エルネスト=エンドの場合


 剣と剣がぶつかり合い軋む音が緊迫感を生む。


 力任せに押し切ろうとする身体の大きな騎士を見上げ、エルネストは僅かな隙をついて相手の勢いを逃がし、剣を振り払った。

 力で押し切ろうとしていた巨漢は、自身の力を殺しきれず、そのまま蹈鞴を踏みながらエルネストの斜め後ろの方へ進み、結局転がってしまった。

 そこをすかさず、首元に剣を突きつける。


「勝負あり!! 勝者、エルネスト・J・ジェイドニールセントルフィオ=サラディナヴィオ公爵子息」


 今年最後の御前試合、若手騎士部門で、まだ従騎士スクワイアのエルネストが初優勝した。



「シスー!!」


 闘技場の真ん中で、両手を振り上げ、エルネストは愛しい人の名を叫んだ。


「やれやれ、恥ずかしげもなく、大声を上げられるものだね」


 闘技場から正面に当たる王族用特別観客席に設けられた玉座で足を組み、片肘で頬杖をついたエスタヴィオがこぼす。

 呆れたような物言いではあるが、闘技場内で喜び手を振るエルネストを見るその目は優しい。


「優勝者が表彰時にねだれる、勝利の女神の祝福のキッスを夢見てたんじゃないかしら?」

「ははは。人前で堂々と、シスの婚約者づらできる機会だしね」


 アナ・フレック夫妻のエルネストを見る目も、初孫の活躍を見守る夫婦のように慈愛が満ちていた。


「そういうものは、本来は王女たる私の役目じゃないかしらと思うんですけど?」


 エスタヴィオと同じ姿勢で闘技場を眺めていたユーフェミアは、面白くなさそうに呟いた。


 オルギュストとの王命による九年にも渡る婚約期間もブレることなく、正式に婚約解消された後も、秋波を送るカルルデュワとの間にさりげなく(事情を知っている者には見え見えだったが)割って入ったり、一部の上位貴族の間で王太子の隠れた恋人と目されたり、デュバルディオと逢瀬を重ねついには婚姻婿入りするのかと思われた時も、エルネストは一途にシスティアーナを想って来た。

 その一途さと、生真面目で誠実なところが、他の海千山千の腹の中が読めない貴族達と違って、ユーフェミアには眩しく感じたのだ。

 あれはシスティアーナの物。誰もが、自身ユーフェミアさえもそう思っていても諦めきれず、父王に将来のことを考えているかと訊かれたときに、真っ先にエルネストの名を出したのだ。


(解ってはいたけれど⋯⋯)


 いずれ自分は、有力貴族の次男を婿に女侯爵家を興すか、クリスティーナ妃のように、縁を結びたい大国の王家に嫁がねばならないのだ。

 そこにエルネストを填め込むのは難しい。


(それでも、出来ればあの方に愛されたかった)


 それは、一途に愛されるシスティアーナが羨ましかっただけかもしれない。

 侯爵令嬢でありながら、どの王女達よりも王族らしい彼女に憧れもあったし、成り代わりたかっただけなのかもしれない。


 それでも、エルネストを眩しく感じ、想う気持ちまでは嘘ではなかったと思うのだ。


「ちぎれんばかりに振り回す犬の尾が見えるようだわ」

「恐らく誰もがそう思っているよ」

「あら、私、今口に出してた?」

「まあね」


 母の違うひとつ上の兄デュバルディオ。


 彼もまた、システィアーナの夫の座を望み、エルネストに敗れた一人だ。


「まあ、僕は、兄上のために立候補したようなものだからね、いいんだよ。ホントに手に入るなんて思ってなかったさ」


 父王とロイエルドを挟んで、婚姻契約が進みかけた時は期待したんだけどな。


 だけど、闘技場で汗だくのエルネストに抱き締められて幸せそうに微笑むシスティアーナを見ていると、負け惜しみではなく、心からあれでよかったと思えるのだ。


「ま、しばらくは諸国を回って、真正面からおめでとうと言えるようになるまで外交と諜報活動に励むさ」

「本気だったの?」

「カルル以外のみんな、とおにも満たない頃に集められた王族子息達のシスティアーナのそばにいた男らはみんな、一度はシスティアーナと結ばれる夢を見てたと思うよ」


 まさかフレックも!?と、ユーフェミアは次兄を振り返る。

 こちらの話を聞いていたかのように目が合い、困ったように微笑むフレキシヴァルト。

 益体もない話をしていると呆れているのかもしれないが、あまりのタイミングに、もしかしたら本当の話なのかもしれないと、思ってしまう。


 エルネストのために、システィアーナとの間に入って色々と手を差し伸べてはいても、どーんと背中を押すまではしなかったのは、どこかシスティアーナを取られることに躊躇ためらいがあったからなのか?


 ──集められてシスの傍にいた王族子息はみんな • • •


 そこでハタと気づく。まさか、ユーヴェルフィオやあのファヴィアンも?


「あれは、僕たちの学友側近候補と言う名の、システィアーナ姫の婿候補顔合わせだったんだよ。ドゥウェルヴィア公爵の本当の狙いは、さ。つまり、王家の三男でリングバルドの王家の血筋でもある僕は、本当に大本命だったの。次点でフレック兄上、次いでたぶんエルネストかアレク兄上」

「アレクお兄さま!? 王太子よ? 婿になんかいけないでしょう?」

「シスが王妃になってもいいって事でしょ? 15年前、エイリーク陛下が崩御なさったとき、お祖父様が王位を継がず、ドゥウェルヴィア殿下が即位していたら、シスは王太孫だったんだし?」

「そ、それでも、お祖父様が王位を継がれたわ」

「実際、お祖父様と殿下は6つしか歳は離れてないんだし、エイリーク王の第一子でも身体に欠損高度障害のあるお祖父様より、実年齢より若々しく功績も人望もあった同腹の王弟殿下であるアルトゥールアーサー(勇敢な)・エスタクィア・コンスタンティノス=ドゥウェルヴィア公爵殿下を次の王に推す勢力は少なくなかったそうだよ。まあ、ミアは一歳の時だから、憶えてるはずもないけどね」


 勿論、当時二歳だったデュバルディオも憶えている訳ではないが、漏れ聞こえる周りの声と、現在確認出来る事実と現状とを照らし合わせれば、だいたいの事情は察しがつく。


 王弟よりも王太子、血統の正当性を説き、ウィリアハムを王に就けたのは、当のドゥウェルヴィア公爵だったことも。

 ただ、ウィリアハムに重度の健康障害があった事と、当時の王族で最も知恵と力と実績を持っていて、側妃や寵姫の子であればともかくエイリーク王と同腹の正妃の次男であった事が、事態を複雑にしたのだ。

 せめて、ウィリアハムが健康体であれば、後継ぎ問題は起きなかっただろう。健康障害があるとはいえ、すでに立太子した43歳の成人男性だったのだから。


 どちらも四十代男性で、在位期間が短い可能性があり、その次の後継者を考えた場合、一人娘のエルティーネが継承権を放棄してロイエルドに嫁し、その一歳になる子もシスティアーナという女児であった事、アレクサンドル、フレキシヴァルト、デュバルディオ、ユーフェミアと四児を設け、アルトゥール・エスタクィア=ドゥウェルヴィア王弟殿下と遜色ない知性と統制力を持つと目される23歳の青年エスタヴィオの存在が決め手となって、予定通りウィリアハムが即位したのだ。


 エスタヴィオ在りき前提での即位。


 幾らかの王族達は、中継ぎで王になるくらいなら、一足跳びにエスタヴィオが国王になるべきだと言うものもいたくらい、エスタヴィオが賢王になると期待されていたのである。



「公爵が、シスに持たせていたあの絵本も、騎士の姿に憧れるシスの意識を王子へと軌道修正させるためのツールだったんだと睨んでるよ、僕は」


 そこまで計算されていた? まさかと思いつつも否定できないユーフェミア。


 当の公爵に訊ねる訳にも行かず、システィアーナの婿を選択誘導する公爵の企みは、ディオとユーフェミア兄妹の胸の中にしまい込まれた。



 ◈◈◈◈◈



「シスー!!」


 大きな歓喜の声をあげるエルネスト。

 珍しいその姿に、頰を薔薇色に染めながらも、王族用の観客席から闘技場そばまで駆け下りるシスティアーナ。


「エル従兄にいさま!! おめでとうございます。これまでの研鑽が結果に表れたのですね」

「今日の勝利はシスに捧げるよ!」

「まあ! あの、嬉しいのですけれど、今日は御前 • • 試合なのですよ? お従兄にいさま」


 無駄な動きは極力削いで、スマートに流れるように剣を振るうエルネストでも、トーナメント戦を勝ち抜いた故に、額や背に汗が流れていたが、喜びと興奮に、ついそのままシスティアーナを抱き締める。


「わたしは、別に構わないよ」


 どうせ、わかっていた事だからね。


 王族用の特別席の中心で、足を組み肘をついて頰杖の姿勢のまま、苦笑いを送るエスタヴィオ。


「騎士の勝利は己が心の主に捧げるもの。エルネストは、王家にではなく、我が従堂妹はとこ姫にその剣と心と忠誠を捧げているのだろう? ならば、その勝利はシスティアーナ。君の物だよ」


 エルネストや出場した騎士達に労いの言葉をかけ、観客席から席を外すエスタヴィオ。

 午後からの正騎士部門の決勝に臨む前の休憩である。



「あ、シス、ごめん。綺麗なドレスなのに、汗と泥で汚してしまった」

「気になさらないで。この汗と土は、エル従兄にいさまの努力と勝利のあかしですもの」


 人目が羞恥を誘うが、勝者は湛えなくてはならない。意を決して、システィアーナは、エルネストの頰に優しく触れるキスをした。


 驚きと喜びに、思考が真っ白になるエルネスト。

 次の瞬間は、再び喜びの声をあげた。



「あ、あのね、エル従兄にいさま。わたくし、今日は、外泊許可をいただいてますの」

「え? 外泊? ⋯⋯ああ、ディオが何かしていたね」

「ええ。クリスマスの晩餐会を王家とごく親しい内輪だけでするの。エル従兄にいさまも招待されているでしょう?」

「うん。ディオがまさか料理をするなんてね」

「言ってくれるね? 一応、兵役は務めたんだ。野営中に料理当番はあるだろう?」


 いつの間にか後ろに、王子達が集まっていた。


「あるけど、野戦料理と晩餐のごちそうは違いすぎない?」

「僕は、なんでもやるならとことん拘る方でね? 料理も専門家について習ったんだ」


 王子王女達が次々にエルネストに勝利の祝福を投げかけ、順に立ち去っていく。

 残された二人は、まだ、肩を抱いて寄り添ったままだった。


「それでね、あの、晩餐の後もそうなのだけど、明日の聖夜は、家族や大切な人と静かに過ごすものなの。それで、あの、エル従兄にいさまの都合がよければ、二人で過ごした⋯⋯」

「シ、シシ、シス? ふた、二人で!?」


 薔薇色の頰をしたシスティアーナに負けないくらい真っ赤になって、エルネストが狼狽える。


「まっ、待って、お従兄にいさま、勿論、二人っきりで過ごしたいのですけど、お泊まりはミアのゲストルームですわよ!?」

「あ、ああ、それは、そうだよね、びっくりしたよ」

「もう、殿方は皆さまそうなの? 雪が溶けたら、お従兄にいさまとは毎日ずっと一緒にいられますでしょ!?」

「そ、そそ、そうだね。うん、春が待ち遠しいな」


 兵役はまだ二年残っているが、システィアーナがロイエルドに、ソニアリーナがデビュタントまでに後継ぎを産むと宣言したせいで、準備期間もそこそこに急がれたのだ。



 デュバルディオの、妹達に下拵えを手伝わせた晩餐は、王子の手料理とは思えないほどの出来映えで、エスタヴィオ達を驚かせた。

 システィアーナの手作りケーキで食後の茶を楽しみ、内輪だけでパーティーが行われる中、システィアーナとエルネストは、王族の暮らす奥宮から、必要最低限の人員しか配置されていない静かな迎賓館の一角へ下がる。


 緊張しながらも、そっと手を繋ぎ、窓際に並んで、システィアーナの髪を手櫛で梳いたり、背や手を撫ぜたり、時にはそっと口づけたりしながら、エルネストは絶えず何かを喋り続けた。


 話すことが尽きてしまうと、己の鼓動が聴こえるのではないかと思いながら、システィアーナを抱き寄せ、ただ、互いの温もりを感じながら、ユーフェミアが迎えに来るまで過ごした。


 ディオの持ち込んだ樅の木の飾りと、窓の外の雪景色が幻想的な雰囲気を醸し出し、システィアーナとの将来に期待と夢を膨らませるエルネストは、今年一番の幸せを噛みしめていた。





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