28段目 かつての薔薇へ贈る星

『……今、なんと言った?』


 聞き返したのは、ただ脳が理解を拒んでいるだけだろう。

 秀でた額の上を、汗が一筋たれていく。

 男の見せた焦りを見逃さず、ロウの横に出たイェルノが碧の瞳を輝かせた。


「――助かったよ、ロウ。俺じゃこうはいかない。のらくらとくだらないこと並べてよく時間を稼いだもんだね、あなたは」

「クソ、褒めるなら素直に褒めろ。ああ、そうだな。あんたは人を無言にさせるのが常時発動のパッシブスキルだったよな」

「そういう問題じゃなくて、あなたがゴッデスの息子だからこそ、ここまで会話を引っ張れたって言うか――いや、もういいや」


 モニタへと向き直ったイェルノは、男の視線を正面から受け、花が綻ぶように笑って見せた。


「さて、あなたほどの方だ。ベリャーエフINC.の法令違反については、認識してるね?」

『……法令違反? 待て、お前は』

「惑星テルクシピアの妖精セイレーン達。地球由来外知的生命体交流法、第五条の一『地球由来外生命体との交流は、人類全体への危機の排除と発展を促すものであるとの理念に基づき、全ての人類はかつて認識されていない地球由来外生命体の種を発見した場合、即時に中央人類政府への報告を行うことを絶対の義務とする。』――同、第六条の一『前条は法人においても適用される。』――あなた個人の罪ではない、ベリャーエフ全体の罪だよ」

『お前――セクサロイドじゃないな……!?』


 焦りと混乱の中に恐れが混じっている。

 なにがあったか明確には把握できなくとも、なにが起こっているのかには気付いたのだろう。


 さすがベリャーエフの開発本部長。

 察しの良さに、ロウはひっそりと舌を巻いた。

 だが――もう遅い。


「俺は、汎銀河刑事警察機構パングポールの捜査官、イェルノだ。あなた方の犯罪の証拠を掴むため、セクサロイドのフリをして工場内部で潜入捜査を行っていた……ところに、そこの一民間人が手を貸してくれて、無事に工場どころか惑星テルクシピアの中で潜り込んで、無事に現地調査することができたってことさ」

『捜査官、だと……?』


 男の顔が歪む。心当たりが十分にあるのだろう。

 イェルノはベリャーエフとの間に因縁を持ってはいるが、当然ながら個人プレイで勝手な動きをしている訳ではない。正式な指示書に基づいて捜査に入っている。

 つまり――事件当時と比べれば、ベリャーエフINC.の圧力は、汎銀河刑事警察機構パングポールに効きづらくなっているのだ。

 諸々の人脈の消失や、時流の移り変わりによって。


「さて、最初に言われた数分は過ぎちまったと思うがね。どうだい、そっちは。まだ通信を切ろうと思ってるか?」

『……思っていたからどうなんだ。さっさと通信を切って店じまいの準備をしろ、ということか?』


 引き攣った笑いの中にこそ、本音がある。

 彼は、ここから一刻を争うことになるはずだ。

 汎銀河刑事警察機構パングポールが踏み込む前に、あれやこれやの証拠を処理したいだろう。

 だが。


「ま、切りたきゃ切れよ。……切れるもんならな」


 ロウの挑発に苛立った男が、反射的に通信切断のボタンを押した。

 押して、それでも通信が繋がっていることに目を丸くした顔が、真正面からモニタに映っている。


『ど、どういうことだ!?』


 ガチャガチャと繰り返しボタンを押すが、一向に通信は切断されない。

 通信どころか、車のドアすらも開かなくなっているのだが、ロウはそれ以上言及せず肩を竦めて見せた。


「さっきアルキュミアが言っただろ。通信を遡ってあんたの繋いでるシステム群を乗っ取った。通信システムも、そこから繋がっている業務データのあれこれもな」

『馬鹿な! ベリャーエフINC.のセキュリティだぞ!? リュドミーラですらハッキング出来ないレベルの――』


 イェルノがロウの隣で、携帯端末を操作している。

 どうやら、吸い出したデータをチェックしているらしい。


「今アルキュミアが解析してるけど……さすが、開発本部長のアクセス出来るデータは膨大だね。ふーん……フォルダ名は花の名前か。『iris』『peony』『lily』『rose』……ご趣味のいいことで。さて、決定的なデータはどのフォルダに入っているのかな」

『そんな馬鹿な……いくら、汎銀河刑事警察機構だとしても、強制的に一企業のデータにハッキングするなど、そんなことできるわけが……』


 男は、車のシートに背を預けて動かなくなる。

 その頭の中で、この後襲い来る窮地が様々なパターンで展開されているに違いない。


 地球由来外知的生命体交流法違反は人類社会全体への裏切りだ。

 ハッキングによる証拠の収集は犯罪行為だが、入手した情報を公開すれば、ベリャーエフへの非難の声もまた著しいものになる。

 だから――これでようやく、ロウは男と同じ立場で会話が出来る。


「……と、ここで、あんたに取引のお誘いだ」


 男はさしたる反応をしなかった。ロウはそのまま言葉を続ける。


「惑星テルクシピアとその周辺宙域――あんたらの持ち物になってるよな?」

『……引き換えてやるとでも言うのか?』


 呆けていても察しはいい。

 やはり、何もかも諦めて自暴自棄になっている訳ではないらしい。

 男の反応の早さに、ロウはにやりと笑って見せる。


「今の地位を無くすよりよほどいいだろ?」

『……そして私は、卑劣な手段で情報を持ち出した強請ゆすり屋に一生脅され続ける、と?』

「ご心配なら、こっちの手の内も見せてやるよ」


 ちょいちょいと呼ぶと、紅い翅を広げたアマルテアが、カメラに映る辺りまで駆け寄ってきた。

 最初は訝しげに見ていた男の瞳に、理解の色が宿る。


『――妖精セイレーン……それも、人型だと!?』

「ちょっとばかし不安があってな、異星人を発見しても、中央人類政府へ報告したくないってのはオレも同じだ」

『妖精を惑星から連れ出すなどとは……まさか、さっきのセキュリティの突破はそいつの仕業か!?』

「な、これが表に出たら大変なことになるって、あんたにだってわかるだろ? こいつを見せたのは、あんたとオレの立場を同じにするためだ。他には絶対に知らせない」


 ちらちらとモニタを気にするアマルテアを、アルキュミアのホログラムが遠くで手招きした。

 そちらへ駆け去っていく背中を見ながら、モニタの男は苦笑を浮かべる。


『なるほど。人類全体を恐怖に陥れるようなハッカーを擁立するつもりか、君は……』

「や、どっちかっつーと、あんまそういうの関係なく育って欲しい気はする。それが可能かどうかはわからんが……」

『馬鹿な、そんなことが出来るものか』

「まあ、そうかもな。未来については、オレだけで決めれることじゃない」


 才能は武器だ。武器を持つものは戦わなければならない。たとえ戦いを好まなくとも、必ず巻き込まれる。

 ロウ達と出会った時、既にアマルテアの運命は決まっていた。あるいは――生まれた時に。

 ロウに出来るのは、その道が出来るだけ彼女にとって苦しくないよう傍を歩いてやることだけだ。どうなったとしても、けして手を離さずに。


『それで? 要求はテルクシピアとその周辺宙域だと?』


 状況を理解するにつれ調子を取り戻し、逆に要求を促しさえするのは、さすがと言おうか。

 男に向けて、ロウは頭を掻きながら答える。


「あー、じゃあもう一つ。頼みと言うか、ついでと言うか……」

『聞くだけは聞こう』

「どっから話すかな……そもそも、アマルテアが通信を経由してサーバまで行き着けるようになるまでには、いくら能力があってもそれなりに練習が必要だったわけで……」

『それがどうした?』

「練習させてくれた人がいてなぁ、テルクシピアを脱出したばかりの時に。そのお返しに一つプレゼントしなきゃいけない約束になってる」

『プレゼント? なにを?』

「……俺の身体ボディ、だね」


 黙ってもじもじしていたイェルノが、視線を逸らしたまま呟いた。

 さすがに状況を理解しきれず黙ってしまったの男を見て、ロウは言葉を添える。


「いや、テルクシピアを出たはいいが、オレ達ときたらボロボロの状態でさ。そんなとき、偶然近くを通りかかったひとが助けてくれて……ま、そのついでに色々厄介になってね。んで、口止め料も含めて何か礼をするって伝えたところ――その、こちらのイェルノ嬢に一目惚れして――ならばその身体ボディを譲ってくれ、ときたもんだ」


 イェルノが恥ずかしそうに顔を逸らした仕草で、うっかりその時のやり取りを思い出し、ロウは笑いをかみ殺した。

 うまく隠したつもりだったが、隣のイェルノにはバレていたらしい。パイロットシートに蹴りをくらった。


「……そりゃ俺はセクサロイドベースとは言え、元は医療用アンドロイドだし、更に汎銀河刑事警察機構パングポールの改良も入ってる。今ベリャーエフINC.が一般向けに販売してるものとは多少違うところもあるだろうが、それだってロウがざっくり見たくらいじゃ気付かれないレベルで、市販のセクサロイドとそんなに大きく違うわけでも……」

「照れんなって。あっちはあんたが欲しいって言ってんだから、褒め言葉だぜ。いいじゃねぇか――痛ぇ!」


 さっきまではモニタから見えないよう気を使っていたのが、今度こそ堂々と左手の肘で胸をどつかれた。

 男の呆れた視線を受け、ロウは正面に向き直って両手を広げる。


「ってことで、追加のお願いだ。今聞いた通りこいつのボディは元を辿ればベリャーエフ製でね。きっとあんたんとこの人工知能を載せてもうまく動くと思う」

『その身体ボディをこっちで回収して、人工知能を搭載したうえで、君たちが助けられた相手に礼として贈れと?』

「そう。ついでにこいつに代わりの身体ボディも頼む。強欲に見えるかい? けど、これでオレの要望は全部だ。すべて手打ち。なにもかもなかったことにしようじゃないか」


 男はしばし考えて、それから別の質問を投げた。


『……何故、君がそこまでしてテルクシピアにこだわる?』


 ロウはそっとイェルノに視線を送る。イェルノは黙って唇を歪めた。言うも言わぬも好きにしろ、ということだろう。


「あんた、アルキュミアに載っかってるサブコンピュータの存在を知ってるな?」

『リュドミーラの頭脳のコピーか――テルクシピア開発の可否を、彼女の存在に賭けていたのだ。もちろん知っている』

「そのコピーを……脱出のとき、全部テルクシピアに置いてきた。オレはあの人を迎えにいかなきゃいけない」

『置いてきた、だと?』


 怒りだか呆れだか分からない声を上げて、男が口を噤んだ。

 ――言わない方がよかったのかも知れない。だが、ロウは伝えるべきだと判断した。マーマの残したデータが、それを肯定している。


 これを聞いて、男がどう出るか。

 ロウを押し退け、マーマのデータを己が回収しようとするか、それとも――


『そこの汎銀河刑事警察機構のお嬢さんは、それで良いのかね? 使い慣れた身体を手放すのは惜しかろう。それに無茶な潜入捜査の目的は、我々の不正を暴こうとしてのことでは?』


 ――イェルノにそれを尋ねるなら、答えは「応」だ。

 賭けに勝ったロウは唇を歪め、イェルノは溜息をついて首を振った。


「そうだね、まあ……不正は明らかにならなくとも、あの惑星でもう事故が起こらないなら俺にとっては次善ってとこか。それに、俺もロウのマーマに対しては命の借りが出来た。いい大人たるもの、借りは返さなきゃ。そもそもこんな勝手な取引してちゃ汎銀河刑事警察機構はクビになりそうだ。新しい就職先を探さないとなぁ」


 イェルノの就職先など大した問題ではない。

 少なくとも、ロウにとっては。


 なんなら……汎銀河刑事警察機構パングポールなんか辞めてオレと一緒にいよう、とこちらから言い出さずに済んだ分、手間が省けたと言ってもいいかも知れない。

 そんなロウの胸の内が伝わった訳でもないのだろうが、契約締結の証に、パネルの男はようやく少し微笑んで見せた。


『……なるほど。私は以前こういう場面で、『では永久就職先でも提供しようか』と伝えて、女性蔑視だと振られたことがあってね』

「おや、天下のベリャーエフINC.の開発本部長さんをか? そりゃ豪気なマドンナもいたもんだ」


 賭けに勝った興奮で、少しばかり気分が昂揚している。

 からかうようなロウの言葉に、男は今度こそはっきりと笑って見せた。


『そのマドンナが君の母親さ。君の父親が亡くなったとき、並み居る男達の中、最も真剣に『人工知能の女神ゴッデス・オブ・アーティファクト』を口説いたのは私だった。あの時は一世一代の告白のつもりだったが……結局彼女は、あれ以降誰の求婚にも応えはしなかった。今となってはどうするのが一番よかったのだろうか、リュドミーラが後悔を口にしたことはなかったから、あれはあれで満足していたのかな……』


 笑うと目尻にしわが寄って年相応に見える。

 そのことが、ロウには少しだけ不思議に思えた。


 社会の中で戦い続けてきた男の、胸に残る少しばかりの傷。

 その傷の重みは若いロウにははかり知れない。

 ロウは、ようやく揺りかごを飛び立った鳥だから。


 だが、いつか。ロウはその白髪を見ながらぼんやりと思う。

 いつか自分も、こんな顔をするときが来るのだろうか。

 飛び続けた先で、いつか。

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