第9話 リップクリーム

 早めのお昼を食べて、この前作ったセーラーカラーのワンピースに着替える。

 リボンも同じ色にするよ。

「お嬢様、この色はとてもお似合いですね」

 金髪だから、ブルー系が似合うんだ。

「ありがとう。応接室の用意は出来ているわね」


 掃除は前からちゃんとしてあるし、温室のバラを飾っている。

「ええ、エバが張り切ってアフタヌーンティーの用意をしていましたわ」

 それは、楽しみだよ。

「後から、マリーとモリーを呼ぶかもしれないわ」

 メアリーが少し困った顔をする。まだメイド教育が出来ていないのだ。


 私だけなら、引き取った時の事情も知っているけど、他所の伯爵令嬢の前には出せるレベルではない。

「作るのが可能かどうか訊くだけなのよ。私達は型紙は作れないから」


 メアリーがそれならと許可してくれた。

「型紙を作るのはマリーですから、彼女だけなら」

 モリーよりおとなしいからね。

「でも、素直な意見も貴重なのよ」

 メアリーが首を横に振るから、今日はマリーだけにしておく。

 私は、モリーの率直さも平気だけど、エリザベスやアビゲイルが嫌な気分になるかもしれないからね。


「それと、生地のメーター単位の値段を貼ってくれた?」

 メアリーは渋々頷く。そう言うあからさまな金額を表示するのは、令嬢らしくないと感じるみたい。

「これは、重要なの! エリザベスやアビゲイルは、お金に興味は持たないかもしれないけど、私の友だちの中には、節約しないといけない子もいるから」


 いずれは、ハンナ達も呼びたいと思っているのだ。

 同じ色の生地でも、値段が違うからね。

 今回は、シャーロッテ伯母様に令嬢向きの高級な生地を持ってきて貰っているけど、二級品も置くつもり。


 小さな織り傷があっても、そこを使わなきゃ良いだけだもの。

「本当に、ちょっとした傷でも半値になってしまうのよ」

 これ、頂きます! シャーロッテ伯母様も、傷部分を使わなきゃ良いだけだと了承してくれた。ウィン、ウィンの関係だね。


「あっ、リップクリーム、作ろう!」

 お嬢様! とメアリーが止めるけど、これは女の子の必需品だよ。

 工房に行って、カカオバターの樽を見る。

「固まっているわね! 香りはチョコだわ」

 香料は要らないかも? でも、少しだけピンク色にしたい。


 食紅を水に溶いて、カカオバターに混ぜる。何だか筋になってしまう。

「そうか、水と油だものね。アルコールに溶いた方が良さそう」

 少しのアルコールに食紅を溶かして、カカオバターと混ぜる。

「薄いピンク色! オレンジ色っぽいピンクも欲しいわ」

 色彩学的には、オレンジ色っぽいピンクは無いのかもしれないけど、女の子の好きなリップの色はこれだった。

 赤の食紅に黄色をちょっとだけ混ぜる。

 2色を指先で唇に塗ってみる。

「あまり色は感じないけど、この程度の方が好きだわ」

 前世の厳しい校則でも引っかからない感じだよ。


 これを縫わない糊の時に作った容器に詰めたら、出来上がりだ。勿論、糊は太い容器だけど、リップクリームの容器は小さくて細いよ。

 下のネジをクルクルと回すと、リップクリームが上に少し出る。

 それを唇につけて、クルクルと反対に回すと、リップクリームは容器の中に入るのだ。


「お嬢様、唇が艶々ですわ!」

 やはりメアリーの萌ポイントはお洒落関係だね。

「ええ、カカオバターでリップクリームを作ったのよ。メアリーにも1本あげるわ」

 メアリーがとんでもない! と受け取りを拒否する。

「あの高いチョコレートの材料なのですよね。高くて貰えません」

 頑固だなぁ!


「エリザベス様やアビゲイル様にも差し上げるつもりよ!」

 だから、より親しいメアリーにあげるのだと言う私の主張は聞き入れてくれない。

 伯爵令嬢には良いけど、メイドや侍女は駄目だと首を横に振る。


「そうね、メアリーだけだと他の人が文句を言いそうね」

 前世でも小さな容器に練り香水とか入っていたよね。可愛い小さな缶、使い切らないのによく買ったよ。

「小さな缶のなら、皆に配っても良さそう!」

 親指と人差し指で輪っかを作ってメアリーに示す。

 薄くしたら、リップクリームの4分の1程度になりそう。

「これは、メアリー、エバ、キャリー、ミミ、モリーとマリーに配るわ」

 お針子の7人はまだ働いていないからね。今度、作る時に配ろう。


「それより、マーガレット王女様やジェーン王女様に差し上げた方が宜しいのでは?」

 あっ、そうだよね!

「アンジェラにもあげなきゃ! それにモラン伯爵夫人やバーンズ公爵夫人、伯母様方にもあげないといけないわ」


 メアリーが変な顔をする。貴婦人達は、お化粧をしている。口紅もつけているからだ。

「このリップクリームをつけてから、口紅を塗ると、唇が荒れなくて良いのよ」

 OL 時代、毎日口紅を塗っていると、唇が荒れたんだよ。だから、私はリップクリームを塗ってから、口紅をつけるようにしていた。

 少し落ちやすくなるけど、荒れると皮が捲れたり、酷くなると血が滲んだりしたから、塗り直したら良いだけだと割り切ったんだ。


「まぁ、それは良いですわね! これは、バーンズ商会で売れそうですわ」

 うん、売れるとは思うけど、凄く高価になりそう。ココナッツオイルなら、少しは安くできるかな?

 これも、何本か持って行こう!


「あっ、今日もサミュエルが勉強をしに来るかもしれないわ。応接室には通さずに、子供部屋に案内してね」

 小さな缶を作るのは後にして、リップクリームを何本か持って応接室に行こうとしたら、メアリーに止められた。

「そのままより、箱に入れた方が良いですわ」

 過剰包装だよ! でも、プレゼントなら、そちらの方が気が効いているね。

 チョコレートの箱を作っていた時の残りの厚紙があるから、それで小さな箱を作って入れる。

「ピンクとオレンジのシールを貼っておきましょう」

 絵の具で色を塗ったのを、可愛い唇の形に切って、貼る。

「なかなか良い感じだわ!」

 それを小さな籠に入れて持っていく。

 見本の2本は、箱に入れていない。

「手鏡も用意しなくてはね!」

 姿見は用意していた。生地を身体に纏って顔映りを試すためだ。


「お嬢様の鮮やかな革のシューズもお見せしては如何ですか?」

 メアリーは、ドレス関連だと、凄く積極的に提案してくれる。

「ええ、そうね! それと透明ボックスも何個か、用意しておきましょう」

 透明ボックスには、半貴石ビーズ、銀ビーズ、色ビーズが色ごとに分けて入れてあるんだ。

 これは、見ているだけで飽きない。きっとエリザベスもアビゲイルも夢中になりそう。


 応接室で、姿見、布の棚、手鏡、スケッチブック、メジャーとサイズ表。

 全てが揃っているか、チェックする。メアリーに任せておけば、大丈夫だけどね。


「アビゲイル・ルモンド伯爵令嬢様とエリザベス・ノリッジ伯爵令嬢様がお越しです」

 ワイヤットが格式ばった言い方で告げる。 

 玄関ホールまで出迎えるよ!

「エリザベス様、アビゲイル様、寒かったでしょう。どうぞ、こちらに」

 まだグレンジャー家の玄関ホールは寒いままだからね。


「お招きありがとうございます」

 2人にも侍女が付き添っている。

 女の子の友達の家に遊びに行くのにも、侍女が付き添わなきゃいけないんだね。


 侍女が手土産をメアリーに渡している。

 エリザベスのは、変わった観葉植物の鉢だ。

「これは南の大陸の観葉植物なのです。上手く育てると大きくなりますわ」

 温室で育ててみよう!

「エリザベス様、ありがとうございます」

 

 アビゲイルの手土産は、紅茶の缶の詰め合わせだ。

「好きな茶葉をペイシェンス様に飲んで頂きたくて」

 やはりアビゲイルは、料理関係に興味があるみたい。料理クラブに入ったら良いのにね。

「ありがとうございます。楽しみですわ」


 応接室に侍女達も付いてくる。まぁ、メアリーも付き添うから、応接室の隅には、椅子を用意してあるし、お茶が飲めるように小さなローテーブルも置いてあるから、良いけど。


 側に付き添う場合と、控え室で待つ場合の違いは、よくわからない。これは、明日の伯母様方の淑女教育で訊くことにする。


「今日は、新しいドレスについてお話ししたいのです」

 エリザベスの目がキラキラしている。部屋の奥に置いてある生地を見つけたのだ。

「ペイシェンス様! 生地を見せて貰っても良いですか?」

 ああ、これは止められないね。

「ええ、どうぞ! 顔映りもありますから、広げて肩に掛けても宜しいですわよ」

 エリザベスの侍女が慌てて椅子から立ち上がり、側に控える。

 うん、こんな場合は侍女がいると便利だね。


「この鮮やかな色を選んでも良いのかしら?」

 やはりお洒落番長のエリザベス! 見る目があるね。

 でも、侍女は難しい顔をする。

「少し、派手では? それに生地が薄いですわ」

 小声で注意している。

「そうね! でもデザイン次第だと思うの。プリーツにしたら、薄さは気にならないし、この薄さじゃ無いと不恰好になるわ」

 やはりエリザベスを呼んで良かったよ。


「そうですわ! 私も選びましょう!」

 メアリーも側に来て、私が選んだコーラルピンクを肩に掛けてくれる。

「なんか、似合わないわね」

 色は好きなのに、肩に乗せてみたら、顔映りが悪い。


「その色は、アビゲイル様に似合いそうだわ」

 エリザベスに勧められて、アビゲイルが侍女に肩にコーラルピンクの布を掛けて貰う。

「まぁ! 派手だと思ったけど、素敵だわ」

 少し大人しそうな感じのアビゲイルが、華やかな雰囲気になる。

 私には、全く似合わなかったのにね!


「ペイシェンス様、これ、どうかしら?」

 背の高いエリザベスは、鮮やかなブルーの生地を両肩からクロスして掛けさせている。

「まぁ、とても素敵ですわ。背が高くて羨ましいわ」

 ふふふと嬉しそうにエリザベスは笑う。

「1着は、この生地に決めたわ!」

 えっ、1着? 何着作るつもりかな?

 これは長くなりそうだと思ったけど、本当に長くなったよ。

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