ジサツオフ 3

タツヤさんがやってきたのは集団自殺が起きた翌日だった。

ピンポンが鳴ったと思うと、返事を待たずにタツヤさんが部屋に入ってきた。

いつものようにお酒の入ったレジ袋をぶら下げている。

「おかえりなさい」

レジ袋を受け取ってお酒を冷蔵庫にしまう。

タツヤさんを出迎える時は「おかえり」と声をかけるのが習慣になっている。

別に同棲してる訳じゃないのだが、週の半分はこの部屋に泊まっていくので、いつのまにかそうなっていた。

作り置きしていたおつまみを小皿に盛り付けてテーブルに並べ、簡単に作れるものはチャチャっと作ってそれもテーブルに並べる。

テーブルに向かい合わせで座り乾杯をする。

つけっぱなしのテレビでは夕方のニュース番組がやっていて、集団自殺のニュースを扱っていた。

当然私達の話題もそのニュースについてだ。

「飛び降り、すごいニュースになってるね」

そう切り出したのはタツヤさんだった。

「…………」

なんと答えて良いのかわからない。

飛び降りた集団の中にあの2人がいたことを、タツヤさんは知っているのだろうか。

「どうかした?」

黙っている私にタツヤさんが問いかける。


「…………」

「リエ?」

「あの2人……」

何を言えばいいのかわからないまま、続ける。

「あの時…自殺オフ会の時にタツヤさんの部屋にいた2人が…飛び降りた人達の中にいた」

「…………うん、いたね」

タツヤさんは変わらぬ穏やかな口調で答える。

「どういうことなの?」

「どうって、まあ見たまんまだけと」

「あの2人はもともと知り合いだったの?」

あの2人が知り合いであったなら、タツヤさんとは無関係の飛び降りだったなら、そんな願いを込めて聞くが、

「違うよ。あの2人はあの時あの部屋で初めて会ったのは間違いない」

タツヤさんは私の願望を否定した。

「じゃあ…どういう……」

「見ての通り。自殺オフ会に来た人達に暗示をかけて、しかるべき時と場所で自殺してもらえるように誘導する。それが僕のやってることだね」

「…………」

何を言っているのかわからない。

聞こえてはいるし、言葉も理解しているのに、心に入ってこない。

「タツヤさん……が……?」

「自殺する人達をコントロールしてる。薬と暗示を使ってね。自殺オフ会を開くのはそのため」

「じ…じゃあ……飛び降りた他の人達も……」

「そう。自殺オフ会で集めた人達。今まで何度もやってるからね、ジサツオフは」

「なんで……」

喉がヒクついてうまく喋れない。

あまりにもあっけらかんと喋るタツヤさんに現実感が奪われていく。

「もちろん理由と目的があってやってる。リエに話していいかどうかは僕じゃ決められないけど、ちゃんとしたプランのもとに動いてるから、ただの頭おかしい男って訳じゃないよ。そこは安心してもらって大丈夫」

そう言ってタツヤさんは私の目を覗き込むように見つめた。

「そんなこと…言われても……」

私はその目を見返すことが出来ず俯く。

「僕が言ったこと、覚えてる?」

「…………」

「僕の認識ではジサツオフに来た人達はその時点で死んでる。僕はその死をありがたく使わせてもらってる。それ以上でもそれ以下でもない」

言葉が出てこない。

頭が働かない。

言い返したいのに何と言えば良いのかわからない。

「強調しておくけど、僕が殺してる訳じゃない。死に方を変えてもらってるだけ。死にたいっていう気持ちは尊重してるって言ったでしょ?それほど責められることでもないと思うよ」

言ってることはわかる。

でも、それでも――

「私は?」

言おうとしたこととは全く別の言葉が口から出てきた。

「私も、死んでるの?」

「…………」

今度はタツヤさんが口をつぐんだ。

「タツヤさんの言い方だと、私も死んだと同じなんだよね?」

タツヤさんは一呼吸だけ考える素振りをした。

「うーん。あの時は確かにそう言ったけど、リエはこうしてちゃんと生きてるし、暗示にかかってるわけでもないし、今はもう死のうとは思ってないでしょ?」

「うん」

「薬も効かなかったし、何より僕とのこともあるし、今更リエに暗示をかけたり自殺してもらおうとは思わないかな」

「…………」

渦巻く思考の中で、その言葉だけはストンと私の胸に落ちた。

私は違う、と。

それだけで不安の大半が晴れてしまった。

少しの後ろめたさを感じつつ、私はタツヤさんの顔を見つめる。

「それは…良かったけど、そもそもどうして飛び降りなんてやってるの?」

私の不安がどうであれ、倫理的に重大な問題であることは間違い無い。

ついこの間まで死のうと思っていた私が、倫理をとやかく言う筋合いではないのだが、それでも無視していいことではない。

タツヤさんは腕を組んでフムとため息をついた。

「僕じゃあリエに話していいかも決められないし、話すにしてもどこまで話すかも難しいから、今度の週末にでも本部に行ってみない?」

本部。

タツヤさん達の団体の偉い人に会わせるということだろう。

「いいの?」

私をそんな所に連れていっても大丈夫なのだろうか。

まさか今度こそ始末されるのではと思ったが、私は違うというタツヤさんの言葉は、胸の奥に根付いて温かく脈打っている。

「大丈夫大丈夫。そんな悪の秘密結社みたいな所ではないから」

そう言ってタツヤさんは笑った。


本部とやらに行くことになったのは、それから1週間後のことだった。

私としては暇を持て余していたのでいつでも良かったのだが、タツヤさんサイド、というより偉い人の都合のようだった。

キタムラさんが運転する車に乗り込んでもう2時間近く走っている。

後部座席で私とタツヤさんは並んで座っている。

ここのところ、タツヤさんはほぼ毎日部屋にやって来た。

私の様子を観察するためなのだろう。

不安も不信感も消えた訳ではない。

それでもタツヤさんと過ごす時間が、私にとって人生で最も価値のある瞬間であることに変わりはなかった。


「…………」

窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めつつ、これからのことを思う。

タツヤさん達の団体の本部。

薬物と術?を使って暗示をかけ、自殺志願者をコントロールして、大規模な集団飛び降り自殺という騒動を演出している団体。

演出。

タツヤさんは集団での飛び降り自殺を演出と言った。

なんのための?

その疑問には答えてくれなかったが、自殺する意思を持った人間をひと所に集めて、通行人の注目を集めた上で自殺を決行する、それがタツヤさん達の目的のための手段だと言っていた。


ふと、隣でスマホを見ていたタツヤさんがくっくっと笑った。

「ヨミだってさ。ずいぶんと可愛い名前をつけてくれたもんだね」

自殺者を引率していた女の正体を巡ってネットもテレビも毎日大騒ぎしている。

そしてここ数日で、魔女と呼ばれていた謎の女にヨミという呼称が定着していた。

長い黒髪で顔を隠した、黒いワンピースの女。

その正体が女装したタツヤさんであるということを、私はついさっき聞かされた。

タツヤさん達の団体の関係者が所有するビルの屋上を使って、監視カメラなどに細工をして足取りがわからないようにしたうえで、自殺現場の混乱が収まる前に女装から男性の姿に戻って行方をくらます。

そうすることで謎の女を作り上げることが目的だったと。

身長もそれほど高くなく、女の私よりも細っこいヒョロガリのタツヤさんが、黒髪のカツラをかぶってワンピースを着れば、まあ遠目には間違いなく女に見えるだろう。

ワンピースを脱いでカツラを取ってしまえば、あっという間に元の姿にも戻れるだろう。

まるで漫画のような話だが、そんなことをしてまで謎の女を作ろうとしていたと。


タツヤさんの説明は続く。

もう隠すこともないと思ったのか、私が聞いてもいないことまで次々に語り出した。

「謎の女が現れて、ビルの上から人が飛び降りてくる。それが自殺オフ会に集まった人達だなんて誰も知らないから、自殺した人達のつながりなんてわかるはずがない。暗示をかけた時にツイッターアカウントも消してもらってるから、そう簡単にジサツオフに辿り着くこともない。世間は謎の女が謎の魔術で人を殺してると思い込んでくれるかもしれない。そうでなくともそういうヤバい女がいるということは間違いなく拡散するよね。人を自由自在に殺す力を持ったヤバい女。そんなモンスターを作り上げるのが僕の仕事」

「なんのために?」

「抑止力。あとあえて言うなら示威行動。ウチに手を出すとただでは済まないぞってことを示してるわけ」

「誰に対して?」

「詳しいことは本部についてから説明するけど、僕らには敵がいるんだ。最近になって色々とちょっかいをかけてきてる奴らがね」

「警察?」

「違うよ笑。相手は正体不明の中国人ってことくらいしかわからない」

「危険なの?」

「今のところは危険でもない。でも相手がエスカレートしてくると怖いかも。だからこちらにも戦う力があるってことを示す必要がある」

「どうしてタツヤさん達が狙われているの?」

「それは本部についたらわかるよ」

そう言ってタツヤさんは笑った。

楽しそうに笑うものだから、私はもう訳が分からなくなってきていた。

テレビやネットで語られている通り、許されることではない。

でもタツヤさんの説く、自殺する人の死を利用しているだけという理屈も、何度も何度も聞かされたせいで反論する気持ちは失せている。

私自身が自殺に対して忌避感を持っていないから、世間との認識にズレがあるのも仕方ないと、なんとなく受け入れる方向に考えていた。


私達を乗せた車は大きなビルの地下駐車場に入って止まった。

タツヤさんの案内でエレベーターに乗り込み、14階あるビルの最上階へと向かう。

エレベーターの案内では12~14階はNPO法人ミルキーウェイとなっていた。


ビルの中は真っ白な廊下といくつかの部屋がある、普通のオフィスビルのような印象だった。

なんの部屋なのかもわからないドアをいくつか通り過ぎて、私はある部屋に案内された。

社長室といった感じの、大きなデスクと応接セットがある部屋。

デスクに座る白髪の男性と、応接セットの一角で車椅子に座ったお爺さんが、部屋に入ってきた私達に気づいてこちらを見た。


デスクに座っていた男性が立ち上がり、私達に応接セットに座るように促した。

タツヤさんが嬉しそうな声を出す。

「あれ?先生もいらしてたんですね。ご無沙汰してます」

そう言って車椅子の老人に駆け寄り頭を下げた。

老人がフガフガと何事かを喋りながらタツヤさんの体をさする。

タツヤさんはしきりに頭を下げている。

いきなり和やかな雰囲気を見せられ、私だけが緊張したまま取り残されてしまった。

白髪の男性が私に会釈して応接セットへ再度促してくれる。

示されたソファに腰掛け、男性や老人を眺めつつもじもじしていると、タツヤさんが私のことを2人に紹介してくれた。

「こちらが先日ご報告した方です。今は僕ともいいお付き合いといいますか、まあそういう感じです」

そう言って笑う。

いいお付き合い、その言葉に胸が熱くなる。

老人が私を見てニッコリと笑いながらウンウンと頷く。

ヨボヨボ、と表現していいだろう。

ちっちゃくて頭も綺麗に剥げあがった、おそらく90歳は超えていると思われる老人。

私の向かいに座った白髪の男性は60代といったところで、特に表情を変えず私を見ている。

老人がフガフガと話しかけてくる。

「はじめまして、お嬢さん。私は小木と申します。こっちにいるのはせがれの信一。今はせがれがここの責任者をやっております」

老人の言葉を受けて、白髪の男性が軽く頭を下げる。

私も改めて頭を下げて自己紹介をした。

部屋の中には車椅子の小木老人とその息子の小木さん。

私の隣にタツヤさんが腰掛け、キタムラさんはいつのまにか部屋からいなくなっていた。


「さて、実はここに来るまでにあらかたの事は説明してあるんです」

そうタツヤさんが切り出した。

同時に頷く小木親子。

「彼女の質問にどこまで答えていいものかわからなかったので、小木さんに会わせたくて連れてきました」

そうですか、と大きく頷く小木さん。

「いやどうも、わざわざ来ていただいて」

そう言ってペコっと頭を下げた。

つられて私も頭を下げる。

話しはじめたら、小木さんは実に快活に話す人だった。

白髪でガッシリしていて、企業の社長さんや校長先生のようなしっかりとした印象。

どうにも不穏な団体の偉い人には見えない。


「それで、今回の自殺騒動ですね。いやほんと、お騒がせしております」

そう言ってまた頭を下げる。

なんというのだろう、やたらと丁寧だ。

そのくせ胡散臭い感じはしない。

人と話すのが上手な人だ。

「世間様にも多大なご迷惑をおかけしております。その理由についてはタツヤから聞いてらっしゃいます?」

いきなり話を振られて少し怯む。

「いえ…あの…すいません、全然わかってないです」

そう答えると小木さんはまた大きく頷いた。

「ええ、では最初からご説明しましょう。私どもは天道宗という宗教団体です。宗教法人ではありませんが、仏教と神道の混合みたいな宗教をやっております」

はあ、と頷く。

ぶっちゃけ仏教も神道も詳しく知らないし興味もない。

そもそも日本って神仏習合?じゃなかったっけ。

「それで、ウチの教義やらなんやらという小難しいのは置いておいて、ウチで行っている神秘的な儀式…と申しますか、術というのを勉強してるんです。お坊さんやなんかの修行と同じように考えていただければ大丈夫です」

「はあ」

「術にも様々あるんですが、その中に暗示をかけて術でコントロールする、というのがあります。それを今回やったのがタツヤです」

今度はタツヤさんがおどけたように軽く頭を下げる。

「タツヤはこう見えて結構真面目なヤツでして、子供の頃からウチの親父の元で修行してきたエキスパートなんですよ」

「小木さん、こう見えてってなに笑。僕は真面目。真面目キャラですから」

タツヤさんが笑いながらツッコミを入れる。

相当に親密な間柄なのだろう。

小木老人はニコニコしながら見ている。

とても自殺をコントロールするなんて話をしているとは思えない雰囲気だ。


「あの…なんであんなことを…その…」

「そこが1番大事ですね。世間様に迷惑をかけてまでやったのには理由があります」

自殺した人達をもてあそんだ、という認識はないようだ。

「私どもの団体では昔から、成仏できない哀れな霊を集めて供養する箱、というものを作っておりまして、これが私どもの団体の根幹なのですが、どうも最近になって、それを狙う輩が現れたんです」

霊を集めて?

タツヤさんは霊なんて妄想だと笑っていたけど、嘘だったのだろうか。

でもだとしたらあのネットに書いてあったラジオ番組の件は本当のこと?

どんな内容だったか思い出せないけど、悪いことをしていると書いてあったはずだ。

「私ども自体が秘匿的といいますか、世間から離れて活動しておりますし、信徒を獲得するための布教活動をしているわけでもありません。天道宗なんぞ知っている人はごくわずかだ。それにも関わらず私らのことを調べて、秘術に使う箱を奪っていく者たちがいる。これは我々としても一大事ですから、大騒ぎしておったわけです」

霊を集めて供養する?

そのための箱を奪われた?

悪いことをしているのは誰なんだろう。


「そんな最中に、古くから箱を預けていた家から偶然に箱が持ち出され……いやこれは我々の落ち度でもあるんですが、かつての仲間が亡くなっていたのに気づかなかったということがありました。それであるラジオ番組でその箱を開けてしまうという騒動が起きました。最初に箱を開けたご家族が無事だったのは良かったのですが、いくらか被害も出てしまった。それは我々も反省しなくてはなりません」

そこでため息をつく小木さん。

タツヤさんも難しそうな顔をしている。

小木老人のシワだらけの顔からは表情は読み取れない。

「しかしいずれにせよ我々には箱を守り霊を供養する義務がある。それを狙う者どもへの牽制と対策は充分に行う必要があります。そして我々にはさらなる大切な使命があるために一度大きく目立っておく必要もあった。それで今回の自殺騒動を引き起こす決心をしたのです。世間様にはご迷惑をかけましたが、その責任の半分は自殺された方々にも負っていただくとして、あと一度か二度、同じようなことが起きる予定です」

「……自殺した人達の責任というのは?」

そこは少しカチンときた。

「本来一人で自殺しようと考えておられた人達だと思いますが、その中には飛び降りたり、電車に飛び込んで死ぬことを考えていた方もおられたはずです。いずれにせよ自殺というのは他人に迷惑をかける行為ですから、全く責任がないとも言えないと思います。そういった諸々をまとめて一か所で行うように、我々が関与したと、そういうことです」

あなただって自殺しようと考えていたでしょう?とでも言いたげに私の目を見る。


「…………」

たしかに。

もしもあの時の自殺オフ会で全員きっちり死んでいたとしたら、誰かが見つけるまで死体はそのままだったわけだ。

数日か数十日か、

下手したら複数の腐乱死体となって部屋を汚してた可能性もある。

迷惑をかけるのは間違いない。

飛び降りにしても首吊りにしても、その場を汚すことには違いない。

迷惑をかけると言われたら返す言葉もない。

「……また……やるんですか?」

逃げるように話題を変える。

「ええ。その予定です。今度も一般の方や無関係の方には被害を出さないように、細心の注意をはらって行います。タツヤなら心配ありませんよ」

そう言って大きく頷く小木さん。

「あの……どうしてその話を……私に……」

「ええ。タツヤからあなたのことを聞かされた時に、素晴らしい出会いだと確信したわけです。あなたもタツヤのことを良く思ってくれてるようですし、何も問題ないと嬉しく思いました。だからこうして色々お話しして、ご心配なさっていることを払拭できれば私としてもありがたい」


その後も色々なことを聞かされたが、ほとんど頭には入ってこなかった。

タツヤさんとの関係が公認のことになったのもあるし、小木親子の印象があまりにもまともなので現実感が持てなかったのだ。

小木さんの言い分は理解することはできるが、納得できるかといえば全然無理。

小木さんもタツヤさんも、私を説得するつもりはないようで、ただ単純に彼らの立場を説明して、これからも必要なことをすると言う。

私がやめろと言ったところで何かが変わるわけもないし、黙って引き下がったというのが正直なところだ。


帰りに地下の階に案内され、ぜひ見ておくようにと言われた。

駐車場よりも下にあるその階は人気が全くない倉庫のような感じで、大小さまざまな木の箱が置かれてあった。

箱にも壁にもベタベタとお札が貼ってあって、ああやっぱり宗教なんだなと初めて思った。

「これが先ほどご説明した霊を供養するための箱です。我々は招霊箱と呼んでいます」

小木さんが説明してくれる。

なんで私にそこまで見せるのかわからなかったが、とりあえず相槌を打っておく。

「長い時をかけて箱の中で霊達は混ざり合い、来たる日に備えています。近いうちに訪れるその日が彼らの解放の時となるでしょう」

何を言っているのかわからない。

私は「はあ」と間抜けな返事をした。


マンションに戻った頃にはすっかり暗くなっていた。

タツヤさんと一緒のベッドで横になる。

「…………」

大丈夫なのだろうか、このままタツヤさんと一緒にいて。

小木親子の印象が良かったといっても、それで全てOKだなんて、そんなはずはない。

彼らは異常な集団だし、社会的にも悪だ。

自殺する人をコントロールして、自分達のアピールに利用している。

どう考えても人道的にアウトだろう。


「…………」

それに最後に見せられたあの箱。

あれがラジオ番組で開けられたという箱なのだろう。

開けてしまっただけで大騒ぎになったという箱。

それがあの地下室には沢山あった。

供養している霊を解放する。

それだと意味がないのでは?

ただでさえ宗教に無関心で生きてきた私には意味がわからなかったが、どうにも引っかかる気がした。

改めてラジオ番組での騒動をネットで検索してみたが、やっぱりわからなかった。

ネットにはコドクという悪い呪法だと書いてあるけど、小木さんは供養だと言っていた。

やっぱり何かがおかしい。

どう考えても怪しい。


「…………」

それでも、と思ってしまう。

隣で寝息を立てるタツヤさんの温もりを手放すなんて考えられない。

手放してしまえば私はまた意味のない存在に戻ってしまう。

それならば、私はもう死んだ存在として、タツヤさんのそばにいるだけで良いのではないか。

そんなことを考えながら、私は眠りに落ちていった。


そうしてグルグルと不安な思考を回しながら、すっかり日常となった緩い軟禁生活を続けていると、ある日、大阪でまた集団の飛び降りが起こった。

ニュースを見た私がまず思ったのは、タツヤさんが捕まりはしないだろうかということだった。

不安でたまらなくなり、外に待機しているキタムラさんの元へタツヤさんの無事を確かめに行った。

その夜、タツヤさんは何事もなかったように部屋へと帰ってきた。

お帰りなさいと言った途端に涙が止まらなくなった私を抱きしめて、タツヤさんはただいまと言った。


私の運命は決まった。

何があってもタツヤさんについていく。

ありのままを受け入れて、ただ彼を愛そう。

いつかタツヤさんが裁かれるなら私も共に罰を受けよう。

私は丸山理恵。

ようやく生きる目的を見つけられた遅咲きの女。

最高に幸せだと胸を張って言いたい。


また日が過ぎて、タツヤさんから本部へ行ったあとに新宿で夕食を取ろうと誘われた。

ウキウキしながらキタムラさんが運転する車で本部へと向かう。

終始ご機嫌な私をタツヤさんは面白そうに眺めている。

後部座席でイチャつく私達を見てキタムラさんがため息をついたのが見えた。

本部へ着くと、タツヤさんはキタムラさんと別件の用事を片付けにいくと言ってどこかへ行ってしまった。

「今夜、夜景の綺麗な場所で」

別れ際にタツヤさんは私の手を握り、キザったらしくそう言ってウィンクをしてみせた。

私は吹き出してしまったが、内心では嬉しかった。


代わりに私を案内してくれるのは、私が入院していた病院の看護師さん。

今日はナース服ではなく私服だった。

看護師さんいわく、私は検査を受けるのだという。

退院してから1ヶ月ほど。

その後、体調に変化はないかなど聞かれながらエレベーターに乗り込む。

12階で降りて、何やら医療用あるいは研究用とおぼしき機器が並んだ部屋へと案内される。

そこにはあの病院にいた医師達が待機していて、簡単な問診を受け血圧や脈拍などを測られ、採血の後に何かの注射を打たれた。

しばらく看護師さんと話していると、ふいに強い眠気が襲ってきた。


気がつくとソファに寝かされていた。

何もない白い部屋。

あるのは私が寝かされていた大きなソファと、部屋の中央に衣装ケースほどの大きさの木箱がひとつ。

「…………」

頭が重い。

あの箱はなんだっけ。

そうだ、前に本部に来た時に見せられた、地下にあった箱だ。

お札を剥がした跡がある。

どういうことなんだろう。


何もしていないのに、蓋がカタッと音を立てた。

内側から小突くようにカタッ、カタッと蓋が浮く。

中に誰か入っているのだろうか。

しかしあんなサイズの箱に入れるとすれば大人では無理。

この施設に子供なんていたっけと考えていたら、ふいに強烈な頭痛が襲ってきた。

「うう……ぐ……ぎぎ……」

尋常じゃない、吐き気を催すほどの頭痛。

痛みに目をギュッとつぶり頭を抱える。

頭痛は現れて引いてを繰り返す。

頭にアイスビックでも突き立て、それでグリグリとかき回したかと思うとすうっと引いていくような痛み。

痛みがひいたと分かってもまたすぐに痛みが来るのがわかるから心もかき乱される。


カタッ。

その音に箱に目を向ける。

この中に異常の原因がある。

開けてはいけない。

そんな確信を抱いて蓋を抑えるために近づく。

カタンッと音を立てて蓋が大きく跳ねる。

その拍子で蓋がずれて半分ほど開いた形で引っかかる。

痛みが強くなり弱くなる。


「…………!」

苦痛の波の中で新たな恐怖が芽生えたのがわかった。

何かがいる。

この箱の中にいて、今まさに出てこようとしているナニカが、この頭痛をもたらしているんだ。

漠然としながらも半ば確信する。

理不尽な痛みをもたらすナニカへの怒りと恐怖で頭が真っ白に塗りつぶされる。

箱から目が離せない。

冷たい汗が全身を濡らして服が張り付く。

カタンッとまた音がして蓋が完全に開いて落ちた。

そして先ほどまで無かったはずのものが箱の内側から出てくる。

指だ。

あれは人間の手の指。

箱の内側から外に向かってかけられた手だ。

今見えている指は4本。

また出てきて8本。

まるで箱の内側にぶら下がっている人が箱の縁に手をかけたように見える。

出てこようとしている。

ガンガンガンガンと頭の中で音が響く。

頭痛が音となって頭を揺らす。

最初に現れた4本の指が動いて手の甲まで出てくる。

もう片方の手が腕まで出てきて箱の縁にしがみつく。

そして中からせり出してきたのは人間の頭だ。

女、だろうか。

真っ白な顔に髪の毛がへばりついている。

目はうつろでどこを見ているのかわからない。

ダラリと開けられた口から紫色の舌が垂れている。

パッと見て首吊り死体を連想する。

どうやらそれは正しかったようで、女の首に真横に走る黒っぽい痕が見える。

ゆっくりと肩まで出てきて、残る片方の手も出して箱にしがみつく。

もう上半身はほとんど出てきてしまった。


………かひゅっ………

しゃっくりのような、おかしな呼吸音。

「……ひゅっ……ひゅ……かひゅっ……か……か…か………」

まるで首を吊っているような、今も首を吊り続けているかのようなおかしな呼吸を繰り返すその女の霊が、ゆっくりと近づいてくる。

振り返ってドアに駆け寄る。

ドアノブを回すも鍵がかかっていて開かない。

……かひゅっ……

女の霊が近づいてくるのが分かる。

白いドアに私以外の影が映っていて、それが徐々に大きくなってきている。

ドアを思い切り叩く。

「タツヤさん!…タツヤさん助けて!!……ドア開かないの……お願い……タツヤさん!………誰か!!……」

無茶苦茶にドアノブを回しながら助けを求めて叫ぶ。

ドアに映る影はどんどん大きくなって、ふいに影が上にずれた。

「かひゅっ……ぐっ……げええ……か……か……かかかかかかかかかかかかか」

影が揺れる。

バタバタと音が聞こえる。

まるで今この時、私のすぐ後ろで女が首を吊ってもがいているような、そんな音と影。


「……が……か…か………かひゅっ………ひゅ…………ひゅ……」

女の息が止まる。

絶命したかのような静寂。

人間じゃない。

それはわかっているのに首を吊って死んだというイメージが伝わる。

恐る恐る振り向く。

目の前に女の胸が見える。

視線を上げると、私の顔の少し上から、首を吊った女が私を見下ろしていた。

目があって、絶叫を上げる余裕すらなく、私は硬直してしまった。

何も考えられない。

ただ目の前の女の顔から目が離せない。

どうやら腰が抜けたようでその場で尻餅をつく。

首を吊っているはずの女の顔が私を追うように下がってくる。

ようやく意識が戻ってきて腹の底から絶叫を上げた。

女の顔が目の前に迫る。

ズルリと何かが私の首に巻きついた感触がしたと思ったら、その巻きついた何かが締まって喉を締めつけてきた。

「……あ……お……あが……かっ………かひゅっ………か……あ……」

息ができない。

女の顔はもう近過ぎて焦点が合わない。

鼻と鼻が触れ合う距離で、滲んだ視界の中で女の顔が歪んだ。

笑ったように見えた。


「…………生体……完了です……血圧脈拍共に術式前と大差なし……脳波は……はい……丸山理恵に35番の霊が憑りつきました……はい……拘束してあります………はい……はい……」


誰かが電話する声が聞こえる。

タツヤさんはどこだろう。

頭が痛い。

さっきのようにガンガンと打ちつける激しい痛みではない。

重い痛み。

そして声。

呻き声、だと思う。

あの女の呻く声が頭のすぐ後ろから聞こえる。

そしてその声は私の口からも出ている。

首を吊っている感触がする。

絡み付いた縄が首に食い込んで痛い。

これが首吊りの痛みかと妙に冷静に考えている。

痛い、のに死なない。

苦しいのが終わらない。

頭の後ろで呻く声は憎々しげで、ものすごく苦しそうだ。

周りに意識を向ける。

どうやら私は椅子に縛り付けられている。

それなのに首を吊っている実感がある。

追体験というやつだろうか。

いつかテレビで見た気がする。

首を吊って死んだらしいあの女の霊。

あれに憑りつかれてしまったのだろうか。

頭が重い。


これは……夢だ……。


悪い……夢……。


頭が……重い……また……眠く……


……………。


………。


…。


車に乗せられている。

運転するキタムラさんが見える。

「気がつきましたか」

タツヤさんはいない。

夢から覚めたのに体が動かない。

「リエさん、あなたオフ会の後、1週間眠り続けてましたよね」

キタムラさんが独り言のように続ける。

頭の後ろからあの女の呻き声が聞こえる。

夢から覚めたのに。

「他の人は暗示をかけられてすぐに帰っていったのに、あなたはなんで1週間も眠っていたのでしょうね」

首を吊っている実感がある。

車の後部座席にいるはずなのに。

「こうなることは最初から決まっていたんです。申し訳ないとは思いますが、仕方ないことなんです」

体が動かないと思ったら、縄でグルグルに縛られていた。

女の呻き声がうるさい。

頭が重い。

「ここしばらく、幸せそうにしているあなたを見ているのは辛かった」

「……タツヤさん……」

ようやくまともな言葉が口から出た。

「……タツヤは三角ビルで待っています。夕食の約束、したんでしょう?」

そうだ。

タツヤさんとの約束。

車が止まった。

ドアが開けられ、キタムラさんに車から出された。

縄を解かれ、キタムラさんが指差す方を見る。

遠くに三角ビルが見える。

「ここからは1人で行ってください」

そう言うとキタムラさんは車に乗って行ってしまった。

働かない頭でぼんやりと周りを見回す。

周りに人はいない。

人目につかないところで車から降ろされたようだ。

「…………」

三角ビルに行かなくちゃ。

頭も体も重いけどどうにか足を踏み出す。

酔っ払っているかのようにフラフラする。

頭の後ろで女の呻く声が聞こえる。


しばらく歩いていると周りで誰かが叫んだ。

声のした方を振り向くとまた悲鳴が起きた。

私を見て叫んでいるようだ。

レストランのガラス窓に映った自分の姿を見て驚く。

髪ボサボサ。

こんなんじゃタツヤさんに笑われちゃう。

それにいつのまにか黒い服に着替えさせられている。

これじゃあまるで……。


「ヨミだ!」

また誰かが叫んで周りで悲鳴が起きる。

車のクラクションが聞こえて、バンッと大きな音がした。

また悲鳴が聞こえる。

音がした方を見ると、誰かが車に跳ねられたようだ。

「ヨミだ……あ…あいつがやったんだ!」

誰かが叫んだ。

悲鳴やら絶叫やらで大騒ぎになっている。

誰もが私から遠ざかるように走りだす。

待って、私じゃない。

そう言おうと思ったが、口からは呻き声しか出なかった。


そうしてヨミとなった私は、頭の後ろで響く怨念の呻きで塗りつぶされそうな意識の中、たった一つの約束を忘れまいと必死に念じている。

タツヤさんとの約束。

今夜、夜景の綺麗な場所で。

三角ビルまでもう少し。

タツヤさんが待つレストランへ、重い体を引きずって、私は歩いていく。

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