04.覚醒_07

 アタシは交換条件、メグの救出を依頼するため、メグが触手に連れて行かれた状況をキートリー嬢達に事細かに説明する。海面から生える巨大な何本もの触手、ボートを軋ませ、人に巻き付き、アタシの両腕の骨を簡単に粉々にする威力。光る薄膜に包まれたメグを、海中へ引きずりこんで消えて行った触手の話を。


 テーブル向かいのイスに座り直し、アタシの話を静かに聞いていたキートリー嬢。話を聞き終わり、彼女が口を開く。


「なるほど、その触手は恐らくクラーケン、ですわね。近海まで出てくるなんて珍しいですこと」


 キートリー嬢は神妙な面持ちでアタシの顔を見る。


「そしてそのクラーケンに、千歳さんの御友人、恵さんが攫われた、と」

「もう、生きては……いないかもしれないですけど……大切な、友達なんです」


 アタシは悔しさと何もできなかった自分への怒りから唇を噛みしめる。あの時のメグはもう完全に動いていなかった。青い薄膜につつまれて触手から解放されても全く動きはしなかった。きっと、メグは、死んでいる。


「千歳さん、その方の口から、魂が抜けるのは見ましたかしら?」


 キートリー嬢が自分の頬を人差し指でぺんぺんと叩きながらアタシに確認を取ってくる。


「魂が抜ける?」


 その物言いはまるで魂が見えるような言い方だ。普通、魂なんて見えないし、そもそも存在するかどうかも怪しい。


「サティ?」


 キートリー嬢が目線で隣のサティさんに説明を促す。


「はい、オードゥスルスでは、生き物が死ぬときに口から、白い煙の玉のようなものが抜け出て空に昇って行きます。これが魂が抜けるという現象になります。これが起きていれば確実に死、起きていなければまだ生きています」


 サティさんが淡々と説明する。そう言えばゴブリンを殴り倒した時、そんなものがゴブリンの口から出て空に飛んで行ったのを見た覚えがある。


「それはゴブリンを倒した時、見た覚えがあります。……それが人でも、異世界から来たアタシ達でも起こると?」


 サティさんに確認を取る。あの煙玉が抜ける現象がアタシ達でも同じく起きるとするならば、


「はい、起こります。私達土着の民ならず、流着の民である千歳様方でも同じです。魂が抜けていれば死に、抜けていなければまだ生きています」


(アタシは見ていない、少なくともメグがあの薄膜に包まれて海中に消えるまで、メグの魂が抜けるのを見ていない!で、でも)


 一瞬希望が見えた。が、


「あの時にメグの魂が抜けるのは見ていません。ですけど……」


(海中で何時間もあの触手に捕まっていたら、酸欠で、メグは)


 例えあの瞬間まで生きていたとしても、今は夜だ。アタシが見た青い薄い膜は人一人包むのがやっとの大きさだった。そう長く海中で酸素を保っていられるとも思えない。アタシが再び希望を失おうとしたとき、キートリー嬢が言う。


「その方は、サラガノに貰った青い宝石の腕輪をしていたのですわね?」

「は、はい」


 キートリー嬢がアタシを指差し念を押すように聞いてくる。メグは確かにサラガノに貰った青い宝石の付いたブレスレットを付けていた。


「ならば、可能性は十分にありますわ。あの腕輪は守護のブレスレット。装着者が死に瀕した際にその力が発動し、装着者の命を死の淵から引き上げ、守りますの。その効果はたとえ火の中水の中であろうと関係ありませんのよ。クラーケンがそのメグさんを海中に引きずり込んだのは、恐らくは守護のブレスレットの防壁の光に惹かれたのでしょうね、クラーケンは光る物に引き寄せられる習性がありますから」


 キートリー嬢はアタシを指差していた人差し指を顔の隣りでフリフリ揺らしながら腕輪の説明をしてくる。あの腕輪は人の身体を守るバリアを張れる、その程度の認識でいたが、どうも違う。キートリー嬢の説明を聞く限り、バリアの他にも生命維持装置のような効果もあるらしい。

 段々と希望が見えてくる。


「じ、じゃあ……メグはまだ生きている?」


 恐る恐るキートリー嬢に聞いて見る、メグの生死の可能性を。


「ええ、恐らくは。ただ、何故サラガノがあんな大事なモノをなぜその方に渡したのかなど少々気になる部分はありますけれど」


 絶望の淵に会ったアタシのメグへの感情が、湧き上がってくる。


「ああああっっ!メグっ!」


 思わず顔を両手で覆いつつメグの名前を呼ぶ。アタシはメグが生きていると知り、安堵してまた涙が漏れそうになる。

 そんな喜びに震えて声を上げるアタシに、キートリー嬢は釘をさしてくる。


「ですが、守護のブレスレットにも時間制限がありますの。効果が発動してからは3日程度。今日の昼に発動したのであれば、リミットは明明後日の昼まで。あんまりゆっくりもしていられませんのよ」


 時間制限がある。ならば早く助けなければならない。アタシは顔を上げ、


「じゃ、じゃあ早く!メグを!」


 と、救助を急かす。そんなアタシにサティさんは淡々と説明を続ける。


「千歳様、クラーケンとの闘いとなりますと、海上から海中へ、となります。船の用意となりますと少々時間と人手が必要です」

「でも、たった三日じゃ!それにもう半日は過ぎて……あっ」


 焦って語気強めにサティさんに向かって抗議の声を上げてしまうアタシ。が、ここで船と言われて一つ思い出した。


(そうだ、船、アタシには船がある)


「アタシの船!浅瀬で転覆しちゃってますけど、アタシが倒れてた砂浜にあるはずです!」


 アタシはキートリー嬢に船の存在を告げる。これはつまりアタシのプレジャーボートの事だ。触手にひっくり返されて桟橋の隣りで転覆したが、アンカーは下したままだったハズだ。既に半日経ってエンジンへの浸水が心配だが。


 キートリー嬢はアタシの船の話を聞き、イスからずいっと前に乗り出して聞いてくる。


「その船、何人くらい乗れますの?」

「定員は9名です」


 前方操縦室の座席に4名、後部スペースには詰めれば5人は乗れる。


「9名……かなりの小型。クラーケン相手なら戦闘中も移動は必須。漕ぎ手で6人は取られますので、戦闘員はたった3名、少々厳しいですわね……」


 キートリー嬢が難しい顔で暗に無理だと告げてくる。だがアタシの船はガレー船じゃないので漕ぎ手は要らない。


「えっと、アタシが一人で操縦するので、8人はフリーで行けると思います」


 そう言ってアタシは自分を指差す。キートリー嬢が怪訝な顔をしている。


「千歳さんが力に自信が有るのは分かりますわ。でも相手はクラーケン、戦いながら素早く回避行動をとって貰うことになりますの。例え魔術で補助をしたとしても……」


(もしかしてアタシが一人で漕ぐつもりだと思ってるのかな?)


 キートリー嬢はあくまで手漕ぎの船を想定しているらしい。なので訂正を入れる。


「手漕ぎじゃなくて、動力があって、ディーゼルエンジン……軽油で走らせます。だから操縦者はアタシ一人で十分なんです」

「でぃー、ぜる?えんじん?」


 聞いたことの無いであろう単語に不思議そうな声上げるキートリー嬢。


「魔術で動く船ならありますけれど、油で動く船は初めて聞きましたわ。それはどういう仕組みですの?」


 ディーゼルエンジンについて聞きたいのか、グイっと身体を前に乗り出して興味深そうに問いかけてくるキートリー嬢。この物言いだとこの世界に石油は無いのかもしれない。とは言えエンジン仕組みの話は後にしてほしい。長引きそうだし、アタシもそこまで詳しくはないので。


「そ、そのエンジンの仕組みについては、メグを救出してからで……」

「え、ええ、わかりましたの」


 すっ、とイスから乗り出した身体を戻すキートリー嬢。続けて船の性能を聞いてくる。


「それでそのディーゼルエンジン?とやらの船は、どの程度の速さが出ますの?」

「最大31ノットで……えっと、だいたい57キロで……ノットとキロってスピードの単位なんですけど、わかります?」

「サティ?」


 キートリー嬢がすまし顔でサティさんに返答権を回す。


「わかりません」


 真顔で否定の言葉を告げるサティさん。


(だよねぇ)


 もともとそんな気はしていたが、元の世界のスピードの単位では説明できないようだった。なので、代替で説明できそうな物を探る。


「この世界って、馬はいますか?」

「馬ならいますわよ、このキャンプにも軍馬や荷馬車で連れてきてありますの」


(馬がいるなら説明できる、この世界にサラブレットがいないと仮定して)


「それなら、アタシの船は、軍馬の全力疾走と同じくらいの速度が出ます」


 -バンッ-


「なんですの!?船が?船ですのよっ!?海上で!?そんな速いんですのっ!?」


 突然両手でテーブルを叩き、イスから立ち上がるキートリー嬢。信じられないと言った形相である。


(そんなに驚かれると、ちょっと大げさにいってしまったような気になっちゃうんだけど)


 アタシはキートリー嬢の驚き様に気が引けて、ちょっと速度の説明に自信が無くなってきたので、苦笑しながらフォローを付け加える。


「はは、馬と言っても、魔術とか使ってない普通の馬くらいで……」


 -バンッ-


「それでも十分早いですわっ!逆に言えば、魔術での強化次第でもっと速度が出るという事ですのよ!」


 興奮しているのかもう一度テーブルを叩くキートリー嬢。キートリー嬢の言い様によればアタシの船の性能は、この世界的には破格らしい。


(でもディーゼルエンジンを魔術で強化とか出来るのかな)


 ただの機械に魔術の強化が効くのかは疑問だ。だが興奮収まらぬキートリー嬢の話が止まらない。


「B+級……いやA級並みの流着物ですわ!この船ならば!あの忌々しいジェボードの魚人共を蹴散らせますの!」


(B+級?A級?何の話?)


 キートリー嬢がイスから立ち上がりますグッと握り拳を作って空に吠える。


「量産が可能となれば、国境付近の制海権を丸ごと取り返せるかもしれませんね、お嬢様」


 隣のサティさんもほんのり声の調子が高い。


(ボートの量産?難しいと思うなぁ)


 キートリー嬢達はプレジャーボートを量産したいらしいが、部品、材料、加工技術など、量産へのハードルは非常に高い。ガレー船が普通の世代から高速ディーゼルボートへの世代へとは、いったい何世代飛び越すつもりなのやら。アタシ的には量産は魔法でも使わないと無理だと思っている。


(後はそもそも燃料が無いような)


 こちらの世界に来る前に一応燃料タンクを満タンにしてきたが、そう何時間も走れるほど燃料は余っていない。精々走れてあと3~4時間だ。キートリー嬢によるとこの世界には石油が無いようだが、石油が無いなら軽油も無いわけで、結局燃料切れ一直線だ。


(あ、いや待てよ?バイオディーゼル、植物油を精製出来るなら?でもどうやって?)


 アタシはバイオディーゼルの可能性にたどり着くが、植物油の精製方法がわからない。やっぱりアタシの知識だけではダメだ。


 アタシが色々思案している内に興奮が収まったらしいキートリー嬢は、イスにすとんっと座り直し、一度深い呼吸をする。


「ふーっ」

「お嬢様、如何致しますか?」

「サティ、千歳さんを含めた9名の選出を」


 落ち着いたのかキートリー嬢はサティさんと人選の相談をし出す。


「はい、そうしますと乗員は、船を動かす千歳様、戦闘のためにお嬢様、私の3人と……」

「相手が海中のクラーケンとなると、マースも呼んだ方がいいですわね。特に水流操作やクラーケンの探索、水中での呼吸、メグさんの治療等を考えるとマースに来てもらわないと話になりませんの」

「触手への対処を考えるならばあと数名、魔術師が欲しいですね」

「ええ、マースの補助に一人、あとは風の魔術士も欲しいですわね。水上へおびき寄せられてもあの触手の相手は相応に厄介ですもの。風魔術で船の強化と防御、触手への攻撃をお願いしたいですわ」

「あとはシュダ森の強行突破時の護衛が必要と思われます」

「ええ、そこはグレッグ中心に任せるのが一番ですわね、全員を船には乗せられないので森に置いていくことになりますが、グレッグならまあ大丈夫ですの」


 キートリー嬢とサティさんによって次々と人員が決まっていく。アタシはアタシで、今出来ることをする。


(今のアタシに出来ること。確約を、メグを助けてもらう約束をすること)


「あのっ、キートリーお嬢様っ!こ、交換条件の件なんですけどっ!」

「千歳さん?相手がクラーケンとなりますと、先ほどの条件だけでは受けかねますわ。私個人だけでなく、軍を動かす必要がありますの」


(そうなるよね)


 キートリー嬢が厳しい顔で条件の変更を言ってくる。あの触手の化け物を相手にするのだ、しかも海中で。シャワーの一つや二つで受けて貰えるような物じゃない。


「では、何を渡したら受けていただけますか……?」

「そうですわね……そう、元の条件に加えて、千歳さんの船と、千歳さんがサラガノに貰って砂浜に落としたという強壮剤、後はメグさんが付けている守護のブレスレット、この3つを要求しますわ」


 ビシッと三本指を立ててこちらに要求してくるキートリー嬢。


(話の流れ的に想像はしてたけど、やっぱり船か。あのプレジャーボートはおばあちゃんの遺品、とても大事なものだけど、メグの命には代えられない、か。アタシがサラガノに貰った香水なら、好きにして貰っていい。最後に、メグのブレスレット、あれはメグの物だ、アタシが自由にできるものじゃない)


 アタシは目を瞑り、考える。要求された物とメグの命を、天秤にかける。すぐに答えは出た。


「メグの付けているブレスレット、あれはアタシの物じゃありません、メグの物です。だからそれはメグを助けてから、メグ自身と交渉してください。強壮剤は好きにしてもらって構いません。船は、アタシのおばあちゃんの遺品です。とても大切なものですけど……でもメグを助けてくれるというのなら、差し上げます」

「では、よろしいのですわね?」


 キートリー嬢が確認を取ってくる。アタシに異論はない。


「構いません、それでお願いします」

「なれば、交渉成立ですわね、サティ?契約書の準備を」

「畏まりました。お嬢様」


 サティさんがテントの奥から羽ペンと紙のようなものを持ってくる。


(アレなんだろ?紙、じゃない、皮?あっ、羊皮紙か)


 キートリー嬢がサティさんから受け取った羊皮紙に、羽ペンでスラスラと文字を書いていく。その文字はアルファベットによく似ているが、キートリー嬢の文字が達筆すぎてアタシには読めない。


「出来ましたわ。千歳さん、この契約内容で宜しければ、ここにサインを」


 そう言ってキートリー嬢がアタシに契約書と羽ペンを渡してくる。


「えーっと、アタシこの文字は読めな……」


 彼女から契約書と羽ペンを受け取りつつ、アタシがキートリー嬢の書いた文字が読めない事を告げようとしたところ、


 -フォン-


(え、なにこれ、なんか頭の中に文字が浮かんでくるんだけど)


『日高千歳(以下「甲」)は、キートリー・ボーフォス(以下「乙」)と以下の契約を締結する。

 第一条

 乙は、庭野恵、を、魔獣クラーケンの元より救出し、生還させ、甲の島に帰還させる。


 第二条

 第一条の救出期限は、当契約締結から三日間以内とする。帰還期限は、当契約締結から1カ月間以内とする。


 第三条 

 第一条の成立時に、甲は、乙に対し、でぃーぜるえんじん船と、魔術式強壮剤、守護のブレスレットを報酬として支払う。

 第一条の不成立時は、報酬は支払われない。


 第三条 補足

 守護のブレスレットの支払いについては、庭野恵を救出後、庭野恵と再度交渉する。乙が守護のブレスレットを受け取れない場合は、乙は守護のブレスレット"B級流着物"相応の物を甲に請求できるものとする。


 第四条

 本契約にない事項については、甲乙協議の上、定めるものとする。


 甲 : 

 乙 : キートリー・ボーフォス』


(これって契約書の内容?やたらどっかで見た事ある風な形式になってる)


 頭の中に、何故か日本風に翻訳された契約書の内容が浮かんでくる。


「これはギアススクロールと呼ばれる異世界の魔法契約書ですわ、契約で魂を縛り付けるんですの」


 キートリー嬢が両手に顎を乗せながら契約書について説明してくる。


「魔法?魔術じゃないんですか?」

「ええ、このスクロールは魔法具、とても貴重なものですのよ。千歳さんはワタクシの書いた文字が読めなくても、契約の内容は頭に入って来たでしょう?これはそういう力を持っている紙なんですの」


 魔法と魔術の違いはさっきサティさんに聞いたばっかりだ。魔法具となると、これは奇跡を起こせるレベルの契約書、と言う訳だ。


(アタシの船に、このスクロールを使うレベルの価値がある、と踏んだのか。さて、サインをするかどうするか)


 少し疑問があるので聞いて見る。


「これ、契約違反したらどうなるんですか?例えばメグを助けてもらったのに、アタシが船を渡さなかったりしたら?」

「契約違反を致しますと、違反者の全身から噴水のように血が噴き出ますのよ。」

「普通死にますよねそれ?」


 キートリー嬢が、なんでもない風にとんでもない事を言う。


(うーん、しかし第三条の補足がなぁ、メグがブレスレットを渡したくないって言った時に、アタシが出す相応の物って、B級流着物って何?)


 B級流着物の意味が分からない。何かのラング付けだという事は理解できるのだが、詳細が分からないのではこのまま承諾するのは危険だ。


「すみません、このB級流着物ってのは、なんなんですか?」

「ああ、それは流着物の貴重さのランクを示すものですのよ。サティ」

「はい、基本的に軍事行動における貢献レベルで分けられています。A級が戦略レベルでの変化をもたらすもの、B級は戦術クラス、それ以下はC級になります。例外としてS級と言う区分けがありますが、こちらは世界を変えるレベルの物。少なくとも私は見た事も聞いたこともありません」

「へぇー」


 サティさんが説明してくれるが、アタシは戦術クラスの代替品と言われてもぱっとは思いつかない。そもそもアタシは島の見学に来てこの世界に迷い込んでしまった訳で、戦争しに来た訳じゃないのだ。武器も何も持ち込んじゃいない。


(何請求されるかなあ、うーーーん)


 契約書の前でうんうん唸るアタシ。だが、こうしている間にも、メグのタイムリミットは近づいてきている。


(どうせ、アタシには選ぶ時間も力もない、か。どうとでもなれだ)


 アタシは契約を締結する決心をした。羽ペンを握り、サインをしようとする。


「これ、アタシの名前、漢字で書いちゃってもいいんですか?」

「自身の名前であれば、母国語でも異国語でも自由に書いて平気ですのよ」

「じゃあ……」


 アタシは契約書の甲の部分に、自分の名前を署名する。


 -シュィィン-


 アタシが名前を書き終えた途端、スクロールの文字が薄っすらと光り、紙が2枚に分裂する。


「増えた?」

「これで契約完了ですの。一枚下さいな、そっちはワタクシの物。もう一枚は千歳さんのモノですの」


 キートリー嬢に増えた一枚の紙を渡す。アタシから契約書を受け取った彼女は、契約書を右腕にくるくると巻き付けていく。


「それは?」

「これをこう腕に巻き付けましたら……」


 -シュゥゥ-


「えっ、消えた?」


 キートリー嬢の右腕にぐるぐると巻き付けられた契約書が、アタシの目の前で彼女の腕の中にスッと消えて行く。


「見えていませんけれど、契約書はワタクシの腕にありますのよ。千歳さんもやってみてくださいな」

「ええと、こう、巻き付けるんですか?」


 アタシも彼女にならって契約書を右腕にぐるぐる巻き付けていく。すると、


 -シュゥゥ-


「あ、消えた」


 アタシの腕にも契約書が消えて行った。


「あれ、消えちゃったのはいいんですけど、もう一度契約書を読みたい時とかって、どうしたらいいんですか?」

「それなら、こう、指で腕をトントンと2回、叩きますの」


 キートリー嬢が自分の右腕を指でトントンと叩く。


 -スゥッ-


 すると消えた契約書が、彼女の腕に再び現れた。契約書をアタシに広げて見せるキートリー嬢。


「ね?便利でしょう?」


 彼女はそう言ってまた契約書を腕に巻いて消した。


「あとは、契約協議用の機能を利用して、こういう芸当も出来ますの」


 そのまま彼女は右腕に指をぐっと押し付ける。すると、彼女の右腕、ちょうど契約書を巻き付けた部分がうっすらと光った。


『千歳様、聞こえまして?』


「うわっ!なんですか!?なんか頭の中に声が」


 突然頭の中にキートリー嬢の声が聞こえてくる。


『ギアススクロールの力ですの。本来は契約協議用の機能ですが、これで声を出さずに遠方でのやり取りが可能ですのよ?千歳さんもやってみてくださいな』


(こいつ直接脳内に……!ってやつ?まあいいややってみよう)


 アタシも契約書を巻き付けた右腕に指をおしつけ、キートリー嬢に向けて念じてみる。


『もしもし、キートリーお嬢様、聞こえますか』

『聞こえていますのよ。面白いでしょう?契約期限内だけですけれども、何か困ったことがありましたら、これで連絡を下さいな』


 アタシの頭の中で念じた言葉がキートリー嬢に伝わっているらしい。キートリー嬢はアタシにウインクして念話が通じている事を伝えてくる。


「ともあれ、これで契約は完了ですの。」


 そう言ってキートリー嬢は腕から指を離して立ち上がり、右手をアタシの前に差し出す。アタシはキートリー嬢が差し出した手を両手で握り、


「どうか、メグを助けてください、お願いします」


 頭を下げ、メグの救出を頼み込んだ。


「ええ、全力で参りますの、このボーフォートの紋章に掛けて」


 キートリー嬢はぱららっと手に持った扇を広げて見せる。そこには剣と杖が刺さった大きな盾を囲む2体の翼の生えた獣、これがボーフォートの紋章だろうか、それが書かれていた。


「さて、では、作戦予定を確認しますの。サティ」

「はい、この後の各所への連絡、事前準備等を含め、出発は明朝。日の高いうちに護衛と共にシュダ森の中央を突破、シュダ森南の砂浜にて千歳さんの船を転覆から復帰させ乗船、日が落ちるまでにクラーケンを発見して海中から引きずり出し、海上にてこれを撃破。クラーケンに囚われている庭野恵様を救出。そのまま千歳様の島へ庭野恵様を送り届けます」

「千歳さん、これでよろしくって?」


 作戦だなんだなんてアタシにはわからない。だからこの人達に任せるしかない。


「それで、お願いします」


 アタシは二人に向かって深々と頭を下げた。

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