第8話 キス
国王および王太子の目的は、第一王女フィリアを蘇らせること。聖女アリアは俺たちにそう暴露した。
俺は思考がフリーズした。
第一王女フィリア殿下は、マグノリア国王の長女だ。宮廷魔導師団団長であり、優秀で、穏やかで、美しい女性だった。
誰もが彼女を次代の王になるものだと思っていた。
俺より四つ年上で、生きていれば二十七歳だったはず。
だが、彼女は大戦の戦場で、五年前に死んだ。
俺は脳裏にフィリア殿下の姿を思い浮かべる。俺が宮廷魔導師団に入った時、すでにフィリア殿下は一人前の魔術師だった。彼女は、宮廷魔導師団のなかでの俺の指導役で、魔術師としての師匠でもあった。
フィリア殿下は理想の指導者だった。俺が宮廷魔導師として活躍すると、自分のことのように喜んでくれた。
そんな殿下が、戦争が始まるとき、俺に微笑んだ日のことを、昨日のことのように思い出せる。「わたしに何かあっても、クリスがいれば大丈夫だよね」とフィリア殿下は俺につぶやいた。フィリア殿下はすでに自分の運命を予知していたのかもしれない。
誰もがフィリア殿下の死を哀しみ、悼んだ。俺も、ルシアも、他の宮廷魔導師も。国王にとっても、フィリア殿下は特別な存在だったようで、その嘆きは普通ではなかった。
……しかし、だからといって、死者の蘇生を行おうとうするなんて、俺には想像もつかなかった。
「そんなことが可能なのかな」
俺のつぶやきに、アリアは小さくうなずく。
「そのための手段が、万能の魔法器『完全なるフロース』です。五人の悪役令嬢を触媒としたアストラル魔法の完成体。神界と現世をつなぐ魔法の花。……その『完全なるフロース』があれば、理論上、死者の蘇生も不可能ではありません」
そこまで喋って、アリアはまた血を吐いた。慌てて俺はヒールの魔力を強化する。アリアは死にかけの状態だったし、ともかく喋らせてはいけない。
「俺たちは君を殺しはしない。だから、ゆっくり休んでくれ」
俺は言葉と同時に、ぱちんと指を鳴らした。睡眠魔法だ。単に睡眠するだけでなく、ヒールだけでは治らない外傷も、時間をかければ癒やされる上位魔法だった。
アリアは抵抗せず、俺の魔法で眠りについた。ほっと俺はためいきをつく。
そして、俺はソフィアを振り返った。
「今の話、どう思う?」
「嘘ではないでしょうね。嘘をつく理由もないし、わたしの見る範囲では、王太子にとって、この子は単なる道具にすぎない」
「だとすれば、このアリアという子も被害者の一人ということか」
俺が言うと、ソフィアは首を横に振り、青い瞳を光らせた。
「いいえ。アリアは自分から聖女を偽り、王太子の前に現れた。そして、わたしの家族を殺した。同情には値しないわ」
それはそのとおりだ。どんな事情であれ、たとえばクレハを殺されたら、俺はその犯人を決して許せはしないだろう。
ソフィアにしてみれば、本当ならアリアは殺したいくらい憎い存在なのだと思う。それでも、アリアは貴重な情報源だし、切り札になりうる。だからソフィアはアリアを生かしておくことに賛成している。
王太子の行動も理解や共感はできても、賛成はできない。
フィリア殿下の蘇生という目的も、それだけであれば、純粋な願いだ。俺だって、フィリア殿下ともう一度会いたいと思う。彼女は俺の恩人だった。
だが、その実現のための手段は、非道なものだ。少なくとも、五人の無実の少女――悪役令嬢を理不尽に犠牲にする必要がある。さらに、不自然な他国への侵攻も、フィリア殿下蘇生の計画と関連しているとすれば、なおさら問題だ。
部屋に戻ると、ソフィアはそっと俺にささやいた。
「そんなに暗い顔をしないで。あなたがルシア殿下を王として、あなた自身もこの国の指導者になれば、すべて問題は解決するのだから」
「俺にできるのかな」
「クリスは英雄なんだから、きっとできるわ。それにわたしの攻略対象なんだものね」
そう言って、ソフィアはあどけなく微笑んだ。
☆
ともかく、俺たちは善後策を練ることにしたが、とりあえずは休息が必要だ。ルシアの看病は俺とクレハ、アリアの監視はソフィアとマクダフの担当というふうに割り振って、この宿で一夜を明かすことにする。
ところが、ルシアが困ったことを言い出した。病人なので、ルシアはベッドに横たわっていて、かたわらに俺とクレハがいる。
「絶対にクリスと一緒に寝ます」
「いえ、しかしですね、殿下……」
「とても怖い目にあった女の子を、暗い部屋で一人にするんですか?」
ルシアはむうっと頬を膨らませ、俺を真紅の瞳で見つめた。まるで駄々っ子のように言うことをきかない。
クレハも、困ったような顔をしている。
ルシアは風呂に入ってさっぱりした様子で、顔色も良かった。濡れた髪が艷やかに光っていて、頬も上気している。
ちょっと色っぽくて、俺が赤面すると、ルシアは「私に見とれていました?」と俺をからかった。
牢で受けた拷問の影響で弱っているのか、それとも俺に告白したせいか、ルシアは俺にとても甘えるようになった。
今も夕飯を「あーん」して食べさせてほしいと言って、実際にそのとおりにしている。粥の入ったさじを俺がルシアの口に運ぶと、ルシアはぱくっと食べて、それから顔を赤くして恥ずかしそうに目を伏せた。
……恥ずかしいなら、頼まなければいいのに。クレハはクレハで「いいなあ、義兄さんに『あーん』してもらえるなんて……」と小さくつぶやいていた。
このぐらいはいいのだけれど、さすがに王女殿下と同じベッドで寝るというのは、問題がある気がする。
俺(とクレハ)がそういうと、ルシアは首をかしげた。
「今の私は、王女でもなければ、宮廷魔導師団団長でもありません。魔法も使えなくなった、ただの女の子ですよ」
「だからこそ、まずいというか……」
「ふうん、クリス……もしかして、私のことを意識してくれているのですか?」
こんな可愛い少女に好きだと言われて、意識しないはずがない。でも、俺はそれを認めるわけにもいかず、困ってしまった。
「……ええと、殿下、お話しておきたいことがありまして……王太子殿下の目的ですが……」
「話をそらしましたね?」
「お、王太子殿下の目的は……殿下の姉上、第一王女フィリア殿下の復活だというのです」
さすがに、ルシアは真紅の目を大きく見開いた。俺が経緯を話すと、「それでアリアはあんなことを言っていたのですね……」とつぶやいた。牢の中で、アリアから示唆されていたのかもしれない。
俺がルシアに聞きたかったのは、次の質問だった。
「ルシア殿下も、フィリア殿下に蘇ってほしいと思いますか?」
ルシアは一呼吸置いて、首を横に振った。俺は意外だったので眼を見張る。幼い頃のルシアは姉のフィリア殿下にべったりだったから。
ルシアは静かに言う。
「フィリア姉様がいなくなって、悲しいのは確かです。でも……姉上は覚悟の上で死んでいきました。もちろん、私だってもう一度、姉様に会いたいですが……」
それを五人の犠牲とアストラル魔法によって、無理して行うべきではないということだろう。
そして、ルシア殿下は微笑んだ。
「それに、今の私にはクリスがいますから。もしクリスが死んじゃったら、私はどんな手段を使ってでも、蘇らせようとするかもしれません。だから、死なないでくださいね?」
「もちろんです。俺の役目は殿下をお守りすることなのですから」
「ありがとう。でも、『ルシア殿下』って呼び方は、気に入りません」
「え?」
「私は今は王女の身分を剥奪された少女ですよ? 宮廷魔導師団の団長でもありません。ただの年下の女の子なんですから、呼び捨てで呼んでほしいです」
「それは……」
「できないなら、クリスがお風呂に入っているところを襲っちゃいます」
「そんなクレハやソフィアみたいなこと……」
と俺は言いかけてから、失言だと気づいた。
ルシアはみるみる顔を赤くして、俺を睨みつける。
「まさか、クレハやソフィアと混浴したんですか?」
「ええと、成り行き上というか……」
俺がしどろもどろになっていると、クレハが横から「そうですよ。わたしと義兄さんは裸の付き合いをしたということです!」などと無茶苦茶を言って、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
ルシアは愕然とした表情をした。
「……絶対に今度、私もクリスと一緒のお風呂に入ります!」
「か、勘弁してください」
「なら、『ルシア』って呼んでくれますか?」
俺はしばらく口をぱくぱくさせて、そして小さく「ルシア」と呼ぶと、ルシアはぱっと顔を輝かせた。
「これでいいですか?」
「はい。敬語もなしにしてください」
「ああ、えっと……ルシア、ともかく今日は早く寝てほしいな……」
破れかぶれで、俺はルシアにタメ口で話しかけてみた。たしかに、ルシアは今は反逆者として王女の身分を奪われている。けれど、俺の意識のなかではルシアは王女だし、計画が成功すれば女王陛下になるというのに!
でも、ルシアは嬉しそうだった。
「よくできました。ご褒美を差し上げます」
一瞬のことだった。ルシアはベッドから身を起こし、両腕を広げて俺に抱きついた。
そして、ルシアの小さな赤い唇が、俺の唇に重ねられた。
ふわりと甘い香りと、柔らかい感触で、俺は何がなんだかわからなくなる。ルシアはすぐに俺から体を離した。
そして、真っ赤な顔で、くすっと笑う。
「キスしちゃいましたね?」
「ええと……」
「言ったでしょう? 私はクリスのことが好きなんです」
そう言って、ルシアは俺にふたたびしなだれかかった。
<あとがき>
第三章完結! いよいよ第一部のクライマックスへ。クレハの反撃も……!
ルシアが可愛い、続きが気になる!という方は……
・ポイント評価(☆マーク)
・フォローに追加
で応援ください!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます