第6話 猪之吉(一)
竹居安五郎や松坂屋喜之助と親しかった桑原雷助が、三井卯吉の配下である仙之助に殺されたことによって竹居と三井の対立はいよいよ先鋭化し始めた。
それと軌を一にするかのように、この頃の関東は侠客、博徒たちにとってまさしく「嘉永水滸伝」とでも呼ぶべき抗争の時代に突入しようとしていた。
前々回、天保十五年(1844年)に下総で起きた笹川繁蔵と飯岡助五郎の「大利根河原の決闘」すなわち『天保水滸伝』の話について少しだけ触れた。
ちなみにこの天保十五年という年は、年の瀬の十二月になって遅ればせながら、というよりも「あと
結果的には、お上の意向をうけた飯岡助五郎が目明し(岡っ引き)という任務をまっとうし、笹川一派を崩壊させたとも言えよう。
これで話が終われば「嘉永水滸伝」とはならない。
話はここから始まるのである。
殺された笹川繁蔵の一の子分である
余談ながら、この勢力という名前はかつて相撲を取っていた時の四股名で、本名は万歳村(現、千葉県旭市)の柴田佐助といい、農家の倅である。この当時、博徒の親分となった者にはやたらと相撲取りや相撲好きが多い。笹川繫蔵と飯岡助五郎も短期間だが力士だった時期がある。博徒という荒くれ者となるにあたっては、やはり力士は相性が良かったのだろう。
そしてそれとは別にこの年の七月、伊勢で事件が起こった。
伊勢の
明治二十年代に出された侠客番付『近世侠客有名鏡』では西の大関(当時横綱はないので大関が最高位)に位置づけられている男である。
伝兵衛は、竹居安五郎とは兄弟分にあたる大場の久八と盟友関係にある。伝兵衛も久八と同じ伊豆出身の人間で生地が近く、しかも二人は縁戚関係にある。次郎長にまつわる講談、浪曲ではこの安五郎、久八、伝兵衛は次郎長の敵役として常連だ。それだけにこの三人は関係が近く、盟友関係にあるといっていい。
その伝兵衛の子分の半兵衛という男が伊勢松坂で殺害された。七月二十七日のことである。
殺したのは武州の博徒、石原村(現、埼玉県熊谷市)の幸次郎という男の一味であった。殺害理由は定かではない。この幸次郎は武州秩父の「田中の岩」こと岩五郎の系列に属している。
この事件をうけて伝兵衛は久八に援軍を求め、幸次郎への復讐に乗り出すことになった。
これ以降、伝兵衛・久八連合と、幸次郎・岩五郎連合の血で血を洗う抗争が、関東から東海道にかけて展開されることになる。
まさに『仁義なき戦い』の世界である。
年が明けて嘉永二年(1849年)。
まずは下総の勢力富五郎のこと。
結局、富五郎による飯岡助五郎への復讐は失敗に終わり、逆に富五郎が追われるかたちとなった。
当然だろう。目明しである助五郎はお上の後ろ盾をもっているのだから。富五郎はたちまち五百人を超す関東取締出役の手勢によって追撃された。
関東取締出役とは、いわゆる「八州
『鬼平犯科帳』で有名な「火付盗賊改」と並ぶ幕府の治安警察部隊とも言うべき存在である。八州廻りが作られたのは比較的新しく、文化二年(1805年)のことだ。
火付盗賊改があるのに、なぜわざわざ八州廻りという組織を新設したのかというと、ちょうどその頃から関東で侠客や博徒が増えて治安が悪化しだしたからだった。
侠客、博徒というと関東と東海道が名高い。というか悪名高い。
それはとりもなおさず「彼らは幕府領(天領)に多い」という事とほぼ同義である。
幕府領は諸藩の領地と比べると経済的に恵まれている土地が多い。領地の規模が大きく、租税も比較的軽いからだ。そして何より諸藩と違って参勤交代がないので、その費用をかけずに済む。
博徒たちが裕福で金回りの良い幕府領を好んだのは当然のことだろう。が、彼らがそこに居つく理由は他にもある。
警察力が弱く、取り締まりがザルなので彼らは幕府領に居ついたのである。
幕府領の中には旗本領や御三卿領といった様々な領地が細かく入り組んでおり、それらの土地は独自の警察権を持っているため博徒や犯罪者が他人の領地へ移ってしまうと、それ以上は追跡できなくなる。
博徒たちからすれば、そこで犯罪を犯しても「国を売る」すなわち他所へ高飛びするのが容易で、簡単に追跡から逃れることができるのだ。彼らにとってこれほど好都合な土地はない。
そこで、こういった弊害を取り除くために、
「幕府領であれば誰の土地でも関係なく、どこでも入って行って捜査できる組織」
として新設されたのが八州廻りであった。
「鬼より怖い八州様」
と博徒たちは八州廻りをひどく恐れた、とも言われている。しかし幕府の警察組織がだらしないのは甲州だけに限らず、関八州も似たようなものだった。八州廻りもやはり士気は低く、現場で働くのはほとんどが「道案内」と呼ばれる目明したちであった。ちなみに関八州とは現在の一都六県を指し、甲州(山梨県)はこれに含まれておらず、それゆえ八州廻りの担当役人も置かれてはいない。
話を勢力富五郎に戻す。
三月初旬から下総で、富五郎一味を討伐する作戦が開始された。
富五郎一味はおそらく多くても数十人といった小人数だったのだが、これを討伐するために八州廻りは五百人を超す手勢を投入した。
場所は利根川の南岸、現在の千葉県旭市および
いつもは及び腰の幕府役人も、この時ばかりは血まなこになって富五郎一味を追った。
なぜなら三月十八日に同じ下総の
が、富五郎一味は八州廻りの手をかいくぐって四月に入っても逃げ延びつづけた。
鹿狩りの前に始末をつけようとしていた幕府の鼻をまんまと明かしたのである。のちに一味が捕まった時に押収された武器の中に鉄砲が十丁も含まれており、役人はおろか江戸の市民もその凶暴さに仰天したという。
こういった武器も使ってなんとか逃げ回っていた富五郎も、四月二十八日、とうとう八州廻りの手勢に追いつめられ、金比羅山で自決した。
鉄砲で喉を撃っての自決だった。英助という子分が一人いっしょに自決したが他の子分たちもほとんどが捕まって処刑された。
笹川・勢力の一味は、ここにようやく鎮圧されたのである。
ところが幕府にとっては息をつく間もなく、今度は関東、甲州、東海道で博徒たちが暴れ回った。
まず、この同じ四月の五日、
そして翌
これに対し幸次郎一家およそ二十人は地元熊谷で強盗や
とうとう両者の抗争は、甲州にも飛び火したのである。
そのころ勝蔵は黒駒から少し上ったところにある戸倉という所へやって来ていた。知り合いの堀内喜平次という男に呼び出されたのだ。
この喜平次の堀内家も、名主の小池家や神主の武藤家と並んでこの地域一帯の名望家である。広大な山林を所有しているため何不自由なく生活している資産家だ。喜平次は勝蔵の父嘉兵衛より少し年長だがほぼ同年代で、勝蔵が子どもの頃からお互い親戚同然の付き合いをしてきた。勝蔵からすれば喜平次は、血はつながってないが親戚の叔父さんのようなものだ。
この日も勝蔵は堀内家の門をくぐると勝手知ったる気軽さで庭のほうまで入り込み、そこで縁側に座っている喜平次を見かけた。
縁側で
「おお、来たか、勝蔵。久しぶりだな。まあ、そこへ座れ」
喜平次はそう言って自分の隣りを煙管でさし示し、そこへ勝蔵は言われた通り、どっかと腰をおろした。
「今日はまた何のお小言ですか、喜平次おじさん。俺は最近、悪いことなんて何もしてませんよ。ケンカだって全然やってないですし」
「ウソをつけ。相変わらず腕とか足とか、そこらじゅう傷だらけではないか」
「これは剣術道場での稽古と、相撲をとった時についた傷ですよ」
「それにしても勝蔵、また大きくなったなあ。いくつになった?」
「十八です」
「お前のようなたくましい男がいれば、このあたりの村民も安心して暮らせるというものだ」
「ほお。こりゃまた、どういう風の吹き回しですか?俺をおだてたって何も出ませんよ。第一、俺はただの次男坊です。村を守る名主の役目は、いずれ兄者に引き継がれるんですから俺の役目じゃないですよ」
「まさかお前は、後を継げないことをひがんでおるのではなかろうな?」
「そんなはずないでしょ。俺とちがって兄者は、家業一筋でまじめに働いてるんだし、俺にはなんの不服もありませんよ」
「それならいい。ところで今日呼んだのは他でもない。武州の幸次郎とかいう無宿連中が甲州に入って来て悪さをしている、というのはお前も聞いているだろう?」
「ええ、少しは。聞いた話によると、なんでも安五郎さんの一家と敵対している連中で、今にも甲州のどこかで、その連中が安五郎さんの一家とぶつかるんじゃないか、と……」
「いや。今、竹居の中村家はそれどころじゃない。名主の甚兵衛さんは田安様の田中陣屋にしょっ引かれて名主を辞めさせられた。弟の安五郎さんも捕まって江戸の小伝馬町(牢屋)へ送られた。おそらく、ここ最近、関東や東海道で無宿連中が暴れ回っている、そのとばっちりを受けたのだろう」
「やはり……。竹居の中村兄弟が捕まったという噂は本当だったんだ……。それで、安五郎さんの子分たちは今、どうしているんですか?」
「突然の中村兄弟の逮捕にうろたえて、急いで各地へ逃げ散ったそうだ」
「じゃあ、その幸次郎とやらの一味が黒駒にやって来たらどうするんですか?そういう
「だからさっき言っただろう、勝蔵。お前がこの黒駒を守るのだ」
「俺が?」
「どうせ石和代官所の役人連中は、いつものように役に立たんだろう。だが、お前は腕っぷしも強いし、声をかければ仲間の数人も、すぐに呼び集められるだろう?」
「そりゃ少しぐらいは……。でも、そんなんで本物の博徒連中に対抗できるのかなあ?」
「別に相手は百や二百もいる訳じゃないんだ。話によるとせいぜい十数人だと聞いている。だから、ここしばらくは村の若い者と協力して、この周辺を怪しい連中がうろついてないか、お前が中心となって見まわってくれんか」
「まあ、仕方がないですね。やれるだけはやってみましょう」
などと勝蔵は渋々ながら答えたが、心の中では「村を守るために悪人どもをやっつける」というのは壮挙であり、快事でもある、と高ぶる気持ちを抑えられなかった。
それで、このあとすぐに村の若い者を集会所に呼び集めて巡回の役目を割り当てた。順番に周辺を巡回して、もし幸次郎一味がやってきたら合図の笛を吹いて自分に知らせるように、と一同に命じた。
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