第27話 土佐の志士、那須信吾(一)
竹居安五郎が石和代官の謀略によって捕まったことで、「甲州の梁山泊」といった様相を呈していた御坂山地の竹居一家と黒駒一家の勢力は消滅した。
『水滸伝』でいうところの官軍、つまり甲府勤番という幕府役人が、山にこもっていた博徒という賊軍を壊滅させ、甲州の天下は平定されたのである。
めでたし、めでたし。
となれば、幕府にとっては幸いだったのだろうが、天下を平定するというのはそんな生易しいものではない。まして、この頃の幕府にはそれほどの権勢はなかった。
時は文久二年(1862年)である。
一月に老中の安藤信正が坂下門外で襲われ、二年前の桜田門外のように首を取られることはなんとか阻止したものの、浪士たちから斬りつけられた小さな傷が原因となって幕政を支えていた安藤は老中職を辞めさせられた。井伊直弼が死んだ後、朝廷からの和宮
そして竹居一家と黒駒一家も完全に消滅したわけではなかった。
勝蔵の黒駒一家は前に見たとおり、各地に散らばって今のところは息をひそめている状態だ。
そして親分の安五郎を失った竹居一家も、勢力を細分化させ、各地に分散した。ちなみに、安五郎の二号さん、かどうかは不明だが概ねそれに近い存在だった女貸し元のおりはは、安五郎の捕縛を機に甲州から逃亡してしまった。その後の彼女の消息はまったく不明である。とにかく竹居一家の勢力は皆、地下に
つまり
もともと警察力の弱かった甲府勤番の役人たちが、こういった地下化した博徒たちを取り締まれるはずもない。役人の警察力が弱かったからこそ、幕府は有力な博徒たちに「二足の草鞋」を履かせて博徒の取り締まりを彼らに丸投げしていたのだ。ところが竹居一家と黒駒一家の拠点を潰してしまったことにより、逆に博徒の勢力を把握することが難しくなってしまったのだ。
国分の三蔵こと高萩の万次郎は、その悲願だった安五郎の捕縛を達成し、すでに高萩へ帰ってしまった。
現在甲州に残っている三蔵は、その「影武者だった三蔵」のほうである。とりあえず国分にある程度の地盤を築いてしまった彼、すなわち影武者だった方の三蔵は、今さら
が、この地域の住民は竹居一家や黒駒一家と密接につながっていた。安五郎も勝蔵も名主の
なにより一番恐ろしいのは、
「地下に潜った彼ら博徒たちが、仕返しのため、いつ自分の命を狙ってくるか分からない」
ということだった。
その点では竹居一家と黒駒一家を壊滅させた立役者の一人である祐天仙之助も、同じ恐怖感を抱いていた。
そしてその恐怖感を抱く最たる人間は、安五郎を裏切り、
竹居一家と黒駒一家の残党たちが真っ先に狙うのは彼をおいて他にない。
そのことは犬上も当然自覚しており、彼は安五郎が捕まった直後、その足で御坂山地を越えて郡内へ行き、吉田村(富士吉田)に潜伏した。そして、そこでとくという女性と知り合って所帯を持ち、静かに暮らすことにした。
夏になった。勝蔵は相変わらず東海道を放浪している。
知り合いの博徒たちの世話になりつつ、猪之吉などの子分数名と旅のドサ回りをつづけている、といった状態だ。
大場の久八、丹波屋伝兵衛といった同系列の博徒に限らず、無関係の博徒相手であっても平気で世話になって「草鞋銭」を稼ぐ。場合によってはケンカの助っ人をすることもあるが、はなはだしい場合はまったく純粋に金目当てで「賭場荒らし」を仕かけることもある。おかげで勝蔵の黒駒一家の評判は、その筋では高まる一方だった。むろん「勝蔵、恐るべし」という恐怖の対象としての評判だが。
勝蔵は金に飢えているのだ。
といっても自分が贅沢をするために金が欲しいのではない。各地へ散って
幸い東海道は天下第一の幹線道路だけあって人・物・カネであふれている。
特にいま勝蔵がいる駿河の賑わいは、甲州とは大違いである。
この二年後に江戸で幕臣の子として生まれ、維新後に駿河へ無禄移住し、のちに歴史家となる山路愛山は、甲州と駿河の違いについて次のように述べている。
「駿河は気候温和にして土地も肥え、海に面し、海陸の物産は豊富である。したがって駿河人の気性は健和なり。ここの天ぷらは天下の珍味なり。あまりに
この論評は、のちの明治の一時期、若尾
勝蔵はこの頃ようやく「安五郎が捕縛された」ということを駿河で聞いた。
安五郎の捕縛からすでに半年以上が経っていた。そして耳にした話も又聞きの情報で、いまいち捕縛に至った詳しい背景が分からない。
(こうなったら、とにかく一度甲州へ帰ろう)
と勝蔵は決めた。
今の詳しい甲州の状況を知りたい。さらに、とりあえず今まで稼いだ金を戸倉の本部へ送り届けたい、という理由もある。
このことを子分たちに話すと、猪之吉が勝蔵にお願いごとをした。
「親分。俺も久しぶりに甲州へ帰りたい。一緒に連れて行ってもらえませんか?」
勝蔵は前に一度戻っていたが猪之吉は一年以上戻ってない。甲州の水が恋しいのだ。
極秘の帰国である以上、あまり大人数を連れて行くわけにはいかない。それで、その要求を容れて猪之吉一人だけ随行させることにした。
といっても「遥かなる祖国への帰国」というほど大袈裟なものではない。甲州と駿河は隣国なのだ。富士川沿いを北上するなり富士山の近くを抜けるなりすれば、二日で帰れる距離だ。
それで二日後、二人は戸倉に着いた。
そしてさっそく玉五郎に会って金を渡し、それから安五郎の件も含めて最近の甲州事情を聞き出した。
勝蔵はここで犬上の裏切りを詳しく知ることになった。
(犬上の野郎……。やはりとんだ食わせ者だったか。畜生!俺が甲州に留まることができていれば、安五郎親分をむざむざと捕まえさせたりしなかったものを……)
犬上、許すまじ。どこに隠れていようと必ず見つけ出して討ち取ってみせる。
できることなら今すぐ犬上の追討に向かいたいところだが、犬上の行方はまったく不明という。しかもその行方を追うための手足、すなわち子分たちが今、手元にいない。これではどうしようもない。この敵討ちは少し時間がかかるかもしれない。けれども、いつか必ず犬上の首を取ってやる。そう、心の中で誓った。
(それにしても、これほど手の込んだ罠を使ってまで安五郎親分を捕まえるとはな。お上もそこまでやるか……!)
その犬上のことに加えて、仙之助や三蔵に対する復讐も必ず果たさなければならない。
が、これも今は戦力がない。そのうえ東海道にも次郎長という厄介な相手がいる。
勝蔵は涙をのんで、今は自重することにした。
翌日、勝蔵と猪之吉は武藤家の八反屋敷へ行った。
安五郎がいなくなったとはいえ賭場はそのまま子分たちが引き継いでいる。ここは高級神主である武藤家が「治外法権」とばかりに他者を寄せつけないので、石和代官所も手が出せないのだ。
二人としては、賭場の方には博徒の知人が大勢おり、極秘帰国が発覚することは避けたいのでそちらへは近づかず、武藤家の母屋がある方面から敷地へ入って行った。そこは中に神社の祠がある入り口で、二人がかつて何度も通ったところだ。
門をくぐると、そこに
昔と変わらず、ほうきを握って庭のそうじをしている。
お八重は来訪者に気がついて振り向き、それが勝蔵と猪之吉だったと分かると驚いて手からほうきをすべり落としてしまった。
「お二人とも……、ご無事だったのですね」
そう言って嬉し涙を流し、顔を手で覆った。
勝蔵は武藤藤太に会うのが目的でここへやって来たのだ。
けれども、いや、ひょっとするとこっちが真の目的だったのかも知れない、などと一瞬、甘ったるい考えが胸の内をよぎった。
一方、猪之吉の心に迷いはない。間違いなく、このために甲州へ帰りたかったのだ。
三人はしばらくお互いの近況について語り合った。
勝蔵は東海道の各地を旅して回っていると説明した。もちろん強盗まがいの「賭場荒らし」をしているなんて事は言わない。伊勢神宮、三島大社、遠州秋葉山の秋葉神社、熱田神宮など各地の神社を回っている、といった風に話せば巫女のお八重も喜ぶ。事実、神社と賭場は密接なかかわりがあり、博徒が神社回りをするのは自然なことでもある。
かたや、お八重は武藤家のことや
それから勝蔵はお八重に尋ねた。
「若先生は、俺がお上から追われるようになったことを怒っておられないだろうか?」
「そのようなことはお気になさらなくても大丈夫です。兄は、もし勝蔵さんがここへ来られるような事があれば、話があるから会わせてくれ、と以前から申しておりました」
そういうわけで勝蔵と猪之吉はお八重に案内されて屋敷へ入った。あいにく藤太は来客中だった。それで、しばらく控室で待つことにした。
しばらくすると応接間から客が帰っていく様子が勝蔵の耳に聞こえてきた。その帰ろうとしている客の声に聞き覚えがあった。
声の主は小沢一仙だった。
それからしばらくして、勝蔵が藤太から呼ばれたので猪之吉と一緒に応接間へ行った。
二人が部屋へ入ると藤太が笑顔で迎えてくれた。
「おお、二人とも久しぶりだな。無事に甲州へ帰ってこられて何よりだった」
二人は藤太に平伏し、それから頭をあげて勝蔵が答えた。
「若先生にはご心配をおかけして、まことに申し訳ございませんでした」
「なに、気にするな。それと、竹居の安五郎親分のことは実に残念だった。だがお前たち、あまり気を落とさないようにな」
「実は今回、我々が密かに帰国したのもそれを確認するためなのです。それで、しばらくしたらまた出国せねばなりません。このように突然お邪魔して若先生のご迷惑にならなければ良いのですが……」
「大事ない、大事ない。ウチはお主のようなお尋ね者の扱いには慣れている。ここには各地の尊王攘夷の志士たちも大勢やって来る。お主たちの一人や二人かくまうのは造作もないことだ。もっとも江戸では井伊や安藤が消え、今や尊王攘夷の時代が到来しつつある。もう志士たちがお尋ね者扱いされることもなくなるだろう。フフフ」
「はあ……。なるほど。ところで先ほど、小沢一仙殿がお見えになっていたようですが……」
「ああ。彼はいま甲州に住んで宮大工をやりながら、例の無難車船の仕事も並行してやっている。それで時々ああやって仕事の話をしにここへやって来るんだ。ただ、どうも彼が発案した無難車船は、いまいち上手くいってないようだがな……」
掛川藩に武士として雇われた小沢一仙はとうとう年来の宿願だった無難車船を完成させ、この年の三月に故郷松崎の港で実験航行をおこなった。
が、それは大失敗に終わった。
七隻の船を鎖で連環させるという構想自体にも無理があるが、そのうえ船の外輪を木造の機械で動かすというのも無謀この上ない。海上に浮かんだ無難車船はすぐに進退もままならない状態となり、地元の漁師たちの助けを借りてなんとか浜に戻って来ることができた、という有り様だった。もともと地元の人々は一仙の試みを懐疑的に見ており、この日、見学に来ていた彼らは実験航行の失敗をあざ笑った。
しかしそれでも一仙はこの無難車船の計画をあきらめず、外輪を動かす機械を鉄製に替えて今度は江戸湾で実験する、と気炎をあげているところだ。
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