第24話 抗争のはじまり

 石松が小松村で殺された二日後、遠州本座村の為五郎ためごろうの家に次郎長が子分数名を連れてやって来た。

 その為五郎の家には、なんと石松を殺した都田兄弟の一味がたまたま泊まっていたのだった。


 為五郎は、やはり博徒ではあるが七五郎と同じく半可打ちの一匹狼。次郎長とも都田兄弟とも付き合いがあるとはいえ、どちらの味方という訳でもなかった。

 都田兄弟が石松を殺した事を、為五郎はすでに彼らから聞いて知っていた。

 そこへ突然、次郎長たちがやって来たのだ。

 為五郎の驚きたるや、察するに余りある。

「あっと驚く為五郎ためごろう~」

 なんてセリフを知っているのは、今や余程の年配層だけだろう。もう結構な歳の筆者ですら、このセリフがTVで流行っていた時分にはまだ生まれておらず、後年になってからいろんな場面でそのパロディを見聞きしたに過ぎない。

 そしてやはり、このセリフの元ネタは広沢虎造の浪曲、この「本座村の為五郎」の場面から取ったようだ。いかにもありそうな話である。

 が、そういった話はさておく。


 驚いたのは為五郎だけではない。都田兄弟はもっと驚いた。

 さもあろう。「もう次郎長たちが仕返しに来たのか?!」と驚愕したのだ。

 しかし為五郎を通じて都田兄弟が次郎長の様子を探ってみたところ、次郎長は石松が死んだことをまだ知らなかった。たまたま三河の寺津へ行く途中、為五郎の家に立ち寄っただけだった。寺津へ行くのは、例によってまた悪さをしたので「長い草鞋わらじを履く」、つまり逃避行のためである。

 次郎長が石松の死を知らないのであれば、逆に今こそ次郎長を殺す好機である。

 むしろこの機を逃せば、あとで石松の死を知った次郎長が烈火の如く怒り、自分たちのところへ押し寄せて来るのは必定だ。

 そう考えた都田兄弟とその一味は堂々と次郎長の前に姿をあらわし、平然とした表情で次郎長に話しかけた。

 別にお互い何か反目し合っている関係でもない(少なくともこの段階では)。

 それで、自分たちも「長い草鞋を履いて」旅に出ていたのだが、今しがた遠州に戻って来たところだ、などと次郎長に説明して、そのあと次郎長のスキを虎視眈々と狙った。


 その都田一味の様子を見て、次郎長は「怪しい」と思った。

(こいつら「長い草鞋を履いて」旅をしてきたという割には脚絆きゃはんも草鞋も全然汚れてねえじゃねえか……)

 こうして都田兄弟に何らかのたくらみがある事を直感的に察知した次郎長は終始、為五郎の家で用心深く振る舞った。それで結局、都田兄弟は次郎長に手を出せずに終わった。


 そのあと寺津に着いた次郎長はようやく石松の死を知った。そして殺したのが都田兄弟であることも知った。

 激怒した次郎長は子分を集めてすぐに都田へ攻め込んだ。が、都田一家は拠点を別のところへ移して逃げたあとだった。

 次郎長は仕方なく復讐をあきらめて清水へ帰った。

 けれども次郎長一家と都田兄弟の抗争は、このあとどんどんエスカレートしていくことになる。

 そしてこの事が、勝蔵と次郎長の抗争が始まる第一歩となるのである。


 ただし一応その前に、都田の吉兵衛が仲介人を立て、石松殺しの石塔料として五十両の詫び金を支払うので和解してもらえないか?と次郎長に申し入れたのだが、次郎長はそれを一蹴して仲介人を追い返した。

「俺をなめるんじゃねえ!子分の命を金に代えられるか。俺の目の黒いうちは、たとえ吉兵衛が空を飛んで逃げようと、地下に隠れようと、必ず奴の首を取って石松の無念を晴らしてやる」

 これにて見事に談判決裂。

 となれば都田の吉兵衛も腹を決めた。それで下田の赤鬼金平のところへ行って助太刀を頼んだ。

 金平は大場の久八の子分で、勝蔵、丹波屋伝兵衛、それに都田一家とも同じ系列の博徒だ。そのうえ次郎長に殺された久六は久八の縁者で、金平の縁者でもあった。金平としても以前から次郎長のことを憎んでおり、いつかぶっ殺してやりたいと思っていた。それで吉兵衛の頼みを二つ返事で引き受けた。

 九月十六日の夜、金平と都田兄弟の一味二十人が船に乗り込み下田を出港。十六夜いざよい月の明りを頼りに駿河湾を渡って清水港を目指した。血の気の多い金平は甲冑を着込んで次郎長との決戦にのぞもうとしていた。

 彼らは清水港から上陸するとすぐさま清水一家の本拠地を目指した。幸い誰にも見つからず次郎長たちの屋敷にたどり着き、しかも見張りもいなかったのでそのまま屋敷の中へ乱入した。

 が、屋敷には誰もおらず、もぬけの殻だった。

 このとき、幸か不幸か次郎長は病にかかって実家へ帰っており、そこで病臥していたのだった。そして子分たちも全員出払っていたのである。

 都田兄弟と金平たちは困惑した。

「次郎長たちは一体どこへ行ってしまったのだ?もしや我々の襲撃を察知して次郎長が罠を張っていたのか?」

 そう思った都田兄弟と金平たちは逆襲されるのを恐れて急いで船に戻り、結局そのまま引きあげてしまった。大山鳴動して鼠一匹とは、まさにこの事である。


 次郎長としては病になったおかげで敵の襲撃から逃れたようなものだが、この翌月、次郎長の体は再び病に陥ることになった。

 その日、次郎長一家では皆で鍋をつつきながら、都田一家を襲撃する作戦を相談していた。

 食っていた鍋は河豚ふぐ鍋だった。

 うめえ、うめえと皆がよろこんで食べているうちに、なんだか腹の様子が変だなあ、と言い出す奴が次々とあらわれた。

 案の定、河豚中毒だった。次郎長も含めて全員、河豚に当たってしまったのだった。

 次郎長は比較的症状が軽かったのでしばらくすると回復した。他の子分たちもなんとか息を吹き返したが、喜三郎と角太郎の二人の子分が中毒死してしまった。


 この「次郎長一家が河豚に当たって死にかかっている」という噂は方々へ広まり、都田の吉兵衛の耳にも届いた。

「これぞ天佑てんゆうなり。この機を逃してなるものか」

 と吉兵衛は子分たちに告げ、すぐに清水へ向かって出発した。次郎長を襲撃する面子は吉兵衛の他、伊賀蔵たち四天王を含めた合計九人。

 吉兵衛たちは清水のすぐ近くにある追分おいわけの宿屋に泊まり、そこで祝宴を開いた。河豚に当たって死にかかっている次郎長を殺すことなど造作もない。前祝いにパァーとやろう、パァーと。そんな風に九人は追分で酒を飲みながらはしゃぎまくった。

 この時たまたまその宿屋に、追分三五郎という博徒がなじみの女に会いに来ていた。

 追分と清水は目と鼻の先だ。それで三五郎も普段からしょっちゅう次郎長の世話になっている。三五郎がそのなじみの女から話を聞くと、別室で長脇差を持った怖いお客さんたちが「次郎長を殺す」などと物騒なことを言いながら酒宴を張っているとのことだった。

 驚いた三五郎は清水へひとっ走りして、次郎長に事の次第を伝えた。


 話を聞くと次郎長は手を叩いて喜んだ。

「バカめ。飛んで火に入る夏の虫とはこの事だ。よし。今すぐ奴らのところへ討ち入って石松の敵を討ってやる」

 河豚に当たって苦しんでいたのは二ヶ月前のことだ。今は次郎長はじめ、一家の連中は全員ピンピンしている。なんと古い情報をアテにして攻めてきたものよ、と次郎長はほくそ笑んだ。

 それから次郎長は槍を手に取り、大政、小政、相撲常ら六人の子分に同行を命じて清水から出陣した。目指すは八、九町(約一キロ)先の追分である。

 ちなみにここに加わっている小政は、石松と入れ替わるように次郎長一家に入ってきた若者である。歳は二十歳らしい。本名は政五郎といい、勝蔵の大岩・小岩よろしく、やはり体が小さいので小政と呼ばれた。のちに「清水みなとは鬼より怖い、大政小政の声がする」と謳われる男である。体は小さいがすばしっこくて強いという点でも石松によく似ている。しかし幸いにも顔の作りは石松と違って、そこそこ整っている。


 次郎長たちは追分の宿屋に着くと三五郎の案内で吉兵衛たちのいる部屋へつめかけた。

 そして次郎長が槍で障子をなぎ払い、

「ここにいやがったか、奸賊吉兵衛!」

 と叫んで室内へ斬り込んだ。もちろん大政たちも同時に斬り込んだ。

 スキを突かれた吉兵衛たちはひとたまりもなかった。それでも吉兵衛は長脇差を手に取って抵抗した。

 が、この状況ではなす術もなく、最後には次郎長の槍に胸を突かれて討ち死にした。

 子分の伊賀蔵も大政に斬られた。他の子分たちは手傷を負って逃亡したが、事実上、これで吉兵衛の子分は壊滅状態となった。また他の三兄弟、すなわち常吉と留吉もこのあと数年を経ずして討ち取られることになり、都田の三兄弟はそろって討ち死にするのである。


 ともかくも、これで次郎長は石松の敵を討つことができた。

 そしてもちろん、また人を殺してしまったので、すぐさま寺津の間之助のところへ高飛びした。




 博徒間の抗争が激化していたのは東海道だけではない。

 甲州でも勝蔵・安五郎連合対三蔵・仙之助連合の戦いが激化していた。

 しかも勝蔵の場合は、次郎長と敵対している赤鬼金平とも兄弟分なので東海道の様子にも目を向けねばならず、北と南の二正面作戦を強いられる形となった。すなわち北とは三蔵と仙之助のことで、南は東海道のことだ。

 もともと勝蔵は次郎長のことを「いけ好かねえ野郎だ」と思ってはいたが、実際、本格的に次郎長と敵対するようになったのは、この次郎長による都田の吉兵衛殺し以降のことである。


 吉兵衛が殺されたのは万延二年(1861年)一月十五日のことだった。

 翌二月の十九日、万延は文久と改元された。文久元年である。元々はこの1861年に改元する予定だったのだが、前年に桜田門外の変という大事件があったため、当初から一年限りと承知の上で万延に改元したのだった。


 金川を挟んでの黒駒一家と国分一家の抗争はこのところ、とりあえず小康状態を保っている。

 しかし川を渡って敵の縄張りに近づけばたちまち見つかって半殺しにされかねない、といった緊張した雰囲気がお互いの縄張りに漂っている状態だ。


 そんな中でも武藤家の八反屋敷の賭場は、比較的平穏を保っている。

 武藤外記が安五郎と懇意で、相変わらず安五郎はときどきここへ来て外記と囲碁を打ったりしているが、武藤家が仙之助などの目明しからそれほど厳しく追及されないのは、武藤家が位の高い神職についているから、ということでもあったろう。

 そして神職である以上、外記も藤太ももちろん、尊王攘夷家である。

 井伊直弼が尊王攘夷家の手によって殺され、安政の大獄でおおむね粛清されかけていた尊王攘夷家は今、息を吹き返しつつある。それどころか、このあと完全に力を盛り返し、安政の大獄の復讐とばかりに横浜や江戸で外国人を、さらには京都で佐幕派の人物を次々と殺傷することになる。

 ただし甲州自体は、なにしろ山奥の天領(幕府領)であるだけにそういった江戸や京都での風潮とは程遠く、声高に尊王攘夷を唱える人物は滅多にいない。しかしそれでも、諸国を巡る尊王攘夷家が甲州へ立ち寄った際には、この甲州では著名な尊王攘夷家である武藤家に立ち寄る者が多かった。


 博徒の世界で生きる勝蔵には、今のところ、そういった政治の世界とは関りがない。


 この日、猪之吉と兼吉は八反屋敷の賭場で仕事に就いていた。

 敷地内に怪しい奴がいないか二人で庭を見回っていると、そこでたまたまお八重と出会った。

 お八重はこの八反屋敷のある武藤家に住んでいるのだから、猪之吉がここでお八重と出会うのは珍しいことではない。そしてこの時も、一言二言の言葉を交わして、それから別れた。

 そのあと歩きながら兼吉が猪之吉に話しかけた。

「本当に、いつ見てもお八重殿は美しいな。おい、猪之ちゃんよ。ここのおひい様であるお八重殿に気安く声をかけられる、お前が羨ましいぜ」

「俺が子どもの頃に親分に拾ってもらってから、親分と一緒にずっと武藤の旦那のところに出入りしていたから、お八重ちゃんは俺の幼なじみみたいなもんです」

「噂によるとお八重殿は親分の恋人いいひとだって聞いてるんだが、その辺、本当のところはどうなんだ?」

「さあねえ。そればっかりは俺にもよく分からないなあ。二人とも、お互い嫌いじゃないとは思うけど」

「確かお八重殿は今年で二十歳はたちを過ぎたはずだろう?いい年なのにまだ嫁にも行かねえで、もったいねえ話だ。……だけど、俺はもっと尻のでかい女が好きだな。おい、猪之ちゃんよ。お前はどうだい?」

「知るもんか。そんなこと」

「お八重殿みたいな尻が良いのか?ちょっと小さくねえか?あれだと」

「うるさいな。だからそんなこと知らないって言ってるでしょ」

「……おい、猪之ちゃん。お前まさか、お八重殿に惚れてるんじゃねえだろうな」

「バ、バカなことを……。言うに事欠いて、なんてこと言うんだ、兼吉さん。怒るぜ、ホントに」

「悪い悪い。まあ、親分の恋人いいひとって言われてる女に、お前が手を出すわけがないよな。悪かった。許せ」

「まったくもう。当たり前でしょ。俺みたいな、家も親もない風来坊が、武藤家のおひい様に惚れてどうすんだよ。バカバカしい」

「そりゃそうだ。しかも俺たちはヤクザだからな。確かにあんなお姫様は雲の上の存在だ」

「そりゃあそうと、今まで聞かなかったけど、兼吉さんは恋人いいひととかいるんですか?」

「いるわけねえだろ。なにしろヤクザだもんよ。俺の相手はいつも遊女屋の安女郎が関の山よ」

「ふうん。やっぱり尻の大きな?」

「そう、尻の大きな安女郎だ」

 二人はふっふと声を出して笑った。それから兼吉が言った。

「どうせ俺たちはヤクザだ。いずれ出入りのケンカか何かで野垂れ死にするに決まっている。女房や恋人なんて、持つだけ相手に酷ってもんよ」

「そりゃそうかも知れないけど、そこまで卑屈にならなくても良いでしょ。きっと兼吉さんもいつか良い相手に出会いますよ」

「おっ?猪之ちゃんは優しいことを言ってくれるねえ。お前だけだよ、そんなことを言ってくれるのは。……よし、いっちょう、俺の女運でも占ってみるか」

 そう言うと兼吉はいつものように懐から四文銭を取り出し、親指でピンと空中にはじいた。


 その時ちょうど、少し離れたところにいた綱五郎が、

「おいっ!兼吉、猪之吉!ちょっとこっちへ来い!」

 と大声で呼んだ。

 それで、そちらに気を取られた兼吉は、空中から落ちてくる四文銭をつかみ損ねた。その四文銭は地面に落ちて脇へ転がり、そのまま軒下へ入ってしまった。

 兼吉は「チッ」と吐き捨てるように言い、銭をあきらめてそのまま猪之吉と一緒に綱五郎のところへ駆け出していった。




 それから数日後、ついに勝蔵は三蔵・仙之助の勢力と真っ向からぶつかることになった。

 三月十二日、金川の下流のほうにある坪井村で事件が起こった。ここは川を渡った国分側にあり、国分よりさらに下流のほうになるが一応、三蔵の縄張りだった。

 ここで勝蔵の子分が三蔵の子分によって斬殺されたのだ。


 殺されたのは兼吉だった。

 この日、兼吉は金を貸していた坪井村の知人のところへ借金の取り立てに行った。確かに坪井村は三蔵の勢力下だが、やや三蔵の拠点から離れているし、すぐに川を渡って地元へ戻れば大丈夫だろうとタカをくくっていた。

 金は首尾よく取り立てることができた。そして兼吉がホクホク気分で坪井村から出ようとすると、折り悪しく、兼吉の顔を知っている三蔵の子分、千米寺せんべいじ村の源吉という男に見つかってしまった。それで源吉は近くにいた仲間の子分たちを呼び集めて兼吉に襲いかかったのだ。

 兼吉は腕っぷしが弱い。しかも多勢に無勢である。ハナから勝負にならず、すぐに逃げだした。が、とうとう追いつかれてしまった。そして数人から斬りつけられてなぶり殺しにされたのである。


 この日の夕方、勝蔵の子分の一人、肥後の次三郎という男が戸倉の本部へ飛び込んで来てこの話を伝えた。

 勝蔵以下、子分たちが詰めていた屋敷の一室はかなえの沸くが如く、皆が激昂げきこうした。

 それを勝蔵が「静かにしろ」と一喝して黙らせた。

「その話に間違いはないか?」

 と玉五郎が次三郎に聞いた。

「はい。兼吉を殺した源吉が、兼吉から奪った脇差を見せびらかして自慢しているって話だから間違いない。兼吉の死体はまだ坪井村にあるはずだ」

 この話を脇で聞いていた猪之吉が、これからすぐに坪井村へ行く、と言い出した。

 それを勝蔵が許可した。

「よし。わかった。行ってこい。ただし五、六人は一緒に連れて行け。それと、三蔵の手下が挑発してきても絶対にこちらからは手を出すなよ」

 猪之吉は綱五郎ほか五人の仲間を連れてすぐに坪井村へ出発した。途中、二人を棺桶屋へ向かわせて棺桶を持ってこさせた。


 兼吉の遺体は村はずれの路上で見つかった。

 かけてあった茣蓙ござを取ってみるとズタズタに斬られた兼吉がそこにいた。

「兼吉さん……」

 と猪之吉はつぶやき、慟哭した。

 遺体を棺桶に納めると、猪之吉と綱五郎の二人が棺桶をつるした棒を担いだ。夜の闇の中を猪之吉は「必ず兼吉さんの敵を討ってみせる」と自分に言い聞かせながら歯を食いしばって走りつづけた。


 戸倉に着くと、近くの裏山にある空き地で穴を掘って埋葬した。これも猪之吉が掘った。

 兼吉はきつね新居あらい村の生まれだが、やはり無宿人となって家族と縁を切っていた。

 無宿人の墓は大概こういった粗末なものだ。僧侶の世話も受けず、読経も戒名もない。

 勝蔵や猪之吉たちは兼吉の墓の前で手を合わせて瞑目し、三蔵への復讐を誓った。

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