さらなる深みへ。

 あの日のことは今でも鮮明に覚えている。

 それまでの出来事が全て吹き飛んでしまった、そんな『カーセックス』だった。


 拘束された密室で身体の自由が利かない行為は、二人の欲望を異常な程盛り上がらせた。

 辺りに誰もいないことが、さらに緊張感を失わせていた。

 最初の射精は十分程続いた。その間先端部分の自由は奪われ、根本だけが上下の律動を繰り返し、陰嚢が枯渇するような引き攣る感覚を覚えた。

 ボクの体力は酷く消耗した。それは激しく動いたことが大きな原因ではなかった。若い頃、オナニーをした直後に眠気が襲うことはよくあった。その時、射精は少なからず体力を消耗する行為だと理解した。

 この日の身体の反応は明らかにその経験を踏襲していた。だが全身が脱力し、一切の動きを拒絶するような疲労感を味わったのは、これが初めて。直前に吸収した焼肉パワーを帰宅する前に全て吐き出してしまった。

 カオルはシートが全て倒された助手席の上で、両脚をボクの腰に強く絡めたまま、悦に浸っていた。

 これでこの日の奉仕は終了したと、ボクもまた充足感に包まれていた。必要最低限の体力の回復を待って家路を急ぐ積りだった。


 ところがカオルの意識は全く別の方向に向かっていた。


 逆にこの行為が、幸せの絶頂に向かう新たなプロセスの可能性を広げてしまったようだ。


 カオルも酷く疲れていた。

 だがもっとシテとねだった。

 ボクが『体力の限界だよ!』と訴えると『体力を使わないで私を幸せにして』と難題を突き付けた。 


(!)


 その瞬間ボクは閃いてしまった。

 激しく突き上げることだけが愛情の証だと信じて疑わなかった偏見に、カオルの言葉がそれを打ち破るヒントを与えてくれた。

 

 それは『動かない愛情表現』だ。


 カオルの膣内に、全てを出し尽くしてうなだれている分身を残したまま、ボクは唇を、指先を、吐息を、鼻先を、そして舌を、全身のあらゆる部位や、作用を駆使してカオルの肉体を弄んだ。それは『激しく』とも『荒々しく』とも異なる、繊細に、穏やかに、そして優しく、カオルの肌にボクの身体を這い回らせた。吐息を吹きかけ、舌で舐め上げ、先端を摘んで、歯型を付けるほど強く噛んだ。カオルの首筋を、肩を乳房を、尻を、そして肥大した乳首を、あらゆる方法で時間をかけ、弄んだ。

 カオルの昂りは明らかに様相を変えた。

 激しさ、荒々しさは影を潜め、身体の奥底から唸り声を上げているような、低い響きで悶え続けた。

 やがて膣内は新たな潤いを沸き立たせ、カオルの新鮮な反応に、取り残されていた分身は溺れる間もなく、欲望を結集させた。

 再びの最終局面を迎えても、単調な腰の動きは必要なかった。お互いの高揚感だけでイケる気がした。

 まるで気味の悪い軟体動物が、誰にも知られずに歴史的な進化を遂げているようにボクたちの戯れも新たな局面を迎えた。

 

 動かないままボクは静かに果てた。

 だが決して儚く漏れた訳ではなかった。

 果てた後、キスをした。

 すると休まず燃え上がった。

 それは何度も続いた。人知を超えた何かを感じた。麻里奈が言うように、カオルが本当にモンスターなら、それもあり得ることだと、今ならはっきり言いきれる。


 この惨状で、車内の空気が異様な蒸れと臭いを充満させたのは言うまでもない。


 駐車場を出たのは、ショッピングモールが閉店する五分前だった。


 一週間後の七月終わりにずれ込んだ梅雨明けは、まるで夏を待ち望んでいた輩にひたすら許しを請うように、連日猛暑でその穴埋めを続けていた。夏が苦手な自分にとっては全く厄介な謝罪方法でウンザリだった。

 カオルはというと、相変わらず順調かつ元気に膨らむ胎児に連日手を焼くようで、強烈な日差しを避けて体力の温存を図るべく、不要不急の外出は極力控えるようになった。

 そうなると普段の生活にも他人(ひと)の手が必要になり、妊娠発覚後から満喫していた『独身生活』もついに解消を宣言。

 二人(と胎児)は晴れて新婚生活へと突入した。


 二十代辺りの結婚なら、直後からしばらくは連日のセックスラッシュなのだろうと下世話な想像をしたりもするが、様々な人生経験を積んだ中年男女が同様の日課をこなすとなると肉体、精神、共に過酷で難しいと言えるだろう。

 常識的な人間なら。

 だがカオルは違っていた。

 彼女にとって、『引き籠り生活=静かに暮らす』は成り立たない。

 肉体関係を持ち始めた当初には確かにあったセックスラッシュも、臨月が間近に迫れば影を潜めると、ボクは気楽に考えていた。だがそんな常識はカオルには通用しなかった。照りつける光が柔らかになっても引き籠りは続いたが、逆に傍にいることで欲求の激しさが増したカオルは、セックスを休もうとはしなかった。大きなお腹を誇示しながら、毎日ボクを求め続けた。ボクの精を欲しがり続けた。その度に『この子がどんどんヤレって応援するの』と妙な言い訳を続けていた。

 だがそんなコトはどうでもよかった。

 カオルのような美しい妊婦は見たことがない。産婦人科医でもなければ、一般人が

頻繁に妊婦に遭遇する機会は少ないが、マニアックなアダルト映像の世界でさえ彼女に適うフォトジェニックな『pregnant woman』はいなかった。

 ボクは変態なのかもしれない。孕んでいる女性の姿に欲情しているだけなのかもし

れない。妊婦のカオルが好きなだけなのかもしれない。

 でもそれでもいいと思った。たとえ直後にどんなことが起ころうと、今は間違いなくボクはカオルを愛している。

 ボクは間違いなくカオルを愛しているから、ただその願いに報いたいと邁進するだけだった。


「たっくん、おめでとう。男の子だよ」


 その声を聞いた瞬間、ボクは呆気に取られた。


 出産には避けて通れないプロセスがある。

 一般的には前駆陣痛が起こり、期間を置いて出産のための本陣痛が始まる。

 前駆陣痛とは出産前に起きる不規則な子宮収縮のことで、子宮の下の部分や子宮頚管を柔らかくする作用のある、出産準備を促すための予行練習的な痛みだ。その後に十分間隔、または一時間に六回の、三十秒以上続く本陣痛が始まると、『分娩』と言われる出産への特別な時間が始まる。


 年も押し迫った十二月の中旬。

 前日まで二人の夜はセックス三昧だった。

 情交が逐一知らされる麻里奈も、その頻度に間違いなくウンザリしていただろう。

 そして翌朝、朝食を摂るボクの前でカオルは独り言のように呟いた。

「あれ?ちょっとお腹が痛いな……」

 ボクはたちまち狼狽えた。心の準備が出来ていなかった。

「ボ、ボクはどうすればいい?」

「まだ大丈夫。これは出産の前触れだから、本番が始まるまでにたっくんは心の準備をしておいて」

 そう微笑んだカオルに、仕事に向かうボクは玄関先で強く包容された。


 誕生の知らせが届いたのは、なんとその六時間後。しかもベッドの上のカオル本人からだった。



 仕事を早めに切り上げ、慌てて駆け込んだ総合病院内の産婦人科病棟。ベッドの上には、晴れやかな笑顔を湛えたカオルと、産着にくるまれすやすや眠る我が子の姿があった。

 まるで他人事のようにボクの父親デビューを祝福するカオルは、言葉を続けた。


「たっくんが出掛けた後すぐに、ちょっとだけ強めの痛みがあって三十分くらいで納まったの。それからお昼ご飯を食べてたら何だかお腹がゴロゴロしてきて、予感がしたからタクシーで病院に来たら、すぐ生まれちゃった」


 戯けてペロリと舌を出すカオルの表情を改めて凝視するも、疲れた気配はない。

 ボクは腰が抜けるほど、酷く拍子抜けした。


 このスピーディな事態が気になり、ボクはその夜インターネットで調べた。

 前駆陣痛はともかく、本陣痛が始まってから胎児が下がり子宮口が全開になるまでの「分娩第一期」に要する時間は、経産婦でも平均四から六時間、その後胎児が娩出される「第二期」に一から一時間半。そして出産後に胎盤が出るまでの「第三期」が十分から二十分。合計、最低でも五時間半はかかる計算になる。


 この出産劇、明らかに常軌を逸している。

 これも麻里奈が言う「モンスターカオル」なればこそ、なのか?


「パパも男の子が欲しくて、私のお兄ちゃんが生まれた時は喜んで、野球好きだから大きくなったらキャッチボールをするんだって、はしゃいでたって。お兄ちゃんはすぐ死んじゃってパパは夢を叶えられなかった。たっくん、ママから生まれた男の子だからパパの分もこの子を可愛がってあげてね」

 薄っすら涙を浮かべながら在りし日の父の想いを重ねながら、ボクより先に駆けつけてくれた何も知らない長女の優深は、素直に長男誕生を祝福してくれた。

 次女葉子も一時間遅れで病室に現れたが、母を労い、ボクに祝辞を述べた後、社用で人に会う約束があるからと、近況を報告する暇もなく病室を後にした。

 そんな慌ただしい葉子の表情にも、この誕生に疑念を抱く様子は全く見られなかった。


 この日に現れなかった麻里奈から、二日後、ショートメールが届いた。


『赤ちゃん誕生おめでとう。今後についての話があります。明日午後一時に例のお店で。OKなら返事はいりません。』


 麻里奈には返信をしなかったので、ボクは午後一時にハンバーグレストランに向かった。


「たっくん、随分やつれたね。でも辛いとか、そんなこと全然感じてないでしょ?逆に今までの人生で一番充実してるんじゃない?色々な意味で」


 麻里奈はボクの顔を見るなり、笑顔を見せながら満足そうに頷いていた。


 確かに……。


 ただ苦笑いを浮かべるだけだった。

 席に着くとウエイトレスがすぐ様テーブルの前に立ち、ボクは前回と同じモノを注文した。麻里奈は何を頼んだの?と訊ねると、私も同じモノだよと答えた。決して断定はしないが、血液型が同じAB型同士、思考回路は一緒だなとボクは心の中で、妙な感心をしていた。


「でも色々大変なんだ」

 ボクはため息をついた。でも全てが本音じゃない。

「そんなママをたっくんはどう思うの?」

「……」

「嫌いになった?」

「いや……」

 麻里奈もそれを分かっている。

「たっくんを困らせた後のママってスゴくない?」

 麻里奈は、上目遣いに覗き込んだ。

「な、何が?」

「たっくんを何度も求めるでしょ?」

 そうだった。麻里奈にはボクたちの夜の回数が無条件に知らされているのだ。

 伝達方法は一切分からないのだが……。

「う、うん」

「そんなママ、嫌いじゃないでしょ?」

「寝かせてもらえないけど、嫌いじゃない」

「ていうか、離れられないでしょ?」

「う、うん」


 麻里奈の視線が近付くウエイトレスに向き、二人は言葉を止めた。


「順調に振り回されてるみたいだね。ママに相当濃いのあげてるみたいだし」

 麻里奈は以前と変わらず、ハンバーグの大きな切れ端を豪快に口に運んで話を

再開した。

 彼女が言うように濃くなったかは分からないが、相当量注ぎ込んでいるのは確かだ。


「でもママは二人でいるとすごく従順な態度を見せるのに、外に出るとボクの目の前で平気で他の男誘惑するし。それに……」

 何度も遭遇したあの光景は、全て幻だったのか。余りにもリアル過ぎる体験だったのだが……。

    

「平気で抱かれたりするんでしょ?」


(!)


 麻里奈はそこまで把握していた。やはりあれは現実だったのか?


「最近カオルの行動がよく分からなくなってきた」


「どんな奴らに遊ばれてるのか知らないけど、大丈夫。ママは他の男どもには射精されてないから」

「そ、そうなの?」

        

 やはり幻……?

   

「それが、奴ら一族の手なの」

「奴らの手?」

「カオルへの執着や束縛したい感情が大きくなればなるほど、たっくんから浴びせられる精子が濃度を増して体内に吸収されるの」

「濃度を増すって、液は次第に薄くなるけど」

 ボクはなぜ、ソコにこだわる?

「物理的な問題じゃないの。確かに短時間で何度もすると精子の数が減るっていうけど、そんな単純なコトじゃない」

「それじゃあ何が?」

「たっくんの想い、情熱なの」

 情熱?

「たっくんのカオルへの想いが濃度を増すほど、一族の悲願がより確実な方向へと近付くの」

「一族の悲願て……」


『たっくんが焼きもちを焼くほど、私の願いに近付くの』


 あれはやっぱり……。


「もちろん、人類の滅亡よ」

「ええーっ!それじゃあダメじゃん!」

「でも、たっくんママと別れられる?」

「……」

「たっくんが強引に別れようとしても、ママはもうたっくんを死んでも離さないよ。それにカオルには取って置きの切り札がある。もう行くところまで行くしかないの。たっくん、そろそろ覚悟を決めてね。絶対私がサポートするから」


 麻里奈は大きな作り笑いを作り、ハンバーグを頬張った。


「これで確実に次も男の子だね。いよいよだね」

 麻里奈は大きく頷いた。

「次も……、って」

「たっくん、間を置かないでね。早く次の子も欲しいってママが言ったら、遠慮しないでガンガン攻めて」

「攻めてって……」

「ママの体内(なか)にいっぱい射精してってこと。あっ、でもこれだけ濃いともうデキてるかもしれないね」

 デキてる……?


『ああ、また赤ちゃんできちゃいそう……』


 歓喜を含んだカオルの叫びが頭を過った。


「カオルがすぐに次の子を妊娠すれば、あの子から注意が逸れるから」

 注意が逸れる……?

「それでたっくんもいっぱい気持ちよくなって。それと……」

 それと?

「たっくん、赤ちゃんから目を離さないでね。あの子の命は常に危険に晒されてるから」


 ええっ!!


「カ、カオルが手に掛けるとでも?どうして?」

「それはまだ話せない。でも安心して。たっくんがあの子を溺愛すれば、ママも簡単には行動できないから」


(!)


 ボクはカオルのある言葉を思い出した。 


「そう言えばママに聞かれた」

「何を?」

「男と女、どっちがいい?って」

「それでどっちがいいって、答えたの?」

「女の子。でも……」

「でも?」

「神様からの授かりものだから、どっちが生まれても嬉しいって、付け加えた」

「それから?」

「『今は生まれる前にエコーで判るけど知りたいか』って聞かれた」

「それで?」

「それで、ボクは『生まれて来るまで楽しみにしたい』って断った」

「カオルはどんな反応してた?」

「一瞬寂しそうな顔したけど、すぐ『たっくんの言う通りにする』って笑ってた」

「ふうん、それはラッキーだったね。たっくんが『女の子がいい』って言った後、もしもエコーを見せられて男の子だって判ってたら、奴らに先手を打たれていたかもしれない。これで間違いなく奴らは二の足を踏むはずだよ」


「どうしてそう言い切れるの?」

「カオルはパパとの間に過ちを犯した。今でも心の深い傷になってるからすごく慎重になってる。それが唯一の弱点かもしれない」


 麻里奈は何かに想いを馳せるように、窓の外に視線を向けた。


 麻里奈の言葉を発する度、謎が増えていく。


「それにしてもママにはいつも驚かされてる。もちろんいい方にだけどね」

「例えば?」

「例えば、カオルちゃんは昔スポーツ万能で、この子が生まれる前にプールに連れて行ったら、アスリート並みに泳ぎが凄くて……」

「泳ぎ?」

「そう、学生時代に水泳部にいた時期があったって」

「そんなの、今まで聞いたコトないよ」


 えっ、それは一体……?


「で、でも、すごかったよ。泳ぐの」

「それも奴らの手だね。きっとたっくんに気に入られそうな情報をどんどん取り入れて、たっくん色に染まるカオルを演じてるんだよ」

        

 あれも演技なのか……。


「とにかくさっきのコト、次が産まれたら全部話す」

 

 麻里奈にあっさり流された……。


「前にも質問したけど、次の男の子が生まれないようにしても……」

「それは多分ムリ。たっくんはなかに出さなければ妊娠はしないって簡単に考えてるかもしれないけど、前にも言ったでしょ?カオルには切り札がある。それがどんな方法かは私も分からないの。それにママに溺れてるたっくんが甘い誘惑を我慢できるとは思えない。だから諦めて最後まで正々堂々と戦って」

「正々堂々戦うって?」

「カオルの言う通り、カオルに振り回されて、カオルにたくさん浴びせて男の子を妊娠させて。そしたら私も一緒に戦うから」

        

 ハンバーグと一緒に、白米も頬張る麻里奈の無邪気な笑顔に、切迫感は微塵もなかった。

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