かなしい蝶と煌炎の獅子3 〜虚ろの淵より来たるもの〜

倉橋玲

プロローグ

 昼下がりのじりじりと照りつけるような陽光の下、ひとつの幌馬車が砂漠を行く。やや小さめの馬車を引いているのは、全身が長毛に覆われた大きな四肢動物、モファロンだった。暑苦しい見た目をしているが、高温乾燥環境に適応した、砂漠地帯の固有種である。

 彼らの身体中を覆っている太い長毛は中空になっており、内部に水分と栄養素をたっぷり含んでいるため、しっかりと食料を与えておけば一週間は飲まず食わずでいられる優秀な騎獣だ。あまり足が速くないのが難点ではあるが、長期に渡る砂漠越えが必要なこの国では大変重宝されている。

 足に纏わりつく細かな砂をものともせず、モファロンは確かな足取りで前へ進む。

 しかしこの幌馬車、少々奇妙である。通常こういった馬車には御者がつきものであるのだが、この馬車にはそれがいないのだ。モファロンは温厚で賢い騎獣だが、御者が不在の中できちんと目的地を目指せるかと言うと、難しいと答えざるを得ない。手綱を握る者もなく砂漠を闊歩するこの馬車は、やはり得体が知れないと断ずるほかなかった。

 奇妙な馬車が砂漠を行く中、不意に幌の覗き窓を覆っている布が上げられ、何かが顔を出した。

「……やっぱり外は暑いね、ティアくん」

 外の眩しさに目を細めてそう言ったのは、右目を眼帯で覆った少年である。呟いた彼に対し、その首のストールからひょっこりと顔を出したのは、炎色をしたトカゲだ。

 そう、この奇妙な馬車の乗客は、天ヶ谷鏡哉とティアだったのである。

「……僕、砂漠なんて、生まれて初めて来たよ」

 砂漠に覆われた、豪雨と雷の国。彼らは今、リアンジュナイル大陸西部に位置する国家、黄のリィンスタット王国に来ているのだ。




「外は暑いけど、この中は快適だね」

 馬車の中に顔を引っ込めた少年はそう言って、膝の上に乗っているトカゲを撫でた。こくこくと頷きを返してから手に擦り寄ってきたトカゲに、自然と少年の表情も和らぐ。

 砂漠地帯の多いリィンスタットは、昼夜の寒暖差が激しく、今のような日中は灼熱の暑さで、夜になると凍えるような寒さが襲ってくる国だ。だがこの幌馬車の中は、気温、湿度共に実に快適な状態が保たれている。これは、偏にこの馬車に置いてある魔術器のお陰であった。黄の国に行くのならばと、金の王が用意してくれたのだ。

 どうやら、長旅になる都合上あまり大きな金属器は持っていけないだろうと、王自らがわざわざ新しく作ってくれた小型の魔術器らしい。たった数日でそれを作ってしまうあたり、さすがは錬金術国家の王といったところか。

 なんにせよ、その魔術器によってこの馬車内の環境は非常に安定しており、慣れない長旅に挑んでいる少年には大変有難いことだった。

 ちなみに、実は服装の方も普段着とはかなり違っている。ぱっと見は大差ないのだが、衣服の素材がまったく異なっていて、風通しが良くて軽い布でできているのだ。首に巻いているのも、マフラーではなくストールである。

 例にもよって例の如く、これらはすべて赤の王から贈られたものだった。かの王が、砂漠地帯向けの衣服やら装備やらを一切持っていない少年のためにと言って、止める間もなく買い揃えてしまったのだ。さすがに何もかも貰うのは申し訳ないし嫌だと思った少年だったが、案の定人の話を聞かない王に押し切られてしまったので、結局全て貰う羽目になってしまった。

「……そもそも、なんでこんなことに……」

 いや、理由は知っている。帝国に狙われている自分をどうすべきかという議題に対し、円卓会議で国王たちが出した結論がこれだったからだ。

 黄の国リィンスタットにて、エインストラを庇護する。

 経緯は全く知らないが、先日行われた円卓会議ではそう決定したらしい。なんだってそんな遠くの国で守られなければいけないのかは判らなかったが、いち庶民でしかない少年には、円卓会議での決定に逆らうことなどできない。

(知らない人のところに行くなんて、気が重いなぁ……)

 気分が鉛のように沈み込み、少年は小さな溜息を吐き出した。だが、今更そんなことを思っても仕方がない。とにかく、少年は大人しくこの馬車に揺られ、リィンスタット王が待つ王宮へ向かわなければならないのである。

 もう一度大きなため息を吐き出した少年の手に、トカゲが身体を擦り付けてくる。恐らく、励ましているつもりなのだろう。

「ふふ、ありがとう、ティアくん」

 トカゲにしては温かな鱗を撫でてから、少年は再び覗き窓から外を見た。

「これ、ちゃんと王都へ向かえてるのかな……」

 見渡す限り砂丘が広がっているので、今現在どこにいるのかすら判らない。かろうじて太陽の位置から大雑把な方角くらいは把握できるが、それだけだ。

 やや不安そうな顔をした少年を見上げたトカゲが、こてんと首を傾げる。次いで彼は、少年の膝の上から跳び下りると、そのまま馬車の前方、御者の席がある場所へと這い出ていってしまった。だが、少年に驚く様子はない。もちろん初めの一回目は驚いたし慌てたのだが、もうすっかり慣れてしまったのだ。

 前方に備え付けられている小窓からそっと外を窺えば、トカゲがモファロンの背中に乗って、その背をぺちぺちと叩いているのが見えた。すると、モファロンが大きくひと声鳴く。

 恐らく、会話をしているのだ。果たしてそれが会話と呼べる種類のものなのかは判らないが、モファロンがトカゲの指示に従っているのは確かである。食事のために馬車を止めるときも、休憩を終えて再出発するときも、モファロンの背中を叩いて促すのはトカゲの役目だった。

(あの人の言った通りだな……)

 ――炎獄蜥蜴バルグジートが相手ならば大抵の獣が従うから、わざわざ御者を雇う必要はない。他人と何日も一緒では、お前の気が休まらないだろう?

 そう言ってくれたのは、赤の王だった。お陰で御者を雇うことなく快適な旅を続けさせて貰っている。大変有難い配慮だったが、どうしてあの王はそれを普段も発揮できないのだろうか。

 そんなことを考えていると、馬車の中へと戻ってきたトカゲが少年を見上げた。そして、その場で円を描くように歩いて見せる。どうやら、旅路は順調なようだ。

「ありがとう」

 微笑んで小さな頭を撫でてやれば、トカゲは嬉しそうに身体を摺り寄せてから、少年の膝の上によじ登ってきた。そして、そこで丸くなって大きな欠伸をする。

「眠いの? 寝ちゃっても良いよ?」

 ゆるりゆるりと背中を撫でてやれば、トカゲの目がとろりと微睡むように細められる。そのまま瞼が下ろされ、彼が眠りに落ちようとしたそのとき。

 不意にモファロンが悲鳴じみた咆哮を上げ、馬車が大きく揺れた。

「な、なに……!?」

 少年が驚きの声を上げたのと同時に、膝の上のトカゲがだっと駆け出す。そして、小さな身体は幌の隙間を抜け、外へと飛び出した。

「ティアくん!?」

 突然飛び出てしまったトカゲに、少年が慌てて覗き窓から顔を出す。そして彼は、そこに広がっていた光景に息を呑んだ。

 砂漠表面を食い破るようにして、とてつもなく巨大なチューブ状の何かが生えていたのだ。一瞬何が起こったのか判らなかった少年だったが、すぐに理解する。

砂蟲サンドワーム!?)

 金の国で見せられた図鑑でしか知らないが、恐らくあれは、砂漠地帯の地下深くに住んでいるという砂蟲サンドワームだ。滅多に地上へは出てこないとされる生き物のはずだが、どうやら非常に間が悪かったようである。

 今の時期は初春。初夏に訪れるリィンスタットの雨季の直前と言っても良いこの時期の砂蟲サンドワームは、非常に獰猛である。雨季に貯め込んだ水分が失われ始める頃で、気が立っているのだ。故に、獲物を見つけたならばすぐさま食らいつき、その体液を啜り切るまで放さない。

 その知識を一週間ほど前に叩きこまれていた少年は、すぐさまこの場から逃げなければと、モファロンの背に乗っているトカゲを見た。少年ではモファロンに指示が出せない。逃げるためには、トカゲの協力が必要だ。

(モファロンの足で砂を泳ぐ砂蟲サンドワームに勝てるかどうか判らないけど、他に方法がない……!)

 そう思い、トカゲに声を掛けようとした少年は、ふと気づく。

砂蟲サンドワームが、襲ってこない……?)

 彼らは獲物を見つけたら即襲いかかるという話だった筈だ。だというのに、未だにその場から動こうとしていない。

(もしかして、ティアくん……?)

 モファロンの上からじっと砂蟲サンドワームを見ているトカゲは、見ようによっては相手を睨んでいるようにも思える。ということは、ティアが砂蟲サンドワームを威嚇しているからこその膠着状態なのではないだろうか。

 だが、それも長くは続かなかった。どこか苛立ったように耳障りな叫び声を上げた砂蟲サンドワームが、モファロンに襲いかかったのだ。巨体に似合わず機敏な動きでこちらに向かって来た魔獣に、少年が息を呑む。それとほとんど同時に、トカゲがぐっと背を反らした。

 そして次の瞬間、小さな口をぱかりと開けたティアは、およそその体躯からは想像がつかない大きさと勢いを誇る業火を吐き出した。

「!?」

 トカゲの口から吐き出された巨大な火球が、今まさにモファロンを喰らおうとしていた砂蟲サンドワームに襲い掛かる。そしてその炎の塊が触れた途端、じゅうううという肉が焼ける音と共に、砂蟲サンドワームが凄まじい悲鳴を上げてのたうった。だが、その状態もそう長くは続かない。

 砂蟲サンドワームの鎧のような肌をも焼く炎は、見る見るうちにその身体を蝕み、そしてついには、全てを灰燼となしてしまったのだ。

 文字通り跡形もなく燃え尽きてしまったそれを見た少年は、ぽかんと口を開けて呆然とするしかなかった。炎獄蜥蜴バルグジートがすごい生き物だという話は聞いていたが、まさかここまですごいとは思っていなかったのだ。

 一方のトカゲはというと、風に舞う灰を一瞥してから、もう一度だけ小さく火を吐いた。口に留まっていた残り火を吐き出すような、そんな印象を受ける動作だった。それからモファロンを数度叩いた彼は、するすると少年が顔を出している窓へとやってきた。そんなトカゲを見て、少年がようやく思い出したように声を出す。

「……あ、ありがとう。……ティアくんって、とっても強いんだね……」

 その言葉に、トカゲは得意げに胸を張ってふんすと鼻息を出した。どうやら褒められたのが嬉しかったらしい。それから、いつまで経っても窓から顔を引っ込めようとしない少年を見て、こてんと首を傾げる。

「……ああ、うん……」

 そうだね、暑いもんね、と呟いて馬車の中に身を引っ込めた少年に続いて、トカゲもするんと入ってくる。そのまま椅子に座った少年の足元まで来たトカゲは、後脚だけで立ち上がって少年を見つめ、こてん、こてん、と二度首を傾げた。

 その所作の意味するところをなんとなく察した少年が、トカゲの方へとそっと手を伸ばす。

「おいで、ティアくん。お昼寝の続き、しよっか」

 そう言って控えめに微笑んだ少年に、トカゲは嬉しそうにぴょんと跳んでみせた。そしてそのまま、倒れ込むようにして少年の掌に抱きつく。小さな手にぎゅっとしがみつかれて、少年はふふっと笑った。

 炎獄蜥蜴バルグジートであるティアの体温はとても高い。掌に直に伝わるその温もりを優しく撫でつつ、少年はトカゲを膝の上に置いた。そうすれば、くありと大きく欠伸をしたトカゲが、居心地の良い場所を選んでくるんと身を丸める。

「今度こそゆっくり寝てね。おやすみ、ティアくん」

 少年の言葉に応えるように、瞼を閉じたトカゲがその頬を少年の掌にすりつけた。そんな愛らしい様子にやはり小さく笑ってから、少年がトカゲを撫でる。優しく労るようなその手付きが心地良かったのか、護衛としての仕事をこなしたトカゲは、すぐにすよすよと寝息を立て始めるのだった。

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