魔力を測定してみました。
今日もまた、騎士団の中はどこか落ち着かない。
昨日、魔王討伐の際想定外の事件が起きたばかりだというのに、窓の外からは浮付いた子どものような笑い声が聞こえる。
壁一面に本の並べられた部屋で、腕を組んでカーテンにもたれかかりながら窓の外を眺める少年は、
けれど扉を叩く音が聞こえると、彼は一度静かに目を伏せ、表情を戻してから返事をした。
「はい」
「ビーチェ、入るぞ」
「どうぞ」
聞きなれた声。
親しみを込めた自分の名の呼び方に、ベアトリーチェは日常が戻ってきたことを感じると同時、昨日の彼の失態を思い出してほんの少し顔を顰める。
部屋に入ってきたユーリの手には報告書が握られており、そこには魔王の異常行動、ローズの魔法などについて、図入りで解説されていた。
「石が壊れるなんて聞いたことがない。ローズ様の魔力に、石が耐えられなかったということか?」
「それはありません」
ユーリの問いにベアトリーチェは断言し、窓から離れ本棚へと向かった。
彼は腕の長さほどある分厚く大きな本を手に取ると、ぱらりと開いた。
「本来、魔法を使うための石というのは、ただの式を保存する
ベアトリーチェは淡々と話し、頁を捲った。
「考えられるのは、石に何らかの保護魔法が掛けられていて、その力が彼女を守るために発動した――ということでしょう。過去の文献を調査した結果、古い時代の魔法に、そのような魔法が存在していたことが確認できました。もっとも、その詳しい情報についての記述はありませんでしたが。……つまり、今回彼女を守ったのは」
ベアトリーチェは、新緑の瞳で金色の瞳を見つめた。
「――リヒト王子、だと?」
ユーリはその名を口にして、ぎゅっと拳に力を込めた。
金の瞳に僅かに焦りと怒りが滲む。
「ええ」
ベアトリーチェは、ユーリを一瞥して目を伏せ、本の中身をユーリに見せた。
そこにはこの世界にかつて存在していたという、保護魔法についての記述があった。
あらゆる攻撃から守る保護魔法――発動は、一度のみ。
守るべき相手が命の危険に晒された時に発動すると書かれてはいるものの、それ以上の記述はない。
あまりに異質だ。ベアトリーチェは、そう確信していた。
「皮肉なものですが、私はそう推測します。そうでなければ理屈に合わない。でも、妙ですね。この世界には式の保存が可能な石はあっても、魔力を温存させる石は国ごとにある石以外発見されていません。だからこそ魔力の強い者と弱い者とで、格差が生まれている」
国ごとにある石は、見た目こそただの巨大な水晶だが、魔力を保存する力を持っている。
そしてその石は、世界で最も固いとされる物質を使っても、傷一つつけることが出来ないことで知られている。
「それがどうした?」
ユーリは首を傾げた。
「魔王の力をもはねのける強力な保護魔法が――ローズ様の魔力を以て発動されたのなら、多少の疲労感は示さなければ理屈に合わない」
「?」
ベアトリーチェは、自分の話が理解できずにいるユーリに内心溜息を吐いた。
「……ユーリ。貴方もご存知でしょうが、人が一日に使える魔法は限られています。その理由は分かりますね?」
「魔力は、魔力を保存することの出来る器に個人差があり、回復量もまた個人差があるから……?」
二人はまるで、教師と生徒のようだった。
「ええ、その通りです。だからこそ、回復量の多い私はある程度の魔法であれば人よりも連続して扱える。ですが私のような人間は稀です。本来強い魔法の一つでも使えば、人は体に違和感を覚えるものです。聖女様がそうであったように」
「……」
ユーリはローズが異常だと言われ、眉を寄せて目線を下げた。
「今回の討伐、貴方がうつつを抜かしていて招いた惨事については、十分反省してもらわねばなりません。ですがその一方で私は、ローズ様の行いをただ称賛することも出来ません。ローズ様がいつでも同じ魔法を使えるなら、もちろん心から彼女に謝辞を述べ、同じ魔法を使い、共に戦ってくださることを願わなくもない。でも――そうではないから」
不快感を顕わにするユーリに対し、ベアトリーチェ話を続ける。
「また、私の不在の間に行われた試験についてですが――彼女は貴方に勝ったとは言っても、所詮命のやり取りではなかった、とも言えると思っています。女性を、しかも公爵令嬢である彼女を戦場にかりだし命を危険に晒す行為は、やはり私は賛同出来ません」
「……」
「――納得がいかない、という顔をしていますね」
ベアトリーチェはユーリに問う。その声は、冷たいが何処か優しい。
「ならば貴方に訊ねましょう? もし同じことが起き、今度は本当にローズ様が命を落としてしまったら、その時貴方はどうするのですか?」
ユーリは唇を噛んだ。
ローズが死ぬ? そんな最悪の事態、ユーリは考えたことも無かった。
――昨日までは。
「……貴方の、彼女への恋心は知っています。戦場へ行くときに、いつも身に着けるその髪紐を贈ってくれた相手を、むざむざ殺してもいいのですか?」
「そんなこと……!」
恋心、そして髪紐。
ローズに纏わることを二つも指摘され、ユーリの顔に朱が走る。
ユーリが戦場に行くときに身につける髪紐は、かつてローズがユーリに贈ったものだ。
ユーリが無事に帰ってきますように。
怪我をせず、戻ってこれますように。
幼い昔のローズはユーリに、魔除けとして赤い紐を贈った。
もう十年の前のことだ。ユーリはその一本の紐と思い出を、十年間お守りに生きてきた。
赤い紐。それはユーリを、この世に結び付ける楔のようなものでもある。
絶対に自分は負けない。ユーリの不敗伝説はあっさりローズに破られてしまったが、それまでは十年間、ユーリはこの赤い髪紐と共に勝利を誓って生きてきた。
その相手が。
――死ぬ、だなんて。ユーリにはとても想像が出来なかった。
「ユーリ」
ベアトリーチェは、静かに彼の名前を呼んだ。
ユーリは、今にも泣いてしまいそうな顔をしていた。友人の悲しむ顔を見て、ベアトリーチェも心が痛かった。
大切な相手を傷付けることは、ベアトリーチェだって望まない。
けれど自分が忠告せず、ユーリが立ち直れないような心の傷を作ることだけは、彼は絶対に避けたかった。
「貴方には力がある。貴方は騎士団長なのです。そして彼女は、一騎士に過ぎない。貴方が望めば、彼女の行動は制限出来るはず。貴方がもし本当に彼女を思うなら、私は彼女を魔王討伐には、参加させない方が賢明だと判断します」
ベアトリーチェは、はっきりと宣言した。
それから、険しい顔をして自分の目を見ようとしない友人に、声音を変えて付け足す。
「これは部下としてというより、私個人の意見となりますが――私は、大切な友人である貴方の悲しむ姿は、これ以上見たくない。どうか理解してください」
「……わかった」
友人としての言葉。
そう言われては、ユーリは反論出来なかった。しぶしぶながらも静かに首肯したユーリを見て、ベアトリーチェは胸を撫で下ろした。
「……ビーチェ」
「はい」
「頭を撫でるな」
ベアトリーチェは下を向くユーリの頭を、手を伸ばして撫でていた。
ユーリにはミリアという幼馴染はいるが一人っ子だ。
しかも幼い頃に家を出ているため、こういう扱いは慣れていない。明らかに照れている年下の上司に、ベアトリーチェは目を細めて優しく笑う。
「……すいません。私はこんな外見ですが、貴方は年下なものですから。つい、撫でたくなってしまうんですよね」
手を下ろした彼は、自分が出した本を元の位置に戻すと、ユーリの方を振り返った。
「ローズ様の件はこれでよいとして……。残る問題は石についてです。あの現象は不可解です。私の方でも、少し調べてみようと思います」
「ああ」
ユーリは乱れた髪を整えて、彼の瞳を見て言った。
「頼んだ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
紙に書かれた魔法陣の上に指輪を起き、ローズは魔力を流し込む。
すると指輪はかっと光を放ち、紙から浮き出た魔法陣を吸い込んでいく。
「わ~~! 綺麗ですね!」
ローズとアルフレッド、そして昨日の少年を合わせた三人は、訓練場の一角に集まっていた。
魔法式の書き込みとはこのことをいう。
魔法陣と魔法式の呼び分けは、魔法陣は物体に書かれたもの、可視化されたもののことを言い、魔法式は石の中へと収納され、目に見えなくなったものを指す。
ローズが以前使っていた指輪は物体の収納という機能もついていたが、今回の指輪にはその能力はなかった。中に収納していた物を取り出せないことはローズは悲しくもあったが、壊れてしまった今はどうしようも出来ない。
「お父様が用意してくださったんだ」
「流石公爵様ですね!」
ローズの指には、壊れた指輪の代わりに、式を保存できる最大強度の石とされる金剛石の指輪が輝いていた。
魔法式を保存できる石は、強度により保存できる情報量が異なる。
解呪の式の保存だけであれば比較的安価な水晶でも可能だが、戦闘に扱えるような魔法式を保存できる石は非常に高価で、またたとえ硬度の低い石であろうとも、魔法式を保存できると認められた場合、庶民が三カ月働いてやっと小さいものを買えるというほどに価格が跳ね上がる。
このこともあり、魔法を使える庶民の騎士団への入団を望む者は多い。
何故なら騎士団では、剣の腕だけでなく、魔法を使えることが高く評価されており、国を守る騎士として立派に働けるよう、入団した際には式を保存できる石が備品として貸し出されるからだ。
金剛石の指輪――しかも、随分と大きい。
公爵令嬢に相応しいその指輪に、ローズはあらゆる属性の魔法式を書き込んでいく。
「でも、なんで指輪は壊れたんですかね……? 普通壊れませんよね? それにあの魔法……いくらなんでも強すぎたし……」
アルフレッドは、うーんと考えこんだ。
彼の疑問点については、ローズも同意見だった。
石は普通壊れるものではない。それに『あの魔法』は、普通ではありえないものだった。
魔王の力を跳ね除けることができるのは、光の聖女の『加護』のみであるはずなのだ。
「きっとローズ様の魔力に石が耐えられなかったんですよ!」
考えた結果、アルフレッドはその結論に至ったらしい。
「そうだ! ローズ様、魔力をはかりましょう!」
アルフレッドは元気よく言った。
「え? でもはかるにしたって測定器……」
ローズは苦笑いして断ろうとした。
石が魔力のせいで壊れることはありえないから、はかる理由はない。
けれど背後からした声に、ローズは逆らう事が出来なかった。
「測定機ならここにある」
何故持っている。
少年はさっと懐からローズに測定器を差し出した。
生温かかった。
◇
「こんなに光っているの、初めて見ました」
ローズは測定器に触れ、魔力を流し込む。
「……全属性に適性だと、こんなふうに光るんですね!」
すべての属性に適正を持つ――ローズの魔力を表すように、測定器は虹色に輝いていた。
「魔力を測るのは一年ぶりだけど……なんだか前より光が強い? 気がする」
ただその光が、いつもより強い気がして、ローズは首を傾げた。
「十五歳の魔力測定ですか?」
「そう。確かあの時は、属性の適性については全てにあったけれど、魔力自体はそこまで高くないと結果が出て……」
「ローズ様のそこまでって普通の人からしたら高そうですけどね」
ローズは自分に厳しいため、自己評価の基準も他人より厳しい。
それは確かだが、ローズはやはり目の前の結果が不思議でならなかった。
魔力は、通常一五歳でおおよそ決定するといわれている。
魔力を貯蔵するための器が一五歳で固定され、回復量もあまり変わらないというのが定説だ。
ローズは現在一六歳。
魔力の測定は一五歳の時に行い、全属性に適正はあり魔力は強いが、最高レベルに及ばない――そう結果が出たはずなのに。
『測定不能』
「え?」
本来数字を出すはずの測定器は、今はその結果を文字として表示していた。
「今までは、こんなことは……」
ローズは試しにもう一度魔力を流し込んで、測定を試みる。
けれど何度やっても、『測定不能』の文字。
「壊れたんですかね?」
アルフレッドも首を傾げていた。
当然だ。『測定不能』の魔力を持つ人間なんて、歴史の本にだって数えるほどしか登場しない。
「……何を騒いでいる?」
頭を悩ませていると、静かな声が聞こえてローズは振り返った。
「――ユーリ」
「ローズ様」
ユーリは、ベアトリーチェに言われたようにローズに戦場に出ることをやめるよう伝えるつもりだったが、ローズを前にすると言葉を紡ぐことができなかった。
「実は、測定器の調子がおかしくて……」
「……故障、でしょうか?」
ユーリは測定器に手を伸ばした。
ローズとユーリの手と手が触れる。
「……っ!」
「ユーリ、そのまま魔力をはかってください」
ユーリは手を戻そうとしたが、ローズに自分の上に手が重ねられていては動けなかった。
「壊れてはいないようですね」
「……そ、そうですか」
ぱっとローズはユーリから手を離した。ユーリの声は明らかに動揺していた。
「これまでは、こんなことは無かったんですが……どうして、突然こんな結果に?」
ローズは眉を寄せた。
「……何かおかしなことでもあったのですか?」
事態が理解出来ないユーリは尋ねる。
「ええ。ユーリも、見ていてください」
ローズはそう言うと、再び魔力を流し込んだ。
すると測定器は、再び『測定不能』の文字を表示した。
「これは……確かに、おかしいですね」
ユーリは文字に触れた。
自分の魔力は正常にはかることが出来たのに、何故彼女のものだけこのような結果が出るのか理解出来ない。
「体に違和感などは?」
「わかりません」
ローズは首を振った。
「ただ今は、いつもより少しだけ――胸が、熱く感じます」
確かによく見れば、ローズの顔はほんの少し赤く見えた。ユーリの顔に熱が集まる。
ユーリはローズから視線を反らして、改めて尋ねた。
「最近変わったことは何かありましたか?」
「そうですね……」
ローズは顎に手を当てて考え込む。
特にこれといったことはなかったはずだ。――ただ。
「指輪が壊れたことくらいでしょうか?」
指輪を破壊した、ということ以外。
けれど指輪が壊れたことで、ローズの魔力が上がったというのは考えづらい。
石が式を保存するものでしかないならば、魔力に影響が出ることはありえないからだ。
魔力は通常一五歳で固定される。急激な変化はおかしい。ならばローズの魔力は、昔から多かったということだろうか?
ただこれまでの測定値が間違いだったと仮定した場合、新たな疑問が生まれてしまう。
ローズが以前から測定不能というほどの魔力を誇っていたなら、これまでのローズの魔法の威力が弱すぎる。
となると、ローズの魔力は本来測定不能であったにもかかわらず、昨日までは何らかの理由によって能力が制限されていたということになる。
――これは一体どういうことだ?
誰もが、その理由を口に出来ずにいた時。
「あっ、あの! ローズ様!」
聞き覚えのある可愛らしい声が聞こえて、ローズは驚いて振り返った。
どうして彼女がここにいるのか。
「……アカリ様?」
アカリ・ナナセ――『光の聖女』が。
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