08.アタシの小さなご主人様_01

 マースのテント内での戦いを無事終わらせたアタシは、黒の革靴を履いてそのまま静かにテントを出た。


「くぁ~、朝だぁー」


 朝日を浴びて、大きく伸びをするアタシ。


(朝日が気持ちいい。凄い久しぶりに朝日を浴びた気がする。あと何、日光を浴びても死なないのね悪魔って)


 吸血鬼は日光を浴びると灰になって死ぬという。正直アタシも似たようなものなので、朝日に弱いのかと考えていたが、それは杞憂だったらしい。

 改めてテントの周りを見回してみる。何かを収納しているであろう積み重なった木箱、その周りに置かれた武器と防具、明かりの消えた球体、遠くから聞こえてくる馬のヒヒンッという鳴き声。夜中見張りをしていたのか眠そうに槍を持ってる兵士。他のテントから欠伸をしながら出てくる男。すでに焚火を囲んで何かを、朝食かな?を焼いている剣や盾、弓などを持った兵士達。

 キョロキョロと見まわしていると、後ろからアタシに語り掛けてくる男性の声が聞こえてきた。


「お目覚めですか?千歳様」


 声に反応して振り向くと、そこには黄淡色の髪色をした青年、マースの従者であるグレッグさんが立っていた。彼はパンとワインの入った籠を持っている。


「おはようございます、グレッグさん」


 アタシはグレッグさんに向けて朝の挨拶と共に、つい会釈してしまう。


「あっ、すみません、これは私の元居た国のあいさつの一つで、相手に感謝や敬意を表す挨拶になりまして……」

「おお、それはどうもご丁寧に。こうでしょうか、おはようございます、千歳様」


 グレッグさんはそう言って朝の挨拶と共に、アタシと同じようにアタシに会釈をし返してきた。


「ああ、どうもすみません、グレッグさん」


 会釈し返されたアタシは、そんなグレッグさんにペコペコと頭をしきりに下げてしまう。これも悪い癖だ。悪魔化した時に伸びた長い髪が、頭を下げる度にアタシの視界を遮る。


(この髪が邪魔かも)


 前まで垂れてきた髪をかき分けつつ、頭を上げてグレッグさんに向き直る。そんなアタシに、グレッグさんは持っていた籠をくいっとあげて言ってくる。


「丁度良かった、千歳様、朝食は如何ですか?」


 グレッグさんがアタシに向かって掲げた籠。昨日キートリーのテントで食べた固いパンと赤ワインだろうか、それが入っている。あのパンは固くてイマイチ美味しく食べられなかったのだが、ワインはなかなか好きな味だった。だが今のアタシは、朝ごはんとしてサティさんとキートリーを食べてきたばっかりなのでお腹が減っていない。申し訳ないがグレッグさんの申し出は断ることにした。


「ごめんなさいグレッグさん、アタシもう朝食は食べてきちゃいまして」

「おや、これは失礼しました」


 ちょっと残念そうに籠を下げるグレッグさん。


「マース様達はまだ御就寝中でしょうか?」

「はい、マースはまだ寝てますよ。あ、キートリーとサティさんも当分寝てるかも」


(思いっきり吸精したキートリーは当分起きないだろうなあ。サティさんは多分ひょっこり起きると思う)


 吸精とか悪魔化の事についてはグレッグさんやボーフォートの兵士たちには告げていない。このキャンプでアタシのこの身体の事を知っているのは、マース達とボース、あとはパヤージュだけだ。昨日の惨事、アタシの媚香の暴風の影響による近隣キャンプでの集団失神事件については、ボースが、"森の中で放置されていたA級流着物が暴走して引き起こしたモノで、それは既にボース達が破壊したので解決済み"、という理由をでっち上げて配下の兵士達には伝えたらしい。


(昨日の出来事は全部、アタシが原因で起きた事。ボースは理由を付けて誤魔化してくれたけど、アタシはグレッグさん達に謝らなきゃならない)


 沈んだ顔をして考え込んでいたアタシ。そんなアタシを見かねたのか、グレッグさんが声を掛けてくる。


「千歳様、立ち話もなんですから、こちらへ」


 パンとワインの入った籠を近くの木箱の上に置いたグレッグさん。彼がアタシに向けて木の椅子を差し出してくる。


「あ、ありがとうございます。ではちょっとだけ」


 そう言ってグレッグさんが出してきた椅子に座るアタシ。椅子に座って周りを見渡すと、ここは前戦キャンプの真ん中あたり、周りにはグレッグさん以外にもちらほら歩いている兵士たちがいる。周りをキョロキョロ見まわしているアタシを、グレッグさんがチラッチラッと見ている。


(なんだろ?)


 アタシが不思議がっていると、グレッグさんがアタシの目を見て話す。


「昨日はっ!本当にっ!申し訳ありませんでしたっ!」

「ええっ?なんの話?なんだっけ?」


 いきなりグレッグさんが謝ってくる。アタシには思い当たる節が無い、いや、有ったわ。グレッグさんは媚香の匂いにやられておかしくなり、アタシの胸を弄っていた。いろいろあり過ぎてこのキャンプに来てからすぐの事は割と印象が薄い。


「あっ、ああ、あれの事ですか?あれはほら、平気!平気です!触っても減る物でもじゃないから、平気平気」


 アタシはなんてこと無いよと言う風に両手を振って見せる。実際なんてことはない。あの時のアタシの頭の中は恐怖でいっぱいで、半狂乱になって泣き叫んでしまったけれど、今こうやってグレッグさんを前にしても別に何ともない。そもそもグレッグさんやここの兵士達がおかしくなってしまったのも、中途半端に悪魔に覚醒し、媚香の匂いを無意識に撒き散らかしていたアタシのせいだ。アタシが謝る必要があっても、グレッグさんが謝る必要なんてない。


「しかし!千歳様にあのような狼藉を働くなど、このグレッグ、なんとお詫びを申したらよいか……」


 本当に深刻そうな顔をして詫びを入れてくるグレッグさん。昨日のうちにアタシがマース達の親類、従姉弟であるという事はボースから兵士達全員に伝えられている。フライアの事は隠して、だけれど。

 グレッグさんから見たら、主人であるマースの従姉妹に狼藉を働いた、と言う認識になっている。ボースはA級流着物の暴走と言うでっち上げの問題にかこつけて、兵士達のアタシへの狼藉は不問にしたらしい。ただ実際やってしまった本人たちにしてみれば、例え過失であろうとアタシに謝らずにはいられないのだろう。彼らからしたら、アタシが何か一つボースに告げ口するだけでどんな罰を受けるかわかったものではないのだ。


(グレッグさんがおかしくなったのはアタシのせい、実際の原因はアタシなんだ。アタシの方こそ謝らなきゃ)


 アタシは椅子から立ち上がって、詫びを入れているグレッグさんに言う。


「アタシこそ、ごめんなさいっ!ホントは、あれっ、アタシが原因なんですっ!」


 言ってしまった。ボースには原因は伏せておけと言われていた。だが、何も悪くないグレッグさん達に謝らせておくのはアタシ的に凄く気分が良くない。


「いや、しかし……今なんと?千歳様が原因?とは、どういうことですか?」


 不思議そうな顔をしているグレッグさん。彼らは真相を知らない。アタシが何者なのかを知らない。


(つい言っちゃった。アタシを、アタシの正体を、彼らに見せたらどうなるだろうか?怖がるだろうか?怒るだろうか?それとも、意外と受け入れてくれるかも?ここは異世界なんだから、見慣れているかもしれない)


「ん?何やってるんだ?」

「なんだ?」


 先ほどのグレッグさんの謝罪の言葉、割と大きい声だったので、近くの兵士達もアタシの周りに集まり出してきている。今アタシが正体を現したら、グレッグさんだけではない、大勢の兵士達がアタシを見ることになるだろう。だけどアタシは甘い希望を抱く。彼らも、マース達のようにアタシを受け入れてくれるんじゃないかと言う甘すぎる希望だ。だからアタシはグレッグさんに向けて言う。、


「知りたい、ですか?アタシが原因ってこと、どういう原因なのかを」


 こんな言い方して、知りたくないなんて答える人間はそう多くない。


「皆さんも、昨日の本当の原因、知りたいですか?」


 アタシは周りに集まっている兵士達にも向けて声を掛ける。ずらりと10人、いや20人は集まっている。その中から、見覚えのある男が二人、声を掛けてくる。


「ミス千歳、本当の原因とはなんなのでしょう?」

「おうよ、ねーちゃん。なんなんだ?」


 アタシが最初にこの前戦キャンプで目覚め、グレッグさんがボースに連絡を入れると行ってテントを出た時、見張りとして置いていった二人、魔術師風の男ジェームズと、戦士風の男ショーンだった。その後も続々とアタシの周りに兵士達が集まってくる。


「千歳様、昨日の件、ご教授いただきたく存じます」


 真剣な目で答えてくるグレッグさん。もうアタシは引き下がれない。アタシは1歩前に出て周りのみんなを見て、言う。


「出来れば、驚いたり、大きな声を上げないでいてくれたら、嬉しいです」


 アタシは目を瞑り右手を胸間に当て、魔力を流すイメージをする。


(絶対に媚香の紐は緩めるなアタシ。周りのみんなが正常な判断を下せなくなる。変身だけだ、身体だけを変えろ。変われ、アタシ!)


 -バチッ-


 アタシの胸間に静電気の弾けるような感触と共に、触れた部分から全身に向けて熱い感覚が身体を巡る。変わっていくアタシの身体。手が青くなり、目が悪魔の目になった感触がある。

 アタシはゆっくりと目を開け、グレッグさんを見た。


「これが、アタシです」

「うお、おおおっ!?」


 アタシの目を見て、後ずさるグレッグさん。アタシがちらりと周りの兵士達を見ると、アタシに見られた兵士達もグレッグさんと同じような驚愕の声を上げる。


「ミ、ミス千歳、その手と、目はいったい?」

「お、おいねーちゃん、どうなってるんだ?」


 ジェームズとショーンも驚きの声を上げている。

 だが、アタシはまだ中途半端だ。完全な悪魔にはなっていない。だから続ける。


「これはまだ途中なの。これからが本番」


 アタシはそう言って、目を瞑り、今度はお腹と口に手を当てる。そして魔力を流すイメージをする。


(変われ、全部変われアタシ!)


 -バチッ-

 -メキメキ-


「んくっ!?」


 頭の軋む痛みにアタシは仰け反る。痛みと共にアタシの頭蓋骨がメキメキを音を立て角が生えた。この痛みにはまだ慣れない。アタシの手以外の部分も一気に青くなっていく。そして背中に生える大きな翼。髪が、黒色から金色に変わる。さらに黒装束の隙間から身体中に浮き出てくる黒い模様。


「「「うおおぉぉー!?」」」


 と周りの兵士達からどよめきの声が上がった。


 -バサッ-


 アタシは両手と両翼を広げ正面のグレッグさんに身体を見せる。


「これがアタシの正体。昨日みんながおかしくなったのは、A級流着物の暴走なんかじゃない、アタシの暴走。力をうまく使えなかったアタシのせいなんです」


 そう言ってグレッグさんの顔を見た。彼は困惑と不安の混じったような表情をしている。


「だから皆さん、ごめんなさいっ」


 アタシは悪魔の姿のまま、グレッグさんに、周りの兵士達に謝り、頭を下げる。

 一瞬、沈黙の時間が流れた。そして、


 -シャキンッ-


 鞘から剣を抜く音が聞こえた。その音にアタシは下げていた頭を上げる。

 黙ったままアタシを睨みつけ、剣を抜いているグレッグさん。彼は冷や汗を垂らしつつアタシを睨み言った。


「……化け物、化け物じゃないか!」

「アタシが化け物?違います、アタシは悪魔です」


 アタシは彼の言葉を否定する。


(そうだ、アタシは化け物なんてぼんやりとした物じゃない。アタシは悪魔だ。紛れも無い悪魔)


「皆さん、アタシは悪魔です。悪魔なんですよ」


 アタシはそう言って、周りの兵士たちに視線を配る。アタシが見るたびに、アタシの目を見るたびに、兵士達は狼狽える。

 彼らの様子に、アタシは落胆した。


(そう、そうだよね、それが当然の反応。マースやキートリー達がアタシに寛容すぎるだけ)


 アタシは自分の尊厳を失ったような空虚感に苛まれる。自分でやっておいて、こうなる事は予想出来ていたハズだ。それでも本当の事をただ黙っているよりはマシだと思ってやった。だけどどこか、正直に言えばみんなが受け入れてくれるんじゃないかって、あり得ない甘すぎる期待をしていた。でもやっぱり、ダメだった。

 アタシの前には、ギラリと光る剣が突きつけられている。


「グレッグさん、その剣でアタシを斬りますか?マースに近づくアタシを、斬りますか?」


 つい、グレッグが怒りそうな事を口走ってしまう。悪魔化した時のアタシは、やけに挑発的と言うか、軽率で、短絡的で、攻撃的な性格になる気がする。それでいて、アタシの精神面はアタシのままだ。だから勝手に相手を怒らせておいて、勝手に自分で傷つく。普段ならこんなこと言わないのに。こんなこと言ったら、グレッグが怒るのは当然なのに。


「悪魔めっ!マース様を誑かす悪魔めっ!」


 カタカタと震えつつ怒りの形相でアタシを睨みつけるグレッグ。


(マースを誑かす、そうか、そういう風に見えちゃうのか)


 もちろんアタシにはマースを誑かしているつもりなんてない。ちょっとスキンシップ過剰かもしれないが、それはアタシにはマースが必要だからで、マースもアタシを受け入れてくれるからで、決して騙したりなんてしていない。


「お、おいグレッグ、落ち着けよ」


 意外にもショーンは怒りで興奮するグレッグを宥め始める。


「グレッグ、落ち着きましょう。剣を納めて」


 ジェームズもショーンと同じくグレッグを宥め始めた。


「うるさい!あれは悪魔なんだぞ!?やはりこの女は私の思った通りだった!流着の民に偽装し!舌先三寸でマース様を騙し!その色香で誘惑し!ボーフォートに潜入しようと言う敵国のスパイだったのだ!!」


 怒りに任せ、アタシを指差しスパイ認定してくるグレッグ。


「違います、アタシはスパイなんかじゃありません……」


 暗い顔でアタシは首を振って否定するが、周りの兵士達には動揺が広がる。


「敵国のスパイ?」

「もしかして、ジェボードの?」

「そうだ、人から変身したし、ジェボードのスパイかもしれん」

「そうだ、そうに違いない」


 グレッグの一言で、周りの兵士達にもグレッグの恐怖とアタシのスパイ疑惑が伝染していく。


「お前達、落ち着くんだ。ミス千歳はただの流民の民だ、ボース様もそう言っていただろう?」

「そうだぜグレッグ、なんだってこのねーちゃんをそんなに敵視すんだ?そりゃ変身したのはびっくりしたがよぉ」


 ジェームズとショーンがアタシを庇ってグレッグと周りの兵士達を落ち着かせようとする。だが殺気立ったグレッグは止まらない。


「ジェームズ!ショーン!お前達またこの女悪魔に魅了されてるのか!?情けない奴らめっ!ええいっ!私に触れるな!」


 グレッグは彼を止めようと寄ってきていたジェームズとショーンを乱暴に振り解く。


「マース様は私が守るのだっ!悪魔め!死ねぇぇぇぇっ!!」


 そう言ってグレッグは確かな殺意と共にアタシに斬りかかってきた。


「おいグレッグ!」

「グレッグ!止めろっ!」


 最早ショーンとジェームズの静止の声も聞こえていない。


「っ!?やめてっ!」


 アタシはギラリと光る剣が怖くて、剣から身を守ろうと腕を身体の前に出した。その時、アタシの腕が一瞬だけ、ほんのりと橙色に光った。


 -ブゥンッ-

 -パキィィィンッ!-


 振り降ろされたグレッグさんの剣が、大きな音を立て根元から弾け折れる。砕け散り弾け飛ぶ鋼の破片。剣が当たったハズのアタシの腕には傷一つ無く。


 -ブワッ-


 瞬間、強い衝撃がグレッグを襲う。アタシの腕を覆っていた橙色の光が衝撃と共に消える。


 -ドシャアッ!-


「がはぁっっ!?」

「うわっ!?」

「うおっ!?」


 アタシに剣を振り下ろしたハズのグレッグが、後ろへ大きく吹き飛ぶ。彼はそのままアタシを囲むように集まっていた兵士達の群れに突っ込んで倒れた。吹き飛んできたグレッグの巻き添えを喰って倒れ込む数名の兵士達。

 昨日ヴァルキリーと戦っていた時に、なんとなく思っていた。アタシのこの悪魔の身体の異常なパワーと硬さ。アタシの爪は黒いヴァルキリーのロングソードを弾いた。あのヴァルキリーのロングソードは、今壊れたグレッグの剣より、ずっと大きくて威力のあるものだった。だけどそれをアタシはただ爪を構えるだけで弾き飛ばしたのだ。あの時もアタシの爪には傷一つ付いていなかった。

 刃物で腕を斬られても、刃物の方が先に壊れてしまった。アタシは完全に人間の範疇を超えている。昨日はフライア達と何の気なしに話し、冗談で悪魔だ人外だの云々言っていたつもりだった。だけど、


「なんだ!?剣が折れた!?」

「グレッグを吹き飛ばしたぞ!?」

「グレッグを殺そうとしやがった!!」

「悪魔め!ジェボードのスパイめ!」

「人間に化けた悪魔だ!!あの女は悪魔だ!!」


 兵士たちが口々にアタシに敵意を向けてくる。実際こうやって実情を見てしまうと、ショックだった。人間に、人間扱いされないと言うのは。


「ちっ、違うっ!今のは、グレッグさんが斬りかかってきたからっ!殺そうとなんてしてないっ!」


 アタシは狼狽えつつも弁解をするが、最早アタシを囲んでいる兵士達にはアタシの声は届かない。


 -ジャキンッ-

 -ジャキンッ-


 周りの兵士達の武器を構える音が聞こえる。見渡してみれば、ジェームズとショーン以外、全員アタシに向けて、各々の武器を構えていた。そして、武器を構えている全員が、強い殺意の目でアタシを睨みつけていた。

 アタシは悔しくて怖くて涙が出てきた。分かってもらえない悔しさ、殺意を向けられる恐怖の涙だ。今のアタシは、ゴブリンに襲われようと、ヴァルキリーに斬りかかれようと、恐怖なんて感じないだろう。だけど沢山の人間からの、人からの殺意に満ちた目には耐えられなかった、恐ろしかった。


「ぐぅっ、腕がっ、私の腕がぁぁっっ!くそぉっ!悪魔めぇっ!!」


 アタシの目線の先には、アタシに吹き飛ばされ、腕を負傷し呻き声を上げつつもアタシを殺意の籠った眼で睨みつけているグレッグがいる。この状況、はたから見ればアタシがグレッグを殺そうとしたモンスターにしか見えないだろう。


「お前たち!早まるな!今のは事故だ!斬りかかって言ったのはグレッグの方だろう!?」

「そうだ!お前ぇらどうかしてるぞ!?」


 ジェームズとショーンが必死になって周りの兵士達を諭している。だが兵士達は止まらなかった。


 -ギリギリギリッ-


 矢をつがえる音が聞こえる。弓矢、昨日、ゴブリンの村でアタシを散々苦しませた矢だ。黒いヴァルキリーが撃ってきた、アタシの腕に刺さり肉を焼いてきた矢だ。普通の弓矢なんてもう効かないと分かっていても、アタシにとってはまだ恐怖の対象だった。


「ひっ!?いやあっ!!」


 悲鳴を上げつつも、反射的にその矢をつがえる音が聞こえた方を見るアタシ。


 -ヒュンッ-


 矢が飛んでくる。想像よりもずっと遅かった。昨日見たゴブリンの矢はもっと早かったし、ヴァルキリーの矢はもっともっと早かった。こんな遅いの、手を伸ばせば簡単に掴める。


 -パシッ-


 アタシは飛んできた矢を右手で握って止めた。


「「「うおおおっ!?」」」


 兵士達の驚愕の声が聞こえる。

 だけどアタシの目の前には、掴んだ矢。ギラギラと光る先端の矢尻。アタシの身体を刺し貫いた、銀色の凶器。蘇る砂浜で死の記憶。斧で棍棒で、腸をぐちゃぐちゃにされたあの感触。


「あっ、ああっっ!?……はぁーっ!はぁーっ!はぁーっ!」


 アタシは恐怖と不安で過度の緊張状態になり、過呼吸になりだした。自分で今何をやっているのか、混乱し状況を掴めなくなってきている。恐ろしかった、身体は不死の悪魔になっても、精神は弱いアタシのままだった。目の前に死がチラつけば、簡単に崩れてしまう弱いアタシの心だった。アタシはそんな状態で、右手で掴んだ矢からなんとか目を離し、足元へ投げ捨てた。


 -ズドンッ!-


 投げ捨てた矢が、破裂音と共に一気に矢羽まで地面に埋まった。矢の埋まった地面は衝撃で凹み、四方にヒビが入る。そんな力を入れたつもりはない。そんなことをするつもりはなかった。


「「「うわああっっ!?」」」


 兵士達が恐怖混じりの驚愕の声を上げて地面をずりずりと後ずさる。混乱しているアタシはそんな兵士達を見て、ただ一人の親友の顔を思い浮かべ想像してしまう。


(メグもこんな風に、アタシに恐怖して後ずさるんだろうか?)


 メグがアタシに恐怖して後ずさる場面を想像し、胸が苦しくて、悲しくて涙が溢れてきた。黒白目の悪魔の目から、ボロボロと流れていくアタシの涙。

 そんな中、恐怖に駆られた兵士の誰かが叫んだ。


「こ、殺されるっ!みんな射てっ!!悪魔を殺せーっっ!!」


 アタシを殺せと。


「お前たち!やめるんだーっっ!」

「やめろぉぉっっ!!」


 ジェームズとショーンの制止の声にも関わらず、アタシに対する攻撃は始まってしまう。


 -ヒュンッ-

 -ヒュンッ-

 -ヒュンッ-


 四方からアタシに向けて、一斉に矢が飛んでくる。アタシを取り囲んだ状態で四方から矢を射っている。アタシに当たらず反対側にまで飛んだら、向こう側の兵士に当たってしまう、そんな同士討ちになってしまう状況でだ。だが、そんな当たり前の状況判断すら、今の兵士達には出来ていなかった。兵士達は混乱したアタシの所業によって、パニックに陥っている。


「いやぁっ!やめてぇっ!」


 -キンッ-

 -キンッ-

 -キンッ-


 だが、アタシの肌には、何一つ刺さらなかった。全てアタシの肌で跳ね返されている。アタシは避けなかった、と言うより、怖くて動けなかった。アタシは目を瞑り、両手で頭を抱え、すすり泣いていた。


「矢が効かない!?魔術だ!魔術を使え!」


 矢が弾かれ、誰かが次の手を叫ぶ。

 その声を聞いたジェームズが、隣で魔術を唱えようとしている別の魔術師の男を止めに入る。


「やめろマダツ!こんなところで魔術を撃ったら、周りにも被害がっ!」


 だが、恐慌状態に陥ったマダツと呼ばれた魔術師の男は詠唱を続けた。


「離せジェームズ!水の女神メルジナよ、その冷たき怒りを持って我が敵に凍てつく息吹を!フロストブロウ!」


 -キィィィン-

 -ヒュゥゥゥゥゥゥッ-


 魔術師の杖が青く光る。魔術によって魔術師の男が掲げた杖から、アタシの身体目掛け大量の冷たい風、ドライアイスのような大量の白煙が吹き付けた。冷えてキラキラと輝く空気、凍り付いていく地面、そして巻き込まれる近くの兵士達。


「うわあっっ!俺の手がぁっ!?」

「ぎゃあっ!皮膚が破けてっ!」

「馬鹿野郎!!マダツ!誰を撃ってる!?」


 凍り付いた自らの手を見て驚愕する者、凍えた金属の鎧から無理やり手を離し皮膚が破れ血を流している者、魔術を放った魔術師に同士討ちを責めている者。


「なっ!?効果が無いだと!?」


 氷の魔術を放ったマダツという魔術師が、驚きの声を上げている。アタシに吹きつけた冷気の風は、アタシになんの被害も及ぼさなかった。アタシに水魔術は効かない。アタシを傷付けたいなら、風魔術を使うしかないのだ。


「クソッ!だからやめろっつったんだ!おいお前!傷を見せろ!!ああっこの馬鹿!こういう時は温まるまでじっと待つんだよ!」


 ショーンが皮膚が破け手から血を流している兵士に近づき、ケガの様子を確認し応急手当をし出す。


 いよいよ成す術が無くなった周りの兵士達。剣も効かない、矢も効かない、魔術も効かない。恐怖に狂った彼らは、それでもアタシに対する殺意を止めなかった。

 アタシは最早、恐怖で彼らの顔をまともに見る事ができない。ただ頭を抱え、涙を流しながら縮こまっていた。


「くそがああっ!悪魔めぇぇ!潰れろぉぉっ!」

「おいハワード!止めろ!」


 ハワードと呼ばれた、大きな戦鎚、ウォーハンマーを両手で持った兵士が突撃してくるのが見えた。ショーンがハワード止めようとしたが間に合っていない。あの戦鎚なら、アタシもただでは済まないかもしれない。痛いのは怖い、怖いのは嫌だ。アタシはつい、振り下ろされるウォーハンマーに手を向けてしまった。


 -バキィィィッ!-


 アタシの掌に当たったウォーハンマーが柄からボキッと折れる。上空高くに吹き飛ぶウォーハンマーの鎚頭。ウォーハンマーを受け止めたアタシの掌には僅かに鈍痛が走った。


「痛っっ!」

「なんだとおおおおっっ!?」


 ウォーハンマーの折れた柄を見て驚愕しているハワード。彼は折れた柄を確認した後、さっと囲んでいる兵士達の元に後退した。

 今この場はパニックと恐怖で混沌としている。アタシも兵士達も、皆混乱している。


「ごめんなさいっっ!ごめんなさいっっ!アタシが悪かったですっ!だからもうやめてくださいっっ!!」


 アタシは頭をか掛けたまましゃがみ込み、やめてくれるよう狂ったように泣き叫ぶ。なんでこんな事になってしまったのか、なんでアタシはこんな怖い思いをしているのか、もう分からない。ただアタシが悪かったから、何が悪かったのかもよく覚えていないけど、謝ろうとしていた事だけを覚えている。だから力の限り謝罪した。だが、アタシのそんな謝罪の声すら、パニックに陥った兵士達にとっては恐怖の対象となった。


「うわあああ!悪魔が叫んだぞ!」

「逃げっ!」

「殺されるっ!俺ら殺されちまうっ!!」


 最早、収拾がつかない。恐怖と殺意が渦巻く。誰もがアタシに殺意を向ける。

 その時だった。


「水の女神メルジナよ、その冷たき怒りを持って我と彼らを隔て賜え!アイスウォール!」


 少し高い声、聞き覚えのある少年の魔術詠唱の声が聞こえた。


 -キィィィン-

 -ズシャアアッ!ズシャアアッ!ズシャアアッ!-


 魔術の発動する甲高い音と共に、アタシの周りの地面からアタシの倍以上の高さの氷の障壁が出現し、アタシを守るように三方を囲む。


「お前たち!!千歳姉様に何をしているんだっっ!!」


 周りの兵士達の喧噪が、ピタッと止まる。

 朝の前戦キャンプに、アタシの救世主の怒声が響いた。

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