第134話 スレイプニル

 プライドの高いオーディン王子がわたしの前に跪いて、懇願する。

「ペイシェンス様、スレイプニルの暴走を止めて保護して欲しいのです。何日も走り通しで、汗をかいたままだとスレイプニルとはいえ体調を崩して、他の魔物に襲われてしまいます」

 そうだけど……あっ、良いことを思いついた。

「ゲイツ様が雪狼ニックスルプスを討伐して、フェンリルを追い払って下されば、スレイプニルも落ち着くと思いますわ。そこを騎士団とオーディン王子とで保護したら良いのでは?」

 全員が、大きな溜息をつく。

「ペイシェンス様、一つ問題があります。雪狼ニックスルプスとフェンリルの前をスレイプニルが爆走しているのです。私がスレイプニルを討伐すれば、その後の雪狼ニックスルプスとフェンリルをやっつけられますが……」

「駄目だ!」とオーディン王子が叫ぶ。


 でも、それは私でも同じじゃないの?

「ペイシェンス様なら、スレイプニルを横に逸らす事ができる筈です。その後を追っている雪狼ニックスルプスとフェンリルをやっつけた後、スレイプニルを大人しくさせて貰いたい」

 うん? オーディン王子の提案には、少し無理がありそう。

「横に逸らせたスレイプニルは、そのまま走っているのですよね? それを大人しくさせるのは無理だと思いますわ」

 あああ、嫌な予感だよ!

「私の勇者アンドレイオスで追いかけて、大人しくさせて欲しいのです。本能でスレイプニルの群れを追いかけますから」

 あの人を踏み殺しそうな勇者アンドレイオスに乗るのは無理ゲーだ。

「オーディン様、それは無理です。ペイシェンス様は、とても乗馬が苦手なのです」

 パーシバルが断ってくれた。


「乗馬が苦手? 私の言う事しか聞かない勇者アンドレイオスを大人しくさせたのに?」

 悪かったわね! 前よりはちょびっとだけ乗れるようになったけど、乗馬が好きじゃないアンジェラより下手なのだ。

「オーディン様、ペイシェンスは本当に乗馬が致命的に下手なのだ。その案は諦めた方が良い」

 キース王子、酷い言い方だけど、事実だから仕方ない。

「でも、スレイプニルの群れが全滅したりしたら、勇者アンドレイオスのお嫁さんもいなくなってしまう。本当にスレイプニルは貴重なのだ!」

 絶滅危惧種って、前世でもいたよ。私には魔物にしか見えないけど、オーディン王子がこれほど愛しているスレイプニルには良い点もあるのだろう。


 がっくりと項垂れているオーディン王子に、リチャード王子が話しかける。

「モーガン大使は、オーディン様が何処にいるのか知っているのですか?」

 あああ、それ大変じゃん!

「モーガンも察していると思う。今はスレイプニルを持っていないが、以前は飼っていたから、勇者アンドレイオスが騒いでいると王立学園に知らせてくれたのだ」

 それって、知らないって事じゃないの? リチャード王子が考え込んでいる。

「キースの居場所も知らないって事だな! 兎に角、すぐに王都に使いを出そう。2人を保護している事を知らせないといけない」

 騎士を数人呼んで、サラサラっと書いた手紙を至急王都に届けろと命じる。


「キース、今日は先発隊の魔物の討伐で、皆、疲れ切っている。お前が止めなかったから、こうして騎士の戦力が削がれてしまったのだ」

 キース王子も、リチャード王子の言葉を重く受け止めているみたい。

「キース様は……」

 オーディン王子の言葉を、リチャード王子が遮った。マナー違反だけど、冷静な態度の裏で、かなり怒っているのがわかる。

「スレイプニルが貴重なのは分かりましたが、留学中のオーディン王子が負傷したり、亡くなったりしたら、デーン王国と戦争になるかもしれないのですよ。少し、王子としての自覚を持った行動をして下さい」

 どひゃぁ! 厳しい言葉だよ。


 私も疲れているけど、キース王子とオーディン王子も疲れているみたい。顔色が真っ青だよ。

「お2人は食事は済ませていないのでは? 先ずは食べて、身体を休めた方が良いですわ」

 タイミングよく、キース王子とオーディン王子のお腹がグーと鳴った。食事と聞いて、空腹なのに気づいたみたい。

「仕方ない! 食事場に行くぞ!」

 厳しい事を言うけど、リチャード王子は基本的に優しいお兄ちゃんだからね。

 キース王子の頭をコツンとこづいて「さっさと付いて来い!」と2人の面倒を見ている。


「私達も休みましょう!」

 ゲイツ様が、欠伸をしながらサリンジャーさんとテントから出ていく。

「ペイシェンスもお疲れでしょう」

 パーシバルに女子テントの前まで送って貰うよ。

「明日は、本隊が到着するのですね。パーシー様、お気をつけて!」

 メアリーの目を盗んで、軽くキスをする。


 やっと眠れる! もう瞼が引っ付きそうだったのだ。

 長靴を脱いで、服を着たままシュラフの中に入ると、すぐに眠ってしまった。

 夢の中で、オーディン王子が「スレイプニルを助けてくれ!」と騒いでいる。


「何をしている!」

 ユージーヌ卿の声もするよ……夢じゃない!

 ガバッと起きたけど、こんな時シュラフは困るね。ジッパーを下ろそうと、慌てていると、メアリーが下ろしてくれた。

 起き上がった時には、ユージーヌ卿がオーディン王子をテントの外に連れ出していた。


 私も長靴を履いて、マントを羽織って外に出る。もう白々と朝が明けかけていた。

「私が当直から帰ったら、こいつがペイシェンス様の横にいたのだ」

 オーディン王子は、ユージーヌ卿に腕を捻り挙げられている。

「痛たた……、何も不埒な目的でペイシェンス様の所に行ったのではない。勇者アンドレイオスの様子で、近くまでスレイプニルが来ているのがわかったのだ」

 ユージーヌ卿は、乱暴にオーディン王子を突き放す。

「と言うことは、本隊が近づいているのだな! 皆、起きろ!」

 凄い大声で、他のテントの人達もびっくりして起き出した。


「本隊が近づいているぞ! 皆、さっさと起きて、朝食をたっぷりと取るのだ! 昼は食べている暇は無いぞ! 回復薬を持っているものは、持参しろ!」

 大きな声で、皆が慌てて食事場に向かう。

「ユージーヌ卿、まだ食事場は開いていないかも?」

 まだ早いと思う。

「いや、食事係も、本隊が今日には着くと知っている。きっと、早くから開けているさ! ペイシェンス様も早く食べた方が良い」

 私に「スレイプニルを救ってくれ!」と言っているオーディン王子の首根っこを捕まえて「お前は、リチャード王子に叱ってもらう!」と引きずって行く。

「ペイシェンス様! お願いだぁ!」

 遠ざかっていくオーディン王子の叫び声をのんびり聞いている暇は無いよ。


「さぁ、メアリー、朝食よ!」

 メアリーは、側まで男の子を接近させたのにショックを受けているみたいだけど、それより腹拵えが大切だ。

「ペイシェンス、オーディン王子がテントに行ったそうですが、大丈夫でしたか?」

 パーシバルと食事場で会う。

「ええ、ユージーヌ卿が引き摺り出して下さいましたわ。王子だと知っておられるのかしら? 凄く乱暴な扱いだったけど?」

 後ろで聞いていたパリス王子とアルーシュ王子がゲラゲラ笑っている。

「ハハハ、女子テントに侵入したのだから、そのくらいされても文句は言えないさ。ところで、本隊が近づいていると言っていたが?」

 それは本当みたい。

「オーディン王子の勇者アンドレイオスが騒いでいるみたいだから、近くまでスレイプニルの群が来ているのでしょう」

 パーシバルも、少し緊張した顔だ。

「兎に角、食べましょう!」

 急いで、たくさん食べる。何人かは、パンを半分に切って、そこにハムを詰め込んで持って行っているよ!


「ペイシェンス様も食事は済みましたか? オーディン王子は、後でたっぷりとお仕置きですが、今は雪狼ニックスルプスを討伐しましょう」

 ゲイツ様、暗記術があるのに忘れたのかな?

「私は……」と言う前に、リチャード王子がやってきた。

「あれからガブリエル騎士団長と作戦を練ったのだ。夜中にデーン王国の大使館からも騎士達が到着したし、モーガン大使直々にここまで来て、オーディン王子を保護したのを感謝してくれた。そして、正式にスレイプニルの保護と譲渡の条件を提示されたからな!」

 私がぐうすか寝ている間に作戦変更があったみたい。

「ふふふ……スレイプニルは、デーン王国が独占していましたからね。何頭かローレンス王国に貰えれば、戦馬が増やせます!」

 えええ、あの怖そうな馬を増やしたいの? でも、横のパーシバルも「それは良いですね!」と嬉しそうだ。


「ペイシェンスには、スレイプニルを横に逸らして欲しい。そちらには、デーン王国とうちの騎士団を待機させて、何頭か捕獲する予定だ。雪狼ニックスルプスは、ゲイツ様と上級魔法使いと騎士団の本隊で、討伐する。下級魔法使いでは討伐は無理だからな」

 魔法耐性が強い雪狼ニックスルプスには、下級魔法使いの魔法攻撃は通じないみたい。

「下級魔法使いと学生チームと冒険者達は、他の魔物の討伐だ!」

 これなら、私はスレイプニルを横に逸らすだけで良いんだね?

「まぁ、ペイシェンス様は、スレイプニルを横に逸らした後で、雪狼ニックスルプスの討伐に参加したら良いのですよ。大丈夫、首チョッパーなら一撃です。それに、外しても私とサリンジャーが討伐しますから、安心して下さい。雪狼ニックスルプスの毛皮は、鎧にしても良いけど、コートを作っても素敵ですよ」

 うっ、弱味をグイグイ突いてくるよ。私は、どうも押しに弱いみたい。

 

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