拝啓 タラチヒメ様 3

前田さんと実家に到着して、ものの1時間ほどで遥拝の準備ができた。

ゆっくりする間もなく、前田さんは冷水で体を清めて、笑ってしまうほどにガタガタ震えながら、白い着物を着せられて戻ってきた。

神職見習いの橋本君が用意してくれたベンチコートを羽織り、境内に持ち出された屋外用の石油ストーブに手をかざして震えている前田さんに声をかける。


「前田さーん、大丈夫です?」

ギギギと音がするほどのぎこちなさで振り向いた前田さん、よく見ると鼻が垂れている。

「ま…まだ11月なのに…やたら寒いっすね…」

「冷水は効きますからねー。ウチのは山から水を引いてるんでめちゃくちゃ冷たいんですよ」

ううーと唸る前田さんにティッシュを手渡して鼻をかませる。

橋本君が目ざとくティッシュを回収してくれる。


「…………」

さて、あとは母次第だ。

祈祷の準備をしている母を見やる。

落ち着いた様子で目を閉じている。

心が整ったら祈祷が始まる。


関西にある前田さんの故郷はウチから見て北東になる。

鬼門の方角だ。

特に気にする必要もないかもしれないが、どことなく不穏な引っかかりを覚える。

天垂血比売(アメノタラチヒメ)様。

前田さんの故郷の山をうろつき、神隠しをする神様。

人を護りながら人を食らう、不思議な神様だ。

その神様を遥拝するための祭壇。

簡易的とは思えないほど立派に設えられている。


母が挨拶をし、ベンチコートを脱がされた前田さんが招かれ、祭壇の前に立つ母の横に並ぶように立つ。

少女と老人は私達と同じように並んで参加している。

神様が祈祷に参列する光景というのは貴重だ。

これは次月号のネタに使えると確信した。


寒さか緊張か、ガチガチに固まっている前田さんを尻目に、母が大幣を振る。

祝詞が始まると、あたりの静寂が濃くなった気がする。

いつも感じているウチの神様の気配とは違う、異質な気配が漂い始めた。

少女だ。

並々ならぬ気配、神気というのだろうか、その気配が少女から溢れるように漏れ出ている。

オーラが見える人は、少女に何色のオーラを見るのだろう。

残念なことに未熟な私にはオーラの色は見えない。

父や母には見えているだろう。

あとで聞いてみよう。

そん呑気なことを考えていたから、ソレが起こったことに気づくのが一瞬遅れてしまった。


祈祷が始まって数分も経っただろうか。

あ…と息を飲む音がいくつか、神職さんの並ぶ列から聞こえた。

違和感の正体を求めて目線を彷徨わせ、すぐに気がついた。

母の隣にいたはずの前田さんの姿が消えていた。


だれが最初に気づいただろうか。

みんな同時に気づいたのかもしれない。

父は驚いた様子で前田さんのいた辺りを凝視している。

少女の表情は変わらない。

母は構わずに祝詞の奏上を続けている。

前田さんが消えた。

どこに行ったのかは大体想像がつくが、かなりマズい事態が起きたことは間違いない。

祈祷が続く中、聞こえるか聞こえないかの声で少女が「持っていかれた」と呟いた。

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