで倒したのか?」

「いいえ。命中しているはずなのに、びくともしません」

「ちっ。総員、銃に魔法弾を装填せよ!」


そのときアルファー隊の後背に音もなく忍び寄ったチャーリー隊が、襲い掛かった。

銃弾にもひるむことがない、ゾンビ兵の襲撃である。




◇◇◇◇




ブラボー隊はターゲットの逃亡を阻止すべく、下山道に布陣していた。


「山頂付近から、銃声がしました」

「フムッ。アルファー隊が始めたようだな」

「どうしますかリーヤン隊長?」

「決まっている。仕事は素早く終わらせるに限る」

「早くシャワーを浴びて、ビールを飲みたいですね」

「突撃隊を向かわせろ。夜は短い。ガキを攫って、さっさと撤収だ」


聖なる鷲セイントイーグルの効率厨であるリーヤン隊長は、少人数からなる突撃隊を編成し、ターゲットの確保を命じた。


「ターゲットは生かして捕らえよ!との依頼であるが、戦場に絶対はない。やむなく死んでしまったものは、仕方なかろう。いいかー、オマエら。女子供とて、容赦なく鉛玉をぶち込め!」

「「「「「了解ラジャー!!!!!」」」」」


ブラボー隊の突撃隊は、目つきがおかしい性格破綻者の集まりだった。

ミッションの最中に、若い娘をなぶってはしゃぐ手下など要らない。

リーヤン隊長にしたら、無くしても惜しくない消耗品である。


「正体不明のターゲットを襲うには、最適な人選だな」

「はい。あいつらは、恐れを知らぬ勇者でありますから……」

「ぶっ壊れ共が……」


リーヤン隊長は、拉致すべき幼女を警戒していた。

ターゲットが単なる荷物だったら、聖なる鷲セイントイーグルに依頼など来ないのだ。




◇◇◇◇




山の主は狂屍鬼きょうしきと化したチャーリー隊に固執していたが、アルファー隊に襲い掛かるチャーリー隊を見て、攻撃の矛先を変えた。


「気色の悪い蟲どもが、ワシに付き纏いよって……。捻り潰してくれるわ!」


山の主に命じられた怨霊が、蟲人間を襲撃する。


「ギャギャギャッ!」


蟲人間のはねや脚が千切れ飛んだ。

だが蟲人間たちも、黙ってやられてはいない。

粘つく体液を飛ばして、怨霊にダメージを与える。


タールのようにドス黒い液が勢いよく噴き出し、怨霊を焼いた。

それどころか怨霊に喰らいついて、実体なきボディーを噛み千切るものまでいた。


まともな生物ではない。


「ええい。半端者の癖に、小癪な」


山の主が羽団扇ハウチワを捩じるように振ると、数体の蟲人間が粉々になって四散した。

一本歯の高下駄で踏みつけられ、頭を潰されたものもいる。


「勝手な真似はさせません!」

「おぅ!?」


エミリアが山の主の背後を取り、その太い首を両腕で締め上げた。


「貰った。死ね!」

「ぐぉっ!」


軍隊式リア・ネイキッド・チョークだ。


エミリアには、強化改造人間の剛力がある。

だが、それは悪手だった。


「くっ。臭い!」


目が痛くて開けていられない。

山の主が纏う体臭は、もはや化学兵器のレベルにあった。

それを間近でまともに吸い込んだエミリアは、激しい眩暈に襲われた。


結果、エミリアの腕が緩む。


「ふっ。口ほどにもない。砕けよ。森の肥やしとなれ!!」

「ゲフッ!」


チョークスリーパーを振りほどかれたエミリアは、山の主に腕をつかんで振り回され、大岩に打ち付けられた。

頭を庇い、右腕が折れた。


「ゴホゴホ……」


肺が傷つき、鼻から血を溢れさせる。


「ウオッ!?」


一方、エミリアに止めを刺そうとした山の主は、蟲人間の突進を受けた。

一体や二体ではなかった。

十体を越える蟲人間が、薄汚れた山伏装束につかみかかる。


「くそっ。キサマら邪魔だ!どけっ!!」

「ギャ、ギャ、ギャ!!」


群なす蟲人間たちは、山の主の体臭に怯まなかった。


危機一髪の場面から逃れたエミリアは、隠蔽魔法を使って闇に紛れた。


「フゥーフゥー。あれは何だ?人間じゃないぞ!?」


エミリアの口からぼやきが漏れる。


「勝てない。捕まったら殺される」


回復スキルが傷を癒してくれるまで、見つかる訳には行かない。


「あれが神……。ジャパンの土地神なのか……?」


エミリアは自身の驕りに気づき、下唇を噛んで震えた。



山の主と蟲人間たちが死闘を繰り広げる横で、モッソリと起き上がる複数の人影があった。

息絶えた蟲人間たちである。


復活した蟲人間は、山の主に関心を示さなかった。

只々、チャーリー隊と合流すべく、山頂付近の神社を目指す。


怨霊が襲ってきても、意に介さない。

生前、敵味方であろうと、狂屍鬼きょうしきには関係なかった。


狂屍鬼きょうしきは、屍呪之王しじゅのおうに従うのみ。





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