第2話 『カベドン』は押しかえされると、新しい扉が開くらしい
私は王子に気づかれぬよう細心の注意で茂みに隠れつつ尾行した。双眼鏡を使いながら、スケッチブック片手に尾行という……人生で大切なものを落としてしまった気分だが、仕方がない。
(50m以上は近づけないな……)
距離があるが武に長けた王子や護衛がいるのだ。近距離だと気が付かれる可能性がある。というか双眼鏡片手にスケッチするところを見つかりたくない。私の社会的地位にかけて。
まぁ会話は唇と私の並外れた地獄耳でよめるので問題ない。社交界では噂に敏感でなければいけないのだ。これぐらい私にとっては処世術の一つにすぎない。
「マリー? 大丈夫かい? 元気がないようだけど」
王子が心配そうにローズマリー様を見ている。ちなみにマリーとはローズマリー様の愛称だ。
「だ、大丈夫ですわ」
大丈夫じゃない。手と足がカチコチ状態で歩いていらっしゃる。誰が見ても挙動不審だ。
「だが耳まで赤い。もしかして熱があるんじゃ? 顔をよく見せて」
熱を心配してか、王子はローズマリー様を顔を覗き込むように見た。
「ひっぃぃぃ近い!! 熱はありません、大丈夫ですっ」
「だが心配だ。残念だけど今日はここで切り上げよう」
王子が残念そうに元来た道を帰ろうとしたときだ。あんなに恥ずかしがっていたローズマリー様が突然、人が変わったように王子の服を引っ張った。
「王子、あの木!!!! 似てませんか?」
「え? 似ている?」
王子がきょとんとした顔をする。私もきょとんだ。だがローズマリー様の顔は王子には目もくれず、真剣に木を見つめている。
「ええ。似てるんです。『乙女の木』に。リリーがいれば……再現できたのに」
乙女の木!!
たしかその木に乙女が祈ると、親密度の高い『オシ』が告白してくると言っていたあれか。
「リリーとはフィンレイ男爵令嬢のことだろうか?」
フィンレイとはリリーの苗字だ。
「ええ。王子と彼女がいれば、あの木の下で素晴らしい情景をみれたのですが」
「なぜフィンレイ男爵と私なのかな? 君とではなく」
王子が優し気な声でローズマリー様に言う。どうやら王子はローズマリー様をお気に召しているようだ。可愛いからな。
「え! まさか王子、協力していただけるのですか?」
「僕にできることならかまわないよ。一緒に情景とやらを見よう」
さすが王子だ。ローズマリー様の謎の申し出にも一切躊躇ちゅうちょせず、優しく手を差し出すとは。まさに紳士の鑑だな。私が王子だったら協力なんて嫌な予感しかしないが。
まぁいい。さぁ、ローズマリー様、その手をとるんです!! 美男美女が手を取り合う姿、想像するだけでロマンチックな展開ですよ。
と思ったのに、ローズマリー様は王子の手を男らしくガシっと掴むと、うっとりすらせず全力で木に向かい始めた。王子が「おや?」とした顔でついて……いや、連れ去られていく。
やがて例の木の所につくとローズマリー様は、慎重に木を確認し始めた。ぐるぐると回り「この角度でやれば再現できる!」と呟いている。王子付きの騎士が「ご不安でしたら安全を確かめましょうか?」と声を掛けたが、ローズマリー様はやんわりとお断りになった。
拒否された騎士は不審な顔をしていたが、私は電撃が走ったかのように、ローズマリー様の意図がわかってしまった。
『スチルタイム』準備をしろだな?
案の定、ローズマリー様は木を指さすと、クチパクで『アルカディア』と言われた。合図だ。私はこっそりとスケッチしやすい位置へと移動した。あくまで双眼鏡から見える位置の。
描く時間は一瞬しかない。
なぜなら王子は長い時間、じっとはしてくれない。まさか描かれる対象になっているとは思っていないのだから。つまり私は『ローズマリー様が望む一瞬』を脳内に焼き付けスケッチブックに描かなくてはならないのだ。
【描き手とは、腕の筋肉と脳細胞のすべてを使い、黄金の妄想を形にする使命がある】
自分でも何を言っているのかよくわからないが、そう説明されたので言っておく。
「では王子、合図したらここに、ドンっと音を立て、片手をつけてくださいませんか? 世間一般で言う『壁ドン』をしたいのです」
「かべどん……? 聞いたことがないが」
王子の顔が、あきらかに動揺していた。その気持ちは痛いほどわかる。
「私が身長158cmぐらいの女性を想定して立ちますから、視線はこのあたりにお願いします。合図したら木をドンと叩き、手を付けたまま私を見てください」
「それは構わないが……まるで君をこの木に追い詰めるような仕草じゃないか」
「そうです。追い詰めてください」
王子の顔が固まった。だがローズマリー様は真剣だ。『スチル回収』の為なら、あの方は恥ずかしい感情すら吹っ飛ぶのだろう。さすがハエでいいと言うだけの事はある。
「……わかった。僕らはまだ婚約したばかりだが、君がいいというなら」
何かを悟ったかのように王子は了承すると、護衛騎士に下がるよう目くばせした。どうやら王子は真剣に『カベドン』にお付き合いしてくださるようだ。
ローズマリー様はさっそく例の木にもたれかかった。158cmを想定し少しかがんだ状態だ。おそらくリリーの身長に合わせてるのだろう。ドレスを作るとき「リリーの身長は公式で158cmなの」と言ってから。どういう公式か謎だが。
「これでいいだろうか?」
「はい。あとここで「もう逃がさない」と言ってください」
ローズマリー様の言葉に王子がゴクリと唾をのんだ。王子の顔が真っ赤だ。対するローズマリー様は全然だけど。これに一体なんの意味があるのだろう。
は……!! まさかこれが『レディーの嗜』というやつか?
『カベドン』という謎のワードで相手を翻弄ほんろうさせハートをつかむ。なんだ傍観したいとか言ってたくせに。ローズマリー様ったらやるじゃないか。
ただし、それを描けって神経はわからん。
王子は覚悟を決めた顔をするとドンっと木に片手をつけ──
「マリー、もう逃がさない」
と仰った。それもローズマリー様の耳元で囁ささやくようにだっ!。
うわぁぁぁぁ見てるだけで恥ずかしい。
だが私の手は高速に動いていた。これもローズマリー様に教えていただいた信仰の一つ。
『推しの色香に惑わされ、手を止めてはならぬ。貪欲なまでに形にしろ。新刊を落とす事だけはしてはならぬ』である。
なんの新刊かは不明だが。
私は全神経を集中させた。
心を、筋肉を、脳細胞のすべて稼働させて。
スケッチブックには王子の愛し気な顔、キラキラとした謎の輝き──そしてありもしない薔薇の花びらが舞い散った。
自分でいうのもなんだか芸術性の高い作品ができたと思う。
でも本当は王子と木の間にいるローズマリー様が描きたい。描くなといわれてなければ……くそぅ。本当にハエでいいの?
「マリー……」
とうとう王子が『カベドン』ポーズに耐えきれず、ローズマリー様の顔にご自分のお顔を近づけた。
こ、ここで口づけが入るのか! わぁぁぁ!! おめでとうございます、ローズマリー様ぁぁぁぁぁ。もう禁止されても知るものかぁぁ。私はローズマリー様も描く。私を止めれるものはおらん~~。
「ままままま、まってくださいっ!」
ドンっとローズマリー様は王子を押し返した。動揺のあまり目がぐるぐるになっておられる。押し返された王子は「え?」とした顔で固まっていた。そして私も固まった。
「すまない……てっきり誘われたとばかり」
王子がそう言うのも無理はない。私もそう思ったから。
「ご、ごめんなさい。ちょっと私の脳が宇宙に行ってしまい戦艦が出撃しちゃったんです。宇宙神(尊き神)に敬礼状態といいますか。その状態で現実に戻ってしまったものですから、驚いてしまって」
「僕こそすまない。気が急いてしまったようだ。それにしても『カベドン』とは奥が深いのだな」
さすが王子。宇宙神とか謎な押し返しを軽やかにスルーしたぞ。
「し、失礼な事をしてしまって申し訳ございません」
「いや……それにしても宇宙──ぷっ、こんな予想外な令嬢だったとは。だめだ……おかしすぎるっ」
あ、やっぱりスルー出来てない。ツボっておられる。
「ああああぁ、申し訳ございません。宇宙神と言ったのは言葉のあやで。まさかお怒りですか? 処刑がお望み?」
「処刑?? そんなに虐めてほしいの? 僕に……へぇ」
王子が肩を震わせて笑っている。私も違う意味で震えが来たぞ? なぜだ?
「ひ、ひぃぃっ」
「あはは、安心して。処刑はしないよ。君の事は婚約者として大切に思うつもりでいたのだが。『カベドン』で新しい扉が開いたようだ。次に会う時は僕のやり方で楽しませてもらうとしよう」
ニコリと微笑みながら、ちゃっかり『次』とおっしゃる王子。気のせいかな……笑顔なのに目が狩人のようにギラギラしてるような。紳士な王子が、まさかね?
その後、王子はローズマリー様に頻繁にお会いになるようになった。ローズマリー様が大好きなクッキーやら花やらを添えて。
そのたびにローズマリー様は震えておられたのだが。はずかしいのだろうか。
まあいい。これでもうローズマリー様はフラグだの処刑されるだの言わなくなるだろう。
と思っていたのだが。
「シェリー大変!! この世界は『裏アルカディアの乙女』かもしれないの。王子の目がなんかやばいもの。悪役令嬢が主人公なんだけどね、王子を含め、推しが全員やばいの。サイコだったりヤンデレだったり。選択を失敗すると処刑されたり殺されたりするのよ。あまりの難しさに、この私ですら最後までクリアーできていないんだから。とにかく一緒に対策を練りましょう。そしてなんとしてもリリーと結ばせ、表バージョンでスチルを回収するのよ!!」
またわけのわからない母国語を。あと、そこまで言っといてスチルは回収するんかい。
「王子はいい人じゃないですか? 処刑なんてありえません」
私は大きくため息をつき否定しといた。王子との仲がこじれるのは避けたいからな。
「シェリーは王子の目をちゃんと見た?」
「見ましたとも。ローズマリー様以外は目に入らないって感じでした」
まぁヤバイ感じはしましたが、私には無害ですからOKです。
「それだと困るのよ。なんとしてもリリーとくっつけなくては。フラグを回避しつつ、一緒にスチル回収を頑張りましょうね」
「え……。ええええっ!!」
お嬢様の『フラグ病』はまだまだ続きそうだ。
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