第9話 想定外の出立
「どうやら、セネット家の令嬢がこちらに向けて出発されたらしいですよ」
執務室でいつも通り領内の陳情書に目を通していた俺は、幼馴染で副官のレックスの声に顔を上げた。
「まさか…いくら何でも早すぎるだろう…」
婚約破棄から既に十二日が経っていた。王都からここまで勅書が届くのは、早くても三日はかかる。自分に婚姻の勅書が届いたのは九日前の事だった。
貴族が結婚する際には最低でも数か月の準備期間が置かれる。今回は顔合わせすらもない一方的な勅命で面食らったが、それでもこれから順次手紙のやり取りなどの交流をして…と婚約に向けての手順を踏むものだと思っていただけに、レックスの報告は意外でしかなかった。
「そうは言っても、もう出発されたそうですよ。日付は…え?既に九日も前?」
「…何だと?」
隣国からの急襲や、王都からの無茶な要求で多少の事には驚かない自分だったが、さすがにこれには驚きを隠せずにいた。婚約破棄をしてから三日で家を発ったという事になり、それは自分が勅書を受け取った日だ。慌ててレックスから報告書を奪って中身を確かめると、この報告書は王妃からのもので、そこには令嬢が婚約破棄の三日後に家を出た事、セネット家は護衛を付けようとしなかったため、王妃が馬車と護衛を準備し、ついでに婚約してから付けてい侍た女と護衛も一緒だと書かれていた。
「令嬢だけを、ろくに護衛も付けずに…」
この国は他国よりは治安がいい方だとは思うが、それでも女性の一人旅は危険極まりない。それに輿入れする際は、受け入れる側が万全の準備をしてから護衛団を編成して迎えに上がるのが常識だ。だから自分もいずれは騎士を従えて自ら令嬢を迎えに行くつもりでいたのだが…さすがにこうも早くに動くとは思わなかった。
「なんか、妹を虐めたから王子が顔も見たくないって早々に追い払ったって噂だけどね」
「だからと言って…娘を護衛も付けずに送り出すなぞ正気の沙汰ではないぞ」
「う~ん…そりゃあ…まぁ…ねぇ…」
セネット家の考えが分からず困惑する自分に、レックスは意味深な視線を向けて言葉を濁した。これは…何かあるな…
「何だ、はっきり言えよ」
「う~ん、まぁ、あれだよ。途中で盗賊に襲われました…って筋書き?」
「まさか!この令嬢は実子だろうが?」
「そうなんだけどさ…でも、調べさせたけど、この子、地味で不美人で、可愛い妹に嫉妬して苛めていたとかいい噂聞かないんだよね」
「噂通りなら、そもそも王子の婚約者に選ばれなかっただろう」
「そうなんだけどねぇ~ああでも、もう一つあってね。王子はこの子に自分の仕事を押し付けていたらしいんだよ」
「何?」
「まぁ、第二王子は残念王子って言われているからね」
「う…まぁ、な…」
「それで、王家の知られたくない秘密を知っているから、このまま生かしておくのは危険…ってやつ?」
「確かに…」
レックスの言いたい事はなるほど納得がいくものだった。王子妃として教育を受けるだけでも、それなりに王家の情報を知られるだけに、基本的に王子の婚約者となった場合、解消や破棄はあり得ない。王家の暗部に関わる話なだけに、婚約解消や破棄となった場合は死ぬまで監視がつくか、場合によっては幽閉される。まだ婚約段階で王子の仕事を代行していたとなると、かなり問題だ。未成年の王子の公務などたかがしれてはいるが、もしその中に知られたくない情報が紛れていた場合は、口封じをする必要もある。
「となると…王妃が護衛を付けたのは…」
「そこは何とも言えないねぇ…王都からの情報では、この子と王妃の仲は悪くなくて、国王夫妻は息子よりもこの子を信用していたみたいだし。でも…」
いくら婚約者の出来がよくても、息子は可愛いだろうし肩を持ちたくなるのも当然だろう。そして、それ以上に王家の情報を守るためには非道にならなければいけない。それは俺も幼少時から嫌と言うほど叩き込まれていた。
「だからと言って、道中何かあってはマズイだろう。我が領の評判にも関わる。至急迎えに行こう」
「それは難しいよ。今ここを離れるわけにはいかないの、理解している?」
「それは…」
「誰か迎えに寄こせばいいだろう。街道沿いに向かえばどこかで会えるだろう」
確かに今は、隣国の大使との会談が予定されていた。仕方なく信頼できる者を集めて、令嬢を迎えに行く一団を編成して向かわせることにした。
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