クリスマスソング
白川ちさと
第1話
街の空は星がほとんど見えない。
空よりもきらびかに輝くクリスマスのイルミネーション。駅前は大きなツリー見上げる人たちで賑わう。
手を繋いだカップルや足早に歩くサラリーマン、肩を叩き合う若者たち。
俺は少し外れた場所にギターを抱えて立っていた。青い電飾で飾られた植え込みの前で、腹に力をいっぱい入れて音を吐き出す。
音は誰の耳に届くわけでもなく、晴れた夜空に溶け込んでいく。
俺の出した音なんて、始めから存在しなかったかのように。
だけど、それで構わなかった。
「はー……」
歌い終わると、かき鳴らしていたギターから手を離し、かじかんだ手を自分の息で温めた。黒いマフラーを少し上げて、鼻水が垂れそうな鼻を隠す。
そろそろ、帰ろう。
地面に置いているギターケースの中をしゃがんで覗き込むと、小銭がいくつか入っていた。百円が二枚、五十円が一枚、十円が三枚。指でつまんでジャケットのポケットに突っ込んだ。
「今日は終わり?」
声に反応して顔を上げる。
JKだ。しかもただの女子高生ではなく、ギャルと言う部類のJK。
マスカラをこってり塗っているだろう長いまつげ。パーマが当てられているだろう長いフワフワの髪。黒いタイツを履いた足が短い制服のスカートから伸びていた。
「うん。終わり」
たまに酔っ払いのおじさんに絡まれることはあっても、JKから絡まれることは初めてだ。物好きな子もいたものだと思いながら、ギターをケースにしまう。
「明日は来る?」
まるで同級生を遊びに誘うような調子だ。
「明日は来ない」
大学の友人との飲み会の予定が入っていた。
「じゃあ、明後日!」
JKはニッカリ笑った。元気はつらつとしていて、ギャルがしそうにない表情だ。偏見かもしれないけれど、そう思った。
「……ファン?」
俺は立ち上がって、ギターケースを背負う。
「ファン?」
しかしオウム返しされる。愚かな質問をしてしまった気がして、俺は視線を逸らした。JKは「んー」と考え込む仕草をする。
「まだ歌をちゃんと聞いていないから好きかどうかも分からないかな。ねえ、名前を教えてよ」
JKは何が楽しいのか、にこにこと俺に尋ねてきた。
「……ルイ」
「私は風の子って書いて
俺はじゃあと素っ気なく言って駅に向かう。
「風の子って子供かよ」
歩きながらそうつぶやく。どうせ、明後日来ると言ってもその頃には興味を無くしているだろう。駅の雑踏は脳内から彼女との出会いをすぐにかき消した。
空の弁当箱やペットボトルが転がるワンルーム。
ベッドの上で薄っすら目を開けると、カーテンの向こうは白い。身じろぎして、スマホを手にする。時刻は午後四時過ぎ。また大学の授業をサボってしまった。
スマホがポコンと間の抜けた音を鳴らした。
見てみると、同じ学部の友人、
『今日の飲み会来るよな』
彰とこの日、大学近くの居酒屋で飲みに行く約束をしている。わざわざ念を押すような言葉に首を捻るも、端的に返事を送る。
『行く』
酒でも何でもいいから、何か入れるべきだと身体が訴えている。
『太田教授怒っていたぞ』
当たり前だ。授業に出ていない上に提出すべきレポートも出していない。まだ後期の授業は半分あるとはいえ、これで単位を貰えるとは思わなかった。それも、取れない単位は一つや二つではない。
それでも大学に行きたいとは思えなかった。
二時間ほど経って、大学の近くの居酒屋に行く。小さな造りの建物に赤ちょうちんがかかっていた。扉をガラガラと音を立てて開けると、中は既に学生たちで賑わっている。古臭い居酒屋だが、メニューはどれも安く量も多い。学生たちのたまり場になっていた。
「ルイ。こっち」
座敷から彰が手招きしている。靴を脱いで上がり向かい側に座ると、こっちだと隣を指された。他に誰か来るのだろうか。
「原田さん、こっちこっち!」
彰は後から入ってきた女性二人を手招きする。
「おい。聞いてないぞ」
向こうは二人で、こちらも二人。合コンだ。二人とも派手な子ではないようで、コートを脱ぐと地味なワンピースを着ていた。
「こちら、原田さん。高校のときの友人。で、原田さんの友達の磯井さん。二人とも俺らと同じ大学の教育学部だって。で、こっちがルイ。ルイくんって呼んでやってくれ」
「どうも」
申し訳程度に頭を下げると、はじめまして、よろしくお願いいたしますと作り込んだ高い声が返ってきた。
合コンと言うよりも、彰は彼女のいない俺に磯井さんを紹介したかったようだ。彰は彼女がいるし、原田さんにも彼氏がいるそうだ。
適当にから揚げやサラダを注文し、飲み物で乾杯をする。
「彰くん、昔から頭良かったよね」
「そんなことないよ。入試のとき必死で勉強していたし」
彰が話を二人に振る。それをなんだか、別世界の話のことのように聞いていた。
俺は既に飲み干したレモンサワーのおかわりを頼み、から揚げに箸を伸ばす。
「あの、ここのから揚げ美味しいですよね」
あんぐり口を開けていると、目の前の磯野さんが声を掛けてきた。
「えっと、やっぱりルイくんの学部は課題多いですか」
「まぁ、うん」
去年のことを思い出して頷く。あの頃は真面目に大学にも通っていた。
「ルイくんって、駅前でストリートミュージシャンをしているんでしょ」
原田さんが身を乗り出すように聞いてくる。その眼はどこか珍しい動物でも見るような眼をしていた。
「人前で歌うのって、恥ずかしくない?」
「別に。昔から家で歌っていたから、どこでも変わらない」
「でも……」
磯井さんが小首をかしげた。
「ただの遊びですよね」
遊び。
「ただギターをただかき鳴らす場所が欲しいんですよね。一人暮らしの家じゃ苦情がきますもん。ミュージシャンって、ルイくんっぽくないし」
「ぽくないって、何で会ったばかりのあんたが言うのさ」
いら立ちを込めて磯井さんを睨みつける。全く伝わっていないようで、磯井さんはまた小首をかしげた。
「えっ、だってルイくんって」
「帰る」
俺は立ち上がって、適当に金を置いて店を出た。彰が何か言っていたが、女の子たちの手前追いかけては来ない。
『二人には事情を話しておいたから』
家に帰るとスマホに彰からメッセージが入っていた。
別に特別事情を話す必要はない。あの二人に会うことはもうないだろう。
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